1-1「寺育ちのAくん」
「ねぇ、怖い話……聞きたくない?」
そう言って、女性は少年の顔を覗き込みながら妖しげな笑みを浮かべた。
図書館の白い外壁はいつの間にかすっかりオレンジ色に染まっており、近くにある時計の付いたポールは長い影を落としている。
辺りに他に人の姿は見えず、遠くで車のかすかなエンジン音と、途切れ途切れのセミの鳴き声くらいしか聞こえない。
「は、はい……」
胸の奥のトクントクンと鳴る小さな鼓動を感じながら、少年は震える声でそれに答える。
「……ふふっ」
女性の黒ぶち眼鏡の奥の目が、くしゃりと歪んだ。
◇ ◇ ◇
これは、友達に聞いた話なんだけれどねェ……?
その友達、Aくんっていう私と同じ大学に通ってる生徒なんだけど、実家がお寺なの。
といっても、他の兄弟が継ぐそうだからAくんはお坊さんでも何でもないんだけど、でもお寺で暮らしてたせいか、お経なんかはソラで読めちゃうのね。
さて……これはそんな彼がまだ高校生だった頃に体験した話だけれど、始まりは高校1年の今ぐらいの夏の時期だったそうよ……。
コロコロコロ……。
遠くから虫の鳴き声が聞こえてくる以外には静かな夜だったらしいわ。
家族もみんな寝ている中、Aくんだけが夜更かししてテレビゲームをしていると……。
ドン……ドンドン……。
突然、誰かがお寺の門を叩いている音が聞こえて来たの。
何事かと思って、Aくんは着の身着のまま門の方まで行ったわ。そしてその横にある潜り戸を、
ぎぃぃーっ……。
……って開けて覗いてみると、若者が3人、門の前で青ざめた顔をしながら立ち尽くしていたの。
その後ろの方、門から離れた外灯の下には車が停めてあったから、おそらくそれでここまで来たのね。
「ど、どうかしましたか?」
Aくんがおそるおそる声をかけてみると、若者たちはすぐさまAくんの傍に駆け寄ってきて「お祓いをしてください!」って泣きついてきたわ。
何があったか尋ねてみると、どうやら若者たちはこのお寺に来る前に肝試しに行ってきたらしいの。
Aくんのご実家のお寺があるのは郊外から離れた山の麓だったんだけれど、その近くに今は廃業している個人病院の跡地があって、そこが肝試しに行った場所だったそうよ。
なんでも、手術の失敗で亡くなった患者が夜な夜な院内を彷徨っているだとか、ノイローゼになって死んだ看護婦が患者を探してうろついてるだとか……。
そういう怪談が最近、この地域の若い人たちの間で広まってるんですって。
若者たちはその噂を確かめるために、わざわざ真夜中にその廃病院へとやって来たそうよ。
でも最初は全く平気だった彼らも、探索しているうちにどんどん気分が悪くなってきて、次第になんだか人影みたいなのがあちらこちらで過るのを見かけるような気がしてきたらしいわ。
そうして耐えられなくなって全員廃墟から逃げ出したのだけれど、車に乗った後も何か全身に纏わりつくイヤな感じがぬぐえずにいたの。
これはもしや、何かに取り憑かれてるのでは……と思っていたところで、たまたまお寺が見えたので藁にもすがる思いで転がり込んだそうよ。
これを聞いて、Aくんは内心すっごく呆れたらしいわ。
なぜならその病院の持ち主がお寺の檀家さんで、そういった噂のような事故とか起きてないのを知っていたからなの。
どうせその場の雰囲気に飲まれて、居もしない幻覚を見てびっくりしただけだろう。
Aくんはそう思ったんだけれど、目の前にいる若者たちは本気で怯えていて、なんだか放っておけなくなっちゃったの。
かといって、住職であるお父さんをわざわざ起こすのも気が引けるので、仕方なくAくんが気休めにお経を読んであげることにしたわ。
お寺の本堂に若者たちを上げて、小声でお経を読んで、それから背中をぱっぱって払って、最後に軽く説教みたいな事を言ってあげたの。
するとさっきまで生気を失っていた若者たちはすっかり元気になったのだけれど、帰り際に若者が「これ少ないかもですが……」といって、Aくんの手に何かを握らせたの。
よく見るとそれはお金だったわ。
しかも1万円札が数枚、高校生には大金ね。
びっくりしたAくんが慌てて返そうとしたけれど、若者たちは自分たちの気持ちだからと言って、さっさと車に乗ってどこかへ行ってしまったわ。
さて、不意の出来事でAくんの手元に入って来たこのお金……彼がこれをどうしたかというと……。
普通に使ってしまったの。
まあ、遊びたい盛りの高校生だし、大金が転がり込んで来たらしょうがないのかしらね……。
キミならどう? 我慢できる?
……そう、そうよねえ。
私もそうかなァ……。
とにかくそうして大金の味を覚えたAくんだったけれど、それからというものの、どういうわけか月に1回くらいの頻度で、真夜中にお祓いをしにくる若者たちが訪れるようになったの。
見様見真似のお祓いの真似事をするだけで数万円、羨ましいわねェ……。
とにかく、そんな感じでAくんのお祓いごっこは2年も続いたのだけれど、それが終わる日がついにやってきたの。
それはAくんが高校3年の夏の頃だったそうよ。
その日の夜も、Aくんは遅くまで受験勉強をしながら、肝試しの帰りにお寺に立ち寄る若者が来ないか心待ちにしていたわ。
コロコロコロコロ……
でも、外に耳を向けても、聞こえてくるのは虫の音色ばかりで静かなもの。
もう今日は来なさそうかなと諦めてAくんが寝る準備をしようとしていた時、外からかすかなエンジン音と車から乗り降りする音が聞こえて来たわ。
待ってました、とばかりにAくんは門まで行って潜り戸を、
ぎぃぃーっ……
……ってゆっくり開けて外の様子を見る。
すると予想通り、奥の外灯の下には大きめの車が停まっていて、門の前には若者が4人、呆然と立ち尽くしていたの。
金髪の男性と、黒髪でスポーツマンのような男性、金髪のギャル風の女性と、全身黒いワンピースを着た女性の4人で、2組のカップルのようにAくんには見えたわ。
「どうしましたか?」
Aくんがいつも通り、まるで事情を知らないかのように尋ねると、金髪の男性が駆け寄って来て、こちらもいつもの若者たちと同じように「お祓いとかお願いできますか……?」って、今にも泣きそうな声で聞いてきたわ。
理由を尋ねると、やはりいつもの若者たちと同じように、奥の廃病院に肝試しに行った帰りだったそうよ。
肝試しに行って気分が悪くなって、帰る途中でお寺が見えたから駆け込んだというのも、いつもと同じ流れだったの。
今日も決まった手順をこなすだけだな、あとは楽勝だな、Aくんはそう楽観的な事を思いながら、若者たちを本堂に案内したわ。
若者たちを中に招き入れ、中に置いてある燭台に火を灯して、若者たちを座らせたらその前に自分も座って、ご本尊に向かってお経を唱える。
この日も、Aくんはいつも通りの手順でお祓いをし始めたわ。
ナン……ショー……ミョウ……レー……ゲン……キョー……。
……まあ、私お経とかよく知らないけれど、たぶんこんな感じじゃないかしら?
とにかくAくんはロウソクで薄暗い、じわりと夏の夜の空気が漂う中で黙々とお経を唱え続けたの。
ナン……ショー……ミョウ……レー……ゲン……キョー……。
お経を唱えてる最中は、何かいつもと違った雰囲気だったとか、そういうことは一切なかったわ。
ナン……ショー……ミョウ……レー……ゲン……キョー……。
本堂の中は自分の唱えるお経以外は静かなものだったし、肌に纏わりつくような夜の暑い空気も、畳の乾いた草のような匂いも、すべてがいつも通りで、何も警戒するような要素は一つも無かった。
ナン……ショー……ミョウ……レー……ゲン……キョ
……なのに。
「……ふっ……ふふっ……」
自分のあげているお経に交じって、微かに誰かの含み笑いのようなものが聞こえる事に、Aくんは気づいたの。
最初は聞き間違えか気のせいかと思ってお経を唱え続けたけれど、だんだんとそれが聞き取れるようになっていって……、
「っくく……ふっ……あっはははははは……」
ついにはハッキリとした笑い声が彼の耳をぐさっと貫いたわ。
流石にびっくりしたAくんはとっさに辺りを見回したけれど、本堂の中にはAくんの他には、静かにうつむいて座っている若者4人の姿しか無かったの。
それ以降も、誰かの笑い声が聞こえてくるような気がし続けたけれど、どうしようもないAくんはそのままお経を唱え続ける事しか出来なかったわ……。
そうして、なんとかお経を読み終えたAくんは、いつも通り若者たちに簡単な説教をして、無事お祓いをやり遂げることが出来たの。
先ほどまで怯えていた若者たちも、文字通り憑き物が落ちたかのようにすっかり笑みを取り戻していたわ。
どうにか終わらせる事が出来たことにAくんが安堵していると、若者の一人が近寄ってきて、
「お金とか……いくら払えばいいですか?」
……って質問をしてきたの。
それに対してAくんは「お気持ちくらいでよろしいですよ」と、いつも通りに答えたわ。
ちなみにこう答えると、大半の人は「多めに払わないと罪悪感を感じる」とか思っちゃうようで、結果として財布の中身の殆どを渡してくれるそうよ……。
とにかくAくんにそう言われた若者たちは、集まってなにやら小声で相談事を始めたわ。
「どうする? いくら持ってる?」
「やっぱ少なすぎると失礼かしら……」
「一人1万づつでどうかな?」
一人1万づつ、という言葉を聞いてAくんは不謹慎にもにんまりと笑みを浮かべたわ。
つまり4人で4万円、そしてAくんがちょうど買いたいと思っていたゲーム機がそれくらいの値段だったから、さっきの妙な出来事なんか彼の頭から即座に吹き飛んだわ。
「これ、少ないかもですが……」
そういって、先ほど金額を聞いてきた若者がAくんにお札を渡してきたのだけれど、彼が渡してきたのは1万円札が3枚、つまり3万円だったの。
Aくんは笑顔でお礼を述べてそれを受け取ったけれど、同時に頭の中で「一人出し渋りやがったな」と独り言ちたそうよ。
さて、とにかくすべき事は全て終わったので、Aくんは若者たちを見送るために、彼らと一緒に外へと向かったわ。
コロコロコロコロ……
虫の鳴き声を耳にしながら暗い境内を進み、大きな門の横の潜り戸を抜けると、若者たちはもう一度お礼を言ってから、門から離れた街灯の下に止めてある車の方に歩いて行ったわ。
その後ろ姿を見送るAくんだったけれど、なんだか漠然とした不安な気持ちが、どんどん頭の中でいっぱいになっていったそうよ。
一体何に不安を感じているのかさっぱり思い至らないAくんだったけれど、ふと車へ向かう若者たちの後ろ姿を見て、彼の目に異様な光景が飛び込んで来たの。
お寺の門から若者たちが車を停めた所までの間には、道を照らす街灯が何本か立っていて、もちろんその下を通れば明るく照らされ、離れればすぅーっと暗くなるのだけれど……。
……若者たちのうちの一人、黒いワンピースを着た女性だけが、明るさが変わらない。
他の3人はきちんと街灯の明かりの影響を受けているのに、その女性だけが街灯の下でも暗がりの中でも、姿がくっきりと見えたままだったの。
(なんだアレは……!?)
その事を理解した途端に、Aくんの心臓はドクン、ドクンと大きく脈打ち始めたわ。
なにか、今目の前でとても恐ろしい事が起きているかのような……そんな風に彼が思っていると、車までもうすぐというところで急に黒いワンピースの女性だけがピタッと歩くのを止めて、Aくんの方にくるっと振り返ったの。
Aくんと女性の間は結構離れていて、普通ならどんな表情をしているかもはっきりしない距離のはずなのに、どういう訳か彼には女性の表情が分かったそうよ。
……そう、まるでこれからドッキリをしかけますと言っているかのような、誰かをあざ笑っているかのような顔をしていたの。
誰かって? もちろん、他の若者3人でしょうね……。
そうして、その異常な光景に固まっているAくんに向かって、女性はぼそりと呟いたの。
Aくんと女性の間には距離があるから、大きな声を立てない限りその声は聞こえない。
そのはずなのに。
「かわいそうだねえ、この人たち」
女性とも男性ともつかないしわがれた声が、Aくんの耳元ではっきりと聞こえたの…。
それは先ほど、本堂で聞いた笑い声と同じものだったそうよ……。
いつの間にかその場で立ったまま意識が飛んでいたAくんが正気を取り戻したのは、若者たちが車でどこかへ行ってしまった後だったわ。
その途端、全身に氷水をザバッとかけられたような悪寒が走ったAくんは、急いで部屋に戻って毛布に包まったわ。
早く朝になれ、早く朝になれ……って、そう考えながら目をつむって寝ようと頑張るAくんだったけど、さっきの出来事が衝撃的すぎて、まったく寝付けなかったそうよ。
結局、窓の外が明るくなるまで、毛布の中でブルブルと震えていたらしいわ……。
いくら布団の中にいても眠れないので、Aくんは仕方なく朝食だけでも食べようと、寝不足で重い頭を引きずりながら家の台所にいったわ。
すると、朝のお勤めを終えたばかりのAくんのお父さん、つまりこのお寺の住職が一人で朝ごはんを食べていたの。
Aくんはお父さんにおはよう、と小さく声をかけて自分の朝ごはんの用意をしようとしたのだけれど、その時お父さんがぽつりと、
「意味ないんだよ、おばけには」
って呟いたの。
えっ、と驚いて振り返るAくんだったけれど、お父さんは箸を止めると彼の方を振り向かずに、こう続けたわ。
「お経は人間のためのもの、それ以外に読んでも何にもならない……」
そのままお父さんはまた朝食の続きを食べ始めたけれど、Aくんは今言った言葉の意味を聞き返す気にはなれなかったそうよ……。
そしてそれ以降、どういうわけか真夜中のお寺に若者が来ることは無くなってしまったらしいわ。
ただ、もし来てもAくんはお祓いはお断りするつもりだったそうよ。
……なぜって、もし本当にお祓いが必要な状況だったとしても、自分では何にも祓うことが出来ないから。
あの日、黒い女と一緒にどこかへ去っていった若者たちが、あの後一体どうなってしまったのか。
考えるだけで申し訳ない気持ちでいっぱいになる、Aくんはそう言っていたわ。




