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1-2「ワタル、知らないお姉さんに会う。」


「っていう話だったんだけど、どうだった……?」


 話を終えたお姉さんが、ワタルの顔を覗き込みながら訪ねて来た。

 ワタルは顔をしかめながら、隣に座るお姉さんに向かってぼそりと言った。


「あの……おばけのセリフとか虫の声とか言う時に、耳に口近づけるのやめてくださいよ……」

「えー……? いいじゃない、せっかくの怖いシーンなんだからァ……」


 確かに怖い。

 しかしそれ以上に耳にお姉さんの吐息がかかると、ワタルはなんだか恥ずかしく感じるのだった。


「ねえねえ……それでどうだった? 怖かった、かなァ……?」

「そ、そうですね……」


 ワタルは腰を浮かして、自分の体とほぼ密着しているお姉さんから離れた位置に座り直すと、さっき聞いた話を思い返しながら答えた。


「まずその、結局なんだったんですか? それ」

「何って……お化けの事?」

「つまりあの廃病院には本当にその……お化けがいたって事なんですか?」

「……さあ、私にもさっぱり」

「さっぱりて」


 手を挙げておどけた表情をするお姉さんに向かって、ワタルは即座に言い返した。


「もしかしたら若者達に元から憑いていたのかもしれないし、全く関係のないナニカかもしれないし、Aくんの話だけじゃ私にはわかんないわよォ」

「いやまあそうかもしれませんが……なんかすっきりしない話ですね」

「ただ、Aくんのお父さんの言っていたことを考えると、人間じゃないんでしょうねえ……」


 お姉さんは口元に手を当てて、遠くを見つめながら話を続けた。


「人間なら死んだあとでもお経は効くけれど、そうじゃないならお寺で何したって無駄って事じゃないかしら……」

「そうじゃない……って?」

「だから……幽霊含めた人間じゃない何かよォ……」

「そっ……それって例えば、タヌキとかですか?」

「タヌキ……?」


 その言葉を聞いたお姉さんは、目をくしゃりと歪ませ満面の笑みをしながら、ワタルに体をくっつけ顔を近づける。


「その発想は無かったわァ……! いいわね、なんていうか和むっていうか……」

「や、やめてくださいよ……なんですか急に」

「好きよ、キミの……その発想」


 そう言われたワタルは、耳たぶがカッと熱くなる感覚を覚えた。




 このようなやり取りをするワタルとお姉さんだが、実は初対面だった。

 

 事の発端は、せっかくの夏休みが始まったばかりだというのに、ワタルの部屋のエアコンが壊れてしまった事だ。

 日中を灼熱の中で過ごすわけにもいかず、かといってリビングなどは家族の目があって落ち着かない。

 というわけで宿題をするために、滅多に来ない図書館に足を運んだのであった。

 

 館内は冷房が効いて静かだった。

 そのおかげで、ワタルはその日のうちに宿題の大半を片付けることができた。

 これで用事をあらかた済ませたことになるが、時計を見るとまだ家に帰るには早く感じたので、ワタルは館内を適当にぶらつく事にした。

 そうしていろんな本棚を眺めていると、夏季限定で設置されている、怖い本が1つの棚に集められた特設コーナーが目につく。


「うわあ……」


 それを前にした途端、ワタルの気持ちは、まるで咲き終わった紫陽花の花のように萎びてしまった。


 ワタルは怖いものが大の苦手なのである。

 ホラー映画なんてまともに見れないし、お化け屋敷など論外だ。

 教室でクラスメイトたちが怪談話で盛り上がっていると、その場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。


 ……だが、苦手ではあるが嫌いではない。

 ワタルは常々、どうにかしてこれを克服したいと考えているのだった。


「……よし」


 ワタルは、本棚からなるべく怖そうじゃない本を探した。

 怖い話を克服するために、まずは比較的軽めのものから慣れていこうと思ったのだ。

 そうしてワタルが手にしたのは、日本各地から怖い民話を集めた、オーソドックスな怪談本であった。


 それを受付で借りて外に出ると、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。

 外の時計を見るともう5時をとうに過ぎている。

 ワタルはもう自宅に帰ろうかとも思ったが、そういえば今日は母が午後から用事があるとかで、帰りが遅くなると言っていたことを思い出す。

 となると、今自宅に帰っても自分一人である事をワタルは理解した。

 そこまで広くない家とはいえ、一人でいるのはなんだか怖い。


「……仕方ない、もうちょっと時間潰してくか」


 そうつぶやくと、ワタルは図書館の外のベンチに腰を下ろし、先ほど借りたばかりの怪談本を取り出し、ぱらぱらとめくり始めた。

 

 雪女、耳なし芳一、のっぺらぼう、ろくろ首……。

 古い有名な怪談ばかりが載っている本であったが、ワタルにとってはどれも十分不気味で怖い。

 読んでいると、背筋がどんどん冷えていくような気持ちになっていく。


 そんな風に一人で怖い本を読んでいると、急に目の前、本のすぐ先に黒い何かが立っていることにワタルは気付いた。

 ふいに視線を本から目の前に上げると……。


「へえ……キミ、怖い話が好きなのォ……?」


 メガネをかけた大人の女性の顔が、ワタルを覗き込んでいる。


 突然知らない人に話しかけられてしまい、ワタルはびっくりして体がすくんでしまった。

 それをすぐに察してか、お姉さんはハッとしてホホホと気まずそうに笑いながら、ワタルのすぐ隣に腰を下ろした。


「あっ、怪しい人じゃないのよォ……。たまたま怖い本を読んでるキミの姿が目に入っちゃって、ついつい声をかけちゃってェ……」


 小恥ずかしそうに照れ笑いをしながら弁解するお姉さんであったが、自分にいきなり話しかけてきたこの女性に対して、ワタルは1ミリも警戒心を解くことが出来なかった。


 まず格好がおかしい。


 確かに今の時間帯だと、大分過ごしやすい気温ではある。

 それでも、目の前のお姉さんは夏だというのに、黒い長袖のワンピースに身を包んでおり、汗もかいていないように見える。

 そしてやぼったい黒縁メガネをかけており、全体的になんだかとても怪しい雰囲気であった。


 はっきり言って不審者といわれてもおかしくない、とワタルは思った。

 ……だが、それと同時に、


(綺麗な人だ)


 とも、思った。


 家族や学校の先生など、自分の知っている大人にはない、どこか怪しげでミステリアスな雰囲気に、ワタルはどこか魅かれるようなものを覚え、胸が少し高まったかのように感じた。

 そんな事を考えていると、突然お姉さんが声をかけてきた。


「ねぇ、怖い話……聞きたくない?」


 一瞬ドキッとしたワタルであったが、瞬時に気持ちが萎びてしまった。

 怖い話だなんて聞きたいわけがない!


「結構です」


 ワタルはそう言って、その場から立ち去ろうとした。

 しかし、お姉さんの自分を見つめる、その何か下心のありそうな微笑みを見てしまうと、なぜか立ち上がる事が出来なくなってしまう。

 徐々に体を近づけながらじっとこちらを見つめ続けるお姉さんに対して、ワタルはつい「……はい」と答えてしまった。


 これが、ワタルがお姉さんの怖い話を聞くことになった経緯である。




「それで、どこが怖かったァ……?」


 お姉さんは改めて、ワタルに先ほどの話がどうだったか尋ねる。

 確かに怖い話ではある。

 しかしどこがと聞かれると、ワタルは自分が今抱いている恐怖の原因がどこから来ているのか、言葉にする事が難しく感じられた。


 そうして、今聞いたばかりの話を反芻しながらワタルは言った。


「や、やっぱり……最後に来た若者たちが、あの後どうなったか考えると、怖いです……」


 若者たちの末路はお姉さんの口からは語られなかった。

 おそらく、お祓いをしてもらった事で彼らは心から安心出来たことだろう。

 そうして、家に帰る道中で、いやもしかしたら帰宅したあとそれぞれの家で、何か恐ろしい事が待ち受けていたのだとしたら……。

 それを想像するだけで、ワタルは心に暗い影が差すような気持になる。


 そのような事を伝えると、お姉さんはニヤニヤと感心しながら言った。


「でも……もしかしたらそうならないかもしれない」

「えっ、可哀そうって言われてるのに……?」

「普通に家に帰って、普通に日常を送ってるかもしれないわねェ……背後から黒い女にずっと見つめられている事に気づかないまま」

「それは……」


 それは、とても嫌だな……とワタルは思った。




 そんな風にワタルがお姉さんと話し込んでいるうちに、日はすっかりと傾いてしまい、空には紫色が見え始めていた。


「あら、帰っちゃうのォ……?」


 空模様を見てからスマホを取り出して時間を確認するワタルにお姉さんが訪ねて来た。


「はい、家族もそろそろ心配しそうなので……」


 なんだか名残惜しさを覚えつつ、ワタルはベンチから立ち上がり帰路につこうとした。


「私……しばらくこの図書館で毎日勉強してるから、よかったらまた明日、ここで会いましょう……?」

「わ、分かりませんよ明日なんて……」


 突然のお姉さんのお誘いに、つい恥ずかしくなったワタルは、誤魔化しの言葉を投げて一目散にその場から離れた。

 住宅街の方へ駆けていくワタルの後ろ姿を、お姉さんは惚けたような表情でずっと見続けながら、


「はぁ……いい顔してたなァ……」


 ……と、ぽつりと呟いた。



──第1話、完。

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