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第一章


 マルニア村は、開拓地からも町からも遠く離れた丘の上にあった。村の大半を占める果樹園には、赤く熟したリンゴが枝を垂らし、収穫の季節を迎えていた。


その木々の間を行き来するのは、獣耳と尻尾を持つ〈フェリアン〉たち。村の労働のほとんどは、彼らが担っている。




その日、作業を終えたのフェリアンのセリナは、給料代わりに渡されたリンゴをひとつ手に取り、かじっていた。みずみずしい果汁を含んだ果肉が、シャリッとした新鮮な音を立てる。セリナには、リンゴを食べるとつい考え事をしてしまう癖があった。「(秋以外にも、リンゴが実ってくれたらなぁ…。どこか、遠くの土地に、春にも実るリンゴがあったりしないかな…?いっその事、季節の巡りを再現した環境を作っちゃえば…)」




考えながら、セリナは食べられない傷んだリンゴをぽんと空へ放り投げた。弧を描いたそれが地面に落ち、土にぶつかってぐしゃりと潰れる。


「んー…やっぱり上から落ちると、すっごい勢いになるんだなぁ。」


まるで学者ぶって観察するように、セリナは顎に手を当ててうんうん頷く。


「……これ、なんか使えそうだよね!ふふっ、天才っぽいなボク!」




セリナの狼耳がぴこぴこと動く。自分で自分の思いつきに酔っていた、その時だった。




「セリナさん!セリナさんはあと少しで十五ですよねっ!って事は…セリナさんは可愛いし、”お嫁さん”になるんですよね?もしかして…屋敷のオーナーさんですか?」三つ年下のミアが、期待に目を輝かせて言った。セリナは、にへっと笑いながら答える。「違うよー!ボクはね、お嫁さんにはならずに…冒険者になるんだ!」


「えー…!どうしてですか!?」


ミアは驚きの声を上げる。


視線をリンゴに向けるセリナの胸には、いつもの問いが浮かぶ。セリナはリンゴをもう一口かじった。


シャリッ、と音を立てて赤い果肉が崩れ、甘い果汁が舌に広がる。


「(なんでリンゴはこんなに甘いんだろう。なんで空は青いんだろう。なんでボク達フェリアンは…人間のお嫁になるか冒険者になるしか選べないんだろう?)」




「ボクは、知りたいんだよ!この村は平和だし、人間の…特に屋敷のオーナーさんのお嫁になれば働かなくてもいいかもしれない。でもね、ボクは知りたいんだ。お嫁になったらきっとおうちの中にいる事が多くなるし、行きたい場所に行くことは出来ない。きっと、外の世界にはまだ見たこと無い事がいっぱいあるから…外に行きたい…。見たい…。知りたいんだ…!」




ミアはセリナの過去の行動を思い出した。今のミアと同じ十二の頃、セリナは外を見てくると言って勝手に飛び出していった。村の周囲には丘以外にはまばらに見える林以外は何もなく、遠くにオルディスと呼ばれる町が見えるぐらいだった。セリナはそのまま何日も帰らなかった。いよいよ大きな事件として、騒ぎになりそうな頃に、オルディスの方から嬉しそうに本を抱えて戻って来るセリナが見えた。その時まで、ミアは気が気じゃなった。思い返してみれば、セリナは随分とお転婆であった。




「でもでも!」


ミアは食い下がる。


「セリナさんは可愛いし…きっと綺麗な部屋に住まわせてもらえますし、綺麗なお洋服だって着放題ですし、毎日リンゴ食べ放題ですよ!


それにね、フェリアンの女の子なら…みんなお嫁さんになりたいって思うはずなんですよ!セリナさんなら絶対なれるのに!私だったらセリナさんがお嫁に欲しいですもん!


何も…冒険者なんて…死んじゃうかもしれないような危ない仕事なんてしなくても…」




「ボクはミアのお嫁さんにはならないけど…」




「あっ、そうですよね!なら私がセリナさんのお嫁さんに…」




「いやそうじゃなくて…!とにかく、ボクはもっと外の世界が知りたいから、冒険者になるんだよ!ミアはどうなの?何かしたい事は無いの?」




ミアは、きょとんとしている。


「え?私はお嫁さんになりたいですけど…」




「ええと、ボクが言いたいのは…お嫁さんになって、何がしたいの?」


セリナの問いかけに、ミアはうーん、と唸る。結局、答える事は出来なかった。




数日後、セリナが十五を迎え、旅立つ時が来た。この年、成人したフェリアンは他にもいたが、冒険者になるのはセリナだけだった。


人々はお嫁になるフェリアンに祝福の言葉をかけつつ、冒険者になるというセリナには戸惑っていた。「変わってる子だとは思ってたけどねぇ…」「あんなに可愛いのに、勿体ないなあ。」人々は口々にそう言う。それもそのはずである。冒険者とは、人間の活動領域を広げる為に障害を排除しながら未開拓地を開墾する労働者を指す言葉だ。時には野生動物、時には険しい環境、そして魔物と呼ばれる恐ろしい存在と相対する事もある。


「セリナさん、お元気で…!辛くなったら帰って来ても良いですから!」村を去ろうとするセリナに、ミアが声をかける。


「うん、大丈夫!心配しないで…!」


ミアに声をかけられると、やはり故郷から遠く離れるという事を実感した。セリナは一抹の寂しさを覚えた。果樹園のリンゴの樹に囲まれたこの村の事は好きだった。これから長い間、帰れなくなると思うとこの村の全てが無性に恋しくなる。そんな考えを振り払うように駆け出す。「あ…待って!」誰かの裏返った声が響く。ミアの声ではない。


「フロラ?」


セリナが呼ぶと、そっと顔を覗かせた少女。セリナと同時に成人したフェリアンの中で一番幼く、小さく、臆病な子だった。


「私は町でお嫁さんになるんです…その…道が怖いので…だから…セリナさんと一緒に…」


まるで咎められる子供の様に、狼耳は伏せられ、尻尾も垂れ下がり、目も合わせられずにうつむくフロラ。それでもセリナは一人で村を出る寂しさを少しだけ紛らわせてくれた。


「うん、いいよ!一緒に行こう!」


セリナがそう言うと、フロラの表情がぱっと明るくなり、尻尾まで振っている。セリナに、子犬のような同行者が出来た。




 村からオルディスの町までの小道には見通しのいい林と、それから背の低い茂みがまばらに見える。


「ねー、道が怖いって言うけどさ…見通しも良いし、オルディスまでの道ってそんなに怖いかなぁ?」


フロラは焦ったように言う。「こ…怖い物は怖いんです!」


「それって心細いっていうんじゃないの?」


そんな事を話しながら歩いていると、茂みがガサガサ揺れた。野うさぎだった。


「きゃあああっ!」


フロラが短く悲鳴を上げてセリナの腰にしがみついた。


「わわっ!?フロラ~!ただのうさぎだよ!」


「だ…だって…」フロラは耳を伏せ、恥ずかしそうにながらもまだ離さない。


「フロラは怖がりだな~。ボクと同じ狼なのに!離してくれないと歩きにくいんだけどな~?」


セリナは笑いながらも、こんなに臆病な子が自分と同じ冒険者を目指すことはないだろうと感じた。だからこそ、同じ村から共に歩けるこのひとときを、ひそかに大切に思った。




朝に出発したふたりは、昼下がりにオルディスの町に到着した。町は村とは違い、喧騒にまみれ、人がひしめき合っている。


セリナは、幼いころに一人で町に来た事があるが、フロラは初めて見る人混みに圧倒されていた。


「ねえ、フロラは町でお嫁になるんだよね?じゃあ、ここでもうお別れだね。」


「えっ…あの…ええと…」フロラは、口ごもる。一緒に行きたい。喉まで出かかったその言葉を、声になる前に飲み込んでしまう。


フロラの気持ちを察してか、セリナはこう言った。「ミアも言ってたけどさ…冒険者って死んじゃうかもしれない仕事だから。フロラはきっと、冒険者よりも…良い人のお嫁になる方が合ってるよ。じゃあね…。」


セリナは笑顔で手を振って、そのまま人混みの中に飲まれていく。フロラはその後ろ姿を、追いかけることも出来ずにその姿を見送った。伸ばしかけたその手は、何も掴まなかった。周囲は人で溢れているのに、フロラの心の中には真っ暗闇にひとり取り残されたような孤独が広がっていた。


ひとり取り残された少女は、しばらくその場から動くことが出来きずにいた。そうしていると、だんだんと日が沈んでいくのが見える。そうだ、マルニアに帰ろう。元々、セリナについて行きたかっただけだった。


周囲が薄暗くなってきた頃、決心して立ち去ろうとするフロラだったが、何者かに腕を掴まれ、踏み出す前に歩みは止まった。「お嬢ちゃん、可愛いね?もう成人してるのかい?これからお嫁に?」フロラは、腕を掴んだ人物を見上げた先には大柄な男の顔があった。「は…はい…」男は、消え入りそうな声を聴くとそのままフロラの腕を引いて、歩き始める。「良い所に連れて行ってやるよ。」フロラは血の気が引いてきたのを感じた。なぜもっと早く立ち去らなかったんだろうと後悔した。村の外の世界を知らないフロラでさえ、これから連れていかれる場所が良い所ではないと言う事は良くわかっていた。

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