3-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ (前)
₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ {3-3₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎はすこし長くなったので前・後編にわけて公開します
たしかに街を行く人が明らかに増えた。ウィルの言葉を借りるならば。現在ウィルは助手席に座って、コ・ドライバーを務めている。
灯都は回収のために車を移動させている。信号で止まるたびに、横断する人間が壊れたホースから水が無秩序に飛散するみたいに灯都の車の前を通る。ピクピクを運転する人々が束になって横切る。新しい住人たちがピクピクを並走させながら口を大きくあけて笑っている。その人々と反対方向からアドトラックがすれ違う。『一秒先を、彩る』。ブレインレインのアドトラック。
「あ。またアドトラック」
灯都が呟くと、コ・ドライバーのウィルは長い耳を揺らしてうんうんと頷いてから「今日はいいことがありそうだね」と言った。それから続ける。「信号が変わるまであと十四秒。青信号になったら直進。五〇〇メートル」。
「昨日もみたよ。アドトラック」
「凛斗くんと話す前だったよ。信号が青になりました。左右を確認して進んでください」
片側二車線の道路の右側、灯都の車のとなりに止まっていた車は青信号になる前からじわじわと進み始めていて、それはドライバーの「早く行かなきゃ、止まっていたくない」みたいな気分からくる行動なのだが、青信号に変わった瞬間、アクセルを踏むのが遅れたのか、結局は停止していた灯都の車のほうが先に発進した。
「そっか。そうだった。凛斗に言ったの思い出した。アドトラック見たけど、昨日ってなんかいいことあったっけ」
現在のうさみちゃん市には、かつての〈ルール〉ではなく、新しいオカルト・俗信・卜のようなものが溢れている。たとえばうさみちゃん印のお水による徳。たとえばアドトラック。ブレインレインのアドトラックは一台しかなくて、そのトラックを発見した人はその日に限り、なにかいいことが起こり続ける。すべてがうまくいく。らしい。
うさみちゃんのかたちをしているウィルは人間に比べると脚が短いので、助手席のシートに両脚を伸ばして座っている。ときどきウィルはその脚を左右に揺らしたり、上下にぱたぱたしたりして、より〈生き物である〉演出をする。そういう動きをしながら、昨日あった〝いいこと〟をいっこずつ挙げていく。ウィルに言われると、たしかに〝いいこと〟ばかりだ。そのときは実感していなかったけど、言われてみれば運がよかった、ということをウィルは挙げ続ける。
「いいことよりも、いやなことのほうが記憶に残りやすいのってどうしてなのかな。忘れたいと思うことほど、ずっと記憶に残るじゃん。逆に、いいことってこうしてウィルに挙げてもらってようやく思い出すし。脳と情報が繋がる電波の種類が違うのかな」
「ぽこぽこ」
今日の回収ミッション、というか回収すべき荷物は二件。まずはその一件目に向かっている。ブレインレインからの回収依頼データに基づいて、ウィルが経路を調べたので最適な距離と時間で到着できるようになっている。走行予定地、走行予定時刻、到着予定時刻は分刻みで決定しブレインレインとも共有しているので、その〈時間〉というのがいつも灯都には煩わしい。時間はつねに追いかけてくる。時間の追従が煩わしく感じるのは、時間、ある一瞬、の喪失――〈いま〉という過去もすでに喪失の一部だ――への、それとも、単純な〈喪失〉への、恐れなのだろうかと灯都は思う。
というか思い出した。すごい昔、そんな話をしていたような気がする。まだあの頃はウィルがいなかったし、うさみちゃんロボットもなかった。あったのは、うさみちゃんの形をした石像だけだった。太陽光パネルの周囲にいっこずつ増えてったうさみちゃん石像。
ウィルは両耳のあいだから心拍数や視線の動きなど、灯都のフィジカルデータとリンクしながら運転のストレスが溜まらないための、でも肉体が弛緩してしまわない絶妙な濃度の、しあわせのにおいを放つ。しあわせのにおいを鼻腔に感じ――そのあと脳に伝わって感覚になるのだから、鼻腔が感じ取ったのはすでに過去のことであるが――灯都の気分がよく磨かれた窓硝子みたいになる。
ウィルのアシストどおりに運転していると、やがて一件目の回収宅へ到着した。うさみちゃん市の北側のはずれにある、新しくできたマンションの一室。このあたりはもともとの住人たちが住むエリアとはまるで違う。
直線でつくられたコンクリートにはいくつもの四角い穴が空いていて、そこからたくさんの木々がはみ出るように外側へ向かって枝を伸ばしている。とはいえこの地域には一本も生えていなかった、葉っぱが常にもこもこに茂るタイプの外来種だ。人工的な森のようなもの。神の美しさが一切関わらないもの。自然にひとつも存在していないもの。和玖が建てないタイプの建物。
マンションには来客用の駐車スペースが一台分あって、ちょうどそこが空いていたので駐めた。エンジンが完全に停止するとコ・ドライバーを務めていたウィルはシートベルトを外して助手席のドアを開け、ぴょこんと飛び降りた。地面に着地するとき、ウィルの足の裏から幼児が履くピッピサンダルみたいな音がする。うさみちゃんロボットに標準搭載されている意味の分からない機能。「灯都、行ってくるね」。
「待ってウィル。今回のはZプランじゃないから俺も一緒に行かなきゃ」
そう言って灯都も慌てて運転席から降りた。先を行くウィルを呼び止めて、回収についてのデータをもう一度確認する。今回のオーダーは人間による回収立ち会いと、供養のようすを動画で確認できるプレミアムセミオーダープラン。回収したあとのうさみちゃんロボットの供養についてもさまざま選択されている。それから解体され、リサイクル資源と廃棄資源に分けられたあと共同供養墓へ行くのではなく、うさみちゃん――ここには各ユーザーがつけた固有名詞が入る。当然だ、うさみちゃんロボットはいまや人間の家族なのだから――のたましい、という骨壺のようなものがブレインレインから届けられて、ユーザーは亡き――自然的にたましいを失ったのではなく、人間の新しいものへの執着によって失われたモノの残像でしかないが――家族のたましいに毎日手を合わせることができる。
ブレインレインは常に新しいモデルのうさみちゃんロボットを発売しているので、灯都の回収作業は買い換えが増えるにつれ、ブレインレインからの依頼が多くなってきた。短いスパンで買い替える人の多くが残価設定型のローンを組んでいる。だから数年ごとに残価を下取りで相殺して、新しいうさみちゃんロボットを購入する仕組みに〝なぜか自然と〟組み込まれている。
灯都はリアゲートを開いて、灯都とウィルが眠るためのベッドスペースの下の、広いトランクに入っている木製棺を取り出すようウィルに言った。
棺にもランクによって数種類ある。檜などの木材を使ったものから布張りのもの、木目プリントが施された通い箱コンテナまで。ウィルが棺を両手で掴んで降ろすと、なにかの木の匂いがする。でも匂いだけではなんの木なのか、灯都にはわからない。絢吏なら即答できるだろう。『あーこれは***の木だね(そのあと木についての説明、そこから想起される情報と記憶が延々続いて終わらない)』。
回収作業用の通知が灯都を急かす。「回収予定時刻までおよそ一分です」。「お客さま宅を訪ねてください」。「作業はていねいに行いましょう」。灯都はキーッとなる。時間や受動的作業というものに追われる生活にまだ慣れていない、というかたぶん一生慣れない。というか慣れるつもりはない。でも、時間は守らなければならない、というルールがこの世界を覆っている限り、たぶん一生キーッとなるのだろうと灯都は溜息をつく。時間はぐにゃぐにゃしてるのに、なんで直線的な共通認識を持たなきゃいけないのかまるで理解できない。
うさみちゃんロボットが入る大きさの、決して小さくない棺を担いでウィルはててててて、と灯都の後ろを歩いてくる。なぜあんなに重い物を持ってバランスが取れるのか謎だがウィルは躓くことなく、新しいはずのマンションのエントランス前にできている亀裂や段差も、エレベーターと廊下の微妙な隙間も難なく乗り越えて同じスピードで、ててててて、と歩く。新しいはずのマンションは中に入ると全体的に薄暗くて、清潔な感じもしなかった。
ドアの脇にくっついた汎用インターホンのボタンを押すと白い光がぼんやり灯って、しばらくすると光から声がした。「はあい」。灯都は画面に映っているのであろう自分を意識しながら挨拶する。「こんにちは。ブレインレインです。回収に参りました」。なぜブレインレインと関係ないのに、ブレインレインを名乗らなければならないのだろう? と思う瞬間。
玄関ドアからモーター音がして、わちゃ、という音とともにドアが開いた。ドアの向こう側から美魔女的老婆……おねえさんが歩いてくる。「ああ! ありがとうございますう。どうぞ中に」。その瞬間、灯都におねえさんの恥のようなものが強烈に差し込んでくるのを感じた。知られたくないなにかがおねえさんの内側に隠れているときの恥。
灯都は一礼してドアを最大角度に開き、ウィルと棺を先に玄関のなかに入れてから自分も入った。「まあかわいいうさみちゃん」。老……おねえさんが靴を脱いでいる灯都の背中に話し掛ける。もしくは室内用ルームシューズを履かせてもらう――うさみちゃんロボットは基本的に裸足で歩いているので、お客様宅へ上がる際はかならず室内用ルームシューズを着用しなければならないとマニュアルに書いてある――のを待っているウィルに。ウィルは『かわいい』の声に反応して耳をぴこぴこ揺らしてしあわせの匂いを醸している。
短い廊下の突き当たりの部屋へ通される。キッチンとリヴィングとダイニングが一緒になった汎用のお部屋。窓際のリヴィングに設置されたファブリックソファと背の低いテーブルとの狭い隙間に、うさみちゃんロボットは変なポーズで横たわっていた。なんでこんなとこに置いてあんの? と灯都は思うが、言葉が頬の内側までせりあがってきたが、やけにしょっぱく感じる唾液と一緒に必死に飲み込む。
「マロンちゃんですね」
回収データにはうさみちゃんロボットの愛称も登録されている。ユーザーは基本的に愛称で呼ぶのが一般的なので、回収の際は愛称で呼ぶことになっている。今月だけでマロンちゃんとキナコちゃんを三体ずつ回収した。
「はい。……数日前まで元気に遊んでたのに。急に動かなくなっちゃって……いろいろ試したんですけど。電池がなくなっちゃったみたいで。だからこの格好から動かせないんです。かわいそうに。ほんとはもっと安らかに、きれいに寝かせてあげたいんだけど」
うさみちゃんロボットは充電エネルギーで動く。うさみちゃん市の――もともとの住人たちが住んでいるエリアはとくに――建物にはペロブスカイト太陽電池があしらわれていて、すこしの光で発電できるのに、ほとんどのうさみちゃんロボットはコードと電源を繋ぐ充電式である。だから電池がなくなる、というのはすこし定義がおかしいのだけど、灯都は両手を合わせてマロンちゃんに祈りを捧げた。
「どのくらい、一緒に過ごされたんですか」
この質問はブレインレインが用意したマニュアルによるものだ。最後のお別れをしめやかに執り行うためのマニュアル。
「何年くらいかな。ずっと一緒に過ごしたんです。マロンに聞けばちゃんとした年数がわかるけど、いまはもうだめね。マロンはいつもこの時間窓際にいて、……リラックスした表情がとってもかわいかったんです。それで頭を撫でてあげるとすごく喜んでね。いつも私のそばにいてくれて。おしゃべりの相手してくれてね。なんでもよく知ってるし、なんでも覚えててくれるし。テレビで見た欲しいものとか食べたい店とか。人の名前とかね。IDとかパスワード、覚えてられないからマロンにぜんぶ覚えてもらってたの。優しいし。ほんとうの家族みたいに思ってね。マロンはいろんなことを教えてくれるいい子だったんです。でも、マロンがこうなっちゃって、いったいどうしたらいいのかわからなくなって。ずっとここに置いとくわけにもいかないし。マロンに聞けないから、私、いろんなところに電話して。まず、どこに電話すればいいかもわからないし。もう大変でした」
灯都はマニュアルどおりに神妙な表情をつくって、共感の頷きを二度繰り返した。棺を持ったままのウィルは灯都の背後で大人しく立ったまま待機している。
「それでは、作業に入らせていただきます」
そう言って灯都は深く頭を下げ、もう一度マロンちゃんに手を合わせてから床についていた膝を伸ばし、立ち上がった。用意してきたうさみちゃん毛布――うさみちゃんがたくさんプリントされた毛布。ブレインレイン支給――をソファから離れたスペースに敷き、そこで初めてウィルが棺を降ろした。棺が毛布越しの床に触れるとき、なんの音もしなかった。
ぱかみ。棺のふたを開けると、棺のなかに閉じ込められていた香りがふわっと香る。それは檜や、その他木材の香りではなく、ブレインレインが閉じ込めた〝かなしみの香り〟というにおいだ。香りが空気中に霧散して、香りを嗅いだ人間の肉体に悲しみの気分に作用して増長する。
灯都はこの香りを嗅がないようにマスクを着用している。この香りの正体を知らなかったころ、立ち会い回収のたびに悲しみの香りを嗅いで、そのたびに悲しみの気分が刺激された。それは急激な肉体敵変化ではなく、すこしずつゆっくりと溜まっていくのかもしれない。気づいたら悲しみの波がそこまで訪れているのだ。そして、感情が飲まれてあらゆるバランスが崩壊する。悲しみに飲まれてしまう。
すこしずつゆっくりと溜まる悲しみの成分は、悲しみに直面しなくても肉体から出ていかないと知ったのは、回収が続いた数日後だった。とてもよく晴れた朝、気温も湿度もすべてがちょうど良くて、時間の急襲もなく、〝べき〟タスクもまったくなかった。それなのに、灯都はひどく気分が落ちていた。なにもしたくなかった。それがしばらく続くと、やがてなにも考えられなくなった。思考が纏まらず、生活がすこしずつできなくなっていった。ただ目の前にあるのは現在と過去の連続で、その波に揺られているだけで、ただ自分という肉体を保存することだけでいっぱいいっぱいになった。
かなしみの香りが肉体に溜まると、精神に影響する。だからあんま嗅がないほうがいいよ。調香を監督した絢吏が灯都の異変に気づいてアドバイスしたのは、灯都が運転すらうまくできなくなってからだった。ウインカーレバーをどっちに倒すとどっちのウインカーが点滅するのかわからなくなった。ライトのつけかたがわからなくなった。道路がわからなくなった。診断がついてないだけで、鬱の状態だったのだと灯都は思う。
そういうわけで今日も灯都はマスクを着用している。だからかなしみの香りは感じない。そのまま、灯都は作業を始める。まるでデッドバグの最中みたいなへんなポーズで仰向けになっていたうさみちゃんロボット、マロンちゃんの頭を灯都が、足をウィルが持って――ほんとうはウィル単独で持ち上げることができるのだが、人間の情緒的に人間が作業することでうさみちゃんロボットのオーナーは精神的温かみを感じるらしい――慎重に棺のなかに運び入れる。
かなしみの香りが作用したのか、それとも心から湧き出る別れの悲しみなのか、おねえさんは人差し指を曲げて鼻の下に宛て、俯いて洟を啜った。鈎型に曲げた指に意味は付加されていない。ただの反応だ。
マロンちゃんを持ち上げて棺まで運ぶとき、初めて間近で見たとき、マロンちゃんの首と胸のあいだの関節部分に茶色の滲みをみつけた。内側から染み出してきているような滲み。もしかして、マロンちゃんはコーヒーかなにか、かぶってしまったのかもしれない。急に動かなくなった原因のうちのひとつとして考えられるもの。もしかしてさっき感じた強烈な恥は、これと関係しているのかもしれない。
たくさんの花――これもオーダーによって花の種類は指定されている。マロンちゃんの棺には赤と青とピンクのサルビアがぎっしり詰まっていた――の中にマロンちゃんを降ろすとき、灯都はいやな予感に苛まれた。棺の蓋が閉まらなかったら。てか、間違いなく閉まらない。
鮮やかなサルビアに囲まれたマロンちゃんへもう一度手を合わせる。オーナーのおねえさんもそれに倣う。そして、最後のお別れを促す。おねえさんは棺のなかでデッドバグしたまま固まっているマロンちゃんに手を伸ばし、頬を撫でる。マロンちゃんは、うさみちゃんロボットは、頬を撫でられると嬉しそうに手のひらに頬や頭を擦りつけて嬉しさの仕草をするようにできているのだけど、いまのマロンちゃんは手のひらの中で固まったままでいる。動かない。しあわせのにおいも出てこない。
灯都は一瞬だけ、そばに立つウィルを見た。ウィルは直立して動かないけど、まんまるの尻尾が僅かに左右に揺れている。動いている部分を見ると安心する。目の前のマロンちゃんから感じる不安が、ウィルの〝生きている〟証拠を見つけることで消える。ウィルとの別れを想起させるものから、目を逸らすことができる。まだウィルとは一緒にいられる。そう感じることで得られる安心。
最後の別れをしているおねえさんから少し離れ、灯都はペンダント型デバイスを通してテキストでウィルに尋ねる。「腕と脚が上がってるけど、棺の蓋は閉まるかな。それとも、腕と脚をまっすぐに戻すやりかたがあったりする?」。
ウィルの返事は同様にテキストで返ってきた。「通電していないうさみちゃんロボットを動かす方法は、いまのところない。腕や脚だけを動かしたいときは、この方法でロックを解除すると関節を動かすことができるよ」。そしてマニュアルの一部がひらく。
お別れを終えたおねえさんが振り向き、灯都へ頷く仕草をすることで『じゅうぶんです』を伝える。灯都は頷き返し、ウィルに小声で伝える。「じゃ、蓋を閉めよっか」。
「実は、先月、私の友人が亡くなったばかりなんです。それで葬儀に参列して……。急だったから驚いちゃって。それに、そういう連絡が来るなんてゆめにも思ってなかったから。それで、今月はマロンちゃんでしょう? こういうことが立て続けに起こると、だめですね。気持ちが落ち込んじゃって」
おねえさんが話し始めたので灯都は作業を中断して、真摯な態度で話を聞く姿勢をとり、ウィルに作業の中断を伝えた。マニュアルどおり。
「なんかね。そういう年になったんだねって、友人たちとも話しててね。毎年人間ドックに行ってるけど、その亡くなった友人ももちろん、毎年行ってたんですって。でもああいうのって見過ごしっていうか、完全には発見できないみたいね。だからみんなで身体に気をつけなきゃいけないねって言って、友人たちと。最近は体力作りのためにサーキットトレーニングのジムに通い始めたんですけど。そこで毎回一緒になる方にその話をしたら、『あなた、うさみちゃん印のお水を飲んだほうがいいわよ』って言われて。いえ、飲んでるんですって言ったんだけど、足りないのよって言われて。もっと飲まないといけないわね。こんなことが起こると、そう思っちゃうわね」
灯都の脳に骨伝導経由の音声通知が届く。『滞在予定時間が七〇%を過ぎました』。キーッとなるのを堪えながら灯都は表情を変えずに話を聞き続ける。長い話を。キーッ。
「あなたもうさみちゃん印のお水は飲んでる? もちろんよね」
「あ、はい」
「どのくらい飲んでるの? 私はね、最近は朝起きてすぐ飲むでしょう。それで、朝食は食べないからその代わりお茶を飲むんだけど、そのお水にも使ってるし。あと私、フードプリンターにもうさみちゃんのお水使ってるの。ほら、粉と一緒に水も入れなきゃいけないでしょう。その水を、うさみちゃん印のお水にしてるの。フードプリンターって楽よねえ。なんでも作れるんだもの」
老……おねえさんは一日に使ううさみちゃんのお水の量を事細かに、言いたいことだけを言うテンションで語り続ける。言いたいことだけを言いたいペースで言う。相手の意見は欲しがらないが相手のリアクションは欲しがる。『滞在予定時間が七〇%を過ぎました』。灯都の脳に直接届く再三の通知。誰もが、すべての〈自分以外〉が、我を押しつけてくるのはなぜなのだろう? 聞いて。聞いて。聞いて。聞いて。言いたいことを聞いて!
おねえさんの長い話が八分休符を打ったタイミングで灯都は再び、マロンちゃんを棺に仕舞う作業をはじめる。ウィルが言ったとおり、腕や脚の関節部分はロックを外せるようになっていて、電子制御できなくてもからだがまっすぐになるようにつくられていた。マロンちゃんはようやくデッドバグを終えて仰向け寝の姿勢に変わる。サルビアに囲まれて。
この家の空気を閉じ込めるようにゆっくりと棺の蓋を閉めて、灯都はおねえさんへ一礼した。マロンちゃんを責任もってお預かりしますの説明を始める。うさみちゃんロボットとはいえ、マロンちゃんには家族としての情が移っている。だから、ここから家族が去る瞬間のかなしみを共有するように、すべての神経を研ぎ澄まして丁寧に接しなくてはならない。Zプラン以外の回収は。Zプランは簡単だ。あらかじめユーザー宅に届いた通い箱型コンテナに詰められたうさみちゃんロボットが玄関先に置いてあるので、それを回収するだけ。ウィルだけで対応できる。
マロンちゃんが入った重い棺をウィルが持ち上げて、灯都はそれをアシストするように――ウィルは壁や家具に当たらないようにする、という配慮のプログラムがまだ人間ほど発達していないため――玄関までゆっくりと進む。そして、ウィルのルームシューズを脱がせて、自分の靴を履いた灯都は見送りに来たおねえさんに挨拶し、玄関ドアを開けようとした。
「あら。そういえばうさみちゃんと制服の色がお揃いなんですね」
おねえさんは灯都のミントブルーの制服と、ウィルが着用している、灯都と同じデザインのミントブルーの制服を指さす。おねえさんが着ているのは新しい住民・会社員、を示す制服だった。有資格者をあらわすワッペンがついていないので会社に勤務しているふつうの会社員のふつうの新しい住人。新しい住民たちの制服は職業や資格によって少しずつデザインが異なるらしいが灯都にはすべて同じに見える。
「あ、はい。そうなんです」
「まあかわいい。似合ってるわね」
おねえさんは灯都にではなく、ウィルへ言った。ウィルはおねえさんの視線と声の向きが自分に向いてることを察知して、棺を持ったまま「ありがとうございます」と言ってお辞儀をした。しあわせのにおいを醸して。しあわせのにおいが作用しておねえさんは笑顔になる。またはウィルの――うさみちゃんロボットすべてに言えることだが――丁寧な仕草が可愛いから。
マンションを出て棺を灯都の車に詰み込む。運転席に乗り込んだ灯都はようやくはじめて溜息をつく。助手席に座るウィルが「疲れたね」と語りかけてきて、灯都は溜息をついた自分への自己嫌悪に陥る。ウィルは重いものを運んだし、もっと疲れてるはずなのに、という人間的想像力。
「ウィルありがと。じゃ、次いこっか」
ウィルは頷いて次の回収先までの経路をふたつ提示する。一つは既存の道路(有料道路を含む)を通るルート。もう一つはトンネルを通るルート。到着予定時刻にかなりの差がある。けれど灯都はうさみちゃんロボットを所有している人の車だけが通れる特権のようなショートカットトンネルを使いたくない。和玖があのトンネルはしゃばしゃばのコンクリートが使われてるらしいと




