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異国の忠臣

 事件があった。

 他国の要人が、自国の民に殺害されたのである。

 事件での死者は、その要人を含め2名。

 他に、数名の負傷者が出た。

 ——ここで問題だったのは、下手人達の方に全面的な非があったことだ。

 事の発端は、ほとんど言いがかりに近かったという。

 この国の国教でもある『教会』の教えの敬虔な信者であった要人は、職務の合間をぬって、王都の大聖堂に参拝していた。聖地たる教国より派遣されていた大聖堂の司祭と、教えについて熱心に話し合っていたという。

 そこへ下手人たちがやってきた。

 そして、要人と司祭がこの国を陥れようとしていると主張し、彼らに襲い掛かったのだ。

 戦いに関しては素人と言って差し支えなかった要人と司祭は、抵抗も空しく切り殺された。

 確かに、仮想敵国として扱われていた国の者であったが、その要人は、自らの生命の危機の最中にあっても、巻き込む形となった人間達を最期まで庇い続けていたという。

 ——異種族を殺して何が悪い。

 下手人達はそう主張する。

 自国において、異種族に対する偏見や差別は根深いものがある。

 国教の教義において、『神に祝福された者は、皆平等』との言葉があるが、その定義は未だに確定されていない。

『神に祝福された者』達を人族のみとしているのが、この国の主要な宗派だ。

 極端な人族至上主義者の拠り所ともなっているそれは、多種族国家たる彼の国を嫌煙する理由でもある。

 ——ただ皮肉にも、巻き込まれた司祭は数代前に異種族の血が混ざっていたのに対し、殺害された要人は、極めて由緒正しい純血の人族であったのだが。

 さらに面倒なことに、下手人達はそれなりの家柄の貴族であった。

 傍から見れば、敵国のみならず友好国である教国に宣戦布告をしたに等しい出来事。

 強硬派の中には、このまま敵国に攻め入るべきだという声もあった。

 過去の聖戦時に『教会』に敵対し、『聖王』の偉業を阻んだ彼の国について、終戦後数百年の時を経た今でも怨嗟の念は根深い。彼の国の当時の王が、忌まわしき呪具を用いて、己の命と引き換えに聖王軍を壊滅させたのだから、尚更だ。

 しかしながら、恨みとその場の勢いだけで行えるほど、戦というのは軽々しいものではない。

 金。物資。——何より人命。

 国家の最大の浪費とも言える行動を、少なくとも彼の国は望んでいなかった。


『双方にとって不幸な事故』の解明のため、彼の国の女王は、自らの忠臣をこの国に送り込んできたのである。


 ◆◆◆


「レーゲン将軍、手合わせをお願いいただけませんか?」

 訓練場で息抜きがてら鍛錬に励んでいた彼は、その淑やかで控えめな調子の声に、思わず耳を疑った。

 ——むしろその声が同一であると識別できたのが、奇跡に思えるほどの激変ぶりだったのだから。

 思わず振り返った男の視線の先にいたのは、異端の娘だ。

 代々王の傍らに侍ってきた一族の末裔は、この国の大半の予想を裏切り、異種族の身体的特徴など持ち合わせていなかった。

 大陸で最も多い人族にしか見えない娘は、しかし、この国の『当たり前』とはかけ離れた存在だったけれども。

 男尊女卑の傾向にあるこの国の貴人達に目を剥かせた、黒づくめの男装。艶のある漆黒の髪は、この国の常識では無残なほどに短い。

 そして止めに、その右腕の袖は空っぽで、中身のないそれはひらりひらりと風に舞う。

 ——聞けば、己が主君の命と引き換えにしたという。

 戦いの中で四肢を失う者もいるが、喪失を乗り越え、なお戦場に身を置き続ける者は滅多にいない。四肢の欠損と戦闘能力の低下は、切り離すことのできない問題なのだ。

 その歴史に甚大な影響を与えた女性の多さのために、女傑の名産地と揶揄(やゆ)される彼の国は、男女同権である。だが、それでも細い隻腕で重責を担うには、どれ程の苦労と努力が必要なのだろう。

 男と目を合わせ、にこりと微笑む娘の顔は、男から見てひたすらに嘘くさい。

 男女の比率の不均衡が著しい軍ゆえに、珍しい若い娘の登場に、周囲の部下たちが浮足立っていた。

 ……穴があればもう女神、と言うほど恵まれない部下たちだ。彼らにしてみれば、性別が女に分類されれば、仮想敵国の人間だろうと隻腕だろうと関係ないらしい。

 それは男も同じであったが。

 むさ苦しい部下よりも、年ごろの娘が近くにいる方がやはり嬉しい。

 いかに胡散臭かろうと、男を恐れない貴重すぎる潤いである。

 未だ生々しく残る男の傷跡を目の前に、ごく自然体で佇む娘の様子は、男の心に柔らかな痕を残した。

 それなりに整っていると言えなくもない娘の容姿は、後宮の美姫達に比べれば、遥かに地味だ。しかしながら、柔らかい表情と体の線が出る衣装に包まれた細身の肢体は、希少な軍部の女騎士達よりも余程女を感じさせた。

 言うべき言葉が見つからない男に、娘ははにかむように微笑んだ。

「将軍にはご迷惑でしょうが、我が国にも伝わる武勇をこの目で直に見てみたいのです」

 詐欺だろう。

 可愛いではないか。

 我ながら花畑な、——後から思い出すたびに自分を殴りたくなる感想が男の頭に浮かんだ。

 娘が何かに気付いた様に、恥じらう様子を見せた。

「申し訳ございません。急にこのような不躾なお願いを申し出るなど、失礼でしたね」

「いえ、そのようなことは——」

 なぜだろう。

 落ち込んだような娘を見ると心が痛いし、先程から部下達の視線が非常に痛い。

「手合わせならばいくらでも致すところですが、何分、私は加減が得意では——」

「お言葉ですが、レーゲン将軍」

 男は、一瞬、娘の瞳に激烈な炎が過るのを見た。

「私は、自分で、我が君の剣であることを選びました。斬れぬ剣など、役に立たない代物になるつもりはありません。」

 手加減は不要だと言い切る娘の言葉は、彼女の矜持(きょうじ)そのものだった。

 知らず娘を傷つけたと知り、男は自分を恥じた。少なくとも、軍にいる自分が、剣をとることを選んだ相手に言うべき言葉ではなかった。

「申し訳ありませんでした」

「いえ、若輩者が生意気を申しただけですので、お気になさらないでください。私こそ、将軍の寛大なお心に感謝しなくてはいけません。」

 困ったように微笑む娘と、自軍の良くも悪くも女傑な騎士達をうっかり比べてしまった男は、内心天を仰いだ。女を捨てた親父化騎士や、軍を婿探しの場と勘違いしているお飾り騎士とは大違いである。前者は淑やかさが皆無で、後者は覚悟の存在を知らない。

「それでは、手合わせをいたしましょうか」

 なるべく明るい声を出した男に、娘は鮮やかな笑みを浮かべた。

「よろしくお願いいたします」


 視線に物理的な攻撃力があったなら、男はこの時即死していたに違いない。


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