不審者一行の目的
飲食店を兼ねた宿屋の一室は、良く言えば質素、悪くいえば殺風景であった。
人目の多いところで話など出来ないと言って、娘が宿屋の部屋を借りたのだ。
けれど、ヴォルケは、十分騒いだのだから、わざわざ移動する必要などあったのだろうかと、疑問に思ってしまう。
「——で、その恰好は何だ?」
ぶかぶかの黒いシルクハットにだぼだぼの黒いコートを身に着けた不審者の前で、隻腕の娘が仁王立ちしていた。
「変装っ! ほら、こっそりする時は、誰か分かんないようにいないと駄目じゃないか」
シルクハットに顔の大半が隠れて分かりにくいが、どや顔で不審者は親指立てた。
「——目立つだろうが、このど阿呆っ!!」
正座をしていた不審者の脳天に、娘の踵落としが見舞われた。
「ひどい……」
頭を押さえて蹲る不審者を、ヴォルケは何とも言えない目で見る。
傍から見るとちょっと残念で可哀想な人だが、何と言うか、この不審者は、ヴォルケの知らない理屈で生きているように感じるのだ。
だが、どんな環境で育てば不審者が持つ理屈が得られるのか、ヴォルケには分からず、反応に困る。
不審者を睨みながら娘は、切り替える様に細く長い息を吐いた。
被っていた猫の豪快な剥がれぶりを見るに、娘はかなり動揺していたのかもしれない。
けれど、理由は何となく察せる気がするが、そこまで動揺することだったのか?と、ヴォルケは内心首を捻る。
へんなひとが出没したくらいで、戦争が始まる訳でもあるまいに。
「黒主」
娘が纏う空気が、変わった。
鞘から抜かれた刃の如く、鋭く、冷たく。
——気を抜けば、首が落ちると、錯覚してしまいそうなものに。
娘の、夜闇に通じる黒い瞳の中には、轟々と燃え盛る焔が見えた。
娘の視線の先にあったのは、不審者ではなく、不吉なほど毛艶の悪い黒猫であった。
「遊びに来ただけなら、さっさと去れ。 ローディオは、異端に寛容じゃない。無暗に、人の世を搔き乱すのは、止めろ」
壮絶なまでの激しさを、極限までに押し込んだが故の、冷え冷えとした声。
己の身すら焼き尽くさんとする激烈さは、娘が隠してきた本質なのだろう。
ヴォルケは、知らず、娘に魅入っていた。
花や宝石ではなく、獣や刀剣のそれに属する美。
命の奪い合いの中でこそ、最も輝く美しさは、例え異形とされるものであっても、惹かれずにはいられない。
「王鞘、悪いが、儂等はまだ帰れない」
しわがれた声は、間違いなく、黒猫から発せられていた。
その光景に、ヴォルケの背筋を、ひやりとしたものが撫でる。
ローディオは人族のみで構成された国であったので、異種族に排他的である。
ヴォルケは人間の方が魔物よりも性質が悪いことを知っていたので、異種族への忌避感は薄いが、彼はあくまで少数派なのだ。
そして、娘がこの国に来ることとなった事件の影響も未だ根強い。
一部には、娘の国の報復を恐れ、先制される前に攻撃してしまえ、と言う声さえあるのである。
非があるのはローディオの人間だったのだが、彼の国の『悪の王国』との異名は、それを恐れる者達の免罪符代わりになってしまっている。
娘から言わせれば、歴史における故国の苛烈極まりない行いは、相手が自分達に二度と手を出す気を起さない為の見せしめだそうだが。
——話し合いをせずに剣を向けてくる輩に、与える慈悲は無いらしい。
事実、彼の国が峻烈たる牙を向けるのは、彼の国からの再三にわたる交渉の提案を蹴り、侵攻して来た者達へのみであった。
「何故だ」
底光りする様な眼差しで、娘は黒猫を見ていた。
明らかに人外と分かる存在にうろつかれては、ローディオ側の暴発のきっかけになりかねないと、ヴォルケでも分かる。
なにせ、アレクサンドリア嫌いの者達は、下手をするとくしゃみをすることすら彼の国のせいにしかねないのだから。
「——卵が、この地にあるはずだ」
黒猫の言葉に、娘の顔の険しさが、一層増した。




