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ああっくとぅるふ様っ!  作者: ろくさん
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第三十四話 星辰の拳、黄衣の風

轟音。


菊池芳樹が、自らの作り上げたトラップの勝利に一瞬でも酔いしれていた、その甘い幻想。それは、玄関だった場所から響き渡った絶対的な破壊の音によって、粉々に打ち砕かれた。それは爆発音ではなかった。もっと、純粋で凝縮された、暴力の音。まるで、見えざる巨人が巨大な鉄槌を、家そのものに叩きつけたかのような、鈍く、そして重い衝撃音だった。舞い上がる木片と土煙。芳樹の即席の司令室に設置されたモニターの映像が激しく乱れる。


そして煙がゆっくりと晴れていった時。そこに立っていたのは、一人の男だった。いや、それはもはや「男」というカテゴリーに収まる存在ではなかった。その人型のシルエットの九割以上が、鈍色に輝く鋼鉄のサイバネティクスで構成されていた。それは、芳樹が映画やアニメで見たことのあるような、スタイリッシュなサイボーグなどではない。もっと、無骨で醜悪で、そして機能美の対極にある、ただひたすらに破壊と殺戮のためだけに最適化された鉄の塊。そのガンメタル色の装甲の表面には、まるで血管のように無数の青紫色のラインが走り、そこから禍々しい魔術的なエネルギーが脈動するように明滅している。関節部分は、人間の筋肉の動きを冒涜的に模倣した、巨大なシリンダーと歯車が剥き出しになっていた。


そして、その顔。そこにあるべき人間の貌は存在しない。代わりにそこにあったのは、一枚の滑らかな鉄仮面。その表面には、ただ一つ、巨大な単眼のカメラレンズが埋め込まれ、赤い冷たい光を放ちながら家の中をスキャンしていた。


星辰グループ会長、御子神珠子の懐刀。最強の執行者、鋼塚はがねづか


芳樹が作り上げた全てのトラップ。落とし穴も、粘着ジェルも、SAN値直葬プロジェクションマッピングも、この絶対的な物理法則の化身の前では、子供の悪戯に等しかった。彼はただ歩を進める。その一歩一歩が、芳樹の心を絶望の底へと叩き落としていく。


鋼塚はリビングへとその鋼鉄の足を踏み入れた。その単眼のカメラレンズが、部屋の中にいる三柱の神と、そして司令室のモニター越しに自分を見ているであろう菊池芳樹の存在を正確に捉える。彼の口元から、合成音声による冷たく、そして感情の一切感じられない声が響き渡った。


「―――目標、確認。旧支配者、二柱。及び、異星知性体、一。そして、特異適合者プライム・アダプター、菊池芳樹」

「―――これより、障害の、排除を開始する」

彼は右腕をゆっくりと持ち上げた。その腕が変形する。ギィン、という金属音と共に装甲がスライドし、その内部から銃口が無数に姿を現す。「――神々とて、人の科学ちえの前には、ひれ伏すのだ」


---


その冒涜的なる宣言。それはこの家の王の逆鱗に触れた。「―――黙れ、鉄屑が」ソファの上で優雅に足を組んでいたハスターが静かに立ち上がる。彼のその美しい顔にはこれまでにない、冷たい怒りが宿っていた。「人の、科学、だと?笑わせるな。貴様が、その醜悪なガラクタの体に宿しているのは、矮小な魔術の借り物の力に過ぎん。……そして、何よりも許しがたいのは」彼の瞳が黄金の輝きを放つ。「この王たる私の王宮で、その汚らわしい鉄の足を土足で踏み入れたことだ!」


ハスターの体がふわりと浮き上がる。彼の周囲の空気が唸りを上げた。王の怒りが嵐を呼ぶ。彼は一直線に鋼塚へと突撃した。だが、鋼塚は動かない。彼はただ、その変形した右腕をハスターへと向けるだけだった。そして銃口から放たれたのは弾丸ではなかった。それは目に見えない音の衝撃波。ドン!という腹の底を直接殴りつけられるかのような鈍い衝撃。ハスターのその神速の突撃が空中でぴたりと止まる。そして彼のその美しい体が、まるで玩具のように後方へと吹き飛ばされた。彼は壁に叩きつけられ、派手な音を立てて床へと落下した。「ぐ……っ!?」王の口から初めて苦悶の声が漏れる。


「対神性、音響兵器『サイレンス』。……貴様らのような、高次元存在の、位相を、乱すには、十分だ」鋼塚は淡々と告げる。


ハスターは、そのプライドをズタズタに引き裂かれ、わなわなと震えながら立ち上がった。「……面白い……!面白いではないか、鉄屑よ!久しく、忘れていたぞ、この魂が沸騰するような、感覚は!」ハスターと鋼塚。神の混沌と人の秩序。二つの絶対的な存在の死闘が、この六畳間というあまりにも矮小な舞台の上で、その幕を切って落とした。


それは、もはや芳樹が理解できる次元の戦いではなかった。ハスターが手を振るう。すると部屋の中の空気が刃と化す。目に見えない真空の刃が無数に鋼塚へと襲いかかる。だが、鋼塚はそれをその全身の装甲で受け止める。キン!キン!という甲高い金属音。彼の装甲には傷一つついていない。逆に鋼塚が一歩踏み込む。その動きは重戦車のように重々しいはずなのに、なぜか残像が見えるほど速い。彼の鋼鉄の拳がハスターの頬を掠める。拳圧だけで背後の障子がまるで爆風を受けたかのように木っ端微塵に吹き飛んだ。柱が砕ける。畳がめくれ上がる。芳樹が仲間たちと過ごしてきた日常の風景が、神と機械の暴力によって次々と破壊されていく。芳樹は、ただ司令室のモニター越しにその光景を見ていることしかできなかった。無力感。せっかく作り上げたトラップも、この規格外の暴力の前では何の意味もなさない。


戦いは徐々にハスターが押され始めていた。彼の風の攻撃は確かに強力だ。だが、鋼塚のそのあまりにも頑強な装甲と、純粋な物理的なパワーは、それを上回っていた。ついに鋼塚の渾身の一撃がハスターの鳩尾へとめり込んだ。「ぐ……はっ……!」ハスターの体がくの字に折れ曲がる。そして彼は初めてその膝を床についた。王の屈辱。


「終わりだ、旧き神よ」


鋼塚は、その変形した右腕を再びハスターへと向ける。その銃口の奥深くで、とどめを刺すための致死的なエネルギーが凝縮されていくのが見えた。


---


その瞬間だった。鋼塚の巨大な背後に、もう一つの巨大な影が音もなく立っていた。クトゥルフだった。彼女はそれまで、ただ黙って戦況を見つめていた。だが、仲間が、そしてこの家の秩序が危機に瀕した今。深淵の支配者はついにその重い体を動かした。彼女は、その無数の緑色の触腕を、まるで巨大な鞭のようにしならせ、鋼塚へと叩きつけた。鋼塚は、その気配を察知し、咄嗟に腕でガードする。鋼鉄の腕と星辰の力を宿した触腕が激突する。轟音。衝撃波がリビング全体を揺るがした。二つの怪物の壮絶な肉弾戦が始まる。


鋼塚の拳が唸りを上げ、クトゥルフのゴム状の肉体を殴りつける。だが、その肉体は衝撃を吸収し、ダメージを受けない。逆に、クトゥルフの触腕が鋼塚の装甲を締め上げ、圧し潰そうとする。ミシミシ、と鋼鉄が軋む嫌な音が響く。その壮絶な戦いの最中。鋼塚の肩に搭載された小型のエネルギー砲が火を吹いた。その一撃はクトゥルフを狙ったものではなかった。それはこの戦況の鍵を握る、最も脆弱な一点。司令室で固唾を飲んで戦況を見守っていた菊池芳樹へと、正確に狙いを定めていた。青白い光の奔流が芳樹へと迫る。芳樹は死を覚悟した。


だが、その光が彼に届くことはなかった。彼の目の前に緑色の巨大な壁が立ちはだかったからだ。クトゥルフが、自らのその巨大な体で芳樹を庇ったのだ。彼女の背中にエネルギー弾が直撃する。肉が焼ける嫌な匂い。彼女の巨体がぐらりとよろめいた。


その瞬間。クトゥルフの六つの瞳の色が変わった。それまでどこか冷静で無機質だったその瞳が、燃えるような純粋な「怒り」の色に染まったのだ。彼女は天を仰いだ。そして咆哮した。それは声ではなかった。魂の絶叫。彼女の周囲の空間がぐにゃりと深海の水圧で圧し潰されたかのように歪む。家の中の重力が異常なまでに増大し、芳樹は床に這いつくばることしかできない。彼女の影が伸び、広がり、その影の中から、本来の彼女の冒涜的なる姿の一端が、この三次元空間に染み出し始めた。無数の星々を宿した巨大な翼の幻影。計り知れないほどの瞳、瞳、瞳。それは、見る者の理性を根源から粉砕する宇宙的恐怖の顕現。彼女の脳内に響くテレパシーは、もはや言葉ではなかった。ただ、純粋な概念の奔流。


《―――我が、所有物ヨシキに、触れるな―――》


その圧倒的な神威。それは鋼塚のサイバー魔術兵器すらも、その法則の外側にあった。彼の単眼のカメラレンズが火花を散らし、その全身の装甲からバチバチ、とショートする音が響く。物理法則、そのものが、この部屋の中でだけ、書き換えられようとしていた。


そこへ、体勢を立て直したハスターが加わる。「……面白い。……面白いではないか、痴れ者よ!ようやく、その本性の一端を現したか!」二対一。形勢は完全に逆転した。


だが、鋼塚は全く動じていなかった。彼は、その合成音声で淡々と告げた。「……驚異的なサンプルだ。……だが、今日の私の目的は達成した」彼は、懐から小さな球体を取り出すと、それを床に叩きつけた。球体から無数のナノマシンが、まるで金属の昆虫の大群のように溢れ出す。ナノマシンは、床を這い、壁を伝い、一直線に家の地下深く――「星の扉」が眠る場所へと向かっていく。「――データの、収集、開始。……また、会おう、旧き神々よ。そして、鍵となる、人間よ」それだけを告げると、鋼塚の体は、小型の転移装置が放つ青白い光の中に包まれ、一瞬にしてその場から消え失せた。


静寂が戻る。後に残されたのは、半壊したリビングと、疲れ果てた神々と、そして呆然と立ち尽くす芳樹だけだった。クトゥルフは、解放した力を収め、元の緑の巨人の姿へと戻ると、芳樹の無事を確認し、小さく安堵ののようなものをついた。


だが、芳樹は安堵などしていなかった。彼は感じていた。家の地下深くで、あの鋼塚が残していった無数のナノマシンが、「星の扉」の強固な封印に到達し、その表面に付着し、その複雑な術式を内側からではなく、外側から解析し、侵食し始めているのを。「星の扉」の目覚めが、また一歩近づいてしまった。新たなる絶望のカウントダウンが、今、静かに始まった。

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