今回の種馬について
*ヒロインが酷いです。人によっては、不快になる可能性があります。
子供が欲しかった。
自分の血を受け継ぐ子供が。
——我が子を愛することが、彼女の最大の復讐であったから。
◆◆◆
ふつふつと、泡の弾ける様な囁きは、当の昔に馴染んだものだ。
ただ、今は少しだけ、いつもよりも大きかった。
それが煩わしい、とは思わない。
雲の流れる速度が多少違ったところで、変わる日常が無いのと同じだ。
大概の人間が忌避する肌の紋様を、無骨な手が撫でる。
優しい掌は、何故だか、彼女が彼女であるために振り払ったものを、連想させたのだ——。
ぬるい微睡みの中を揺蕩いながら、彼女は他人の鼓動を感じていた。
繊細なガラス細工を扱う様に彼女を抱いた男は、身体こそ動いていないものの、内心七転八倒しているようだ。
今更ながらに、一回り以上年下の女を抱いた罪悪感が、湧き上がってくるらしい。
それならやらなければよかったのではないか、と思わなくも無いが、正直、男の子種が得られないのは、惜しいと思った。
彼女が生んだというだけで、彼女の子供は彼女の後を継ぐに値する。
それでも、彼女は自分の子供を愛すると決めたから、子供に残すものは、出来る限りより良いものにしたかった。
必要とされる能力の素地もまた、然りだ。
だがやはり、それに関しては、彼女だけではなく、種馬がものを言う。
——そして、今彼女を抱いている男はどうだったか。
ヴォルケ・レーゲン。
大国であるローディオの歴史の中でも希少な、平民将軍。
彼を将軍位まで押し上げた、『災獣』と呼ばれた魔物の討伐時に受けた顔の傷のせいで、地位の割に女っ気は無い。
その腕一つで成り上がった傑物は、北方の貧困地帯の出身だ。
『教会』の影響が強いローディオでは珍しく、細々と土着信仰が継承されている地域には、弱い異能の血統が分布していた。
男の経歴を鑑みるに、彼は無自覚かつ他者にも気取られぬほど微弱な異能を、複数発現していると思われる。
総合的に見て、それなりの優良物件。
あくまでも、彼女にとっては。
ヴォルケは、恐らく神域に放り込んでも問題ないので、そこが高得点である。
神域と言う場所は神聖そうな響きとは裏腹に、その実態は、強力な魔物が跋扈する危険地帯だ。
彼女の血統が襲名してきた称号には、最低限神域で生き延びることが可能な戦闘能力が必要不可欠だった。
そして、そんな人材はそうそう転がっているものでは無い。
いや、いるところにはいるのだが、そう言う場所の人材は、全力で逃げるか、悪い方向へ深読みするのだ。
——それは、彼女の先祖が代々コツコツ積み上げてきた悪名のお陰ともいえる。
アレクサンドリアの悪鬼、若しくは、人食い竜。
——第一の忠臣、神域の番人と言う呼び名の影で、恐れと共に吐き捨てられる異名。
突出した戦闘能力と、それに比例するかの様な狂気を有してきた彼女の一族は、何時のころからかそう呼ばれるようになっていた。
アレクサンドリアの神域の主は紅の地竜であるため、人食い竜は止めて欲しいが、悪鬼と呼ばれるのは順当であると、彼女は思う。
彼女からして、死刑囚の女の命を喰らって生まれ、実の兄を放逐した挙句、父親を殺したのだ。
どう考えても、普通、と言う言葉とは程遠い。
……だが、そんな彼女が、歴代の当主の中では二番目にまともなのだから、彼女の先祖達の人間的な終わりぶりの程が伺えると言うものだ。
彼女の一族の碌でもなさは、ある程度の層には有名で、彼女の種馬探しの障害にもなっていた。
彼女の血統を知る者は、決して近寄ろうとはしないので、彼女が種を採取できるのは、色々と足りなかったり、無駄に野心があったりする男ぐらいだ。
ついでに、一族柄山ほど恨みを買っているため、致す時はいつでも相手の首をへし折れるように気をつけている。
正直なところ、彼女は愛を交わすための行為が好きではない。
快楽を感じることが出来ないのもあるが、いつ自分を害すか分からない相手と密着することに、嫌悪を覚えるのだ。
家畜の様に人工的な種付けで子供が出来ればよかったのだが、彼女の場合は上手くいかず、仕方なしに行為を繰り返している。
子供が生まれればそれで良いので、彼女は愛だの恋だのと言う類に興味は無かった。
そういう意味では、ヴォルケ・レーゲンと言う男は、珍種に分類できる。
どうやら、彼女に対して、好意らしきものがある様なのだ。
或いは、一目惚れという奴であるのかもしれない。
今まで、恋だのなんだのほざいてきた男に、彼女は普段隠している痣を見せた。
生まれながらの呪いの証でもあるそれは、見るからに禍々しく、それを晒した彼女を抱いた人間は、これまでいなかったのだ。
——はっきり言って、痣を見て尚彼女を抱いた男の頭を、コイツ大丈夫か? と、真剣に心配したのだけれど。
ヴォルケは愚かではないが馬鹿な男で、限りなく敵に近い彼女を害することなど思いもよらないようであったから、抱かれるのは気楽ではあった。
不意に、大きくて無骨な掌が、彼女の頭を撫でる感触がした。
久方ぶりが、何度も続き、彼女は妙な心地になる。
——もっと、自分を大切にしろ。
そんな言葉をかけられたのは、主君以外にあっただろうか?
男に真剣な目で言われたから、彼女は気紛れを起す気になった。
……でも。
何度乞われ様と、彼女は男を選ばない。
だから、さっさと自分を見限ればいいと、彼女は胸の内で男に囁く。
どれ程与えられても、彼女が男に返せるものは、何もない。
——自分よりましな女など、いくらでもいるだろうに。
口に出さなかったのは、辛うじて存在する、彼女の配慮の結果だ。
愛情を捧げる先も、己の命の使い道も、とうの昔に彼女は決めてしまっていたから。