落とされた片翼
風はまったく吹かず、耳に入り込んで来るのは薪の爆ぜる音。
それくらい静かだ。
多かれ少なかれ怪我を負っていると予想もする。
また、命がまだあるかの保証すらもなかった。
ぐっと、手を握り真咲は焦りを抑えようとしたが、中々うまくいかない。
過去に敵の居留地へと潜入した事はある。
しかし、今回は独り。
しかも、前回は何も思わない様に何も感じないように振舞っていた。
今とは、違う。
焦りも、恐れもある。
(あたしは、弱くなった?
……でも、もう今更何も感じないふりは出来ない。とにかく、ヘルバの兄を助ける事だけ考えよう)
意気込むと、遠くから落ち葉を踏む音が聞こえて来た。
それに遅れて人の声も。
真咲は身を屈めて、注意深く音の方向を注視する。
「……ったく、気味が悪い場所だよな、ここ」
「でも、破壊神の火球から逃れた場所だぜ!逃げてこの世界にきた俺らには縁起が良い場所じゃねえか」
「おめでたい頭だな、逃げてきた先でもこんな風にこき使われてるってのに」
「いや、前よりもマシだっての!神と人間の戦争がそこらへんで起きてるよりかはどこでもマシ!」
「まぁ、そうだけどな」
(……神と人間が戦争?……一体何の話?)
揃いの麻の貫頭衣に皮の胸当て、手には抜き身の青銅の両刃剣。
イイサンの軍人と思われる二人が松明を持ち、巡回をしながら雑談をしている。
品の良い物を身に付けているとは言い難く、強そうにも見えないが、この場で戦いに持ち込むのは得策ではない。
真咲は、二人が丘の上方に落ち葉を蹴散らしながら登って行くのを注意深く見守った。
彼等が、落ち葉を退けて行ったので、真咲はその後に続いた。
丘の頂上に近づくほどに落ち葉の層は薄くなっていく。
(良かった、歩き易くなった)
少し安心し、木の幹に体を隠しながら進む。
兵の二人は、粗末な布を組み合わせたテントの中に入って行った。
テントは三つ。
入り口には、篝火が灯され、テントとテントを結ぶ中間地には焚火。
その内、先ほどとは違う二人が出て行く。
巡回の交代だろう。
落ち葉を踏む音が遠ざかると、テントの裏へと回る。
見張りは二名、丘の見晴らしの良い場所から外を監視する者と焚火の前で丘の坂道を監視する者。
しかし、真咲から見える焚火近くの兵士は欠伸を噛み殺していたので、気付かれる事無く移動出来た。
(注意力がなさずぎだろう……)
内心呆れながらも、真咲はテントの中の音を拾おうと耳をそばだてた。
三つのテントからは、いずれも光が漏れている。
三つとも中に人が居るのだ。
真ん中に位置するテントは人が多いらしく、会話の内容も聞こえて来た。
「明日には、王から褒美が貰える。こんな死んだ土地からとっとと出て美味い物がたらふく食えるぞ」
「けど、攫って来いと言われたのは、デルイル族の族長ではなかったですか?」
「良いんだよ!どうせ、肉になっちまえば翼有種の肉だ。誰かの判別なんてつかねぇよ!」
「まぁ、確かにそうですね」
何が楽しいのか、どっと笑いが起こったが真咲には理解が出来ない。
(……早く、助けないと!)
焦りと怒りが増す。
先程まで話していた少女の兄を、食材と見なし、個の尊厳自体も否定したのだ。
「で、その翼有種は死んだか?」
「まだ、生きているようですよ、もっと脆弱だと思っていましたが、殺しておきますか?」
「片翼を落としたのにか、運搬するときにどうせ解体するんだ。放っておいても問題はないだろう」
「はっ」
「そんなことよりも、酒が切れた。持ってこい」
「はっ、すぐに持たせます。おい、お前行って来い!」
「はいっ」
弾かれたように、下っ端の兵士がテントから出ていった。
真咲は、先程の兵士の言葉に耳を疑う。
(片翼を落とした!?何て事を!)
ヘルバやスブリマが持つ真っ白な美しい翼、それを切り落としたと、彼等は言った。
(許せない!)
真咲は、頭に血が上り、中に特攻を仕掛けようとするが、すんでの所で思い止まる。
前に、無茶しようとする真咲の後ろ襟首をジョンに掴まれて持ち上げられた事があった。
持ち上げられたのは、丁度こんな時だった。
あの時は、腹が立つ程度にしか思っていなかったが、今はとても感謝する。
(……落ち着け、まだ生きてるんだ。あいつらの事は、ヘルバの兄を助けた後に考えよう……!)
深呼吸をして、真咲はひとまず落ち着くと、下っ端の兵士が入って行ったテントを確認する。
右のテントで、何かを探す音がしている。
つまり、右のテントは食糧などの携行品の倉庫として使用しているようだった。
(という事は、あやしいのは左のテントか……)
真咲は、左のテントへと回る。
地面に顔をつけるほど傾き、テントの布を少し持ち上げた。
旧17話あたりになります。