一章 第一話 「私がアズマレイリだ」
描き始めてからなかなかにサボってしまったので完成に時間がかかりました。
拙い文章で申し訳ないですが最後まで読んでいただけると嬉しいです―――
——―———死んだ。
人は死ぬと何処へ行くと思うか。天国、地獄、はたまた違う何かか。それは死んだ人間にしか分からないし、自分自身当分は死にたくないので分かりたくもない。
そもそも死とは何をもって死というのだろうか。生命活動が停止した時などが一番の有力候補だともいえるが、「人々から忘れられない限り其の人は生きる」という理想的な暴論も多々見られる。
そんな壊滅的な究極論を聞くと「じゃぁ、歴史上に残らねば人はやはり何処かで完全に消え、“死んだ”という結果しか残らないのではないか」とたまの日曜に思考を働かせてしまうのである。
所詮、人は死んだら何も残らない。どんな人間、どんな人物、そこに正義や悪、ましてや国や人種のジャンルも含まれることはなく死んだら土に帰る―――ただそれだけ。
それでも俺は“残したい”と思ってしまった。その行動は美しくはあっても“正しくはなかった”。
俺から見るこの物語は自分の惰性や滑稽さを浮き彫りに描いた卑下慢物語だ―――堕天してからはたった一度の幸福もなく、ただ一度の不幸もない―――。
この物語を俺は誰にも話すことはないだろう―――。
さて、前置きが長くなってしまったがこれは“東 麗李”の異物語だ。それ以上でもそれ以下もない、そんな点で言えば平坦な物語。
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「なぁよ、鈴乃木くんよ。最近、夏らしくジメジメとした季節感、梅雨らしい梅雨に成ってきたというところだが、この季節の風物詩とも言える高校生女子、通称“ジェイケー”の夏服姿が露わとなり、男子高校生の目が気温と共に熱くなるのを感じるこの季節にぃ!どかん!ぴか〜ん!ざっ!私という肉奴隷に熱い肉欲をぶつけてみては如何だろうか!なぁに、遠慮することはない。君の持てる欲望の限りをぶつけるだけで構わないのだ。もともと人間とは四捨五入すれば猿の親戚みたいなもんだ。動物、生き物全てに共通して言えることは、その種族の繁栄。つまり人間、俗に言うホモ サピエンスは性交渉に対してもっと貪欲であるべきなんだ!ちょうど日の国、日本は少子化が加速して、著しいほどの子供不足に陥ってしまっている。高齢化も加速し続けているし、このままだと国家運営の危機だ!それならば未来を担うのは私たちが作った子どもたちであり、その愛しい我が子たちが支えるのが我が国、日本なのだ!だから私たちが高等学校に在籍しているさなかであっても日本の未来を考えて、最優先で子作りするべきなんだ!では早速私の家にレッツラ ゴートゥーベットしないか?そういえば好きなプレイを聞いていなかったな。私は何でもオッケーだ。人に言えないような趣味でも私は快く受け入れよう。従属、首輪、鞭打ち、首絞め等かな。個人的にお勧めなのが首絞めだが、君がお気に召すかは分からない。待ってくれ、ひょっとして野外プレイをご所望だったか!!?それは済まない、察してやれなかった私の責任だ。どうか許してほしい。ただ、改めて言うと、私はどんなハードコア変態プレイでも君を見損なったりしない。これだけは約束しよう。さぁさぁ!私に凌辱の限りを尽くし、己の色欲を存分に曝け出し私を肉欲の捌け口としたまえ!!!!」
「えっと、つまり?」
「セックスしよう」
「死ね」
長文を挟みながらもこの人は世界唯一であり、絶対的な存在感を放ち続けるこの女性は東 麗李、またの名を『才色兼備野郎』、二つ名を『穢れなき聖女』。一つ上の先輩であり、普段の彼女は成績優秀、運動神経抜群な才色兼備系の完全無欠美少女、それは表向きで、実のところは才色兼備方程式の皮を被った平成型の性交体験を迫ってくる残念おっさん美少女なのである。
このおっさん美少女は学校等では頼まれごとは何でも引き受ける寛容さ。どんな人物だろうと分け隔てなく接する愛嬌。そして人を引きつけるカリスマ性。そんな究極、完璧超人ともとれるのが彼女なのだ。
ついで感覚に俺、鈴乃木 日丹についても少し話させてほしい。俺は平々凡々を絵に描いたような高校二年生である。趣味は絵描き、好きな食べ物はさつまいもの味噌汁、誕生日は十月十五日、蠍座、得意教科は国語、血液型はAB、得意料理はサンドウィッチ、学校の休み時間は大抵の時は寝たふりをする、絵描きにするものは建造物等の人工物が多い、博愛主義。
そんな、ある意味対極に位置する俺と先輩の出会いは同じ文芸部だった。半ば強制的に入部させられたのだが。先輩は廃部寸前なところを俺という鴨、改め部員を見つけたわけだった。部活の人数が足りていないため、今現在、部ではなく、同好会なので、文芸部改めて文芸同好会である。
文芸同好会に入ってからは、純文学を読み始めた。太宰治などのポピュラーなものから、夢野久作などのマイナーなものまで。嫌、嫌、と読み始めてはみたものの思いのほか面白く、登場人物の考え方の人間臭さと作中の何とも言えない雰囲気が俺の心をくすぶった。続けざまに先輩はライトノベルも推してきたのだが、自分自身あまり性に合わなかったのか四頁ほど読んだあたりで、読むのをやめてしまった。
あと一つ不思議に思うことがあり、同好会には本当に『なぜか』俺以外の部員がいなかった。なぜかは分からない。学校の人気者がいる同好会なんて声をかければすぐにでも人が集まり、同好会から部活動に昇華しそうなのではあるが。
それからというのは、同好会に入ってからは本当に大変で、この先輩の奇想天外な行動や言動に驚かされるばかりなのである。最近の出来事だと、『街中の彼氏持ち女性に対して彼氏についてどう思っているのかインタビュー』などという大変くだらなく、そこに彼氏が居合わせたら気まずいなんてもんじゃない程のものに付き合わされたのだが、そのせいで土曜日が削られたり、その次の日曜日は俺の家でスマブラをしたのだが、自分は毎回ギリギリのところで負けてしまうのだ。
もはや彼女からは作為的なものまで感じ、わざとギリギリを演出しているようにも受け取ってしまう。
そんな時間、実のところ、この変態と過ごす時間は俺のような人間にはかけがえのない、桃源郷のようなものなのだ。クラスの日陰者と学校の人気者というレッテルですらどうでもよく思えてしまう、そんな怪異的存在。
とどのつまり、俺は東 麗李が好きであった。
この先輩が好きであった。
好きにならない要素はない。なぜ好きになったのかを問われれば「必然的だった」と言わざるを得ない。青春を感じ、青春を演出し、青春を彩っていった。
たとえ先輩の真の正体が妖怪変化 であろうとも、俺は彼女を愛せる自信があった―――そんな自信しかなかった。
彼女と出会って、たったの数カ月、されど数カ月。見てきた中では東 麗李は彼氏などはいない。そして学校の人気者で誰にでも分け隔てのない優しさを持つ。誰にでも優しいということは『特に大切な人はいないということ』その向けられる優しさは個人に対してではなく、大衆に向けた偽善的なものに過ぎないと。
彼女は人気者であれど、対等と呼べる存在が無に等しかった。彼女が俺にしか見せない姿があるというのはもはや『対等』といっても差し支えはないのではないかと思う。
彼女とお付き合い願いたい。
そんな空虚な妄想を譫言のように思い浮かべながら東 麗李との会話に走った。しかしながら本当に可愛い。上記で「死ね」と揶揄しておきながらもこれは好きな子に対して行き過ぎたツッコミをしてしまう『ブラックジョーク』であり、そんなことをしている自分を少々自己嫌悪してしまう。
いや、だったらもっと正直になれよとも思うが、正直、俺もそうは思うけれども、気持ち的にも整理がつかないのだ。
そんな俺を尻目に先輩は軽薄な口調で淫らで、乱れていることを口走っていた。
「まったく、君はとことん釣れないな〜。目の前にエロ奴隷にしてくれという女性がいるのに君は手も足も出ないのか?もしかすると君は男性の皮をかぶった女性なのか!いやただのチキンなのか」
「エロ奴隷というキーワードは今初めて聞いたし、俺はトランスジェンダーじゃねえ!今どきそういう発言するとしょっ引かれるからあまりそういう発言は辞めてほしいし―――チキンなのはほっとけ!当たってるけど!」
今日も今日とて普通の会話。平々凡々を謳う普通の会話。だが『異変』は突如として現れる。嵐のように吹き荒れ、吹いた後は何事もなかったかのように去っていく。
―――そんな事象だった。
刹那の瞬間、視界がシャットアウトする。俺と東 麗李は「うッ…!」と鈍い声を上げる。俺はその場に立ち止まり、目を擦って視界を取り戻そうとする。一秒、二秒、三秒と時間が立つにつれて視界が元の輝きを取り戻していく。
得体の知れない声と共に。
大勢の人の声、それは老若男女それぞれの声であったかも知れないし、そうでなかったかも知れない。とにかくはまずい状況だということは俺でも察知することができた。雰囲気や感でしかないこの考えが『本物』だったとは露ほども思わなかった。
光が元の色彩を取り戻して目の前の光景が目に入った。それはさっきまでいた学校の帰路ではなかった。灰色暗く、辺りには閉鎖的な石造りの壁の部屋であり、灰色暗い部屋を唯一照らすのは壁に掛けられた松明のみであった。そして異様だったのは、その薄暗闇のクローズドエリアに自分を囲うようにして摩訶不思議な格好をした人物達が佇んでいた事だった。
とある人物は杖を携えており、その容貌はまるで魔法使い。またある人物は剣を携えており、その容貌はまるで騎士。そしてある人物は白銀のドレスを身に纏い、その容貌は美しい一国の姫。
そう、まるで中世ヨーロッパを主軸としたような身格好だったのだ。
すると口々に「成功だ…」「成功したのか!?」だとか口々に零す。意味が分からない。理解できない。なんなんだよこれ!
この光景を見た俺は直ぐに自身の身に起きた異常事態を察知し、まずは先輩を、東 麗李を探した。
だが先輩は自分のすぐ隣におり、俺は一安心した。だが先輩はまだ視力が戻っていないらしく、目を押さえて蹲っていた。心配して俺は意味もなく背中をさすりながら「大丈夫ですか」と言葉をこぼしてみる。
「ああ。ありがとう」という言葉が返ってきてまたもや一安心をするが、現状何一つ安心できる要素なんてなかった。先輩が隣にいてくれたからいいものの、本来の俺ならばもっと戸惑っていることだろう。
何がどうしてこんなことになったとか、現状のことについてわからないことしかない。
先輩の視力が回復しきり、現状のについての現実を直視したが、先輩は尚も冷静に、この空間にあるものを眺めていた。やはり先輩と言うべきか、どんな状況であっても冷静沈着である。
暫くの沈黙の後、この空間内でただ一人、ドレスを着用した少女が先輩と俺に向かって歩いてきた。騎士風の容貌をした男性が「姫様!」と引き留めるが、彼女は構わずこちらに近寄ってくる。
先輩と俺の目の前に立ち、口を開く。
「えっと、その、“勇者様方”については突然の招来に混乱されるかと思います。ですがここは呑み込んで、話を聞いてはもらえないでしょうか」
「はあ!?意味分っかんねぇ!そもそもお前らはだ…!」
俺は著しく反論する。勇者等と言われたところでこの状況自体は意味不明に等しい、そんなことを言われたとしても、自分は媚びているようにしか聞こえない、さらに言ってしまえば、このような人物たちに囲まれていては焦って返事すらままならない心情なのだ。混乱するというのが人の性なのではないだろうか。
だが先輩は短絡的な思考しかできない自分よりも、もっと考えを張り巡らせており、俺の言葉を遮るようにして言を話す。
「分かりました。…鈴乃木くん、この状況においては『無知』は命取りになってしまうと思う。ここは話を聞いて現状を知ることが第一だと思うのだけれど、どうかな」
「………。分かりました、それで。」
自分自身、まったくもって、煮えたぎらない返事であったが、とにかくここは先輩に任せておけば何とかなるという安心感があった。
まったく持って、鈴乃木 日丹という男は頼りにならない腰巾着であった。
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暗い部屋から階段で上へ、上へとただ案内される。姫のような人物が先導を続けて、その周りを騎士のような人物たちが囲うようにして続いていき、それに俺と先輩がついていく形で進んで行く。こんな状況でも人は割と冷静に物事を知覚できている自分に、ある意味驚きながら、先輩はこの現状に対して何を思っているのか少し考えてしまった。
こんな状況だからこそ、先輩の顔を拝んでいかなければ。…よし、可愛い。凛とした睫毛 。ストレートの黒髪。彼女を表す表現があるとすれば『日暈のような女性』だ。
いやこんな時に何を考えているんだ。馬鹿じゃないのか俺は?やばい、ありえない状況ですげえ取り乱している気がする。素数だ!素数を数えるんだ。
さてさてと、それはさておいて、自分が今持っているものを把握しておこう。いざとなった時に役立つものがあったりするかもしれない。通学用バック、さまざまな教科書類、体操着、筆記用具、財布、ミステリー小説、ペットボトル、スマホ、特に役立ちそうな物はないようだっだ。あっ、さらに食べかけのカロリーメイトも見つけた。だからなんだという話なのだが。でもだ、でも小腹がすいた先輩に照れ隠しをしながら献上することぐらいはできるのではないだろうか。
だけども俺は不安だ。でしかなく、一体なぜこんな事にと嘆いていても仕方がないのは分かっているが、納得、そう俺は納得したい。この状況の理由を。なぜそうなったのかを。事のあらましを。
「あははッ!大変な事象に巻き込まれてしまったようだね〜。この事についてどう思うかな、ワトソン君?」
「誰がワトソンですか。こんな時でも冗談を言える先輩の胆力だけは見習いたいものですよ」
「…そうだね。それでいい。君はその方がよく似合う」
「何がです?」
「あー………。ツッコミ?」
「なんで疑問形なんですか!」
実にしょうもない会話だった。
このような会話のおかげで少しは緊張の糸が解れた。自分もこんな状況で戸惑ってもいいはずなのに先輩は俺のことまでも気を回してくれる。先輩は本当にいい先輩だ。勝手に先輩のことを惚れ直しながらもまだまだ到着は先らしい。
そして深淵から這い上がるが如く、松明の灯火が唯一の光源だったのだが、歩き続けること体内時間で十分、松明以外での光が一筋ほど眼前に差した。太陽かに思えた。
それは頑丈にできた鉄の扉で刑務所を想像させるようなものだった。その扉を騎士に開かせ「こちらです」と姫のような人物は先を進む。
「あの、まだですか?」
「もう少しです」
もう少し、その言葉を信じて、俺は眼前に立つ光の光景を目の当たりにした。
月がうらうらと棚引いた露の中に、まるで爪の痕かと思うほど、微かに白く浮かんでいる。
光の正体とは太陽ではなく“月”だった。美しく、黄金の油のように気高く輝く月だったのだ。それは自分の目を奪うのには充分で、思わず魅入ってしまったのだ。
「こちらです」
麗しい姫は月光を背景に金色の髪を靡かせて、神秘を見せつけて、不可解な自分の脳をさらにまっさらにする。
それはこの世界が自分たちがいた世界とは違うと、自分に自覚させるきっかけでもあった。
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「竜車に乗ってください。そこで勇者様方の現状置かれた状況、ここに至る顛末をお話しなければなりません。どうかお願いします」
「分かりました」
麗李先輩は答える。
トカゲのような爬虫類で四足歩行の生物に馬車のように手綱をつけ、客車を引かせている。俺はびっくらこいた。いや、
そして促されるままに先輩と俺は客車へと招かれた。
向かいに姫様、そして向かい合うようにして先輩と俺が現代で言うところのソファーに座る。学がなくて大変申し訳ないがこのソファーなんて形容するのが正解なんだ?
あまりに重苦しい空気でハッとさせられる。先輩や奇想天外なことばかりで忘れていた。あまりに初歩的、それでいてザルな危機管理能力とも言える。
「さっそく本題に…」
「ちょっと待て」
俺は姫の話を遮るようにして、そして異議申し立てる。
「…なにか?」
「見たところあなたが俺たちを…呼び出した……?」
「召喚しました」
「違う。問題はそこじゃない」
俺は不安の原因を問いかける。嫌な予感を頭に孕ませながら、虎視眈々(こしたんたん)と伺う。
「なあ、俺たちは帰れるのか」
「無理です」
「は………?いや、じゃあ、つまりもう元の世界には帰れないってことか?」
「はい。私が召喚し、勇者様方をお呼び出ししました。―――こちらの都合で呼び寄せてしまい、大変申し訳ございませんでした」
その問いへ帰ってきた答えはあまりに即答で、声色も変えずに、ただ淡々と、暗い事実を姫は述べた。それは俺の神経を逆撫でするには十分すぎたし、自分自身こんな身勝手を「はい、そうですか」と首を縦に振り受け流すことなんてできなかった。
刹那の出来事、俺はソファーから立ち上がりそのまま向かいの席に座っていた姫の胸倉を掴み、引き寄せ、そのまま自分は右手を拳の形状に変えて、力一杯に握ってしまった。
行き場を失った拳は頭で分かっていながらも、人としてやってはいけない事だと自覚しておきながらも、赤い感情の渦が巻く俺にとっては“止まる”なんて選択肢ははなからなかったのだ。
胸倉を掴まれた時点で姫はその目を閉じ、取り乱したり、何か言葉を発したり、また何かアクションを起こすことまでもなく、人から見れば“受け入れたかのような雰囲気”を出していた。
先輩は逆に何か声に出そうとして口を開けるがその工程がなされる前に俺はもう拳を振り上げてしまった。この年端もいかない少女、一国の姫のような人物に向けて手を挙げてしまった。
客車内に鈍い濁音が鳴る。それは響かずに直ぐに静まり返る。右の拳が痛む。……やってしまった。彼女だってやりたくてやったわけではないのかもしれないのに、俺は自身の怒りに任せて手を挙げてしまったんだ。
最低だ。
でも、言葉は止まらない。
「く、お前ッ!ふざけるな!このッ、クソッ…!ここが元いた世界とは異なる世界とでもいうなら、お前らの都合で勝手に呼び出された俺たちの意思はどこにある!?お前らの都合で呼び出しておいて元の世界には帰せないって…、自分勝手だろうが!ふざけんなッ!ふざけるなよ!まだやりたいことがたくさんあったんだよ!これからだったんだよ…。友達は先輩以外いなかったけど、家族は居たんだ…。残してこっちに来ちまって、まだ何も恩返しできてないんだよ!どうすれば………」
「鈴乃木くん…度が過ぎてるよ。女の子相手に何………」
先輩から俺への言葉は至極当然だった。人を殴り、悪いことをした。だから俺は当然ながら罰を受けるべきで、贖罪しなければならない。石を投げられて当然のことをしたのだ。そして石を投げ終わり、自身のしたことに自戒する暇すら与えられず麗李先輩の言葉は遮られた
「申し訳ありません」
「――……は?」
心の底から出た声だった。この子は、この人は、こいつは何を言っているんだ。なんで石を投げた人間にそんな事言うんだ。石を投げられたいのか。違う。全然違う。これがこの子の本質なんだ。
「―――申し訳ありませんでした。どうお詫びしたらいいか皆目見当もつきません。お詫びも何もできず、ただ願いを乞うことしかできず申し訳ありません。完全にこちらの都合で、身勝手で、勇者様方を………」
これ以上はさすがの俺でも聞くに堪えなかった。自分のしたことが痛いほどよく分かった。謝りたい。でも何を言えばいいか分からなかった。「俺が言えることはなんだ?」、という考えを巡らせる暇もなく先輩が彼女の言葉を遮っていた。
「いや、謝るのはこちらです。―――本当に申し訳ない」
「―――ッ」
情けなくて、自分が弱くて、たまらなく自分が許せなかった―――。
―――弱い自分が許せなかった。
拳を強く握りしめる。この際は自分に対して。自分を許せない怒りに対して。
「気にしてませ…」
「なので」
口を開いた直後、麗李先輩は俺に対して精一杯、握りすぎて血が出るのでは、血管が浮き出すぎて破裂するのではというほどの怒気を拳一点に集中させ、それを俺の右頬に衝突させた。
鈍い痛み、などという優しい表現は似つかわしくないだろう。右頬とは言わず右側の頭蓋骨全て砕けたと思わせるほどの激痛がやってくる。
―――そして俺はその勢いでソファに吹き飛ぶ。
この光景を見ていた姫様は口元を手で押さえ目が通常より開いいていたので、容易にこの光景に度肝を抜かれたことは確かだった。
ああ、なんとなく理解した―――。
「―――どうかこれで許してはくれませんか!!!」
姫様は俺を許す。どんな気のこもってない謝罪も、なんなら謝罪すらしなくとも彼女は俺を許すのだろう。―――こんな俺を。
―――だけども俺は自分を許さない。許せるわけがない、自分は自分を最も分かっている。“自己嫌悪の塊”それが俺という人間性。分かりやすい嫌なやつだ。
そんなことも織り込み済みで、俺という人間を分かってくれて、―――殴ってくれたんだ。
「姫様!大きな物音がしましたが何かありましたか!」
殴られた時の衝撃があったのだから当然と言っちゃ当然であるのだが、その衝撃を感知した騎士が外側から馬を走らせながら話しかけてきたと容易に推測できた。
「何もありません。少し……コケてしまっただけです。気にしないでください」
「そうですか。―――何かあれば御命令を」
「分かってる」
そう言って静けさが少しの間残る。火を消した蝋燭の様な穏やかな雰囲気のある方ではなく、溶けた蝋が垂れ下がった陰鬱な方。
静寂を間に挟みながらも最初に口を開いたのは姫様だった。
「気にしてません。許します。何もかも、その一切合切を許します」
―――漠然と泣きたくなった。
―――意味分からない。
「本当にごめんなさい。謝って許されることではありませんがごめんなさい」
ソファから体を起こして姫の前に立ち上がり、頭を下げる。綺麗に背筋を伸ばし、腰からゆっくりと曲げるようにして下げる。
「ごめんなさい」
「もう大丈夫です」
閑話休題。
「話がだいぶそれてしまいましたね」
「そだよぉ。鈴乃木くん話はちゃんと聞こう」
「その節は本当に…」
「もういいですから」
では、と姫様が話を切り出す。
「まずは御名前から―――。私は“エフィラ・ヴィ・カルデア”。神霊カルデア帝国第九皇帝ユリウス・ジ・カルデアとその妃セルビア・ヴィ・カルデアの娘であり、神霊カルデア帝国 第三皇女です」
「あのツッコんでたらきりないからなにも言いません話の続きをどうぞ」
先輩は何かしら口に挟んでたが、まあツッコまなかったのは偉かった。そんなんじゃ話が進まないし、テンポが完全に死んでしまう。
いや、俺が殴った時点でもうそんなものないのだろう。
「一つ、勇者様方の御名前をうかがってもよろしいでしょうか。いつまでたっても勇者様というのもあんまりな話ですから」
「うん、じゃあここは私も事故紹介だね」
「事故を紹介してどうするんですか」
「おっと!自己紹介だ」
時折抜けているところもあるのがまるで先輩らしい。
「私は東 麗李です。皇女様…あれ、これ合ってる?」
「そこまで堅苦しくしなくても大丈夫です。あくまでも普段通りの口調で大丈夫ですので」
「鈴乃木 日丹です…えっとよろしくお願いします?」
すごく慣れない感じが出ていて気まずい。というかちょうどさっき殴った相手に自己紹介ってどんな地獄だよ。百パーセント自分が悪いから何も言えないし、心底自分が嫌になるけど―――というか!俺は国の!あろうことが皇女様に!手を挙げたんだ!?これは首が飛んでも文句は言えないほどの重罪なのではないだろうか。
「“レイリ様”並びに“ヒタミ様”ですね。了解しました」
「それで戻ったら俺はどのように処罰されるのでしょうか?」
単純な疑問、そして問いだった。
「処罰されません」
「え―――」
『これ以上は不毛です』と姫様もとい、エフィラ・ヴィ・カルデアは召喚に至った経緯を話し始めた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
―――この世界の歴史、延いては神霊カルデア帝国の歴史は、太古の昔から幾度も“キリエ”と呼ばれる魔王に見舞われてきた歴史―――。
―――その度、聖なる勇者の力を持つ者達を異なる世界から呼び起こし、その者達の活躍によって平穏を取り戻してきた歴史―――。
―――キリエとの戦いを伝説や伽話として幾度も刻みながら時は流れた。
―――これより語るは1000年程昔の話。
―――ある時、カルデア帝国の占い師が一つの予言を告げた。
―――『大地に魔王復活の兆しあり……。だが魔王に抗 する力もこの大地……そしてカルデアの皇女に眠る………』
―――予言後、占い師は病を患いこの世を去った。
―――それから程なくしてカルデアの皇女に“聖痕”が発見され、その力によって異なる世界から勇者達をカルデアの地に召喚。
―――封印の力を持った帝国の姫と神霊の剣に選ばれし勇者、彼らは遥かな太古よりこの大地に住まう者達と共に真魔王を封印してきたのだ。
―――それが様式。
―――1000年前の帝国には力の継承者である姫と才能ある異世界人がいた。
―――そこで国王も祖先に倣った陣を張ることになり、カルデア帝国中から特に優れた4人の英雄を選び出し姫を長とし、彼らと結束を固めた。
―――まさしく万全を期した布陣。
―――姫と4人の英雄、そして勇者が揃うことによって魔王は封印出来る筈だった………。
―――だが。
―――狡猾な魔王は帝国の想像を超える策を持って復活したのだ。
―――魔王はカルデア城の地下深くから現れ、そして城内や城下町に大量の魔物と魔族などの配下を出現させ、襲いかかって来たのだ。
―――城の民や英雄達は命を落とし………選ばれし勇者も姫を守る為に傷つき、やがてその命は果てた。
―――こうしてカルデア帝国は一度“魔王キリエ”に壊滅させられたのだ。
―――しかし。
―――勇者に生かされた姫は尚も“唯一人”で魔王に立ち向かった。
『これから先、現れるであろう勇者様に託します―――』
―――魔王を目の前に姫はただ願った。
遥か未来、魔王を討ち滅ぼすであろう勇者に―――。
『貴方だけが最後の希望………どうか―――』
―――姫の名はタレイア。
―――“光”と“願い”を司ったとされる天地創世以来初めての『聖女』である。
「そしてレイリ様とヒタミ様は実に1000年ぶりの勇者になります」
「つまり私達はその“魔王”を倒す為にこの世界に召喚されたってこと…なんですか?」
「まさしく、そのとおりです」
………………そんなこと話されても…。
1000年前の万全を期した布陣でその代の勇者一行が敗北するほどの強さだった魔王を相手についさっきまで一般高校生だった俺や先輩が敵うはずもないのだ。
そんな魔王の前では自分なんて魔王からしたら赤子を殺すよりも簡単な作業だろう。
「一つ聞いてもいいですか?」
「はい」
「“聖痕”ってのは何ですか?」
たしかにそうだ、固有名詞やら壮大な話やらで消えかけていたがこの固有名詞も一応頭の中に入れておかないといざって時に困るかも知れないからな。
「聖痕は聖女が聖女 足り得る力の象徴。簡単に言ってしまえば“聖女の身体に現れる証明書”みたいなものです」
聖女の証明書って……いや分かりやすいし、分かりやすすぎるくらいだけども。
「そして一つ御申告が………」
「うん?」
「………………」
次は一体何を言われるんだ―――。
特殊能力でも得ない限り流石に戦いにもならないのではないだろうかと思ってしまう。腕からビーム出したり、口から炎を出したり、マントを身に着け空を飛んだりみたいな。
その程度の力でさっき聞いた魔王などに勝てるはずもないか。
「何故召喚された勇者様方は魔王やその配下と渡り合えたのか疑問に思いませんか?それは―――」
一呼吸置いて言い放つ。
「 召喚された際、魔王に対抗するための力を持ってこのカルデアの地に来るのです」
「なるほど―――ある程度想像してましたが……やはりと言うべきか対抗手段が用意されているのですね」
「―――……………」
少し当たっていた―――だがその力はどのようにして渡るのだ?そもそもその力は渡るものだとしたら誰が渡しているんだ?どの考察も所詮は推測の域を出ない―――確実ではない考えばかりだ。
その考察も所詮は矮小でしかない―――考えるだけ無駄か。
「はい。そしてそれだけではありません。カルデア帝国に伝わり、神々の寵愛を一身に受けた太古の昔から紡がれてきた伝説の剣―――“神霊剣 アルクェイド”」
選ばれた英傑、『真の勇者』でしか抜けない最高の一太刀。魔を滅する力と民を守る力を得る。魔王討伐の唯一の道標―――そう姫様は付け加えた。
「固有名詞が多すぎてついていけない………」
「いや~。何となく理解はしました。うん」
できたのかよ。流石先輩だ。
「その神霊剣を抜いた者を勇者として育て上げ魔王復活までに強くなってもらいたいのです」
「端的だねぇ。姫―――もし私達が魔王に寝返ったらとか考えないの?」
「その時はもう―――諦める他ありませんから」
潔いからこそ、僅かながら哀愁が漂っていると感じるのは気のせいだろうか。
「あとさ、話の口ぶりから見るに―――呼び出したエフィラ姫が今代の“聖女”って事なのかな?」
「はい。」
「―――………!!?」
そのとおりです―――と言った。
確かに口ぶりからしてそういうふうに話していた。
自分の読解力のなさに心の底で嫌になる。
「そうだったの!?」
「いや、話しぶりからしてそうだっただろう。しかしながら君の耳は飾りかい?いや耳というよりも脳の方が異常なのかな?」
「言葉がいつもより強い!!ホントにさっきは申し訳も御座いませんでしたぁぁーーー!!」
「……………」
エフィラ・ヴィ・カルデアからの返答はなかった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
しばらく竜車を走らせた後、いくつもの砦を越えたその先、門をくぐり抜けたその先、その先には―――歓声が沸いていた。例えるならオアシスの水がどれだけ飲んでも無くならないよう、歓声、いや国全体の人物達が集まっているのではないかと言うほどに、石造りの建物から、露店から、教会から、寺院から―――さながら大名行列の様、さながら英雄の凱旋の様に溢れ出たコップ一杯の水かのように歓声は止むことを知らなかった。これがカルデア帝国城下町―――。
「―――アゼリーゼ」
自生的な建ち方から無秩序である―――おそらく都市計画などに基づいて作られていないのだろう。そして建物の種類が多様なことが見て読み取れる―――今で言うところのゴシック建築、バロック建築、ルネサンス建築など様々な建築様式が混在しているようだった。それぞれの建物が不可思議にも同一に並び立つことでそこには奇妙な集合が滞在していた。
また多くの街を広い城壁が囲っている。その壁からは古ぼけた様子がひしひしと伝わる―――歴史の面影が―――大凡1000年の歴史を読み取るには難くなかった。
歓声に巻き込まれながら遥々(はるばる) と城下町を駆けていく。
今気がついたのだけれど走っている地面って、石畳だよな、これ。
中世の宝石箱とも呼べる、美しい中世の街並み―――流麗なその情景に思わず言葉が出ない。
「エフィラさん―――様?」
「エフィラでいいです」
「エフィラさん」
「……………」
―――この人話聞いてないのか。(もちろん皇女様に向かって呼び捨てというのも失礼どころの話ではないのだが)
「今はどこ向かってるの?」
「式典場です。そこで勇者としての証“神霊剣”を引き抜いてもらいます」
「? それってもしかすると覚悟の表意みたいなものなのかな」
「それも一つあります。―――が、神霊剣の特徴の一つとして“剣が人を選ぶ”という特徴があります。神霊の剣もまた意思を持っており、己の主に相応しいと見做した人にのみ抜くことが許されます。故に御二人のどちらかに抜いていただかなければ―――この国、ましてやこの世界は本当の意味で絶望に叩き落されてしまう」
こんな自分でも何かになれるのだろうか。魔王を倒す勇者などに―――
「勇者、ね―――」
「俺は確証なんてない召喚ギャンブルだと思うけどな」
「本当に…そのとおりですね」
少し含みのある言い方をされるとこちらも反応に困る。
そんなエフィラ皇女をふと見てみれば、当然自分が振るってしまった拳で傷ができていないのかと少し心配そうに見るのだが、全くと言っていいほど傷や腫れている様子もなく、なんなら赤くなることもなく、何事もなかったかのようだった。
だがそれについては触れるのはよそうということにした。自分自身も触れて気持ちの良いものではない、気分が害される。短絡的なのだ。
それに傷や腫れがないい理由はだいたい見当がつく。彼女は自身を“聖女”と呼称していた。聖女の力というものがどのような力や能力を持っていてどのようなことが出来るかは説明されない限り想像でしかないが―――まあ、おそらくだが聖女の力を使って治したのだろう。
治すと言っても傷を抑えるとか治りの促進とか、そのような分類のものかもしれないが。
「この窓、開けてもいい?手、振りたいな」
「―――あ……………」
「構いませんが―――よろしいのですか?後戻りなんて端から出来ませんが………それでも拒否したい思いまでは否定しません。いいんですか貴方だけではない―――“貴方達”はこれから幾万幾億を背負う者となるのです。貴方達の敗北は即ち幾万幾億もの民達の敗北となるのです―――手を振る程度のことで………と思うかもしれません。でも―――それでも背負うものの矜持を知ってほしいのです」
「俺は―――」
俺は―――なんだ?何を成したでもない、何も成さなかった。―――いや、成せなかった、そうしようとしなかった俺という怠惰。力も知性もカリスマも何もかもが無い―――無い無い尽くしの人間である俺が。人を背負う―――?人を助ける―――?責任を持つ―――?駄目だろ。無理だろ。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ―――絶対に駄目だ。
俺に何をしろって言うんだ。何をしたって何も出来ないくせにこんな凡人凡夫に力を求めるんだ。
過去がフラッシュバックする。
いつぞやから忘れかけていた―――存在する記憶。
語りたくもない、あの最悪と罪悪な―――。
『お前さ―――』
―――やめろ。
『―――もっと人のこと考えたら?』
―――やめてくれ……。
『―――ごめん、もう、いいから』
―――分かったから……。
分かったからさ―――。
「私がいる!」
「―――!?」
「………………」
先輩が声を上げる。飄々(ひょうひょう)と顔に曇り一つなく―――声を上げた。
「鈴乃木くんは不安を被らせてごめんね―――でも私が、“私達”がこの世界の最後の希望なら―――成らなくちゃいけない。たとえ自分が望んでいないものでも―――私はやる。私の義務なんだ」
この人の理屈はよく分かる。言いたいことも、その精神性は本当に勇者相応と言っても過言ではないだろう―――そんな先輩と自身が並び立てると思うほど俺は自惚れていない。
並び立てない。
並びたくない。
そんな我儘でしかない。
「ごめんなさい、俺には―――」
「私が背負うから」
言葉を遮り、先輩は続けた。
たった一人、弱虫な俺を諭すように。
瞳の奥をしっかりと硝子の水晶のような濁り一つない、清廉で“幻想を志した瞳”で、その奥の眼差しで自分を―――鈴乃木 日丹を眼差して言った。
「君の責任も、嫌なことも、全て私が背負う。だから付いてきてほしい―――」
「なんで俺―――なんですか」
「んー?」
「なんでそこまでして俺にいてほしいんですか」
「―――友達に隣にいてほしい、それ以外に理由なんかいる?」
「いや、いや、そんなことの為にこの国を、ひいては世界を背負えるんですか。その重さは尋常ではないし、俺の分までなんて、とても一人が背負えるものじゃない!俺なんかのために…」
本当に―――この人は。
「そんなことのために―――」
「そんな事で決心ついちゃったんだよ」
軽々とそんな事を言う。
「―――本当に後悔はないんですね。アズマ レイリ」
これは覚悟の契約。
―――全てを背負うという“東麗李”の覚悟。
「後悔なんてあるはずない。」
その幻想は硝子のように脆くとも―――。
「ここに私がいる―――ただそれだけだよ?」
儚げな笑顔で、それでいて希望の象徴のような無邪気さを宿して―――窓を開けた。
拍手喝采の中、城下町を駆け抜けていく竜車。
そしてそこから顔を出す一人の少女。
屈託のない笑顔で手を振る。
そんな様子を、俺は近くも遠い気持ちで見守っていた。
俺も一緒に振ろうかとも思ったがやめた。
そんな話すまでもない行間だった。
やっぱり、どこまでいっても東麗李は東麗李だった。
「着いたようです。行きましょう」
「やっとだー」
「……………」
―――その瞳には曇り一つなく。
―――今日もその生き方を貫く。
―――東 麗李とはそういう女だった。
微かな月光が城下の街を、墨絵のように浮かばせる―――月が金色の油をといたように光る。
やはりと言うべきか、この世界の美しさは形容し難い。まさかこんなことに、なんてセリフは少しくさいのかも知れない。
この世界に来て、本当になんでこんなことにと、一瞬も思わなかったことはない―――。
自分勝手に、他人勝手に、他人のせいにして、自分のせいにして、誰かのせいにして―――必ずそうやって逃げてきたんだ。
いつか聞いた名言を思い出すのだ『人は嫌なことがあったら、どんどん逃げていいんだけれど、目をそらしているだけじゃ、逃げたことにはならないんだよ』と、人間失格者の俺にはドンピシャに、ドンピシャリ、ピッタリに地球から月までぶっ飛ぶ衝撃度だった。
逃げて、逃げて、逃げてきた。
そんな自分に突き刺さるがごとくの名言。
ここは一つ過去を語るような場面転換なのだろうけど、そんな話したくもないし、思い出したくもない―――何より尺がない。これ以上は蛇足だろう。
ここで少し自分語りは幕間―――だ。
さて、と。
目の前にはカルデア帝国を代表する誉れ高き特級建築物であろう“カルデア城”が聳え立っており、進んで奥の方に階段があって、そこを通りに通って行けば、なんともまあ眺めのいい景色が―――というよりこの国全体が一望出来る景色だった。
ノスタルジックな気持ちになる。
そして思わず見惚れてしまった。
沢山の騎士達が立ち並ぶ階段もまた、物々しさ満載で息苦しい雰囲気でもあったのだけど、そんな獣道ならぬ騎士道もエフィラ姫が先導してくれたおかげさまでだいぶスムーズに歩めたし、麗李先輩は言わずもがなで―――思わず見惚れた。
「皇帝の御前です。所作などは楽にしていただいて構いませんが、くれぐれも、最低限失礼のない振る舞いを心がけてください」
ふと疑問に思ったがこの国が超弩級の独裁国家で、尚且つお国のために命を捧げろだとか言われないよな?
その時はその時か。
騎士道のカーペットのその奥カルデア城の大扉、けたたましい鉄の扉が地を鳴らしながらゆっくりと、しかし確実に開けていった。
扉が開けていくのと同時に王国中からの拍手喝采と情熱的な音楽で埋め尽くされる。
ピタゴラスが唱えた、宇宙の惑星が奏でる、壮大で壮絶な音楽のような、天球の音楽だ。
そして曲が厚みを増してきたところで―――大扉が完全に開けきる。
騎士道のカーペットの先に権威の象徴かのような人物、つまりは神霊カルデア帝国第九皇帝ユリウス・ジ・カルデアその人だということだ。
鞘に入った剣を手に持っていた。
「突然の召喚、申し訳ない勇者様。エフィラからは話を聞いた通りこの国、いやこの世界は魔王の脅威に晒されている。どうかそなた達に魔王の復活をとめてほしい。そこでこの剣を引き抜いてほしいのだ」
―――神霊剣アルクェイド。
魔王が封印されてから今代に至るまでその剣身を見た者はいなく、魔を討ち払う退魔剣。
悪しき心を持つ者は触れることすらかなわなず、剣に認められた者にしか引き抜くことはかなわない。
剣に意志が宿ると言われている。
アルクェイドを扱えるのは真の勇者のみ。
デザインとして鳥が片翼を広げた形の青い柄を持っており、その剣身は水鏡の様らしい。
そんな伝説の剣。
「俺が抜く」
俺は不躾な取り方で皇帝から剣を貰う。
そのような態度の悪さが浮き彫りすぎたのか騎士の一人が『おい』というのだが、さすが皇帝、ここで『よい』と騎士をなだめる。
でも俺ってそんなに失礼な態度とってたかな?
ともあれ俺は剣を、神霊剣アルクェイドを引き抜こうとするだった。
―――だが。
「うおぉぉーーーーー!」
剣がその白刃を晒すことはなかった。
とどのつまりこれは―――自分は選ばれなかった、ということの表れでもあった。
だよな。
そうだよな。
だってこの人がいる。
この美少女で残念おじさんがいる。
「引き抜けないとは……」
「なんと……」
「だがもう一人いる……!」
この場は勇者を選定する場。
勇者の誕生をこの国、いや―――この世界に告げるための式典会場。
むべなるかな。
最初の1人目で抜けておかないと不信感が募る。
この国の全員が見ているのだ。
勇者の誕生を。
なければ希望が徐々に絶望へと変わってしまう。
「―――先輩」
小手先だけの言葉でしかないが俺は―――
「あとは頼みます」
先輩に託した。
「………うん!バッチコイだよ!」
そして。
数秒待たずしてその鞘から引き抜かれるは―――
その神霊剣は―――アルクェイドは。
白藍色を輝かせながらその白刃を晒した。
曝け出した。
その剣身は湖の水鏡のように透き通っており、鮮やかで、艶やかで―――そしてあまねく星を番す輝きを放っていた。
黎明の夜明けと―――
金色の輝き―――
その白刃が晒されることはつまり“勇者”の誕生を意味した。
「あなたが⋯⋯!」
皇帝は賛美する、勇者の誕生を。
「私は…」
東麗李はこの国全体を見渡せる位置に歩いた。
そして剣を掲げ、帝国中に響き渡る声を上げだ。
「この国のみんなに告げる!!私はぁ!この世界に召喚された者だ!この世界のことなんてまだ全然知らない!そんな奴に背中を任せるなんてできないと思う!私は弱いし、こんな大勢の人々を目の前にしたら思わず足が立ち竦んでしまう!」
一呼吸する。
大きく、大きく。
神霊剣アルクェイドを天に掲げ。
「だけど信じて!私が魔王からこの国を!世界を!奪わせはしない!こんなぁ頼りない私だけれど!それでも!みんなを守るために戦わせてくださぁぁーーーい!!!」
言い放った。
静寂がこの国を包み込む。
「お……」
「うおぉぉぉーーーーーー!!」
帝国中から咆哮が鳴り響く。
辺りの家々から、露店達から、教会の数々から、寺院の数々から。
若人から、男性から、女性から、騎士から、魔法使いから、商人から、貴族から、王族から、貧民から、あらゆる立場や人種や種族のジャンルはこの時ばかりは関係がなく。
この帝国中の咆哮はこの国の人々の思いを一つにした瞬間でもあった。
さて、これを引き起こした当の本人はと言えば。
「剣おっもッ゙!」
天に挙げた国宝とも言うべき剣をあろうことか地面に叩きつけてしまったのだ。
ドゴン!!!
と、威勢の良い音が鳴るが、それでも帝国中からの咆哮には勝らない。
「やっぱこういうの慣れないなぁー」
「先輩はこれからいろんな者を背負っていくんですからーーーこんなの序章みたいなものですよ」
「東麗李は世界を救う!!…みたいな?」
「その始まりの物語です」
「えへへ~照れるなぁ〜」
「そんなことより剣の置き方が雑いです!」
「わわ!ごめんよマイスイートハニーちゃん!」
「剣がかわいそうです!」
「確か意思が宿るんだっけ?そんなふうには思えないいんだけど……ま、そのうちわかるでしょ!」
そのようないつもの感じだった。
この空気感が俺と麗李先輩の間柄なんだ。
なんとも言えない空気感が、どうとでも言えてしまいそうな空気感が、何者にも形容できない空気感が―――俺は果てしなく好きだった。
何かの合図があったのだろう、火花が空で咲く。
それは耳を聾する炸裂の音と一緒に、夢のようにはかとなく、一瞬の花を開いて、空の中に消えてしまった。
花火は好きだ。
花が咲く一瞬がいいのだ。
消えたあとにしんと静まり、いつもより深く黒く感じるあの空がいい。
祭りと言わんばかりのどんちゃん騒ぎで空も大地も、街も城も人々の声が止まない。
「今日はゆっくりしていいって!」
「了解です。あれ、でもその言い方だと後日ゆっくり出来る時間はないよ、というふうに聞こえるのですけど……」
「…………元気だそ?」
「嘘だッ!!」
「迫真すぎるーーー!」
そんなこんなで花火を眺める。
「先輩」
「綺麗ですね」
「そうだねー」
「……………」
「もしかしてさぁー」
「ん?」
「私のことかなぁー」
「違います」
「食い気味!」
花火は鳴り続ける。
「日丹」
「麗李」
その名を呼び続ける。
―――されども花火は鳴り止まない。
鈴乃木日丹は弱い人間です。
弱い人間がここからどう生きていくのか。
どう変わるのかはひたみ次第です。