2 始まるよ、泣かないで
何が起こったのだろう、思い出せない。えーっと、くそっ! 何も思い出せねぇ! あ、思い出した。俺は加藤純一郎。33歳でまあまあの給料とまあまあの家で、人間の屑のような視聴者と馴れ合っている。その俺が何でこんな視聴者が居そうなゴミの掃き溜めみたいなとこに……
とりあえず、一回ここに居る理由は置いて、辺りを探ってみよう。まず、俺の持ち物。実はさっきから、右手と左手に何かを握っている感触があったのだ。目視では確認できないため、形状で判断してみる。
「まず、こっちはなんだ……やけに重いし……」
左脇に抱えるように持っていたそれは、どこか角ばっているし、脇で抱える程だから、何か神がここに来ても困らないように与えてくれたアイテムなのかもしれない。これは超重要アイテムだな。よし。
そして、今度は右手に握っているものを確認する。超重要アイテムより、柔らかく触る度にベコボコいう。これもそうだな……神が与えてくれた天然のなんかあれだろう。よし。
持ち物のチェックが終わり、することも無くなったので、どこかにあるだろう出口を求めて俺は立ち上がりおもむろに辺りを駆け回ってみる。しかし、どこに行っても真っ暗。いや、無だ。
辛うじて背景を彩るように、蛍のように光る虫が辺りをブンブン飛び回っている。羽音を立てる分、蛍よりただ少しだけ鬱陶しい。だが、今はそれさえも殺意を覚えている。
「一匹一匹、羽をぐっちゃぐっちゃにしてやりてぇ……殺したって誰も文句言わねぇよなぁ……」
辺りを見渡して見ても人なんて居ないどころか気配すら無い。だったら……ジリジリと蛍モドキに近づき、殺戮を試みる。
「あぁ、ダメだダメだ! こんな状況だからって命を絶やしていいはずねぇだろが!」
俺の中にあるモヤモヤした何かが一歩寸前で止めてくれた。我に返り、再び解決の糸口を考える。どうしようか……あっ、そうだ! 最高のアイディアが思い浮かんだ! もうこれしかねぇ!
「寝よう」
そうだ、現実でこんなことあるはずがないんだ。ぜーんぶ夢。この悪夢から覚めれば俺はまた、いつもの自堕落な生活に……
いや、待てよ。戻ってどうする? 戻ったところでなんにも残っちゃいない。食って寝るだけのゴミみたいな生活が再び繰り返されるだけ。
むしろ、戻った方が生き地獄だと言うまである。ただ、生きていて何もしないという。良く考えろ、ゴミ同然の視聴者と戯れるだけの人生に価値があるっていうのか? いーや、ないね。だとしたら……俺はゴクっと唾を飲み込む。
「生まれ変わってやるぜ……」
決意した。もう過去は振り返らない。今あることを目標に、念頭に、生きる。その方がよっぽど……
「俺らしいじゃねぇか!」
瞬間、目映いばかりの光が真っ暗な空間に満ちていく。
「あっ……」
そこには清々しい緑色の草原、辺りを舞う科学調味料の固まりみたいな生き物の群れ。そして、サンサンと降り注ぐ太陽の光。つい、一瞬前まで暗闇に包まれていた世界の面影など微塵も感じなかった。
「よーーーーーーーーし、俺は絶対ここでヒーローになってみせるもんね!」
全速力で走り出した。一筋の希望の指す方角へと。俺を止められるものはもうないだろう。
「はぁ、はぁ、はぁ、疲れたあ……死ぬぅ……」
唯一俺を止められたのは33歳の体力だけだった。
──謎の世界へとやって来て1時間。勢いだけで走り続けてきたはいいものの、進んでも進んでも、森だらけ。森林浴は体に良いって言うけど、こんだけ、森林まみれだと、逆に体がもたねぇ。浄化されていく。
金もなければ、ここに関しても何も知らない。どうしろってんだ。俺は早くも巨大な壁にぶち当たることになった。しかし、今更諦めるなんてできねぇ。
「あ、そうだ。こんな時のために」
俺は両手に抱えていた超重要アイテムを思い出した。これさえあれば……果たして神は俺に何を与えてくれたのか……さっきとは違い、辺りは光で満ちてるので姿形も鮮明に見える。
「こ、これは……」
神が俺に与えてくれた超重要アイテムの一つ、角ばっていた方の正体は、四角い箱だった。なるほど、この中に素晴らしいアイテムが……いや、そんな訳がない。どうみてもノートパソコンだ。しかも、型が俺の持ってる奴と同じだ。つーか、俺のだ。
「パソコンだけ持っててもなんの意味もねぇよ。充電器も無けりゃ、インターネットもあるわけねーし……」
対して神は俺のことなんか気にかけていなかったことに絶望した。こういうときって、モエーな展開やらチート能力やら何やらが付与されるんじゃねぇのかよ。
気を取り直して、もう一つの方を確認しようと、右脇でいまだベコベコいってる物体を取り出す。それは確認するまでもなかった。
「蕎麦だな……」
セブンで買った蕎麦だった。道理でベコボコいってたんだな……触りすぎたせいで蕎麦は本来あるべき姿を失っていた。プラスチックはボコボコで、中身の蕎麦が容器からはみだしてもいる。しかも、長時間握っていたせいか、体温で温かい蕎麦になっていた。
「まさか図らずともあったかい蕎麦が食えるなんてな」
そんな嬉しくはないが、そんな悲しくもなかった。後で食うか。パソコンと蕎麦を抱き抱え、再び俺は走り出す。行き先のない道は、芸術的に例えるとモンスターが居ないモンハ