ヘルバの願い
真咲は、その紙を引っ張りだした。
「これは、ヘルバが書いたのか?赤茶色のインク……?」
急いで書いたのだろう、文字はかなり乱れていた。
この世界、話言葉は通じるが、文字は違っていたのだ。
だが、この世界に来て五年も経つと、流石に文字にも慣れてくる。
和紙のような植物性の紙に、赤茶色のインクもとい、真咲の血で書かれていた。
床には、サリーレから攻撃を受けた場所に血溜まりが残っている。
端は乾いているが、中心の方は液体のままだった。
その血溜まりの側に、ヘルバの物と思われる白い羽根が一枚、付け根に血が付いた状態で放置されていた。
「何も書く物が無かったんだろうけど、自分の血文字か……、まぁ、良いけどさ」
溜め息を吐きながら、真咲は中身を読む。
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お姉さんへ
私には兄がいます。その兄は、私達を逃がす為に犠牲となりました。
私では助ける事が出来ません。
族長であるスブリマ様も兄を助けないでしょう。
兄はそういう役目を負ってしまいました。
兄はまだ王国の兵士に捕まっているでしょう。
お願いです。兄を助けて下さい。
兄は三角州の辺りで捕えられました。
兄を助けたら、穢れを祓える場所に私達は居ると伝えて下さい。
女神に誓って、この内容は真実でしかありません。
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なんとも無理難題だった。
「なんという無茶振りだ……」
真咲は信じられない想いで、手紙を見詰める。
しかし、いくら見詰めたって、文字が変わるわけではないのだ。
「……ふぅ、ヘルバは頼れる人が居ないから、こんな得体の知れない奴に頼むしかなかったんだろうけど」
つまり、それだけ切羽詰まっている、という事だろう。
真咲は、床に置いてあった自分の剣を腰に履き、手紙をパンツのポケットの中に畳んで入れた。
家屋を出て、はたと気付く。
「そういえば、翼有種は血が苦手と聞いていたけれど、血文字にするわ、平気で治療中に触っていたんだけれど、あれは、ガセなの?」
サリーレは、ヘルバを守る為に真咲を刺した。
スブリマは、治療の為に傷口を触り、直接血に触れていた。
ヘルバは、血文字の手紙を書いた。
「……ガセなんだろうな……。ジョンさんはどこから話を仕入れたんだか……。下手すりゃ、【しらせ】に知られて無事じゃすまないってのに」
この世界は、真実を尊ぶ。
ヘルバの手紙にある女神とは、真実の女神の事である。
この世界に、神は二柱しかいない。
破壊の男神と、真実の女神。
その二柱が、逃亡してきた者達に、この世界での居場所を与えてくれるのだ。
しかし、条件がある。
『嘘を吐かない事』、だ。
真実を蔑ろにし、嘘を語れば女神が悲しむ。
女神が悲しむと男神が怒り、その者を破壊する。
【しらせ】は【通報者】の別名だ。
【しらせ】は、白っぽい髪、赤い水干に裸足、という子供の姿をした者達の総称で、嘘を吐く者を破壊神に通報する者なのだ。
彼等は、「その言、嘘か真か教えよ」と言って人に迫る。
真実を答えれば、そのまま無事に過ごせる。
しかし、嘘を言えば、大の男ほどの身の丈の蛇に変貌した【しらせ】に食らいつかれる。
そして、逃げられない状態で破壊神の火球に襲われるのだ。
破壊神の放つ火球は、美しい金の炎。
噂では、魂ごと破壊されるといわれている。
魂が消えたかどうかの判断は、つかないが破壊神の火球を受けた者は灰さえも残らないというのは事実だ。
だからこそ、真咲はガセの情報を危惧する。
火球は、周りに居る者も巻き込むからだ。
(ジョンさんには死んで欲しくない……)
冷たい態度をジョンにはとっていたが、本当はかなり頼っていたのだと、今になってやっと解った。
独りで生きている気になっていたが、それは間違いだった。
「とはいえ、俺が一番嘘をついていたから。今更か……」
自分を男だと偽っている真咲は、【しらせ】に問われると、その場で終わりだ。今まで【しらせ】に遭わなかったのは運が良かった。
「【しらせ】が来た時、独りになれば良いと思っていたけど、そう上手くはいかないよね。俺が離れようと思っても独りになりきれていなかったら、ジョンさんもきっとまきこんでいた。馬鹿だなぁ、あたしは……」
それだけ、周りに目を向ける事が出来なかったのだ。
むりやり連れて来られた世界で、納得がいかず意固持に、この五年間を過ごしていた。
「もう、良いかな。この力の扱いにも慣れて来たし、剣を使ってももう震えない。危険は減らしておこう。あたしはあたしで、まずはヘルバの願いを叶えよう……!」
やっと、前を向けた。
女性の傭兵や剣士は、この世界にも居る。
ただ、真咲は女性としてきちんと胸を張れる自信がなかった。
この世界で生きている以上、【しらせ】に遭う確率は高い。
なら、嘘はつかない方が良い。
女である事が嫌いなわけではないのだし、むしろ真咲は、母のような女性になりたかった。