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ああっくとぅるふ様っ!  作者: ろくさん
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第四十五話 箱庭の理想、混沌の愛

咆哮。

それは、星辰タワーという黒い鋼鉄の巨人が、一つの巨大な生命体へと変貌を遂げた、その産声だった。

菊池芳樹は、自らが立つその足場――クトゥルフのその宇宙的な肉体の一部である巨大な翼の上で、ただ呆然とそのありえない光景を見上げていた。

デウス・エクス・マキナ。

神殺しの機械。

その全高は、もはや目測すら不可能だった。

赤紫市のどの高層ビルよりも高く、その頭頂部は、禍々しい赤紫色のオーロラが渦巻く空の雲の中へと消えている。

その体は、星辰タワーを構成していた黒い鋼鉄とガラスでできていた。だが、そのシルエットはもはやただの建造物ではない。

それは古代の神話に描かれる伝説の巨人、あるいは魔神そのものだった。

その装甲の表面には、無数の青白い光の回路が、まるで巨大な血管のように走り脈動している。それは、星辰グループが追い求めてきた、完璧なる「秩序」のエネルギー。

その動きは、巨体からは想像もつかないほど滑らかで、そして恐ろしいほどに正確だった。

無駄がない。

遊びがない。

ただひたすらに、目の前の敵を排除するためだけの、完璧に計算され尽くした殺戮のアルゴリズム。

その巨大な頭部。

そこには顔はなかった。

ただ一つの巨大な青白いモノアイが、全てを見透かすかのようにこちらを見下ろしている。

そのモノアイの奥深く、コックピットと化した会長室の中で、御子神珠子が、自らの心臓たる「星の智慧」の結晶体と一体化し、この鋼鉄の神を操っているのだ。

「―――さあ、始めましょう。……世界の、大掃除を」

街全体に響き渡るその老婆の、静かな、しかし神の威厳を帯びた声。

デウス・エクス・マキナが、その巨大な腕を振り上げた。

その一撃は山をも砕く。

対するは、クトゥルフ。

彼女もまた、その冒涜的なる真の姿の一端を、この異次元に顕現させていた。

宇宙の闇をその身に纏い、星々を従える深淵の支配者。

巨神、対、邪神。

神話の時代にすらありえなかったであろう、究極の戦いの火蓋が、今この狂った赤紫市の空で切って落とされた。


轟音。

デウス・エクス・マキナの鋼鉄の拳が、クトゥルフへと叩きつけられる。

クトゥルフは、その無数の触腕を盾のように展開し、それを受け止めた。

衝撃波が、周囲の歪んだビル群をまるで玩具のように吹き飛ばす。

芳樹は、クトゥルフの翼の上で、その凄まじいGに耐えながら必死にその体にしがみついていた。

戦いは拮抗しているかに見えた。

だが、芳樹は気づいていた。

クトゥルフが徐々に押されていることに。

デウス・エクス・マキナは、ただ巨大で力が強いだけの機械ではなかった。

その装甲には、あらゆる混沌のエネルギーを中和し無効化する特殊な力場が展開されている。

クトゥルフのその物理法則を捻じ曲げる冒涜的なる力が、この鋼鉄の神の前ではその効果を半減させられていたのだ。

逆に、デウス・エクス・マキナの攻撃は、その一撃一撃が確実に、クトゥルフのその宇宙的な肉体を傷つけていた。

その拳から放たれる青白い光。

それは「絶対的な法則」の光。

クトゥルフのその不定形な混沌の存在そのものを、この宇宙から消し去ろうとする神殺しの光。

クトゥルフの体から、緑色の光の粒子が血のように飛び散る。

芳樹の脳内に彼女の苦痛の波動が流れ込んできた。

無力感。

芳樹はただ、しがみついていることしかできない。

この神々の戦いの中で、自分はあまりにも矮小で無力な存在だった。

だが。

本当にそうだろうか。

芳樹の頭脳が、恐怖と絶望の中で逆に猛烈な速度で回転を始めた。

彼はもはやただの大学生ではなかった。

異星の超科学に触れ、禁断の魔導書の知識を垣間見た、この世界の誰よりもこの戦いを理解できる唯一の人間。

彼は見た。

目の前の巨大な敵を、神としてではなく、ただの一つの「機械」として。

「…………弱点があるはずだ…………!」

芳樹は呟いた。

「……どんなに完璧な機械でも、絶対にどこかに綻びがある……!」

彼はクトゥルフの精神リンクを通じて、自らの五感を極限まで研ぎ澄ませる。

彼は見た。

デウス・エクス・マキナのその滑らかな動きの中に潜む、ほんの僅かな癖を。

右腕を振り上げた時、左肩の装甲がコンマ一秒だけ開く。

彼は見た。

その全身を駆け巡る青白いエネルギーの流れ。その流れが唯一一点へと収束していく場所を。

胸部。

その中央に埋め込まれた巨大なクリスタル。

御子神珠子が自らの心臓を接続したあの動力炉。

あれこそがこの巨大な機械の唯一の弱点。

そしてこの完璧な秩序の化身の概念的な心臓部。

だが、どうやってあそこまで攻撃を届かせる?

クトゥルフの力ですら奴の装甲の前では減衰してしまう。

もっと純粋で、もっと強力な一撃。

そうだ。

ただの混沌の力ではダメだ。

奴が最も理解できない、奴の完璧な秩序の対極にある概念。

非論理的で矛盾に満ちた矮小な人間の感情。

その力をぶつけるしかない。

芳樹は叫んだ。

自らの魂の全てを振り絞って。

「―――くとぅるふ!聞こえるか!」

「―――奴の狙いは胸の動力炉だ!あそこを一点集中で狙え!」

「―――俺がお前の力をあそこまで届けてやる!―――」


芳樹は、自らの腕に巻かれた腕時計型のガジェット――「神格エネルギー伝導ユニット」の最後の機能を作動させた。

それは禁断の機能。

芳樹自身の生命力と精神力を触媒カタリストとして、クトゥルフの神格エネルギーを極限まで増幅させ、そして一つのベクトルへと収束させるための最終ブースター。

彼の体から生命力が急速に吸い上げられていくのが分かった。

視界が霞む。

意識が遠のいていく。

だが、彼の心はかつてないほど澄み渡っていた。

彼は叫んだ。

それは、クトゥルフへの、そして自分自身への最後のメッセージだった。

「―――お前と出会って、俺の日常はメチャクチャになった!迷惑で、最悪で、毎日死ぬかと思った!」

「―――けどな!」

「―――あの何もなかった退屈な灰色の毎日より、お前たちと馬鹿なことやってる今のこのメチャクチャな日常の方が、よっぽど生きてるって感じがするんだよ!」

彼の脳裏に蘇る。

不器用におつかいをやり遂げた彼女の誇らしげな瞳。

夏祭りの夜空の下、彼の肩にもたれかかってきたその重み。

彼が風邪で倒れた時、一晩中その手を握り続けてくれたその優しさ。

「―――だから、俺は選んだんだ!この狂った混沌の日常を!お前と一緒に生きるこの世界を!」

「―――俺たちの邪魔をするなあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

芳樹のその魂の絶叫。

そのあまりにも人間的で、あまりにも非論理的な、「愛」という名の感情。

それが、クトゥルフのその宇宙的な混沌の力と完全に一つになった。

彼女の全身から放たれる緑色の光がその色を変えていく。

それはもはやただの緑色ではなかった。

芳樹の思い出が、千夏の笑顔が、仲間たちの顔が、その光の中に渦巻き、混じり合い、一つの虹色の奔流となっていた。

その絆の力は、クトゥルフの右腕に収束していく。

そして一本の巨大な光の槍を形成した。

それはただの破壊の兵器ではなかった。

芳樹の、「この日常を守りたい」というたった一つの純粋な想いが形を成した奇跡の槍だった。


クトゥルフは、その光の槍をデウス・エクス・マキナの胸部動力炉へと狙いを定めた。

御子神珠子の歪んだ理想(秩序)と、芳樹とクトゥルフの混沌とした絆(愛)が今、激突する。

槍が放たれた。

それは音もなく空間を切り裂き、デウス・エクス・マキナの装甲をまるで紙のように貫いた。

そして、動力炉の中心、御子神珠子の心臓たる「星の智慧」の結晶体に突き刺さる。

轟音。

デウス・エクス・マキナの全身を駆け巡っていた青白い秩序の光が、虹色の混沌の光によって侵食され上書きされていく。

鋼鉄の巨人の体から力が抜けていく。

コックピットの中で、御子神珠子は、その信じられない光景を目の当たりにしていた。

「……なぜ…………?」

「……完璧な……秩序が…………。こんな、不確定で、非論理的な、感情などに…………」

彼女のその最後の呟きは、誰の耳に届くこともなく。

光が晴れた時。

デウス・エクス・マキナは、その胸に巨大な風穴を開け、まるで糸の切れた人形のようにゆっくりと後方へと崩れ落ちていった。

その巨体は、地面に叩きつけられる前に、光の粒子となって霧散し消えていく。

その崩壊の様は、どこか美しく、そして儚かった。


全ての戦いが終わった。

だが、この狂った異次元はまだ元には戻らない。

疲れ果て意識を失いかけた芳樹と、元の緑の巨人の姿へと戻ったクトゥルフ。

その二人の前に。

ぱち、ぱち、と拍手をしながら一人の男が姿を現した。

奈々瀬拓人だった。

「―――素晴らしい!実に見事な最終回だった!……だけど、本当にこれで終わりで、いいのかい?―――」

全ての脚本家は、その狂った舞台の上で満足げに微笑んでいた。

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