52.足りなかったもの
お母さんは俺に「雪緒ちゃんを家まで送っていきなさい」と言って、伯母さんと共にバス停の方へと消えていった。
俺と雪緒を二人きりにさせてくれたのだろう。
雪緒にちゃんとお礼が言いたかったので、その気遣いはありがたかった。
「ありがとう、雪緒。おかげでお母さんと本音で話をすることが出来た」
「幸せに生きて行けそうですか?」
「ああ。お陰様で。これまでは二人とも伯母さんの話は意図的に避けてきたけど、これからはそんな不自然さもなくなる。家族なのに遠慮したり、触れてはいけないことがあるって、なんか気持ち悪いもんな」
「それならよかったです。私も『七つの試練』を頑張った甲斐があります」
雪緒は清々しい表情で、前を向いたまま頷く。
「伯母さんのことはまだ心の整理がついていないけど、以前の様に恨み続けることはないと思う」
「無理はしなくて大丈夫ですよ。どんな結果でもいいです。先輩の速度で、ゆっくりと解決していってください」
「そうだな。ありがとう」
雪緒は俺の顔を見て嬉しそうに笑う。
「な、なんだよ、急に」
「先輩にいっぱいありがとうって言ってもらえて嬉しいなぁって思いまして」
「俺って普段そんなに感謝も口にしないような奴だったか?」
「そんなことないですけど。でも普段は私が先輩に助けてもらってばかりだったので。たまにはお役に立てて嬉しいんですよ」
無邪気に笑う雪緒に愛おしさが溢れる。
「そんなに雪緒のことを助けたっけ?」
「出会いからそうじゃないですか。ずぶ濡れになった私を助けてくれました。動画の撮影も手伝ってくれるし、『七つの試練』も付き合って下さる。スマートボールまで作ってくれましたし。いつも本当にありがとうございます」
雪緒は指を折りながら数え、俺に感謝する。
「別にいいよ。俺も途中からは楽しかったし」
「そうだったんですか? ずっと渋々付き合って下さっているんだと思ってました。具体的にはどのあたりから楽しかったですか?」
雪緒は驚いた様子で俺に顔を近づけてきた。
「さあ、いつからだろうな……」
俺はいつ頃から雪緒を好きになり始めたのかを思い返す。
しかしそれの明白な答えは浮かばない。
恋というのは終わりは明白だが、はじまりは曖昧なものらしい。
答えに戸惑っていると、雪緒は俺から離れて歩き出した。
「終わっちゃいましたねー、『七つの試練』」
雪緒は夜空を見上げて寂しそうに呟く。
これからは『七つの試練』で雪緒と会うことはできなくなるが、もはやそんなものがなくても俺と雪緒の間には強い絆がある。
「これからはビューキューバーに専念できるな」
「そうですね。頑張ります」
「俺も動画撮るのを上達させないと」
「これからも先輩が撮ってくださるんですか?」
「は? 何言ってんだよ。当たり前だろ。これからだって今まで通りだ」
「本当ですか? 約束ですよ」
寂しそうだった雪緒は少しだけ笑顔になり、小指を立てて俺に近づける。
指切りをしろということだろう。
ちょっと気恥ずかしいが俺はその指に自らの小指を絡める。
「これからもずっと雪緒のそばにいるよ」
「嘘ついたらハリセンボン飲ませます。指切った」
雪緒はブンッと手を振って小指のつながりを切る。
「ちょっと待て。なんだよそのイントネーション。針千本だろ? ハリセンボンは魚だ」
「え? 魚の方ですよ。針を千本も飲んだら死んじゃうじゃないですか」
「それだけの覚悟を持つって意味だろ」
「死んじゃったら意味ないですよ。やっぱり魚のハリセンボンだと思います」
針千本かハリセンボンか論争から始まり、話はどんどん逸れていって、いつの間にかキノコの山派かたけのこの里派かというどうでもいい議論になっていた。
全て明日には忘れてしまうような、どうでもいい会話ばかりだ。
でもそんな時間がとても愛おしかった。
友達ではなく、先輩と後輩でもなく、恋人として雪緒の隣にいたい。
心の底からそう思った。
この思いを雪緒に伝えよう。
きっと雪緒だって同じ気持ちのはずだ。
絶対に悲しませることはしないし、不安にさせることもない。
一生幸せで、笑いが絶えない生活を雪緒にプレゼントする。
そう心に誓った。
今までの俺はその覚悟が足りなかった。
何があっても必ず雪緒を幸せにするという覚悟が。
「どうしたんですか、先輩?」
雪緒が不思議そうな顔で俺の顔を覗き込む。
思いを伝えると決めた途端、雪緒の顔を見ると心拍数が跳ね上がった。
「え、なにが?」
反射的に目を逸らしてしまう。
「急に黙っちゃうんですもん。なにかありました?」
「いや、なんでもない」
どうやって想いを伝えようかと悩んでいるうちに、どんどん家が近づいてくる。
また今度でいいかという問題の先送り的な逃避感情が湧き上がって来たが、そのたびに今日じゃなきゃ駄目だと振り払った。




