第4章 偶然の映画館
ふとした休日、環が足を運んだ映画館。
暗闇の中で生まれる小さな出来事が、
彼女の心に“優しさ”の灯をともします。
これは、ほんのささやかな出会いの物語。
穏やかな気持ちで、ゆっくりと読み進めていただけたら嬉しいです。
暗転したスクリーンの光が、
観客の顔を淡く照らしていた。
週末の午後、映画館はほとんど満席。
チケットを買うとき、環はたまたま空いていた1席を選んだだけだった。
ポップコーンを抱えた隣の男性が、
少し落ち着かない様子で座る。
上映が始まる直前――。
「……っ、あっ!」
袋が傾き、
軽やかな音を立ててポップコーンが床に散った。
環は思わず隣を見た。
「す、すみませんっ!」
焦った声。
環は小さく笑って、
「大丈夫ですよ。拾いましょう」
と膝をかがめた。
二人で床に散らばったポップコーンを拾う。
暗闇の中、手が触れそうで触れない距離。
「……ありがとうございます。ほんと、ドジで。」
「ふふ。映画館ではよくありますよ。わたしも前にやりました。」
小さな笑い声が交わる。
隣の席なのに、妙に近く感じた。
映画が始まり、
光と音の洪水の中で、
環はなんとなく心が穏やかになっていくのを感じた。
――最近、こうやって誰かと笑うこと、なかったな。
上映が終わり、照明がついた。
隣の彼が帽子を外して頭を下げる。
柔らかい茶色の髪。
どこか人懐っこい目をしていた。
「さっきは助かりました。本当にありがとうございます。」
「いえいえ。……びっくりしましたけど。」
「ですよね……。えっと、僕、凪って言います。」
「凪くん?」
「はい。あなたは?」
「たまきです。」
「たまきさん……。なんか、落ち着く名前ですね。」
「ふふ、ありがとうございます。」
会話が途切れる。
それでも、どちらも立ち上がろうとしなかった。
外のざわめきが少し遠くに感じる。
「……じゃあ、またどこかで。」
「ええ。――凪くん。」
映画館の出口で、
ふたりの背中をスクリーンの余韻がやわらかく照らしていた。
彼女は知らない。
この偶然の出会いが、
数ヶ月後、新しい光の弧を描くことを。
ご読了ありがとうございます。
この偶然の出会いは、環にとって“光の記憶”となります。
まだ名前しか知らないふたり。
けれど、この瞬間が後の大きな“つながり”へと続いていきます。
次章では、その糸が少しずつ形を見せ始めます。
どうぞ、温かく見守ってください。




