表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ああっくとぅるふ様っ!  作者: ろくさん
11/50

第十一話 ユゴスより来たる脳

段落や文章間の使い方を変えてみました。

webだとこちらの方が読みやすいですかね。


菊池芳樹は、目の前にある巨大な金属の箱をただ呆然と見つめていた。コンテナと呼ぶにはあまりにも異質だった。表面には継ぎ目も、溶接の跡も、リベットの一つすら見当たらない。まるで一つの巨大な金属の塊から削り出されたかのような、滑らかな曲面で構成されている。その色は夜の闇よりもなお深く、周囲の月明かりや家から漏れる光すらも吸い込んでいるかのようだった。


ぶうううん、という低い不協和音のようなハミングがコンテナ全体から発せられている。それは聞いているだけで、鼓膜の奥、脳の芯を不快に震わせる音だった。そして、その側面に貼り付けられた一枚の送り状。


【送り主:冥王星、ユゴス星間貿易】

【品名:研究用サンプル(脳髄シリンダー詰め合わせ)】


ユゴス。その名前に芳樹は聞き覚えがあった。門倉先輩が残していった、あの魔導書のコピー。その中に、確かにその星の名は記されていた。太陽系の最果て、かつて惑星と呼ばれていた星、冥王星。そこに、菌類の姿をした恐るべき異星人が棲んでいると。


「……冗談だろ……」


乾いた声が喉から絞り出される。芳樹が後ずさりしようとしたその時だった。プシュウウウウウウッ、というまるで巨大な昆虫が溜息をつくような音と共に、コンテナの側面が寸分の狂いもなく上方にスライドして開かれた。中から冷たい、オゾンと嗅いだことのない菌類の匂いが混じったような、人工的な空気が溢れ出してくる。そして暗闇の中から一匹、また一匹と、「それら」は姿を現した。


それは、地球上のいかなる生物の進化系統樹からも完全に逸脱した、冒涜的なるデザインの生命体だった。体長は人間と同じくらい。だが、その体はピンクがかった、まるで茹でた甲殻類のようなキチン質の殻で覆われている。背中には、コウモリのそれにも似た、しかし肉ではなく、植物的な菌類でできたかのような一対の巨大な翼。そして、最もおぞましいのはその頭部だった。


そこにあるべき顔はない。首の上に乗っているのは、脳味噌をそのまま取り出したかのような、複雑な皺と溝を持つ、ピンク色の不定形な菌類の塊だった。その塊からは無数の細い触角が、まるで意思を持っているかのように蠢き、震え、周囲の情報を探っている。彼らは羽音のような、あるいは雑音のような、意味をなさない声で、互いに何かを交信し合っている。


芳樹は声も出せずにその場に凍り付いていた。邪神にはもう慣れた。だが、目の前にいるこいつらは神ではない。神々が持つような圧倒的な威厳や神聖なオーラはない。そこにあるのは、ただひたすらに冷徹で、無機質で、そして完全に理解不能な、異質な知性の気配だけだった。やがて、その中の一匹が芳樹に気づき、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。そして、その菌類の頭部から、合成音声のような平坦な声が響き渡った。


「ピポパ……認証。ドーモ、地球ノ知的生命体サン。ワレワレハ、ミ=ゴ。コノ度ハ、研究サンプルノ誤配送ニヨリ、ゴ迷惑ヲオカケシテイマス」


その声は、彼らの首元で青白い光を放つ小さな金属製の円盤から発せられているようだった。翻訳機なのだろう。


「……ご、誤配送……?」


芳樹はかろうじてそれだけを口にした。ミ=ゴと名乗った異星人は、その菌類の頭部をこくりと頷くように傾けた。「左様デス。コチラノ『脳髄シリンダー』ノ詰メ合ワセハ、本来、アンドロメダ銀河ノ、学術協定ヲ結ンデイル、別の知的生命体へ送ラレルハズノ物デシタ。輸送船ノ航路計算システムニ、僅カナバグガ発生シ、何故カ、コノ座標ニ……」ミ=ゴはそこで言葉を切ると、その触角を芳樹の家の方へと向けた。「……ナルホド。理解シマシタ。コノ座標カラ、極メテ強力デ、希少ナ、宇宙的実体ノ存在ヲ感知シマス。航路システムガ、ソレヲ、何ラカノ巨大ナ重力源ト誤認シタノデショウ」


芳樹は、その言葉に戦慄した。こいつら、クトゥルフたちの存在に気づいている。ミ=ゴは、芳樹の恐怖など全く意に介していないようだった。「アナタガ、コノ居住区ノ管理者デスカ?我々ガ目標トスル脳ハ、アナタノ脳デハアリマセンノデ、ゴ安心クダサイ」


「お、俺の脳!?」


「我々ガ今回輸送シテオリマシタノハ、歴史上、極メテ優秀デアッタ個体ノ脳髄サンプルデス。アナタノ脳ニハ、現時点デ、学術的価値ヲ、我々ハ見出シテイマセン」


そのあまりにも率直で、あまりにも失礼な物言いに、芳樹は恐怖よりも先にわずかな屈辱を覚えた。その時、家の縁側から二つの気配が姿を現した。ハスターと、クトゥルフだ。


ハスターは、庭に蠢くミ=ゴの群れを、まるで汚物でも見るかのような侮蔑の視線で見下している。「フン。どこから湧いて出たか知らんが、やかましい菌類の虫けらどもめ。我が王宮の庭を、その醜悪な姿で汚すな」


クトゥルフは無言だ。彼女は、ただその六つの瞳で、ミ=ゴたちを、まるで道端の石ころでも見るかのように、完全に無関心に見つめているだけだった。


神々の、その圧倒的なまでの格の違いを前に、ミ=ゴたちは、しかし全く臆する様子はなかった。彼らは、科学者として目の前の希少なサンプルを分析するかのように、冷静に神々を観察している。この三すくみとも呼べない、奇妙な対峙は、ミ=ゴの一匹がコンテナの中を指さして、慌てたような電子音を発したことで破られた。


「警報!輸送コンテナ内ノ、一部ノ脳髄シリンダーガ、着陸時ノ衝撃ニヨリ破損!内容物デアル脳ガ、外部ニ流出シテイマス!」


その言葉の意味を芳樹が理解するよりも早く、コンテナの暗闇の中から、いくつかの金属製の円筒がごろごろと転がり出てきた。高さ三十センチほどの、ガラスと金属でできた円筒形の容器。その中にはピンク色の気味の悪い液体が満たされており、そしてその液体の中に、人間の「脳」が丸ごと一つ浮かんでいた。脳からは無数の電極が伸び、シリンダーの底部にある機械に接続されている。そしてそのシリンダーに付属した小型のスピーカーから声が聞こえてきたのだ。


「おお!なんと!この閉鎖空間からついに解放されたというのか!」


その声は、古風な芝居がかったラテン語訛りの日本語だった。別のシリンダーからも声が上がる。「フム。我が錬金術の探求も、これでようやく続けられるというものよ!して、ここはどこだ?賢者の石の材料となる、水銀と硫黄はどこにあるのだ!」


それは、中世の錬金術師のような尊大な声だった。古代ローマの哲学者、中世の錬金術師、ルネサンスの芸術家、そして近代の物理学者……。歴史に名を残した天才たちの脳髄。彼らは、ミ=ゴによって、その知識と魂ごと、シリンダーの中に保存され、生かされ続けていたのだ。


自由を得た(と勘違いした)脳髄シリンダーたちは、まるで子供のようにはしゃぎながら、庭の中をごろごろと思い思いの方向へと転がり始めた。「待ちなさい!サンプルA-42!」「サンプルG-18!そちらハ危険区域デス!」ミ=ゴたちが慌てて、光でできた捕獲網のようなものを手に、脳たちを追いかける。


芳樹は目の前で繰り広げられる、あまりにもシュールで冒涜的な鬼ごっこを、ただ呆然と見つめていた。やがてその混沌は、家のリビングへと舞台を移した。「おお、なんという、素朴で趣のある建築様式だ!ストア派の哲学に通じる、簡素の美学を感じるぞ!」哲学者の脳が、リビングを転がりながら感想を述べる。「ふははは!捕まえられるものなら、捕まえてみるが良い、異形の菌類どもめ!」錬金術師の脳がハスターの足元をすり抜けていく。


ハスターは、その眉をこれ以上ないほどにひそめた。「……下劣な臓物どもが……!」彼が指を鳴らす。突風がリビングの中を吹き荒れた。畳の上に置かれていた座布団が、ポテチの袋が、そして転がり回っていた脳髄シリンダーが一斉に宙を舞う。「うわあああっ!」「なんということだ!」「我が思索が!」脳たちの悲鳴が上がる。そして、その中の一つ、近代物理学者の脳髄シリンダーが、放物線を描いて、炬燵の中で眠っていたツァトゥグァの頭の上へと、こつんと落下した。ツァトゥグァは、億劫そうに片目だけを開けると、自分の頭の上に落ちてきたその奇妙な円筒を、前足で器用に掴むと、それをちょうどいい高さの枕代わりにして、再び深い眠りへと落ちていった。枕にされたシリンダーのスピーカーからは、「……相対的に、快適な、眠り……」という小さな寝言が漏れていた。


もはや収拾がつかない。芳樹が頭を抱えてその場にうずくまったその時だった。それまで全ての騒動をただ静観していたクトゥルフが、ゆっくりと動いた。彼女の体から、無数の緑色の触腕が、まるで生きている鞭のようにしゅるりと伸びる。その動きは目で追うことすらできないほど速く、そして正確だった。宙を舞っていた哲学者の脳を捕獲。ソファの下に隠れていた芸術家の脳を捕獲。そして、ツァトゥグァの枕と化していた物理学者の脳をそっと取り上げる。


わずか数秒。あれほどリビングを混乱に陥れていた全ての脳髄シリンダーが、クトゥルフの触腕によって一つ残らず捕獲されていた。彼女は、その捕獲したシリンダーをミ=ゴたちの前へと、まるで「ほらよ」とでも言うかのように、無造作に差し出した。ミ=ゴたちは、その圧倒的なまでの、効率的で完璧な捕獲劇に、その菌類の頭部を感心したように何度も上下に振っていた。「……感謝シマス、大イナルCthulhu。サスガデス」


こうして、長くて奇妙な夜は、ようやく終わりを告げた。ミ=ゴたちは、回収した脳髄シリンダーを慎重にコンテナへと戻すと、その代表の一匹が芳樹の前へと進み出た。「……人間ヒトノ管理者サン。コノ度ハ、我々ノ不手際ニヨリ、多大ナルご迷惑ヲオカケシマシタ。謝罪シマス」ミ=ゴは、その甲殻類の体を深々と折り曲げた。「つきましては、お詫び、というわけデハアリマセンガ……我々ノ輸送船ガ、着陸時ノ衝撃デ、僅カニ損傷シマシテ。ソノ修理ガ完了スルマデ、シバラクノ間、コノ敷地内ニ、滞在サセテイタダケナイデショウカ?」


芳樹は断りたかった。心の底から、全力で断りたかった。だが、彼の口から出てきたのは、もはや彼の意思とは関係のない、諦めに満ちた承諾の言葉だった。「…………好きに、してください…………」


芳樹のモノローグだけが、彼の真の心を代弁していた。(邪神の次は、異星人かよ……。俺の家はなんだ?宇宙の無法地帯か何かか?それとも銀河系フリーターたちの駆け込み寺かなんかなのか……?)その時、ミ=ゴの一匹が、母屋の隣にある古びたガレージを興味深そうに覗き込んでいるのに芳樹は気づいた。そこは芳樹の唯一の聖域。愛車SR400と無数の工具が置かれた、彼の城だ。ミ=ゴは、その菌類の頭部から生えた触角をぴくぴくと激しく震わせている。「…………コレハ…………」翻訳機から、感嘆と強い好奇心に満ちた電子音声が響き渡った。「……原始的ナガラ、実ニ、実ニ、興味深イ、『工作機械』デスネ…………」そのねっとりとした科学者の視線に、芳樹は自らのバイクと、そしてなぜか自らの脳の心配をせずにはいられなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ