第11章 凍りつく夜 ― 写真 ―
静かな夜に、言葉のない“気配”が忍び寄ります。
もし心が固まってしまったら、呼吸から。深く吸って、ゆっくり吐く。
環が最初に差し出すのは強さではなく、たった一本の電話です。
数日後。
帰宅した環は、ポストに白い封筒を見つけた。宛名は「三浦環様」だけ。
(自治会のお知らせ……かな。)
部屋に戻り、寝る支度を済ませてから封を切る。
――ぱら、ぱら。
写真が、こぼれ落ちた。
(……え? なに、これ。)
手が固まる。心臓が、遅れて脈打つ。
自分の写真。横顔、背中、買い物袋、エントランスに入る瞬間。
その束の中に、柊と並んで歩くツーショットが混じっていた。
……柊……
喉が乾く音が聞こえる。空気が急に冷たくなっていく。
(電話……しなきゃ。柊に……)
震える指でスマホを押す。
数回のコールのあと――
「環、どうした?」
喉が塞がる。声が出ない。
自分の荒い息だけが、遠くに響いている。
「環! 何かあったのか! 大丈夫か!」
その声で、やっと世界が戻る。
「……柊、……助けて……写真が……」
「待ってろ! すぐ行く。鍵は閉めて!」
柊は車に飛び乗り、走りながら凪に電話を入れる。
「凪でーす。」
「凪、今、環の家へ向かってる。『写真が』って言ってた。状況次第で、お前の力が必要だ。」
「了解! 準備します。出動待機にします!」
「頼む。悪いな。」
「何言ってるんですか。守りましょう、環さんを。」
――マンション到着。
「環、着いた。部屋に行く。俺が行くまでドア開けるな。」
「……はい。」
声が少しだけ、落ち着いた。
ドアスコープの向こうに、柊の姿。
扉が開くと同時に、環は柊にしがみついた。
「環……こんなに震えて。何があった。」
差し出された1枚を見て、柊の目が鋭くなる。
「……なんだ、これ。」
ソファに座らせ、ブランケットをかける。
「この写真、どうした?」
「今日、ポストに……。自治会の連絡かと思って、さっき開けたら……いっぱい入ってて。怖くなって……。1枚だけ、柊も写ってて……それ見て、電話しなきゃって。」
「そうか。……怖かったな。」
肩を抱き寄せる腕が、静かに力を増す。
「うん……怖かった……。」
柊は環を包んだまま、凪に連絡を入れる。
「凪。マンションの防犯カメラ、確認できるか。」
「了解。すぐ。」
「これから環を連れて、俺の家に行く。合流できるか。」
「行きます! すぐ向かいます!」
部屋を出る。
エレベーターの中、環が小さく眉を寄せた。
「……ん?」
「どうした。」
「これ……匂い。香水……嗅いだことある気がします。」
「匂い?」
「はい。なんだっけ……」
柊が、ほんの少しだけ笑わせようとする声で言う。
「急に探偵モードだな、環。」
「えー、なんですか、それ。」
「興味があることがあると、状況を忘れて考えをまとめるだろ。俺、そういう環が好きだ。」
「えへへ。私も、柊が好きです。」
「お。うれしい。」
恐怖はまだ消えない。
でも――手の温度で、呼吸が少しずつ戻っていく。
写真は沈黙のまま、確かな恐怖を伝えます。
それでも環は、震える指で助けを呼ぶことができた。
それは「ひとりで抱えない」という、新しい生き方の始まりでした。




