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ああっくとぅるふ様っ!  作者: ろくさん
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第四十二話 星の戦士(スターウォリアー)、菊池芳樹

絶望には底がある。菊池芳樹は、その冷たく、そしてどこまでも暗い魂の底に、一度確かに到達した。だが、彼はそこで終わりはしなかった。彼の心の中に最後に残っていた、一本の脆い、しかし決して折れることのない楔。仲間たちとの絆。そして自分が守りたいと願う二つの日常。その楔を掴み、彼は絶望の淵から這い上がった。


彼の瞳には、もはや恐怖の色はなかった。そこには、全てを失うことを覚悟した者だけが持つことのできる、静かで、そして揺るぎない鋼の光が宿っていた。


「――みんな、聞け!家に帰るぞ!あそこが、俺たちの最後の砦だ!――」


芳樹のその絶叫。それはただの敗走の命令ではなかった。新たなる戦いの始まりを告げる鬨の声だった。その声に、それまで混沌とした戦場の中で、孤立し疲弊していた神々の意識が、一つの方向へと収束した。


「フン、ようやく肚を決めたか、人間よ!」ハスターが血を拭いながら不敵に笑う。

《……了解した。……我が家へ、帰還する》クトゥルフの冷静なテレパシーが全員の脳内に響き渡る。


星辰タワーからの決死の脱出作戦が始まった。それはもはや、ただの逃走ではなかった。明確な意志と目的を持った戦略的撤退だった。


「ハスター!風で、俺たちの退路を確保しろ!追っ手の目を眩ませるんだ!」

「ミ=ゴ!上空で船を待機させろ!俺と千夏たちを回収する!」

「クトゥルフ!お前は殿しんがりだ!タワー内部で陽動の破壊活動を続けろ!派手に、な!」


芳樹の矢継ぎ早な、しかし的確な指示。神々は、そのあまりにも変わってしまった彼の姿に一瞬だけ驚きながらも、その命令に完璧に従った。ハスターが咆哮し、タワーの中層階に巨大な砂と粉塵の嵐を巻き起こす。ミ=ゴの小型円盤が、その嵐の中を巧みな操縦で駆け抜け、芳樹と、そして未だ意識の混濁している千夏や門倉たちを、その船内へと収容する。そして、クトゥルフは、その巨大な触腕を振るい、タワーの壁を、床を、まるで玩具のように破壊し、星辰グループの追撃部隊を食い止めていた。


芳樹は、円盤の窓から眼下に広がる、故郷の変わり果てた姿を見下ろしていた。赤紫色の空。歪んだ街並み。そしてその地上を蠢く無数の異形の怪物たち。その地獄絵図を、彼は二度と忘れないと心に誓った。


やがて円盤は、彼らの最後の砦へとたどり着く。山奥にひっそりとたたずむ、あの古民家。家の周囲には、古代の結界が淡い黄金の光を放ち、異次元の怪物たちの侵入を、かろうじて防いでいた。そこだけが、この狂った世界の中で、唯一元の地球の法則が保たれた聖域だった。


---


家のリビングは、野戦病院と、そして作戦司令室を兼ねていた。千夏や門倉たちは、ミ=ゴの医療ポッドの中で深い眠りについている。彼らの精神は、あまりにも大きな衝撃を受けすぎていた。回復にはまだ時間がかかるだろう。


そして、リビングの中央。芳樹は、床に一枚の巨大な設計図を広げていた。それは、彼がこの数ヶ月の間、来る日も来る日も描き、そして修正を重ねてきた、彼の狂気と才能の集大成だった。家の間取り図を中心にして、そこから無数の線が伸びている。そこには、機械工学の数式と魔術の紋様、そして異星のテクノロジーの回路図が、冒涜的に、しかし完璧な調和を持って描き込まれていた。


芳樹は、その設計図を指し示しながら、集まった神々に語り始めた。その声には、もはやいつもの気弱な響きはなかった。それは、自らの計画の勝利を確信する、若き指揮官の声だった。


「――敵は三つだ」

「――街を人形に変え、秩序で支配しようとする、星辰グループ」

「――街をただ喰らい尽くそうとする、扉の向こうから来た、混沌の怪物ども」

「――そして、この赤紫市を異次元に閉じ込めている、この狂った状況そのものだ」

「……俺は考えた。……この三つの絶望を同時に打ち破る、たった一つの方法を」

彼は深呼吸を一つした。「これより、最終作戦、『オペレーション・リバース・バベル』を、開始する!」


---


芳樹が語ったその作戦の全貌は、神々の想像すら遥かに超えた、壮大で、そしてあまりにも無謀なものだった。それは、三つのプランから成り立っていた。


【プランA:オーバーロード】

「――家の地下にある、『星の扉』。あのエネルギーを、ただ抑え込むんじゃない。逆用するんだ。俺が作った、この家の制御システムと、クトゥルフの力を使って、扉から溢れ出すエネルギーの流れを逆流させる。そしてその膨大なエネルギーを指向性を持たせて、一直線に星辰タワーのメインシステムへと叩きつけるんだ!奴らの秩序の心臓部を、混沌の力でオーバーロードさせて、機能不全に陥らせる!」


【プランB:レザレクション】

「――クトゥルフ。お前の精神干渉波は、強力だ。だが、街全体を覆うには力が足りない。だから増幅させる。ミ=ゴの技術で作った、このパラボラアンテナ型の増幅装置を使って、お前のテレパシーを、市全域に向けてブロードキャストするんだ!内容は一つ。『――目を覚ませ――』、と。操られている千夏さんたちの心に直接語りかけ、彼らの自我を内側から呼び覚ます!」


【プランC:テンペスト】

「――そして、ハスター。お前の風の力。それを俺のバイクと組み合わせる。このアストラル・ハートを搭載した魔改造バイクのエンジンは、もはやただのエンジンじゃない。星の心臓だ。この心臓のエネルギーを、お前の風の力と直結させ、増幅させれば、理論上、この街の上空に局地的な超巨大な嵐、『テンペスト』を発生させることができるはずだ!その嵐で、空を我が物顔で飛び回っている異次元の怪物どもを、一掃する!」


神々は、そのあまりにも壮大で、あまりにも人間離れした作戦の全貌を聞き、しばし言葉を失っていた。旧支配者という宇宙的な力を、まるで自らの手足のように、あるいは巨大な機械の部品のように、組み合わせ、一つの目的のために機能させようとする、その発想。それはもはや人間のそれではなかった。それはかつて星々を創造し、改造してきた古の種族のそれに酷似していた。


最初に口を開いたのはハスターだった。「…………フン。……面白い。……面白いではないか、人間よ!この王たる私を、自らの作戦の駒として使おうなどと!その傲慢さ、気に入った!よかろう、乗ってやるぞ、その狂った賭けに!」クトゥルフもまた、その六つの瞳で芳樹をまっすぐに見つめ、そして力強く頷いた。《……よしきが、それを望むなら。……我が力の全てを汝に託そう》


その時だった。リビングの天井の梁の上。その影が最も濃い場所から、まるで最初からそこにいたかのように自然に一つの人影が姿を現した。奈々瀬拓人だった。彼は梁の上に軽やかに腰掛け、ぱちぱちと楽しそうに拍手をしていた。


「いやあ、素晴らしい!素晴らしいじゃないか、菊池芳樹くん!最高の脚本だ!まさか、君が、ここまで最高の役者に成長してくれるとは思わなかったよ!」

「……奈々瀬……!」芳樹は敵意を剥き出しにして彼を睨みつける。


奈々瀬は、そんな芳樹の視線など全く意に介さず、ひらりと床へと舞い降りた。「このまま、君たちが星辰グループに、あっさりと負けてしまうのは、あまりにも退屈だ。……それでは、僕の最高のエンターテイメントが台無しになってしまうからね。……だから少しだけヒントをあげよう」彼は芳樹に歩み寄ると、その耳元で囁いた。


「星辰グループのシステムは完璧な秩序だ。……だが、完璧な秩序には一つだけ致命的な弱点がある。……それは自らの理解を超えた、完全な非論理的な、『混沌』を処理することができない、ということだ」「そして、その混沌を、あの鉄の墓標の心臓部に叩き込めるのは、この世界でただ一人」「――神でも怪物でもない、矮小で矛盾に満ちた、非論理的な魂を持つ、『人間』の、君だけだよ――」


---


全ての準備は整った。家の地下ではクトゥルフが脈動する「星の扉」のエネルギー制御に集中している。屋根の上ではハスターが自らの身の丈を超えるほどの巨大な嵐の渦を練り上げている。


そしてガレージ。芳樹は最後の決戦兵器の最終調整を終えようとしていた。星の心臓アストラル・ハートを搭載した、彼の魔改造バイク。そして、この家の全ての防衛システムと神々の力を遠隔操作するための、彼が自らの手で作り上げたコントローラー。彼は仲間たちを見渡した。その顔には、もう恐怖も迷いもなかった。


「いいか。……作戦開始の合図は、俺がやる」

「俺が星辰タワーのてっぺんに、一発風穴を開けてきた、その時だ!」


その言葉に神々は無言で頷いた。クトゥルフがそっと触腕を芳樹のヘルメットに触れさせる。脳内に温かいテレパシーが流れ込んできた。《…………生きて、帰れよ。……よしき…………》芳樹は頷いた。


そしてバイクに跨る。ガレージのシャッターが、まるで新たなる世界の幕開けのようにゆっくりと上がっていく。その向こう側に広がっているのは、異形の怪物たちが蠢く、変わり果てた故郷の街。地獄の戦場。


芳樹はバイクのエンジンを始動させた。そのエンジン音は、もはやただの機械音ではなかった。それは星の心臓の産声。彼は、その咆哮と共に発進した。たった一人。その矮小な人間の背中に神々の全ての希望を乗せて。


クロームと星屑の戦士が、今、絶望の闇の中へと突撃していく。

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