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37歳3児子持ちニートの躁鬱人生

作者: 鈴木遼太郎

1 うつ病発症


2 逃げ続ける自分


3 総合病院


4 儀式


5 回復期


6 これからの人生




⚫️うつ病

俺は婿養子だ。三男という事もあり

名字を変える事に執着はなかった。

室町時代から続く旧家に嫁ぐ形が結婚の

条件だった。なんの不具合も感じなかった

今思えば分相応という言葉の意味を理解するべきだった。長女で家柄問題でもめた為、

自身の家柄は問われる事は無く、名前を残す為のなだということでこの時は納得していた。

この理解の仕方が後々の思想の歪みを引き起こす原因の一つになったが、いまはこの話しは関係ない。


まだ小さい子供達が寝静まっている中、

その夜は春先にしては少し肌寒い、しかし

澄み切った空気でちょうど丑の刻に達した

時間に嫁が俺にこう言った。

「生まれそーーー」


その言葉が引き金になり、行きつけの産婦へ自家用車で法定速度を少し超えて嫁の様子を伺いながら、10分程度で到着した。この産婦人科病院は小さいながらも地域では人気があるらしい。2人の息子達もここで産まれた。


1人目からずっと立ち会い出産をしてきたので今回も違和感なく分娩室に入った。

この時には問題になる感情はなかった。

付き添いの夫などこんなものだろうとその時は気はしなかった。

一切の眠さを見せない夜勤のナースさんと

先生には頭が下がる思いだったが、先生達の

プロ根性を観ていても、安心感さえ覚えるくらいであった。嫁は必死で新しい命の息吹を

感じるために死に物狂いで頑張っている。

俺はなんだ、嫁に対して気の効いた言葉もうかばず通り一遍の「がんばれ」しか思考が

いたらない。自分のこの場所の居心地の

悪さを覚えながら・・・

落ち着いていた。今から考えれば落ち着き

すぎていた。


目の前では愛妻が分娩に命を掛けて力んで

いる。しかし自分の気持ちは

(何故こんなに落ち着いているんだ?3人目だから慣れたのか?)一人目、二人目では

こんなことはなかった。

今から考えれば嫁の心配、これから生まれてくる子の心配、本当に5本指があるのかなど

腐るほど心配の泉が湧いてきてもいいものなのに・・・。

ここですこし三人目を産むことを決心した昔を振り返りたい。


実は俺は最初は反対していた。

「2人でもひっちゃかめっちゃかなのに

なぜ3人目が欲しいのか?」

「3人産むことは私の夢なのよ」


(今までの自分は、自分で言うのも

自我自賛になるが仕事だけではなく、家庭

の事もやっている自負があった。)


ここで別の思想が首をもたげる。


(俺は婿養子だ。お父さん、お母さんが

健在だし、共働きだしどうにかなるか。)


「これから仕事も責任が増えてくるし、

おれは育児には参加出来ないかもしれない

がその覚悟があるのか?」

「 というか本当の意味で3人目がほしいの?」

「ほしい」


沈黙


「分かったよ、腹を決めるよ」


…そんな経緯があって当時は覚悟を決めていたつもりだったのだ。


分娩室室に話は戻る。

緊迫感が広がる室内での孤立感。

多分、同じ境遇を体験したお父さん

はする事が無いので

同じ経験をしたひとはいるとおもうが、

ただ自分には引っかかるものがあった。

(なんだこの感情はまったく感情の起伏が

ない。)

3人目を産むという覚悟をきめたはずなのに、自身の感情の妄想とは別に周囲では

分娩の準備がチャクチャクと進んでいる。

でようやくその時が来る。

「オギャーオギャー」。

(やっと産まれてくれた)

ここで始めて我が子の顔を見た。


何の感情も湧いて来なかった。


この時に自分は少しおかしい事に

ようやく気付くことになる。

幸せを感じる事ができない。

記念撮影でも道化を演じた。

みんなが本当に嬉しそうに見れば見るほど

自分の気持ちの悪さを再認識した。


仕事でもうまくいかなかった。

職場での現場の変化についていけなくなった。今まで自分支えだった客先の思想が変わったのである。具体的には元請けだった自社はアウトソーシングが噛むことにより下請けになる。しかし常駐している自社の知識が求められる。しかし日頃から客先の行き当たりばったりの仕事をつずけていたやり方を続けていた業者にまとまった資料などありはしないのだ。言うなれば奴隷化、社畜度が上がると言ったほうがわかりやすか。


「⚪︎⚪︎さん、こんな資料も出せないですか?

今まで何やっていたんですか常駐する意味

があるんですか?」


夢にまででてきた。


睡眠不足がつづいた。


自分は最低な怠惰を貪るだけの

バカだと思うようになり自分が情けなく

なった。


ここでいまから考えると幼稚な行動を

とる。お母さんの親戚が某レジャー施設を運営しており、お父さんも定年後にそこで再就職を果たしていた経緯で自分1人ぐらいは雇ってくれるだろうという安直な考えにすがった。なぜこんな妄想をしたかを紐解けば冒頭に語った室町時代の旧家に嫁いだ甘えがそこにはあった。


(自分はこの家に守られている)


「お母さん、某複合施設では働き口はない

でしょうか?」

「お母さん、今から退職届けを出しにいきます。」


完全に他人事だった。

退職届けをだしたときでさえ、なんの確証もなく「再就職先はあります。」と断言する

ほどその場所から逃げたかった。


退職届けを出した日にお父さん、お母さんに

就職先はない事が告げられた。

自分の精神年齢の低さを思い知った。

室町時代からの旧家だから自分も守ってくれるじゃなかったのか?


逃げた。


すべてから


今は亡き親父の遺言「どんな状態でもにげるな」を守る事は出来なかった。


人間失格である。


精神病院にいくとうつ病だと診断をうけた。


⚫️逃げ続ける自分

1カ月目

携帯電話を持てなくなった。仕事用と

私用を持っていたがどちらも人と話す事が怖くなった。なにもする気がしなくなった。風呂、食事でさえも。そんな状態が1週間は続き、精神科の薬が効いてきたのか寝たきり状態は改善した。寝たきりから3日後に死のうと思った。自殺サイトでは首吊りがオススメなので妻のベルトを使ってやってみた。死ぬ度胸さえない。要は死んで保険金で家族が養えるならそちらのほうがいいんじゃないか?

恐らく自殺者の数千人はそんな思考の持ち主だと思う 。


会社の社長と同僚で気心がしれていたK氏

が自宅に訪れ、退職届けを取り下げて、休職案にしないかと手を差し伸べてくれた。

死ぬを考えていた俺はその手をとった。

自分の寿命が伸びたようでその時は非常に

嬉しかった。最初の1カ月は有給消化で

処理をお願いした。其処にいた3人自分でさえ一ヶ月で職場復帰出来るものだとおもっいた。その時会社携帯をお返しした。

さあ1ヶ月をどうすごそうか考えた挙句に

本を読む事した。嫁がすすめる「魔法科高校の劣等生」を読んだ。自分は自殺まで考えて

いた自分が馬鹿らしいほど面白いものだった。少し考え方が変わった

「人間らしい状態になるまで休もう」


2か月目

1ヶ月前と何も変わっていなかった。早い時期での復職は諦めた。

社長に正式に休職届けを運用してほしく

電話をした。日中はライトノベルを

ひたすら読みふけった。

その間抗うつ剤は飲み続けていた。


3ー5カ月目

読んだライノベは100冊を越え、抗うつ剤は飲める上限一杯まで飲んでいる状態だったが

無気力な状態に改善は無かった。医者いわく薬はすぐにはきかないらしい。


6ヶ月目

おかしな兆候が出だした。

映画や動画サイトをみて泣けるように

なった。

ようやく自分の感情に変化がおとづれた

ことに嬉しかった。なんでも出来る気がした

この事を医者には告げたつもりだったが、

薬の投与量はそのままだった。

このときは別段気にも止めづ、今やれることを全て同時進行で進めた。社長との会談(来年1月からの復職の打診)、会長との面会、関連各所への詫びのTEL、9年間付き合った退職されたお客様への嫁と3番目をつれての挨拶、施設主催の忘年会の出席、お父さんと

某レジャー施設関連親戚との飲み会などを

超人的なスピードでこなしていった。

最後に持病の手の水泡の関連での扁桃腺除去手術がひかえていた。


今考えれば薬の過剰摂取による躁転しただけの行動力だった。


躁いうのはたちが悪い。

周りの人間を巻き込んで人間関係が

グチャグチャになる。

まず行ったのは社長とのK氏も含めた飲み会だった。自分の今後に話もあったので、重要なものだった。社長の提案と自身の思いが合い、現場を離れた本社勤務だった。

同じ職場もどるのは死んでも嫌だった。

社長は自分より一つ歳がだったが社長まで登りつめた自分とは相対の位置にいる人だった。

次は寺田部長が進めてくれた、会長への面談だった。すんなり受領してもらい、昼食という形で、自然な感じで、まるで自分は休職中ではないように対応してくれた。

ある意味異様な光景だった。80歳過ぎのおじいちゃんにみんな腫れ物にでもふれるあつかいで滑稽であった。この中で感じていたのは社長が俺に対する思いの低さだった。こいつは自分を恨んでいる。そう感じた。それにも負けず、躁の俺は饒舌だった。会長が望む俺を演じる事が出来た。


次に行ったのはお父さんとおじさんとの会食だった。目的はお父さんとの初めての男とそての酒を飲むことと、再就職を阻んだおじさんに興味があった。おじさんは松下電器で黄金期を歩んだ成功実態者だった。飲み会は終始おじさんのサクセスストーリーで終始した

お父さんは寡黙な人物なのでほとんど口をはさむ事はなかった。

こも会食でおれが聞きたかった言葉があった

「ごめんな」自殺を考えた人間の気持ちの少しでも理解すれば言ってほしかった言葉だったが聞けることはなかった。


次に行ったのは3月に退職されたお客さん

この人に出会って人生が大きく変わった

ように感じる。9年間もいい意味で怒ってくれ、ストレスの最大の原因だった人への

御礼まわりである。まづ実家の方へ一番小さいのを連れて、挨拶にいった。家族同士いう状況もあり、問題なく終わった。次の日である。施設の忘年会で爆発した。9年間受け続けたストレスを一気に解放させた。「中本おまえなんでこないなったんか、答えてみ」「ほんまにお前はあほやの」等々の暴言を吐き最後は死ぬまで付き合えよということでお互いを救ったことができた。職場での9年間の補完完了である。躁でない今となってもけじめをつけた意味でも悔いはない。


⚫️総合病院編

休職中に終わらして

おきたい事があった。手に水泡ができる

硝石内膿症の扁桃腺除去手術である。

新米医師でも簡単に出来るらしいので


この総合病院を紹介されて、一番最初に

違和感を覚えた。

「あー扁桃線除去ですねー。」

「実績では殆どの患者さんが直りますねー」

ん? 硝石内疱症は6〜7割だったはず

「執刀医には木村というものをつけますので

御心配ありませんよー」

(俺は軽いキャッチコピーのような

安っぽい感じがしたが扁桃線除去は

新人でも出来る手術だと知っていたので

ここでの発言は避けた。

躁の俺はこの病院である計画があった。それは元請工場の施設担当の嫁さん候補の糸口の為にコンパに繋がる行動を起こしたいと考えていた。(まったく今思えばバカな話だ)

担当看護婦は物凄く可愛かった。名前を藤井さんという。他の看護婦さんもなかなかのもので、これはいけると躁のおれは燃え上がった。ただ個人情報漏洩で

厳しいので普通のやり方では電話番号は

GET出来ないようになっているらしい。

正攻法では無理だなと思案を巡らしている

と藤井女史に呼ばれて診断室に連れられ

中に入ると無人であった。

チラチラと時計を確認する所をみると

木村先生は遅刻している事が予想された

いたたまれなくなった藤井女史は院内専用の携帯電話で呼び出す結果になった。

それから数分で木村先生がふてぶてしく入って来た。(遅刻の謝罪がない為)

藤井女史「先生時間通りに来てもらわないと

困ります。」(ちょっとぶりっこ調に聞こえた)

足早に藤井女史は退出していった。

このやり取りを見て医者と看護師の確執が

あるのかなーというよりも木村先生が藤井女史にからかわれてるなと思った。

(大丈夫かこの医師は?)

この時に第一の目的と木村先生の精神年齢向上を第二の目的にした。(躁ってこわい)

つづいて行ったのが麻酔科だった。

ここの空気は凛と張り詰めていた。

手術の軽微に関わらず全身麻酔の場合は

一度機械に生命を預けることから分量を

間違えれば本当に死ぬ。

入院1日目はこんな感じで明日の手術まで

検査の内容が多かった。

躁の俺は寝ることができなかった。

ナースステーションを中腰で抜け切り

正面玄関までくる事に成功した。

ここには警備員さんが24時間いるので

話し相手になって貰おうと缶コーヒー片手に

相手の懐に飛び込んでいった。

警備員さん達は一線を退いた方達であり

人生の先輩である。豊富な人生観を語る

玄関ロビーが公演会場にかわった。中でも

心に残ったのは「60歳迄は家族のためでそこから自分の時間」重みがちがった。

「にぎわいという言葉の意味」一見いらないものでも心の安らぎの助けになる。3日間の夜のほとんどを玄関ホールで警備員さんと語った。そこには利害関係はないので成立する

空間であった。ドラマもあった深夜に駆け付ける家族、送迎車、そこには死がリアルにあった。警備員さんは涙をながしていた。「なれないんだよね、こればっかりわ」人生の先輩に経緯を表した。

2日目の夜だったか、御主人を亡くされた

ご婦人が葬儀車を待って魂が抜けたような

危ない状況かと思ったので声をかけた。

「わたしも父親を無くしたときもそうでしたが家族が支え合って、時間が解決してくれ

ますよ」婦人は軽い笑みと会釈で答えてくれた。そんなドラマの中でしか知らない世界が日に3回はあった。

そしかし不思議と泣きわめくような人はいなかった。自分はいい勉強をしたと思った。

看取る側の覚悟が観えたことが。

ある時、50過ぎの男性が5時過ぎにロビーに現れた。どうやら外にでてタバコが吸いたかったようで警備員さんにたしなめられ、ロビーの椅子に一緒にすわることにしたようだった。いつものごとく缶コーヒーを切り口に話しかけてみた。

「そとにでるのはだめみたいですね」

こちらを向いて

「兄ちゃんもその口か?」

「僕は変わり者何でここで警備員さんと

話をしてるだけですよ」

話を聞いている内に症状の話になった男は製鉄業で焼けた鉄を革手袋いとつで扱う仕事のようだった。バネ症という病名らしいバネのように指がちじんだ状態から伸ばせなくなるようだった。完全に労災だがその世界では珍しい事でもないようだった。そこまで身体を酷使して息子を大学に出す為だと聞いたときには、自分の境遇など鼻くそのように思えた。そんなロビーでの人生勉強も3日目で最後となった。当直の看護師が呼び戻しにきたのである。「私はここにいるのは3日目だ。いままで注意もされなかったのに何を偉そうにもどれなどと言えるのか」看護師達は病院の規則だからという決めセリフで戻そうとするが1回目は断った。そのかわり5時になったら迎えにくるというのでそれは承諾した。実際に来たのは5時半をすぎていた。ちょうどこの小説のネタ帳を書いていたのでうっとおしくなって「時間も守れないやつの言う事なんか守れるかバーカ」ワーワー言い争いになったのでとりあえづ帰ることにした。エレベーターのなかで決めセリフを言って

「お前ら覚えとけよ100倍返しだ」半沢直樹のいってみたいセリフが言えたので満足した。2時間ぐらい寝ただろうか。今日は休みのバカ担当医が血相を変えて病室に入ってきた。「私の言う事が守れなかったら今度は私は観ませんよ」こいつは本当にバカだ観なくて結構が喉まで出かかっていた。「しかし何で休みなのにここに?」「看護師に呼ばれたんですよ」なるほど100倍返しはこっちのほうか、ぜんぜん応えないが。「先生すいませんでしたもう帰っていいですよ」顔を真っ赤にして去って行った。さーおれはあいつなんかの相手をする暇なんてない。ここにきた計画を実行に移すときだった。次の日は退院である。

嫁から5000円をもらっていたのでこれを活用した。退院時に名刺を渡す人もいるらしいので、別の切口から攻める事にした。売店でリップ10個、爪切り6個を買い、自分の自宅の電話番号を書いておいた。これなら個人情報漏洩は関係ない。担当の藤井さんに渡しておいた。「みなさんで使って下さい。感謝の気持ちです。」藤井さんは困ったような顔をしてしぶしぶ受け取ってくれた。

その30分後に木村先生と藤井女子によばれ

別室に通された。

木村「奥さん本当にやめていただけませんか」

「何がでしょうか。」

「物品をもらう事は病院の規則で禁じられています。しかも電話番号まで書いて恥ずかしい。」かっチーン、スイッチが入ったこいつは絶対に許さない。

「分かりました、ご迷惑をお掛けしました」

ここは引きどころ。

それから木村先生あてに手紙を書いた。


拝啓先程は失礼いたしました。

しかし患者が病院の売店で買ったもので

看護師さんの為にという患者の気持ちを

貴方は理解しようとしなかった。

最初の言葉は「貴方の気持ちはうれしいですが」ここから入るべきだろうとわたしは考えます。貴方は精神年齢が低すぎる。こんな医者に執刀して貰ったかと思うと吐き気がします。遺憾に思っておりますので院長に対しての意見箱で投書さして戴きます。


その手紙をみた糞医者が顔を真っ赤にして

やってきた。

「貴方はここになにをしにきてるんですか」

正論だった。

「なぜこんな事ばかりするんですか」

「病気じゃないですか?」

今後は絶対勝手な行動はしないでくださいよという捨てセリフを吐いて去っていった。


さあここからが面白い

最初のから全ての事項を書き殴った。

7枚である。それをコピーして全ての投書箱にほりこんでやった。

彼の評価が下がったのは仕方ない事だ。

後日談だが、相談受付け係りかられんらくがあり、意見の感謝と警備員のくだりは感動してくれた事は言ってくれたのでこれでお終いにしてもいい気持になり、病院劇は終焉を迎える。

最後にいとつ、83歳のお爺ちゃんと友達になった。長寿の秘訣はエロらしい。寄り合いで

エロビデオ観ながら互いの陰部を触り合ってるのが楽しいらしい。(ちょっと引いた)俺も触られた。愛すべき83歳だ。

⚫️儀式

躁がピークを迎えた

いままで自分が溜め込んだ膿を

吐き出すことにした。それで終わりであり

始まりである。

嫁を夜中から朝型迄説教をした。

雑な私生活、こちらの行動に対しての感謝の気持ちのなさ、いままで抱えてた不満を全てぶちまけた。嫁は怒った。殴らした経験して始めてみになる持論である。お父さん、お母さん、叔父さん、叔母さんに手紙を書いた全てぶちまけた。家族会議をしてもたった

開口一番「本当の家族になるつもりがあるんでしょうか?」

そこからは私を病人扱いし、病気のせいにしてくれた。最後に「皆で頑張りましょう」

コレで儀式 の終わりである。

すぐに別の病院に移され躁を押さえる薬で

沈静化して行った。


⚫️回復期

劇躁のお陰で言いたい事は全てつつみかくさずぶちまけた事では、嫁との温度差は酷いものになったが、薬のお陰でそう鬱を繰り返しながら沈静化していった。

⚫️これからの人生

そんなもんやってみなわかるかーい

明日の為に今日をがんばる不安なんて

者は消すことは出来ない。不安を抱えたまま

まづ行動する。頭で考えるより先に行動を

起こす。誰かが言ったような言葉であり

おそらく真理だと思う。

いい時もあれば悪い時もある。

悩まない、カッコつけない、ストレスの発散方法を見つける、家では仕事の事は忘れる。

無理をしない程度にがんばれ(難しい)

まーそんなもんかな、この1年間で表現できるのは。


7月1日の復職する自分にこの小説を

捧げる。(嫁子供が出てこないなさけない)











復職2週間まえに書き上げる事ができて

良かったー。多分仕事しだすとこんな

ゆったりした時間を掛けて書けないので

満足しています。

ほぼ実話で日記みたいになってしまい

エンターテーメントとはチョット離れて

しまいましたが、リアルがかきたかったので

ノンフィクション風になってしまいました

多分しんどい時の自分用です。

読んでいただいた方がいれば嬉しいです

次はフィクションで主人公視点の

戦記物が書ければいいかなと思っています。

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