梅の時期の辛い知らせ
真咲から離れて、初春の日本の話です。
梅の花が咲く頃合いにも拘らず粉雪がちらちらと舞う最中、合格番号の書かれた掲示板の前に学生達が集まる。
「あった……!」
紅子は自分の番号を見つけて、ほっと一息つく。
念願の希望が叶い、自分のレベルより偏差値の高い高校に入れたのだ。
塾通いで頑張ったかいがあった。
周りが戦々恐々とする騒がしい中で、紅子のコートのポケットから振動が伝わる。
年頃の少女に似合ったキャラクター物のカバーをつけたスマートフォンを取り出し、掲示板の前に列を成す集団から離れる。
「もしもし?あ、お母さん?今ね…」
合否の結果を告げようとした紅子の言葉を遮って、母が口にした言葉は、紅子を奈落に突き落とす物だった。
「友恵ちゃんが亡くなったの!マンションの最上階から飛び降りたって!
早く帰ってきなさい!!」
「友恵が……!?」
スマートフォンを握ったまま紅子は、膝から崩折れた。
まだ雪が残る冷たい地面に膝を着く。
熱い滴が落ちてなかなか止まなかった。
「ぅ……うぅ……!」
泣くのを抑えようとしても、どうにも止まらない涙で喉がしゃくりあげる。
隅でうずくまり、泣く紅子を、さして気にとめる者も居なかった。
掲示板に自分の番号を見つけられず泣く者が何人も居たからだ。
そんな中、一人だけ紅子に声を掛けた者が居た。
「大丈夫か?」
相手は、膝を折って紅子の様子を覗き込んできた。
思わず顔を上げた紅子と少年の瞳がかち合った。
少々色素の薄い柔らかそうな短い髪に、人当たりがきつそうな印象を受ける目元。
だが、榛色の瞳は心配の色に染まっていた。
「ここに居たら風邪を引く、落ち着くまで違う場所に行こう?」
涙の溜まった茶の瞳に困惑を漂わせるも、紅子は少年の言葉に頷いた。
差し出された手を掴むと、強い力に引っ張られた。
ぼんやりしていると汚れた膝を払われて、紅子の荷物も少年が持っていた。
「ほら」
再び差し出された手に、紅子は何も考えずに手を乗せる。
少し、頭を上げると、少年の紺の学ランに雪の結晶が所々張り付いていたのに気付く。
気温はぐんと下がり、本格的に季節外れの雪が降っていた。
少年の温かな手に導かれるままに、辿り着いたのは最近出来たばかりのカフェだった。
出来たばかりなのだが、昭和初期の純喫茶をイメージした造りらしく、煉瓦の赤い壁にツタを這わせており、看板には「レインボウ」と、特徴のある太字のフォントで書かれていた。
扉を開けると、カランカランとベルが鳴り、奥から落ち着いた男性の声が響く。
「いらっしゃいませー。空いているお席へどうぞー。って、なんだ初意か」
額の中には昭和を感じさせる映画のポスターや広告。内装はアンティークの物が多く、古めかしい印象を受けた。
「ここのオーナーは俺の知り合いだからさ、ゆっくりしていって」
そう言うと、少年は紅子を奥のテーブル席のソファに座らせて、自分は厨房の方へと向かった。
入れ違いにほっそりとした青年が厨房から出て来て、紅子の前に水の入ったグラスと温かいおしぼりを置く。
年の頃は、二十代後半だろう。
少年の印象は、硬派で真面目そうだが、青年は柔らかで包容力がありそうな雰囲気がある。
顔は整っている方だが、美形だと言い切ってしまうには、どこか凡庸。
けれど、声は低いが、とても聞き取り易く、よく通る声をしている。
「寒かったでしょう?ホットココアで良いかな?初意が連れて来た子だから、おごるよ」
「え?あ、いや、そんな……」
「遠慮しないで、初意が珍しく女の子を連れて来たんだもの。それに、何か悲しい事があったんでしょう?」
オーナーは、自分の顔の目元を人差し指でとんとんと指してみせる。
「え、あ……!」
紅子は、目元が赤い事を指摘されて、思わず目元を隠す。
「あぁ、ごめんね。からかう気はなかったんだ。ちょっと待っててね」
オーナーは、厨房に再び戻っていった。
店内のBGMは、紅子でも知っているクラシック曲だ。
店内には、他に客はおらず、厨房から食器を用意する音と、初意と呼ばれた少年とオーナーの小さな話し声が聞こえていた。
落ち着くBGMにちょっとした生活音。
自分の家の中とは比べ物にならない安心感がこの場にはあった。
紅子はこの時から、二人の事を信用したのだ。
そして、夏休み直前に、稲生紅子は、姿を消した。
繰り上げではなく、追加した話になります。