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アナバチ性ミントブルーうさみちゃんシティ  作者: 夏果和 なまり


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3/8

2-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎

どう?」

 デッキで凛斗りんとは海からの風を受けながら映像の向こうにいる灯都に話し掛けている。フェリーが離島へ到着するまであと五時間。羽哉わかなは同じデッキに立ってるけどものすごく遠い凛斗のようすを見つめながら、海と青い空しか見えない、陸では絶対に味わうことのできない寄る辺無さに似た孤独と、最高の解放感を背景にセルフィを撮った。

 凛斗の会話は聞こえてこない。なにか楽しそうに話していることだけはわかる。風の向き次第で声の破片が飛んでくることもある。「……のアドトラックと……かったから……きーだわ」。凛斗が会話している、映像の人物『灯都』の声がぶつ切りになって羽哉の耳に届く。なんの話をしているのかわからないけど、凛斗は高い声でなにか嬉しそうな顔で言っている。風のせいで羽哉のもとには凛斗の声のかけらすら降ってこない。

 羽哉は撮った写真を確認すると、デッキとエントランスとのあいだのドアをくぐって絨毯が敷かれた船内に入り、通路沿いの手すりにもたれ掛かりながらいま撮ったばかりの写真をソーシャルメディアにアップした。旅を満喫している優越と気分を盛ったポストにはポジティブと攻撃されないための共感を誘う言葉をくっつけた。

 今朝は船内レストランの入口の写真を撮ってアップしたが、実際に食べたのは自宅のフードプリンターで作って持ち込んだ塩おにぎりだった。昨晩もしかり。夜になったらやっぱり塩おにぎりを食べる。フェリーで移動するときはいつもそうだ。凛斗や、凛斗を支えるスタッフ――彼らはブレインレイン社の社員である――たちはすべての食事やアルコールを船内のレストランやバーで飲食するけど、ボランティアスタッフ――ブレインレイン傘下の人材派遣会社の登録スタッフ――としてツアーに帯同している羽哉の懐にはそんな余裕がない。一番安いフードプリンターのもとを使って一番たくさん作れるのは塩おにぎりかブールマニエだけで、ブールマニエは作ってみたらそのまま食べるものじゃなかったので塩おにぎり一択になった。

 とはいえ羽哉は誇らしい気分でいっぱいだ。少なくともツアー最終日までの十日間は。

 羽哉は二十人のボランティアスタッフたちと一緒に定期運航のフェリーに乗り込み、凛斗や凛斗スタッフ、そして選ばれし参加者たちと一緒にフェリーを乗り継ぎながら十日間かけて日本一周する。十日間のうちのほとんどが船上での生活だが、途中、離島に立ち寄り、現地の旅館に泊まる予定だ。

 だから羽哉たちが乗船しているフェリーには、ツアーの参加者やスタッフのほかの乗船客もたくさんいる。その中で、ボランティアスタッフたちはボランティアスタッフ専用の制服を着ているのですぐにわかる。一九七〇年代のJALで客室乗務員が着ていたようなデザインの制服。ただしスカートではなく男女ともにパンツスタイル。これを着ているのは、凛斗のツアースタッフとして働くことが許された、選ばれた者だけだ。この制服を着ているという事実は羽哉をひどく誇らしい気分にさせる。

 ようするに。選民であるということ。その他の乗船客、もっと言えば、ものすごい倍率の凛斗ツアー参加者よりも選ばれた者である、みたいな意識はある。ボランティアスタッフとして働くには運が必要だ。

 ボランティアスタッフに登録するまでの手順はすべて踏んだ。まず凛斗が主催するツアーに参加する資格を得ること。参加できる人数は限られており、参加できるのは運しだいで、羽哉は数年前にぐうぜん当選してツアーに参加した。そのときはソーシャルメディアで繋がった凛斗クラスタにものすごく羨ましがられて、人生でいちばん気分がよかった。誰かにこんなに羨ましがられたり、憧れられたり、注目されることは初めてだった。

 ツアーに参加して知ったこと。それは凛斗の近くで働く可能性を、うさみちゃんシティへ移住すれば手にすることができるということだった。それは凛斗から聞いたのではなく、ツアーに参加していた知らない人から聞いた。条件はいくつかあった。凛斗が啓発する〈うさみちゃんシティ〉へ移住すること。うさみちゃんシティにオフィスがある人材派遣会社に登録してボランティアスタッフに応募すること。ボランティアスタッフは人気で倍率が高いので、仕事を得るためにも運が必要だと言われた。そのためにはあらゆる方法で徳を積む必要がある。徳を積めば運が開ける。羽哉は移住し、毎日徳を積んだおかげでほんとうにボランティアスタッフにまでなれた。人材派遣会社に登録するのは誰でもできるけど、こうしてツアーに帯同できるスタッフとして選ばれるための運は、相当の徳を積まなければ引き寄せられない。運は使ったら補充できる。だから羽哉は常に、徳を積むとされる商品やサービスへの投資を惜しまない。それもすべて凛斗のため。

 凛斗はかつて、一時的に、爆発的に増えたアイドルという言葉が持つ意味をねじ曲げる赤潮的集積とは一線を画す、ほんもののアイドルだった。アイドルへの運命を決定づけられて産まれたような容姿。それから博愛的振る舞い。それから妥協を許さない高度なプロ意識。羽哉はその頃から凛斗を知っている。主にメディアの中の凛斗。彼ほど完璧という言葉が似合う人間はいないと羽哉は思っている。

 その凛斗が完全な大人のフェーズに入ったいま、アイドルという泡沫からすこしだけ離れて引退していないけど現役でもない位置のまま、こうして日本各地をまわっている。すべてはうさみちゃんシティのため、というかブレインレインのため。羽哉は凛斗の崇高な理念に憧れているし、それを叶える者の一人でありたいと思っている。羽哉が着ている制服は、そのプライドとしての勲章、アイコンでもある。

 そのための労苦なら厭わない。たとえば、移住の際の出費。うさみちゃんシティでしか売ってない、徳を積めるとされる商品の購入。研修やセミナーの受講。うさみちゃんロボットの購入。うさみちゃんシティに移住した者は基本的にうさみちゃんロボットを購入している。うさみちゃんシティのみに於いてはいろんな特権が使えるし、凛斗と同じうさみちゃんが欲しかったし、高価なうさみちゃんのある暮らしをSNSにアップしてお金持ちっぽい自分をうらやましがられたかったし、セミナーや研修を受けるとうさみちゃんロボットがものすごく欲しくなるからだ。だから羽哉は移住を決めると同時にうさみちゃんロボットも購入した。

 とはいえ高価なものなので、ブレインレイン社が用意した支払いプランのうち、残高据置払いを選択した。この残高据置払いなら月々の支払い額が一番安く済んだから。三十六回ぶん支払いを終えたあと、使用していたうさみちゃんを下取りに出して新しいうさみちゃんを購入してもいいし、そのまま使い続けてもいい。そのかわり三十七回目以降の支払いは据え置かれた残高をもう一度分割払いとして計算しなおすらしいけどよくわからない。それより、新しいモデルに買い替える人のほうが圧倒的に多いとパンフレットにあった。新しいうさみちゃんロボットに買い替えても、そのまま使い続けても月々の支払い額がそんなに変わらないなら、新しいうさみちゃんロボットに買い替えたほうがなんだか得のような気がするし、そうしてる人が圧倒的に多いらしい。

 これらの選民意識のような気分すべて――羽哉はこれらを絶え間ない〈努力〉だと思っている――を表すのが、選ばれし者だけが着られる、いま羽哉が着ている制服なのだった。

 ソーシャルメディアへの新規ポストを終え、今朝のポスト――食べていないけどレストランの食事を満喫したふうの――へのフォロワーの反応をすべて確認している羽哉の背後から声がした。「おはよう」。手すりに肘を掛けて凭れていた羽哉のからだが、心臓が、大きく跳ねて一瞬で冷たい血液がからだじゅうを巡る。羽哉は制服の裾を翻し、ものすごい勢いで回れ右をして深く一例した。「おはようございます。雨町あまちさん」。

 雨町はいつものように憮然とした表情で顎の先を神経質そうに上に向け、凛斗直下のスタッフ、すなわちブレインレイン社の人々が皆そうであるように、オーダースーツの左腕をやたら演技がかって伸ばし、蕩ける艶をまとうガラスに覆われた高そうなデバイスを羽哉のほうへ向けた。めちゃくちゃ尖った革靴の先を苛立った貧乏ゆすりみたいに上下させながら。雨町のデバイスに羽哉の名前や、登録されている情報が表示される。ようするに雨町には羽哉という人物を覚えてもらえていないというなによりの証左。凛斗のスタッフと、派遣スタッフとのあいだにある永遠のような距離は目に見えないのに、羽哉の精神をでかいデスサイズで攻撃する。選ばれし者にはもっと上がいるという事実が。

「凛斗見なかった? どこかで」

「あ、凛斗さんならさっきデッキにおられていらっしゃいました。お友達のかたとお話しをされて」。そこで羽哉はお話しをされていらっしゃいました、と続けようと思っていたけど、いらっしゃいました、が二文にわたって続くのはなんだか変だと一瞬で考え、別の言葉を焦って選び出した。「......お話しをされてるのをご覧されました」。

「え? ご覧された……のは凛斗がってこと?」

 憮然とした雨町の眉間に微かに皺が寄る。ぴりぴりした空気が雨町から出始めている。それを感じ取った羽哉の心臓が喉の奥まで上がってきたように感じる。焦りが脳をなぜか鈍くする。反射のような言葉しか出てこなくなる。「あ。えと。凛斗さんが、しゃべってました」。

 雨町は表情を変えずに数秒無言で佇み、そしてなにか諦めのような空気を放って手のひらを羽哉に向けた。「そう。ありがとう」。そして踵を返してさっきまで羽哉がいた甲板へつながドアへ向かう。デバイスを唇に近づけてなにか言っている。羽哉に対する評価が入力されているのかもしれない。次のツアーにはスタッフとして働けないかもしれない。それはすべて想像でしかないけど、羽哉は自分の脳が創り出す恐ろしい想像に戦慄して背筋が凍っていくのを感じる。

 制服を着ていることは誇りだけど、制服を着ていることで誰からも、何者であるかということが一目でわかるようになっている。例えばいまのように。制服を着ていることは誇りだけど、見つかりたくないときもあるのに、と羽哉は思う。

 羽哉のデバイスが通知を受信した。『十一時よりイベントのためスタッフは設営を始めてください』。スタッフへ、羽哉と同じ制服を着た選ばれし者だけに一斉に送信されたメッセージ。羽哉はそれを見て、絨毯の敷かれたプロムナードを駆けだし、イベントが行われる船室へと一目散に向かった。誰よりも先に設営を始めるため。誰よりも頑張ってるという評価を得るため。

 上階の客室で行うイベントは、ツアー参加者へ向けた説明会またはレクリエーションのようなもので、参加者は主に部屋の中で映像を見たり凛斗の説明を聞いたりする。羽哉をはじめスタッフが行うのは、参加者が客室を間違わないように通路で誘導するとか、客室の備え付けのソファやテーブルを一旦移動させて参加者が床に座るスペースをつくるとか、映像を見るときに部屋を暗くするためにカーテンのスイッチングをするとか、そういう雑務だ。

 今回のツアー参加者全員が客室に集まり、ドアが閉め切られる。羽哉は今回、ドアの内側に立って不審者の出入りを防いだり、途中で退席する参加者名を名簿に記したりする係を任命された。ようするに、フェスやコンサートで言ったら学生の単発バイト的な立ち位置。

 照明が落とされた客室内には、参加者のおしゃべりや衣類のずれる音、人間のたてるざわざわが満ちていたが、十一時を二分と四十五秒過ぎたところで突然Dマイナーのローファイミュージック――イベントやセミナーでいつも使われている演出用音楽――が流れると一気に雰囲気が変わった。参加者が興奮を隠せない高い声が響く。それからスタッフに誘導されるように続く拍手。羽哉はまだ拍手係にすらなれない。そしてジャズピアノに導かれるように、参加者の前に凛斗が現れる。

「みなさんこんにちは。お集まりいただきありがとうございます。大宮凛斗です」

 そう言って凛斗は貴族みたいな恭しさで深く一例した。参加者から黄色い声がところどころ飛んでいる。「りんとくーん!」。凛斗は声のほうへ視線を向け、慈愛のような笑顔を浮かべて小さく頷く。声がするたびに凛斗はすべてに応え、慈愛のような笑顔を向ける。

 羽哉はそのようすを、離れたドアから見ていた。ドアと室内とは鈎型の短い廊下でつながっているので、すべてが見渡せるわけではなかった。とはいえ。凛斗が放つオーラは凄まじかった。離れたドアの前で立つ羽哉にもびしびし伝わって来る。床に座っている参加者の中にはなぜか手作りのうちわを持っているひともいる。

 照明が落とされた室内で、唯一、スポットを向けられてこの空間に浮かび上がっているように見える凛斗のオーラが、この部屋にいるものすべてを飲み込んでいく。誰もが圧倒される。羽哉も、離れた場所から圧倒されて言葉も思考も失い、ただ凛斗を見つめている。そして凛斗は憂いの表情で話し始める。ときどきファニーな笑顔を浮かべながら。

 凛斗の短い話のあと、カーテン係によって操作され真っ暗になった室内の大型モニタに映像が流れた。うさみちゃんシティの紹介動画。それは凛斗の初期の作品から参加しているクリエイティヴディレクターがつくりあげた作品で、羽哉は凛斗まわりの作品に携わりたかったからクリエイティヴディレクターと同じ美大に入って同じ広告代理店に就職して同じチームで活躍。するはずだった。羽哉が十代のころつくったマンダラチャートによれば。

 うさみちゃんシティ紹介動画では、うさみちゃんロボットが市内の要所を巡っていく。うさみちゃん視線で見るうさみちゃんシティは、先進と未来志向と省エネと持続可能、それから多様性、必要かどうかわからないけどあらゆる『現代の理想』が詰まった街として描かれている。紹介動画で出てくるうさみちゃんシティの公共施設や新しいランドマークには、羽哉も知らないものがたくさん含まれていた。このあいだグランドオープンしたばかりの商業施設がふたつ。うさみちゃんシティの北東側に新しく建つ予定の分譲型マンション(室内はスマートシティ『うさみちゃんシティ』ならではの最新鋭の機器が取り揃えられていて、大人もこどもも高齢者もみんな暮らしやすい)。うさみちゃんシティの移動に便利なピクピク。うさみちゃん警察が常に街をパトロールしていて、街のセキュリティは最高水準に保たれている。うさみちゃんシティへの転入者は質の高い人間からの紹介が多く、だから質の高い住人たちが集まっている。「うさみちゃんシティはあらゆる人種、文化、思想を受け入れています」。うさみちゃんは街を歩きながら、転入のメリットを紹介している。

 インカムに雨町の声で次の指示が流れる。「オケージョンノート」。それは羽哉ではなく、別のスタッフへの指示の音声共有だが、羽哉はその声を聞いた瞬間、無意識に襲われていた眠気が一瞬で消えた。モダフィニルの凌駕または匹敵。スタンバイしていたスタッフは小型のオケージョンノート噴霧器を操作する。あっという間に空間が、いつもの香りで満たされるだろうと羽哉は思う。うさみちゃんシティの啓発活動時にかならず噴霧する『セミナー用オケージョンノート』。

 紹介動画は続く。スマートシティとしてのうさみちゃんシティの住戸は新しく作られ続けていて、最先端の家電が備えられているから手ぶらで移住してきても快適に暮らすことができる。たとえばフードプリンター。食事をつくる3Dプリンターで、こんにゃくいもの粉を原料とした『フードプリンターのもと』を入れて、無線で繋がれた各デバイスからフードプリンターレシピを送るだけで簡単にできあがる。食べたいものが、すぐに目の前に現れる。メニューは有名店のシェフたちが監修しているものもあり、専門点の味も再現できる。そして、フードプリンターのもとにはこんにゃくいもの皮に含まれるスフィンゴ脂質が入っていて、効果的に体内に吸収されるようにつくられている。だから毎日の食事で簡単に認知症を予防することができる。

 たとえばピクピク。ライドシェアサービスでうさみちゃんシティ各地に設置されているうさみちゃん型のりものは電動キックボードのように操作することができて、運転免許を持っている人用サイズと持っていない人用サイズの二種類があるから大人もこどもも海外からの観光客も乗ることができるし移動が便利。ピクピクにデバイスを置いてマップと連携するから行きたい場所に確実に到着できる。支払いも乗ったぶんだけ、返却時にデバイスを通して行われるからとってもスマート。

 たとえば災害時。うさみちゃんシティで暮らす人々のデータはブレインレインと繋がっている。どこに誰がいるか、どこに人がたくさん集まっているか、それから個人のヘルスデータなど。すべてのデータはブレインレイン社からAPI提供されており、自治体であるうさみちゃん市側から取り出すことができる。それにより、災害が起こったときなどの緊急時に迅速な対応をすすめることが可能。誰がどこにいるのか、どこに人が集まっているのか、データをもとに避難場所も、支援物資も、それから疾病に関する投薬や治療も、災害時であっても的確な対応がとれる。

 たとえば電気。うさみちゃんロボットにはペロブスカイト型太陽電池が搭載されているモデルもあって、それを購入すれば家じゅうの電気はうさみちゃんロボットからの発電だけで足りる。うさみちゃんロボットは非搭載モデルに比べたら割高だけど、余ったぶんは売電できるからすぐに採算がとれる。

「うさみちゃんシティでは、うさみちゃん印のお水が売っています」

 映像の中のうさみちゃんがそう言って、うさみちゃん印のお水ペットボトル五〇〇ミリリットル入りを持ってポーズをとった。それと同時に、室内に集まった人々の脇で構えていたスタッフ――羽哉はお水係にもまだなれない――が、うさみちゃん印のお水をみんなに配り始める。みんなに配り終えたタイミングを見計らって、モニタの脇のスツールに座っていた凛斗がものすごくさりげない仕草で、まるでほんとにいまめちゃくちゃ喉が渇いたから飲んだ、みたいな自然な感じでうさみちゃん印のお水を飲んで、幸せそうな溜息を漏らした。「うさみちゃん印のお水をいっこ飲むと、いっこ徳が積めると言われてます」。映像のうさみちゃんがお水を飲んで言う。お水が配られた人々から自由な感嘆詞が発せられて、にわかに室内がざわつく。

 うさみちゃんシティでの暮らしは、いまの――いたって普通の、なにかしら満たされない毎日の――暮らしとは一線を画している。そういう暮らしを選択することによって、意識レベルで勝ち組になる。人生は一度きりなんだから楽しまなきゃ。思い通りの人生を生きなきゃ。映像のなかのうさみちゃんが言う。そして映像の最後には、真っ白になった背景に文字が浮かび上がる。『一秒先を、彩る』。そしてブレインレイン社のロゴ。

 紹介映像が終わるころにはオケージョンノートはすでに部屋に満ちていて、人々は気づかない間に香りの中にいる。にわかに明るくなった室内では凛斗が再び参加者の前に登場して話しはじめた。

「このツアーに参加してくれてるみなさんはめっちゃ強運なんだよね。だってチケットの倍率エグいって毎回言われるもん。そういう強運なひとが徳をつんだら、最強になるよね」

 そう言って凛斗はもう一口お水を飲んだ。明確な静寂が部屋のなか全体に、深く沈み込むように発生した一秒あと、ペットボトルを手に持った数人がボトルキャップをひねってお水を飲んだ。それが伝染していくように、集まった参加者のほとんどが競うようにお水を飲んだ。中には凛斗と同じように幸せそうな溜息を漏らす者もいた。

 イベント中の撮影は基本的に禁止されている。羽哉も、ツアー参加者も、この場にいる凛斗を目に焼き付けるように見つめている。横顔。横顔。モニタを見上げる横顔。小鼻を人差し指で掻く横顔。「うさみちゃんのお水


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