魔力欠乏症
「魔力欠乏症ですね」
真実を表す白の修道服を身に纏った女司教は、天気の話でもするかのようにあっさりと言い放った。
教国より訪れ、『神の目』と呼ばれる特殊な地位につく彼女の顔の上半分は、白地に金糸で刺繍が施された幅広の眼帯に隠され、判然としない。
たった一人の男の胃により、平兵士達の腹を満たすはずだった食糧庫が空になるという、前代未聞の事態。
けれど、異国の女司教は慌てず騒がず、問題の青年に魔石を授けたのである。
『神の目』は、記録者としての役割から豊富な知識を有する為、今回の珍事を引き起こした青年の体質を察することが出来たようだ。
「まりょくけつぼーしょー?」
口いっぱいの魔石をもごもごさせながら、クロードと呼ばれることになった青年が、首を傾げた。
青年の口の中にあるのは、軍事用に使用される純度の魔石であるため、はっきり言って、彼は大金を食っている状態だ。
頭の方まで栄養が回っていないのか、青年の口調は随分とぞんざいだが、女司教は怒った様子も無い。
「魔力欠乏症と言うのは、体内に存在する魔力が、生命維持に必要な量を下回る状態を指します。 魔力欠乏症の方の食事の量が多くなるのは、魔力を生産する反動の為ですわ。 稀に竜穴から迷い出た魔物が凶暴化するのも、魔力欠乏症によるものです」
「ほー」
「魔力が欠乏していると言っても、貴方様の様に、魔石で魔力を補うことが可能な方は、希少ですわ。 高純度の魔石による魔力中毒にならない程許容量が大きいということは、生命維持に必要な魔力も、それ相応に多いのです。 ——ですから、通常、重度の魔力欠乏症の方が成人するまで生き延びる確率は、どうしても低くなってしまうのですわ」
「じゃあ、俺はレアものなのか~」
淡々と説明をする女司教に、うむうむと、青年は気の抜けるような相槌を打っている。
「いえ、高濃度の魔素が凝っている竜穴や神域で生まれ育つ方は、多かれ少なかれ、魔力欠乏症の気がありますわ。 そう言う方は、生命維持に必要な魔力の割に魔力の生産能力が低いですが、その代わりに、大気中の魔素を吸収する能力がありますの。 竜穴などでは、大気自体に多くの魔力が含まれているようなものですから、そこでは、呼吸をするだけで魔力を補えます。 ですが、魔素の濃度が低い場所では、生命維持に必要な魔力を補いきれないのですわ」
「ん~、じゃあ、ねーちゃんもそうなのか」
青年の視線の先には、黒衣を纏った隻腕の娘の姿がある。
「クロード程、酷くないでしょう。 気を制御すれば、抑えられる程度のものですもの」
娘はそう言って苦笑するが、本当に魔力欠乏症の症状が軽いのか、彼女の気功術の技量が優れているのか、判断に困る。
青年には、気——力の方向が違うだけで根本的には魔力と同じだ——の制御どころか、己の体内の気を感知することが出来ないため、比較対象にはならない。
女司教は、黒衣の娘に顔を向けた。
「魔力欠乏症への対症療法は、幾つかございます。 ですが、根本的な解消法は、ウェイン伯の様な気功術による生体自己制御ぐらいでしょう」
「他の人の生命維持に必要な魔力を下げる凄い魔法は、無いのか?」
「ございませんわ。 存在していたとして、禁呪扱いになりますもの」
「え~」
きっぱりと言い切る女司教に、青年はしょっぱい顔になった。
そもそも、他人の魔力の流れに干渉できるとしたら、人の命を手中に収めたと言ってもよいのだ。
当然、そんな技術は禁忌扱いされて当たり前である。
「……俺、頑張って気功術覚えないと、このままなのか……」
「金食い虫から早く脱却できるように、頑張りましょうね、クロード」
「ハイ」
朗らかな笑みを浮かべた娘が、青年の肩に掌を置く。
華奢に見える手が、青年の肩にみしりと食い込んだことに気付いた者は、殆どいなかった。
◆◆◆
「ねーちゃんのいけず~」
「口を開く元気があるなら、もう一冊位増やしても、問題ないな」
「ごめんなさいすいませんノルマ増やさないでください」
淡々と告げるリアに、クロードは土下座した。
今現在、リアに与えられた書物を一冊記憶する毎に、クロードに高純度の魔石が一つ支給されることになっていた。
今クロードの手の中にあるのは、人を殴り殺せそうな分厚さの貴族年鑑である。
多くの魔石が産出される神域や竜穴とは違い、魔石の供給が少ないローディオでは、高純度の魔石の数は限られてくる。
因みに、クロードが持ち込んだ魔石は、火種になっては堪らないと、リアによって没収済みだ。
それ故、魔石無しでは腹ペコ状態から抜け出せないクロードには、ノルマを増やされるのは死活問題なのである。
『くーちゃん、頑張るのですよ~』
『ファイトやで~』
気が抜ける外見のウサギと竜の着ぐるみは、呑気な声援をクロードに送りながら、どんどこ太鼓を叩いたり、パフパフとチェアホーンを鳴らしたりしている。
当竜(!)達は、応援しているつもりだろうが、騒音を撒き散らされては、単なる嫌がらせと変わらない。
……と言うか、どうして自分の自室に押しかけて来たのだろうかと、ヴォルケは頭を書きながら考えた。
一応、友好の使者であるリア達には、相応の部屋が宛がわれている筈なのだが。
ふと、窓辺を見れば、真竜の中でも特に年経ているという存在が擬態した黒猫が、のんびりと日向ぼっこをしている。
一歩間違えれば、大国同士の全面戦争が勃発しかね無い状況下なのに、平和なのだと勘違いしそうな光景だった。
ひもじさに耐えながら書物を読み進めるクロードと、能天気に過ごしている真竜達を見比べて、ヴォルケは疑問を口にした。
「……なあ、竜の方には、魔石は必要ないのか?」
『大丈夫やねん。 ウチら、究極の省エネ形態なんよ』
ハムスターもどき入りの竜の着ぐるみが、ヴォルケに向かって、ぐっと親指を立てた。
着ぐるみのせいで見えないが、ハムスターもどきはどや顔になっているに違いない。
「今の儂等は、世界に限りなく近しい故、何もしなくとも魔力を欠乏させることはない」
「そ、そうか」
黒猫がハムスターもどきを補う様に説明するが、ヴォルケは、真竜達がクロード並みの暴食をすることはないこと位しか、分からなかった。
「それでも、黒主達にとって、魔素の薄い場所の居心地が悪いことには、変わりないだろう。 よくもまあ、呑気にほっつき歩けるな」
憎まれ口を叩くリアの顔には、呆れが滲んでいた。
あまりそんな様子を見せてはいなかったが、神域で生まれ育ったリアにとって、ローディオはそれ程居心地が良くないのだろう。
『萌成分の補給が出来るなら、火の中水の中なのですっ!』
『うまいもん食えるんなら、別にいいねん』
「善き楽が聴けるなら、多少の不快感など問題ない」
「……そうか」
三者三様の答えに、リアは半眼になる。
ヴォルケは、他種族の文化をこよなく愛する真竜が存在することを、学んだのであった。




