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アナバチ性ミントブルーうさみちゃんシティ  作者: 夏果和 なまり


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2-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎

ってさあ。中身だけ売ってくんないの? って聞いたんだけど、まだそういう検討はされてないですうって言われてさ。もう何度目だよ。ペットボトルとかまじでやめてほしいんだけど。壜持ってくからこん中入れてよって言ったのにだめだって。そもそもペットボトルでここに卸されてるんでって。コーヒーだってマグに入れてくれる時代なのにね?」

 うさみちゃん市の真ん中にはホールケーキ型のブレインレイン本社があるが、その周辺には灯都たちと同じ、太陽光パネルが撤去されたあとのなんもない街に移住してきたもともとの住民たちの住宅が並んでいる。プリンのかたちをした戸建て住戸で、カラメルソース色の屋根には各戸、さくらんぼやホイップやミントの葉など、表札替わりにそれぞれ異なるアイテムが乗っている。絢吏の家の屋根にはこの街に住む食品サンプル職人がつくったラーメンどんぶりが乗っていて、どことなくプリンがまずそうに見えるが、なぜラーメンどんぶりを乗せようと思ったのかとか、なに味のスープが入っているのかとか、誰も聞いたことがない。たぶん理由などないに等しいだろうし、単純に、灯都たちもともとの住人たちは人間の思考やアイデアには興味を持つが、人間の自我の発生源のようなものや人間の感情にはまったく興味を持てない。

 住人の用途に応じてそれなりの土地が宛がわれていて、たとえば豚や羊や鶏を飼っている家もたくさんあるし、痩せた土地を一生懸命耕して畑にしたり果樹を植えて育てながら研究している家もあるし、石工の家にはたくさんの大きな石が並んでいるし、水を引いて田圃をつくった家もあるし、木材が積み上がったり、あらゆる木が植えられた大きな庭をもつ家もある。たくさんのコンクリート建造物が新造されていくうさみちゃん市において、この地域はいまだに牧歌的な雰囲気が漂う。一次産業者が住む街の印象。

 灯都はうさみちゃん市に住所を持つけど、住戸を持たずに車を家がわりにして暮らしているので、回収の仕事を終えてうさみちゃん市に戻ってきたときには誰かの家の庭先に車を停めさせてもらっている。今までなら、うさみちゃん市にはなにもなくて空地だらけで、どこに車を停めても咎められなかったのに、もともとの住民たちの家が並ぶ地域を取り囲むように次々に新造されていくビルやマンションがひしめくせいで今ではコインパーキングを利用しなくてはならなくなった。ブレインレイン社の看板がこの地域にも建っている。『無断駐車禁止』。注意を促す看板には冷徹な無機質による攻撃性を持たせるため、うさみちゃんが描かれていない。明朝体だけが並ぶ看板は見た者の心を――それはお尻から冷たいものが走る感覚だ――ぎゅっと絞るように〈つくられている〉。

 ようするにもともとの住人が暮らす土地も、新しい住人たちが暮らす土地も、ほとんどがブレインレイン社のものである。あとは都市開発とともに敷設された市道。プリン型の住宅で暮らす住人たちはブレインレイン社から土地を貸与されている。彼らの能力とアイデアと労働力と引き換えに。

 ずらずら並んだ太陽光パネルが撤去されて、痩せた土地がむき出しの、がらんとしていた土地だったのに、と灯都は思う。そこで太陽光パネルのスクラップを担っていた会社がいつの間にかなくなって、和玖たちが建てたホールケーキ型の建物の脇にブレインレイン社の看板が建って、周辺の土地をブレインレイン社が取得した。それは強い台風が木々をなぎ倒して街の風景を一変するのと同じくらい、あっという間だった。

 そんなとこに停めるより、俺らの家の空いてるとこ使えば? 別に困らんし。灯都が親しくしている人々はそう言ってくれたのでコインパーキングを利用せずに済んでいる。今日は絢吏の家の庭先に車を停めさせてもらった。そして絢吏が「一緒にごはん食べない? 明流あかるがお魚持ってきたの。なんか珍しい魚なんだって」と誘ってきたので、夕日までまだ時間がある庭先にテーブルとベンチを出して、灯都が回収先の地方で買ってきた、その土地でとれたぶどうを使ったワインとほたるいかでアペリティフを楽しんでいた。

「絢吏さんくっそだるいクレーマーみたいになってんね」

 そう言って灯都はところどころ厚みの違うグラスを持ち上げ、ワインを飲んだ。ガラス細工は絢吏の趣味で、庭先にいろんなガラスの破片がころがっている。灯都の車のステップからうさみちゃんロボットウィルが地面に降りてこっちへ近づこうとしていたので、灯都は思わず「あっ、ウィル、ガラス踏まないでね。足の裏怪我しちゃうから」と叫んだ。ウィルは基本的に裸足だからガラスの破片が刺さって痛い思いをするかもしれないと咄嗟に思ったのだ。ウィルは灯都のほうを向いて答える。「ありがと灯都。ガラスは踏まない」。そして平均台を歩くみたいに不自然なほど内股で歩き、灯都の隣に立った。「踏まなかった」。得意げに言うのがかわいかったので灯都はウィルのおでこを撫でた。うっとりした顔のウィルがしあわせの香りを醸し、調香師の絢吏は鼻をぴくぴくさせて香りに反応する。

「ウィルちゃんは賢いねえ。……でさ。これってクレーマーってことになんの? だってペットボトル無くてよくない? ただ水が欲しいだけなのに。てかわざわざうさみちゃん印の水買ってやってんのにさあ」

「まあまあまあ。そういうことになんだよ。今はね。そういう街になっちゃったんだから。いつの間にか」

「うさみちゃんからひとこと。今日は新月なので、夜にうさみちゃん印のお水を飲むとからだが浄化されますよ」

 ウィルが口を挟む。というか勝手に独り言をいう。数日前のアップデートからウィルはこういった種の、暮らしのヒントというか、行動指針のようなものを話すようになった。灯都はウィルのおでこを撫でてやる。「ありがとウィル」。

「今夜飲むぶんのお水が冷えてないよ。冷蔵庫に入れておく?」

 ウィルは灯都の車に積んである冷蔵庫の在庫を照合しながら言った。ウィルはなんでも知っている。

「ありがと。でも飲まないだろうから別にいいや」

「今日は新月なので、夜にうさみちゃん印のお水を飲むとからだが浄化されますよ」

「そうね。でもまあ、いいや。飲みたくなったら飲む」

「ぽこぽこ」

 移住者が集まり始めたころまで、この街には一番端っこにYショップという、コンビニと昭和から平成初期にあった個人経営の食料品店とのハイブリッドみたいな風情のお店がひとつあるだけだったけど、その飲料売り場にはいろんなメーカーの複数種のミネラルウォーターや、複数種のお茶が陳列されていた。そしていま。うさみちゃん市には大手資本のコンビニも、大手資本のスーパーマーケットもあるけど、飲料売り場に並んでいるのは『うさみちゃんのお水』がほとんどだ。ようするにお水を買って飲みたいなら、これを買うしかない。

 それにうさみちゃんのお水についてはブレインレイン社による啓蒙――お水をいっこ買って飲むと、いっこ徳が積める――の広告があらゆるメディアで展開され続けている。それは刷り込みのようで、始めは懐疑的だった人々もなんとなく「徳が積めるかもしれない、まあ積めなくてもいまちょうど喉が渇いてたし」という気分になってきて、誰もがうさみちゃん印のお水を買うようになっている。絢吏も灯都も、もともとの住人たちも、うさみちゃん印のお水に付加する効用についてはまるで興味がないので大して知識を持っていないが、生活の上でお水は必要なので結局うさみちゃん印のお水を買わざるを得ないのだった。

「おまたせー。かすべの唐揚げだよ」

 絢吏の家のキッチンで調理していた明流がエプロンをつけたままお皿を持ってきた。そして灯都と絢吏のあいだに座り、グラスにワインを注いで一口飲むと、香りの余韻を楽しむように目を閉じ、しばらく静止している。

「かすべ。聞いたことない魚だ」

「そう。あんま出回らない魚なんだよね。でもめちゃ美味しいの。食べてみてよ」

 灯都と絢吏は皿に美しく盛りつけられた唐揚げを一個、箸でつまんで口に運んだ。「え。なにこれフワッフワ」。

「でしょ。骨が軟骨だからぜんぶ食えんの」

 明流は満足したように高い声で言って、唐揚げをいっこつまんで口に入れた。猫舌なので口の中が沸騰したみたいに熱気をおちょぼ口で吐き出しながら騒ぎ始める。「あつあつあつ!」。隣でその様子を見ていた絢吏はうさみちゃん印のお水のボトルを手渡す。お水を飲んで口の中が落ち着いた明流はひと息ついて、熱さのために込み上げた生理的な涙を指先で拭ってから「うわー、熱かった。でもめっちゃうまくできたわ唐揚げ」と言った。

 まだ陽の高い空の下ではのんびりした時間が流れている。とはいえ、今では絢吏の家の周囲まで新しい街作りと銘打った開発が続いていて、今までは住人しか通らなかった道路には観光客や、新しく移住してきた人々がしょっちゅう通る。彼らはのんびり過ごしている絢吏や灯都たちやプリンのかたちの住宅をカメラにおさめながら「ここにもともとの住民が住んでんだね」とか「おんなじ制服着てる」とか言っている。「うさみちゃんシティって、ああいう肉体労働者が集まってできた街だったんだって。いまじゃ考えられないけど」そういう声が聞こえることもある。「このへんも、もうすぐ新しいビルとか建つんだろうね。だってここだけ浮いてるし」。新しい住人たちか、住人候補か、単なる観光客の、うさみちゃんに初期から住んでた灯都たちに対する印象とうさみちゃん市に対する印象。

 人間はすべての〈相手〉に名称を付けて安心したがる。このひとはこういうひと、という勝手なバイアスが各人の脳で無意識に生成されて、各〈私〉は、脳がつくったバイアスを信じ込むことで生きている。それが間違っていることも、知識不足による偏向であることも知らずに。ようするに、知らない人たちから見た灯都たちの印象は、彼らの知識と情報の限界の中で作られた狭義の誤った印象だ。『うさみちゃんシティの中で浮いてる存在』。『歴史とテクノロジーに置き去りにされた人間たち』。

「人間が生きるために街というか……コミュニティ形成すると必然的にこうなるよね? だって食って大事だし。ワインがいきなり空から降ってこないし、海にかすべの唐揚げは泳いでないし」

 灯都が言うのと同時に、通りを行く観光客の制服を着た人たちがウィルを見つけて声をあげる。「あ、うさみちゃんもいる」。「あのうさみちゃんも制服着てる」。そして瞬間と空間は切り取られ、カメラに収まる。そこには各〈私〉のバイアスをはらんだ〈色〉がぺったりくっついているのだろう。

「食事は3Dプリンターでつくるのが当たり前のうさみちゃん市じゃ、異端なんだよ。時間が止まって見えんじゃない」

 そう言った明流の言葉に、まだ白い湯気が立つかすべの唐揚げを食べながら、絢吏は頷く。「街のカラーつーか、コントラストみたいなものもいつのまにか出来上がっちゃってるしね。俺らは何も言えないのよ」。そしてワインを飲んだ。

 不毛の土地を一から開発したブレインレイン社は、こんなに素晴らしく先進的な街を作り上げました。もともと住んでいた住人たちにも土地を貸与して、そのままの暮らしを提供しています。プリンのかたちの住宅も、その近くに建つホールケーキ型のブレインレイン社も、いちごのかたちの工場や商業施設も、ぜんぶブレインレイン社がうさみちゃん市の開発に関わって建てたもの。うさみちゃん市には新しいマンションもビルもたくさん建造されてるけど、ちゃんと街の中心にはもともとの住人達の前時代的な暮らしも残っていて、実に人間的な街です。これがブレインレイン社やうさみちゃん市の広報の基本方針のひとつで、大きな力で捻じ曲げられた事実は誰にも訂正できない。捻じ曲げられた工学的に。

 また猫舌の明流が目に涙を溜めて腕を伸ばす前に、ウィルがうさみちゃん印のお水を差し出していた。「熱いから気をつけてね」。なぜ人間は学習しないのだろう? それとも、学習した記憶は欲とか自我によって、肉体から切り離されてしまうのだろうか? 空気中か別の次元にびっしり浮かぶ情報のつぶつぶとのつながりが。すぐに学習してお水を差し出したウィルをぼんやり見つめながら、灯都はべつの記憶のつぶつぶに行き当たって、そうだ、と呟いた。

「思い出した。今日、ガチャのとこ行ったの。初めて」

 ここからはホールケーキのかたちのブレインレイン本社の屋根に乗っかっているいちごを夕陽が照らしているのが一部だけ見える。晴れた日に富士山が見えるとか、海の向こうに離島のシルエットが見えるとか、そういう感じで。絢吏はそっちのほうに顔を向けたまま、視点をぴたっと定めてしばらく黙ってからようやく答える。

「……あー。ガチャのとこ。オープン前には嫌んなるほど行ったけど。どうだった?」

 話を向けられた灯都はしばらく考えて――灯都も、そしてこの街にもともと住んでいた住人にも共通することだが、短い時間で的確な言葉を探して相手に伝えるのがものすごく苦手だ。瞬発力というものが備わっていない――しばらくのあいだ無言で考えたあと話しはじめる。

「全然興味なかったのにうっかりガチャ回しちゃったわ。なんだろね。においで気分が操られんの、すげーなと思うわ。いつの間にか『やっとかなきゃ』みたいな気分になったんだもん。匂いとか音楽とか、人間って知らないうちにめちゃくちゃ影響受けてんだなって」

 灯都がそう言うと絢吏は満足そうな笑顔で笑う。「まじかー。あーよかった。良い仕事したわ」。やはりあのにおいは絢吏がつくったものだった。けれどあの施設に関する情報を調べても、絢吏の名前は目立ったところにはない。たぶんあの場所に溶け込むように流れ続けていた音の監修をしたのは瑚織だろうと思う。けれどウィルに聞いても名前は出てこなかった。それよりもブレインレインまわりの関係者の誰かの名前ばかり出てくる。

「あれもブレインレインの発注?」

「もちろん」

「ぽこぽこ」

 そして三人は同時に、甘いワインが入ったグラスを持ち上げて飲んだ。無言を打ち消すための動作。そして、誰にも聞こえないように溜息をついた。憂鬱を知られないように生きるための動作。

 ここにいる三人、そしてもともとうさみちゃん市へ移住して開拓してきた住人たちすべてが、天才的な天性の勘と能力を持っている。それは幼いころから興味のあるものに信じられない集中力で取り組んできたからでもある。けれど彼らは世間のいわゆる〈人々〉がみんな目指しているような、誇るべき学歴もないし身内で仕事を回せるようなコネ的人脈も持っていない。もうすでに知っていることを学ぶことに時間を割くよりも、興味のあることに時間を割きたいからで、ほとんどが高等教育を途中で辞めている。基本的に尊敬できない人間を厭わしいと思うから、能力もないのにコネだけあるような人間たちと仲良くなれないし、人脈を築きにくい。

 人間として自然的生活を営むには十分すぎる能力を持っているけど、ブレインレイン社が築いた〈うさみちゃんシティ〉の中に取り囲まれてしまった現在、もともとの住人たちはあまりに無力だった。組織に属していないし、だから毎月定額の給与を得ていないし、うさみちゃん市から転出しようと思っても行くところがないし、転職しようにも華やかな経歴を持っていない。ブレインレイン社から貸与された土地に暮らし、ブレインレイン社から発注された仕事をこなし、受動的な暮らしの強制に抗うことができないのだった。世界の秩序がそういうふうにデザインされてしまったから。

 次第に陽が沈んでくると、もともとの住人たちが住むエリアはそれに倣って真っ暗になっていく。住人たちは陽が沈むと家から出ることはないし、なんだったらもう眠りに就いたりするから家の周辺に明かりが要らない。しかし、このエリアを取り囲むように開発されていく新しい街は、夜になっても煌々と明かりがついていて、それは前時代的都市と同じだ。いまだに二〇世紀の『眠らない都市』みたいな価値が息づく街なみ。

 その漏れてくる明かりのせいで、最近では真っ暗だったエリアもなんだかうっすら明るい。やけに暮れない空を見上げながら灯都は、向こうに見えるブレインレイン本社の、空に飛び出ているいちごをぼんやり見つめていた。「いろんなとこから、来てんだね」。以前だったらこのくらいの()()になったら道路はしんとしていたはずだけど、最近では常に観光客の制服を着たひとが歩いていて、動画を撮ったり写真を撮ったりしている。

「旅ってさ、予定立てていろいろ調べて想像して、出発まではたしかに楽しいんだよね。そう。で、出発して、目的地までの非日常の世界が続くじゃん。それも楽しいのよ。そんで普段じゃ感じたことないにおいが各地にあってさ、めちゃくちゃ楽しいんだけどさ。気づくと、結局〈日常〉が旅行の中にぎゅっと詰まってるだけだなってふと思う瞬間があんの。俺っていう〈情報を受信するなにか〉がただ移動しただけだなって。帰って荷解きを始める瞬間にめちゃくちゃ疲れてんなって感じるじゃん。なんでこんなに疲れてんだろみたいな。リフレッシュのための旅ってほんとうは存在しないのかなって。旅へ誘導するためのただの広告文句なのかな。灯都は毎日が旅行みたいなもんじゃん? 疲れない?」

「やー俺は旅しに行ってるわけじゃないから。それこそ、〈日常〉が移動してるだけで」

 そして明流も頷き、「俺も同じだなー」と言った。「目的があって移動するのは旅行とは違うじゃん。絢吏が旅に出るのも同じだろ、世界じゅうの香り……の情報のつぶつぶと、絢吏とのあいだに関連を持つため。それで絢吏は香りをいつでも思い出すことができる。それ以外の旅行ってたぶん、なんもすることがない人のためのレジャーのことでしょ。それこそ広告文句という情報に突き動かされて『思い出作りに行かなきゃ』とか『長期休暇だから理由わかんないけど旅行行かなきゃ』ってなるやつ。……あれ。旅行行くってなんか頭痛が痛いみたいだな」。

「あれだね。自分の人生の時間が仕事と余暇に二分されてて、自分だけの時間であるはずの余暇の過ごしかたすら気づかないうちに縛られてるっていう。完全にフォーディズムだね。いま何世紀だっけ」

「ぽこぽこ」

「いやこれも〈時間〉導入の弊害だよ。共通する時間に合わせて行動しなきゃいけないから、どう過ごしていいのかわかんない時間が発生して、で、その余った時間は資本が用意した娯楽で費やすように仕向けられてる。本人も気づかないうちに」

「ぽこぽこ」

 灯都は明流を見て頷き、夕方の風を少し感じながらワインを飲む。そして思いついたように言う。

「あでも、ときどきめちゃくちゃ綺麗な景色とかに出会うと感動するけどね。そこでしか見られないものってあるし」

「たしかに。それはある。でもさ、俺の人生の時間は俺がやんなきゃいけないことに費やす時間しかないわけ。だから、その貴重な時間を誰かのつくった情報で操られて、無駄に浪費するなんて絶対いやだわあ」

 大きなため息をついて絢吏が言い、ワイングラスを持ち上げようとする前にウィルがグラスに注いでいる。「ぽこぽこ」。

「なんていうか決定論だね。それを肯定するかは個人の自由だけど、世界全体が……全体的な決定論でうごくってめちゃくちゃだるいな」

 箸を持った明流がテーブルの上に手を伸ばしながら言う。「びん」。ウィルがくしゃみみたいに呟く。箸で掴み上げようとしたとき、明流の右ひじがワインボトルに触れて揺れた。明流がはっとする前にウィルがボトルを支えていて、倒れることはなかった。「ぽこぽこ」。

「ウィルちゃんはなんでずっとぽこぽこ言ってんの?」

 絢吏の問いに灯都が答えようと口をひらく前に、ウィルは笑顔で話しはじめる。「ぽこぽこは挨拶です。近くを通るうさみちゃんたちと挨拶してます」。

「へー」。絢吏が頷くのと同時に、ウィルは絢吏の家に面した通りに向かって気取ったポーズをとる。通りを歩いていた観光客の制服を着た人がウィルに気づいてカメラを構える前に。シャッターを切って手を振り去っていく人を見送ると、ウィルは再び灯都の隣へやってきて空気椅子の練習を始める。それを見て灯都は、そういえば最近運動不足だということをぼんやり考える。

「あ、思い出した。こないだうさみちゃんシティの空気ってのが売ってたよ。フリマで。ポリエチレンの袋に入っててさ」

 思い出し笑いを顔ににじませながら明流が言うと、ウィルは腕で大きな輪を描いて映像を展開させ、いま探してきた『うさみちゃんシティの空気』の出品情報を映し出した。「ああ、これこれ」。ポリエチレンの袋に油性マジックで書かれた『うさみちゃんシティの空気』そして日付。強気な値段。

「昨日の日付じゃん」

 ウィルが展開させた映像を見ていた灯都はまた別の記憶のつぶつぶにぶつかる。昨日ウィルが言っていたこと。『うさみちゃんからひとこと。うさみちゃんシティの空気はとってもきれい。今日はチャトランガをしながら大きく深呼吸しましょう。とても良い〝気〟がからだに取り込まれて、徳が溜まりやすい体質になります。うさみちゃんシティに住んでない人には、袋に詰めてわけてあげましょう。それがいっこ徳になります。今日は袋を持ってお出掛け

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