沈丁花の風
そして再び、冷たい風が吹き抜け思わず真咲は目を瞑る。
再び目を開けると、駐屯地には真咲とプラトム以外は居なかった。
「……助かったの?」
「みたいだな……」
薪が爆ぜる音がし、火の粉が舞う。
静か過ぎる空気が戻ってきた。
狐につままれる気分というものを味わった真咲は【執行者】が投げて寄越した物を見て、悲鳴を上げそうになる。
落ちていたのは、血と泥に塗れたプラトムの片翼だった。
「俺の翼か……」
真咲は、プラトムからのろのろと離れ、その翼を両手で抱え上げた。
翼は、泥と血に塗れた部分は乾いてがさがさとしているが、汚れていない箇所の羽毛自体は温かく、その翼自体に温度があるように感じられる。
屈んで、プラトムに差し出す。
「……置いて行こう。もう治療魔術でも治せない」
「でも、これはプラトムの翼でしょう」
「俺のだから解るんだ。もうどうしようもない」
「……」
真咲は、唇を噛み締める。
真咲とは比べ物にならないほど、プラトムの方が傷付いているのだというのに、本人が諦めてしまわなくてはいけない状況だという事が辛かった。
「……だから、速く、ヘルバのところに……」
「……プラトム?」
翼を見詰めていた真咲が、弱々しい声に顔を上げると、声の主の顔色は蒼白だった。
「プラトム!!」
上半身を起こす体力も残っていないのか、倒れかけたプラトムを真咲が受け止める。
汗を大量にかき、呼吸が浅く、首に触れると脈が異常に速かった。
「そんなっ!どうしたら……!?」
救急車も大きな病院もないこの世界に、真咲の焦りだけが募って行く。
意識のないプラトムを抱えて、真咲は恐慌に陥る。
「プラトム……!どうしたら、どうしたら良いの!?」
目が融ける様に熱く、視線が定まらない。
プラトムの白い肌にぽたぽたと雫が落ちる。
【しらせ】に対しても無力で、怪我に対しても無力。
「あたしは、何も出来ないの!?」
助けられると思っていた。
希望がほとんど残っていない状態で、彼は生きていた。
だから、調子に乗っていたのかもしれない。
自分には何か出来ると、行動すれば何かが達成出来て当たり前だと。
「あたしが、助けられるなんて思ったから、また、神様が罰を……!
父さんと母さんの時と同じ様に……。ごめんなさい、あたしが悪いから、罰を受けるから、プラトムを助けて!」
大人の女性、というよりも子供のように真咲は叫ぶ。
その叫びで、真咲の両上腕の魔法陣が弾けた。
頬に浮かぶ鱗が増えた事にも、鱗が浮かんでいる事すら気付かないまま真咲は慟哭した。
風が吹いた。
花の香りのする少し冷たい風。
本格的な春よりも早く、甘い香りを漂わせる低木の花を思い起こさせた。
(沈丁花の匂い?)
その香りに真咲は、水の中に居る様な視界のままテントの外を見た。
人が居る。
その人に縋るしかなかった。
「お願い助けて!!」
人影は此方を向いたようだったが、まだ距離があった。
真咲は、急いで自分の外套を剥ぎ取ると、プラトムの体の下に敷き、片翼にも気をつけながらプラトムを寝かせた。
「待ってて、人を呼んでくるから!」
テントから転げるように出て、その人影に縋りつく。
その人物がどんな人物かなども考えている余裕が真咲には、なかった。
それほどに動揺している。
「お願い!死にそうな人が居るの!助けて!!」
「貴女……!?……解ったわ、テントの中ね?」
縋りついたのは、女性だった。
真咲とそう変わらない年頃の、胸下まである黒髪で黒い柔らかい薄布を重ねた服の女性。
肌の色も真咲と似たような黄味がかった色。
「ちょっと!?罠だったらどうするんですか!?」
女性の側には、生成の頭巾を深々と被った少年。
ノースリーブから出ている腕やハーフパンツから出ている足は、小麦色。
真咲の事を警戒しているようだ。
「大丈夫よ。こんな必死に、子供のように縋って来る子をほうっておけないわ」
「……はぁ、わかりましたよ!僕も行きます」
少年は女性に弱いのか、結局は折れていた。
女は、プラトムを見ると驚いた顔をした。
「まさか、デルイル族?」
「……プラトムは、そう言っていた」
その言葉を聞いて、少年は不平を口にした。
「まさか、デルイル族を助けるんですか!?あの女神の所有物ですよ!?」
「この逃亡の世界に居るデルイル族は、彼女を裏切った側のデルイル族よ。
問題は、翼の色だけど……、あぁ、大丈夫。この色なら私でも助けられる」
真咲には、何の事か解らない内容だったが、女性はプラトムを助けてくれるらしい。
「勝手にして下さい!……それにしても暗いですね」
少年は、身体の前で右手を横に払った。
すると光が、テントの四方に飛び、照明となる。
黄色がかった優しい色合いの明かり、元々あった蝋燭の光よりも何倍も明るかった。
夜に、こんな明るい光を見たのは久しぶりだった。
その灯りに照らされたプラトムは、闇に慣れた目で見るよりも、苦しそうだった。
旧21話と旧22話です。