表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/88

白姫は分かっていない

 そうっと。

 そ~っと。

 感覚としては、酷く脆い鳥の卵を、爪先で壊さぬように摘み上げるのに似ている。

 世界への接触を最小限に抑える殻を被った状態で、伝わる魔力を大きく減衰させる絶縁体に身を包み、更に絶縁体の短杖を通して世界に触れる。

 そこまでしても、彼女にとって、最小限に範囲を絞った力の行使は酷く繊細なものであり、気をつけないと失敗してしまう。

 小さな(さじ)から一滴の水を落とすことより、桶に溢れんばかりの水から、ただ一滴を落とすことの方が難しい。

 迂闊(うかつ)に桶を傾ければ、うっかり水をぶちまけてしまいかねない。

 一滴を零すべき器が、大海に等しい彼女は、為すべき行為が桶よりもさらにずっと困難になる。

 難しいし、苦手だが、やるしかないのだから仕方がない。


 ——やると言ったら、本当にやる。


 その一族の性を、彼女は嫌と言うほど思い知っていた。

 嘗て彼女を竜鍋にしようとした男と同様に、懐かしい面差しをした娘は、紛れも無く『アレクサンドリアの悪鬼』の名を継ぐ人間だ。

 偽りを口にしない誠実さは、確かに美徳と言えよう。

 ——が、そこに倫理と言う歯止めが全くない場合、美徳の意味が行方不明になる上に、もれなく狂気と恐怖が憑いてくる。

 ……もしあの時、彼の王鞘の外付け良心たる王がいなければ、彼女は高確率で悪食男に竜鍋にされていただろう。

 見知った相手ではないものの、漸く幼さが若さへ移ったばかりの同朋が刈られるのを傍観するのも、彼女は後味が悪い。


 ——あの同朋は若すぎて知らなかったのだし、お腹が減ったのだから、仕方がない(・・・・・)


 それに、ここは貧民街。

 国の法が及ばぬ場所である故に、貧民街にいる人間が守るべき方は無く、また貧民街の人間が法に守られることも無い。

 確かに、異物でしかない自分達は、入り込んだ共同体の掟に従うべきだが、そもそも、この場所には従わなければいけない掟が無いのだ。

 まあ、掟云々以前に、自分達が庇護すべき誰かを害したなら、娘は躊躇(ためら)いなく敵に回る。

 でも、いなくなったのは、あの娘に関わりの無い人間なのだ。


 ——だから、別にいいだろう(・・・・・・・)




 ……その決定的な思考のずれ自体を、糾弾できる存在は、何処にもいない。




 ただ、ただ、違うだけだから。








 異界最強魔法により、年若い竜を氷漬けにした彼女は、やり切った気分で額の汗を拭う仕草をした。

 彼女は汗をかくことも無かったのだが、様式美というやつだ。

 と、異様な気配を察知し、彼女は恐る恐る振り向く。

 振り向いた先にいたのは、隻腕に黒衣を(まと)った娘。

 ……古い同朋の愛し子によく似た(かんばせ)なのに、どうしてか彼女は、以前常識外れな大刀を片手に自分を追いかけ回した『暴食鬼』を思い出してしまったのだ。


 ◆◆◆


 異界最強魔法とやらで凍え切った空気は、未だぬるむ気配を見せない。

 周囲を初夏から厳冬に逆戻りさせた元凶は、馬鹿みたいな見た目の棒を持ったまま固まっていた。

 その視線の先にいた隻腕の娘は、不意に肩を震わせる。

「——ふっ――」

 この場に不釣り合いな愉し気な嗤い声は、瞬く間に狂気を(はら)んだ哄笑に変わった。

 その娘の姿は、確かに『悪鬼』の二つ名を連想させるものであった。

『……ふ、ふぉ~……』

 ウサギの着ぐるみが、ぴるぴると震えながら奇声を上げる。

「ね、ねーちゃ~ん……」

 いつの間にか両手でぶら下げた黒猫を盾代わりにしていた青年は、顔を引き()らせながら、娘に声をかけた。

 娘の嗤い声が止むが、その後の沈黙が不気味過ぎる。

「——言わなかったか?」

 娘のやや低めの声は、闇夜の中でよく通った。

「何も、するな、と」

 視界の利かない夜闇の中でも、娘の黒瞳に燃え盛る火炎はよく見えた。

『……い、いいましたね……』

 ウサギの着ぐるみは、娘の言葉にカクカクと頷いた。

 相当恐ろしいらしく、蛇に睨まれた蛙の如く、ウサギの着ぐるみは娘の前から動けない。

『お、落ち着くんよ、リッちゃ~ん……』

 竜の着ぐるみも、あわあわと前脚を振り回す。

 その傍らには、血塗れの服を着た男が倒れていた。

 竜の着ぐるみに引き()られてきた男は、意識が無いらしく、ピクリとも動かない。

 だが、男には確かに息があり、襤褸(ぼろ)雑巾(ぞうきん)と化した服の一部から覗いている肌には、傷一つ存在しなかった。


「——おい、リア」

 ヴォルケがリアに声をかけると、娘は首だけ動かし、ヴォルケに視線を向けた。

 その動作は嫌に獣じみていて、ヴォルケは内心怯みつつも、倒れている男の方を指差す。

「そいつ、貧民街の元締めの一つの組織の幹部だ。 話をつけておいた方がいい。 

 あいつらは、縄張りを無断で好き勝手されるのが嫌いだし、そうした奴に対して執念深く嫌がらせするからな」

 ヴォルケの言葉に、リアは不機嫌ながらも考え込む仕草をした。

「顔見知りか?」

「一応、な。 昔、憲兵隊の方に飛ばされた時に、ちょっとな……」

 十年ほど前、ヴォルケはうっかり上官を殴って、憲兵隊の貧民街担当に左遷(させん)されたことがあるのだ。

 ほどなくして、魔物の一大生息地の近隣にある砦に、また飛ばされたけれども。

 国の法が届きにくい場所である故に、貧民街は魔物の生息地とはまた違った危険が大きい。

 貧民街の住人は、『外』の人間には中々伝わっていない、貧民街独自の規則を破るものに対し、恐ろしく狭量なのである。

 それが生ける天災たる真竜であっても、例外にはならないとヴォルケは確信している。

 ——ヴォルケだって、下手を打てば五十年は収束しない大戦が勃発しかねない綱渡り状態で、余計な妨害を受けるようなことは勘弁してほしい。

 リアがウサギの着ぐるみをちらりと見て、ナカのヒトをビクつかせたが、彼女は何かを切り替える様に息を吐いた。

 リアの中では、アホな真竜より、貧民街の住人達の順位が高かったらしい。


 リアが、ウサギの着ぐるみに背を向ける。


 ——そして、ヴォルケは、腰に()いた剣を抜き放った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ