空の箱 ~過去にしか行けないタイムマシン~
「過去にしか行けないタイムマシンだと?」
どういう事だ? 特殊相対性理論に基づけば、未来に行くことは可能だ。高速で移動すれば、それだけ未来に進める。なんなら、寝てれば明日へ行ける。誰だって未来へタイムリープする事は可能なのだ。
しかし、時の流れというものは一方通行で不可逆だ。昨日だった日は、やがて一昨日になり、先週になり、先月になり、去年になり。絶対に取り戻す事など出来ない。
小難しい理屈を言うまでもなく、納期を過ぎた案件は、必然的に炎上している。
「違うんだよ。未来というものは常に不確定だ。そうだろ?」
「そうだな」
「例えばだ。今日の晩ご飯にすき焼きを食べたいと思っているがー」
「給料日前で金が無いから食えないんだろ?」
「違う。そうじゃない。支払いなんてものはクレジットカードを使えば先送り出来るし、そんなカツカツの生活はしていない。昭和じゃないんだ」
「じゃあ、なんだって言うんだ」
「論点をズラすな。すき焼きを食べる前に、お前に殺されるかも知れない。そういうことだな」
「そうだな。衝動的に殺人をする程俺は短気ではないが。ちょっとイラついて来たぞ」
こいつとは、決して長い付き合いではない。今年度から同じ部署に配属されたばかり。それ以前は面識すら無かった。お互いに社内で目立つ存在でもないからな。初めて会話したのは、なんと昨日だ。
「そうか? お前は結構有名人だぞ? 営業はお前の事を破壊神って呼んでる。悪魔とか堕天使とかも聞いたな」
「ちょっと待て。俺が中途で入ったのは一月だ。まだ、三ヶ月しか経っていないぞ」
「いやいや。大炎上案件をたったの三ヶ月で片付けた上に、従来の三倍の額で出した見積もりを客に飲ませたんだろ? 一体、どんな弱みを握ったんだ?」
「弱みは他人にバラさないから弱みなんだ。言えるワケないだろ。誰が破壊神だ」
「そういうところだと思うんだが」
そういえば、こいつの名前なんだっけ? 家にまで遊びに来ておいて覚えてないし。だって、こいつ俺のチームでもないしなあ。オールバックだから、バックンと呼ぼうか。
「で、バックン。過去にしか行けないってどういう事だ?」
「ばっくん? わたしの事か? じゃあ、お前はハゲだ」
「ハゲでもなんでもいいわ。話を進めてくれ」
「つまりだな。不確定なものは観測出来ない。しかし、過去は既に確定しているから観測可能だ」
「観測した瞬間に確定して過去になるから、未来へは行けないって事か?」
「そういう事だ」
量子力学的に説明されてもな? だって、年末年始は十二連休だったけど一瞬で終わったぜ? あれって未来へタイムリープしたんじゃないの?
「お前が、不毛な休日を送っているのは良く分かった。今日は、楽しい休日になるぞ。量子力学的に」
「なるほど。それでこの箱ってわけか?」
「理解が早いな。さすが破壊神だ」
空の箱を持って来いと言われたので、先週買ったスニーカーの空き箱を持って来た。俺達の所属する会社は、服装自由だからな。出社する時はコレでいいのだ。面倒な圧迫面接を乗り越えて転職した理由のひとつだ。出社するのも月に一回あるかないか。そこもいい。お陰で、バックンと初めて会話するのに時間はかかったが。職場は友達作りの場ではないからな、そんな事はどうだっていい。
「その箱を開けて見ろ」
「開けるまでも無く、シュレディンガーの猫なんか入ってないぞ」
俺はスニーカーの空箱を、バックンの目の前で開けた。もちろん中は空っぽ。猫が死んでいたりはしない。そんな極悪非道な実験しないし。
「これで分かったな? この箱はお前が用意したんだ。種も仕掛けも無いぞ」
「そうだな」
こいつは俺にマジックでも見せるつもりなのだろうか。タイムマシン云々は、ただの前振りだ。居るよね、意味もなくシュレディンガーの猫だとか、デーモンズコアだとか言い出す奴。俺達システムエンジニアはそういうチュウニ病の成れの果てが若干多めだと思う。
「その箱はもう一度蓋をするんだ。ちょっと俺は、トイレに行ってくる。その間に、絶対にその箱を開けるなよ?」
そう言って、バックンはトイレに行ったが、すぐに戻ってきた。随分と早いな?
「もっかい開けてみて」
「は? そんなもん見るまで無いだろ」
ちゃんと猫のぬいぐるみが入っている。
今朝バックンが、俺の家まで迎えに来た時に、勝手に家に上がり込んで、仕込んでいたからな。
「なあ? 俺の家まで来たんなら、この素っ頓狂なマジックは、俺の家でやれば良くなかったか?」
「いや、ちょっと待て。気にするのはソコじゃないぞ」
「どういう事だ?」
「今やった事を、よく思い出せ」
何が? 最初に箱を開けた時、それは空っぽだった。だって空の箱を持って来たのだから。それは、用意した俺がよく知っている。
そして、2度目に開けた時には、猫のぬいぐるみが、入っているのは当たり前?
「なんで?」
「ふむ。お前は記憶の不整合に気付けるようだな?」
「まあ、指摘されるまで気付かなかったが」
俺達の仕事ではよくある事だ。
基本設計書の記述と、詳細設計書のそれが一致しない、とかね。詳細設計書の方を先に書くという魔法を使ってしまうからだ。しかも、後になって基本設計書を書くのは、別人だって事がざらにある。最初から炎上している案件を一気通貫で担当出来るようなタフな人材はそうそう居ない。
そもそも設計書なんて書かない開発手法だってあるけども。顧客というものは、読みもしないドキュメントを求めるのだ。そうしないと、実績を示すものが無いからだろう。だったら、表紙だけでもいいんじゃないか。実際に、表紙だけ納品して、運用フェーズで中身を差し替えた事だってある。
何の話だったっけ? 不整合の発生を見落とすと、命取りになる事だってある。だから、俺達は、そういう事には、他人よりも敏感かもな、って話だ。
「お前、随分とデタラメな事やってんな? さすが破壊神だな」
「それよりもだ。一体何をした? まさかタイムマシンで過去改変したとでも?」
そうとしか捉えようが無い。実際に目の前で、シュレディンガーの箱を観測してしまったのだから。いや、バックンの箱と名付けよう。カッコいい名称では無いなあ。ヌッコの箱にしておこう。
「そのネーミングセンスも破壊神って感じだな」
「どうでもいいだろ。さっきから俺の考えを読んでるけど、それもタイムマシンの成果なのか?」
「だから言ってるだろ。これは過去にしか行けないんだ。お前の考えが筒抜けなのは、独り言が多いからだ」
「まじで?」
もしかして、家にひとり籠もってリモートワークしている時も、俺はこうやってペラペラ喋っているのだろうか? そうかも。会議ではマイクミュート必須だもんな。無駄な会議ばっかやりやがって、とか言っちゃてるもんなあ。
「それも、筒抜けらしいぞ? お陰で無駄な会議が減ったよ。破壊神さん、どうもありがとう」
「どういたしましてだ。そろそろ本題に入ってくれよ」
俺達は、どうにも話がそれがちだ。システムエンジニアと言っても、年がら年中パソコンとにらめっこしているワケじゃない。無駄な会議は多いし、客や社内の他部署との交渉ごとも多い。喋っている時間の方が長い。要件だけを端的に話しても殺伐としてしまうので、つい世間話が多めになる。認めたくない事実が多めの案件だと、現実から逃避して無関係な話題に花を咲かせる事もある。破壊神にだって情緒はあるのだ。
「コレがタイムマシンだ」
そう言って、左腕の腕時計の様なものを見せる。スマートウォッチと言ってもいいだろう。結構、ゴツい。パソコンのタイピングには確実に邪魔になるなソレ。
「コレでも小型軽量化したんだ。高度集積回路を手作業でハンダ付けするのは至難の技だしな。しかもコレ、本体じゃないし」
「じゃあ、そっちのスマホが本体?」
「このスマホとはブルートゥースで繋がっているが、これもコントローラーに過ぎない」
「本体はクラウドにでもあるのか?」
「いや。必要なのは演算能力でもストレージの容量でもなくて、遅延の短さだからな。本体は、このサーバだ。これでも12世代インテルに32GBメモリ、4TBのストレージ搭載だ」
これサーバなのか? 中学生が工作で作るラジオくらいの大きさだぞ。
「ラジオって今の中学生も作るの? 」
「正確にはブルートゥース・スピーカーだろうなあアレは」
「へえ? 今時は、ラジオなんてろくに電波拾えないもんなあ」
また、話が逸れたな。どういうロジックで、そのタイムマシンは動いているんだろうか?
サーバのOSは一体なんだ?
「OSはウブンツだ。あまり好みじゃないんだが。セントは無くなっちゃったもんな。これ以上は言えない、知らない方がいい」
「そうか。他人の研究成果を、無理やり聞き出しはせんよ」
しかし、箱の中身がすげ変わるだけじゃなあ? これ何に使えるの?
「実を言うと、それを相談したくてだな。他の奴はこれがタイムマシンだって事を理解出来ないんだ。特に、営業は平気で自分の記憶まで改竄するだろ? ヌッコの箱を実演して見せても信じないんだ」
「若干、偏見が垣間見えたが。まあ、言いたい事は分かった。俺に使わせてくれよ?」
「いいけど。タイムリープなんて退屈だぞ。だって、過去にしか行けないんだから」
「まさか、戻って来れないのか?」
「そういう事、過去に行ってしまえば、さっきまで確定していたはずの事実が、また未確定の未来になっちゃうからね」
「なんだそれ? なんかおかしくない?」
「そういう仕様なんだ。この世界が」
「じゃあ、しょうがないな」
仕様ならしょうがない。俺達エンジニアは、RFC規定やIEEE勧告には逆らえない。それが決まりだからだ。好き勝手に仕様をいじくり回したければ、大手メーカーにでも行くしかないが、昨今はそれでも無理だ。標準規格に合わせていない製品は、例えソニータイマーであっても市場に受け入れられない。
「いいか?過去に行って、やること済ませたら、旅立った時点まで、何処かに隠れていろ。もし、自分自身に出会ったなら、どうなるか分からん」
「少なくとも、ショックで心臓か脳波が停止するだろうな」
「主観的にはそうかも知れんが、停止するのは世界の方かも」
あり得ない、とは言い切れない。推定でしかないが、実証実験するわけにもいかない。デーモンズコア以上の惨劇が発生してしまう。何も起こらないかも知れないけど。
「他に注意点はあるか?」
「冷蔵庫のプリンは勝手に食べるな。例え自分自身の仕業でも殺し合いだ」
「そうだな」
スマートウオッチ型のタイムマシンを装着し、スマホを操作する。
「指定出来るのは時間だけか? この場所に出ちゃったら、自分自身に会うぞ?それだけで詰むじゃん」
「大丈夫。時間だけ指定すれば、違う場所に出る」
「まさか、地球の自転とか公転と無関係に絶対的な座標をキープするのか?」
「多分、そういう事だね。大きい時間にすると、宇宙空間に出ちゃうかも」
「おい、これタイムマシンじゃなくて、自殺幇助マシンじゃねえか」
「いや大丈夫。地球の重力がニンゲンの魂を引く力は案外大きいんだ」
「どっかで聞いたようなセリフを」
よし、ダメだ。これは使ってはいけない。俺は偉大な科学者のように、科学に殉じる覚悟などない。自動運転の車にだって乗らんぞ。科学の力を知っているだけに、過信しないのだ。システムエンジニアは科学の奴隷であって、科学者ではない。鉄腕アトムを読んで育ったが、御茶ノ水博士にも天馬博士にも成れなかった成れの果て、それがシステムエンジニアだ。
「なあ、なんでこんな危険なモノを作ったんだ?」
「だって、後悔しか無い人生だったから、やり直したくて」
そうは言っても、最大で半日程度しか過去に行けないのだ。勝手にプリンを食べる事も出来ないから腹も減るし、自分自身に見つかってもいけない。そんな退屈な時間は地獄だ。それ以上過去に行くと、何処に出るかも分からない。人生を変える程のインパクトを得るのは困難だろう。
俺にだってやり直せるものなら、やり直したい過去はある。システムエンジニアとはIT奴隷などと自ら揶揄していしまうくらいに、騙され欺かれ損なわれ易い存在だ。上京した時に最初に入社した企業を選んだ時点から、やり直せたらどうなるだろうか?
あの会社は月給14万円、それもみなし残業代込みで、社会保険すら無かった。完全に違法企業だった。だが、どうだろうか? 違法企業だからこそ、明らかにスキルマッチしていない派遣先に放り込んでくれた事で、俺は職務経歴書に書けるシステムエンジニアとしての実績を手に入れる事が出来た。IPアドレスって何? って状態だった俺が、まっとうな会社でシステムエンジニアになれたはずはないぞ。
もっと遡るなら、気合と根性だけでどうにかなる営業職になる前からやり直したい。でも、それも他の選択肢を得るのは、高校の選択からやり直しだし、高校だってアホな夢見てないで真面目に勉強して、ある程度以上の大学に進学するべきだろう。そうすれば、新卒の就職活動を始める頃には、就職氷河期だって終わっていたはずだ。
しかし、どこまで遡ってやり直せたとしても。イージーモードにはならない。ゲームの「強くてニューゲーム」のようにはならない。どんな人生にだって挫折と後悔はある。やり直しの人生では、立ち直れないような目に合う危険性だってあるのだ。
良くも悪くも、今俺達が居る場所こそが、理想の地なのだと信じるしか無いんじゃないのか?
「高校で夢見てたアホなことって何?」
「芥川賞作家か、ロックスターになる気だった」
「さすが、破壊神だね」
まったくだな。創造神だったのならともかく。破壊神だし。俺の人生を破壊したのは他ならぬ、俺自身だ。
「ところでだ。なんでオールバックなんだ? お前女子だろ?」
「えー、今頃そこにツッコむのー?」
いや、ほら。多様性の許容ってやつ? なんか間違った配慮かもな?
「だって、あんた職場の女子をあからさまに避けるじゃん」
「そうだな。女は合理や技術でものを語れないと決めつけてるからな」
「多様性の許容? どこが? 偏見じゃん、とも言い難いけどね、まあ」
偏見であろう事は、今日こいつに付き合ってみて、良く分かった。
合理も技術の壁も越えたイカれた女も、この世には存在するのだ。
「よし、分かった」
「な、なにが?」
「結婚しよう」
「な、なんでそうなるの?」
「お前の後悔の原因は、お一人様だからだ。危険なお前は俺が管理して導いてやる」
「一人だと不幸だなんて、それこそ偏見だ。それは何なの? 高度なツンデレなの?」
「職場にオールバックで出社してたくらいだ、こういう展開を妄想済みなんだろ?」
「さすが破壊神だ。全てお見通しか」
こうして、少し不思議な物語だったはずの俺達の出会いは、ラブコメになってしまった。
もちろんタイムマシンなんて嘘だし、ヌッコの箱だってマジックだ。そうだろ?
「それはどうかな? 生涯かけて種を解き明かすといいよ。その前にあんたの種を貰うけど」
下品なオチで申し訳ない。
ハードSFのつもりで書き始めたんですけど、いつも通り下品でした。これジャンルは何なの?