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許されない恋

作者: 葉月



始まりは1通のメッセージだった。



『久しぶり、元気??』




ある肌寒い夜の日。小学校から高校まで同じ学校だった麻季まきからだった。高校を卒業してから約10年。1回も連絡を取った事なかったから突然のメッセージに俺は驚いた。取り敢えず、何か返そうと思い「元気だよ」とだけ返す。



すると、思ったより早く返事が返ってきた。

『そっか。なら良かった』

ただの安否確認かと思いきや続けざまにメッセージが届く。

『良かったら今度飲まない??無理強いはしないけど』

思わぬお誘いに少し考えるが、同級会とでも思えばいいかと了承する。都合は合わせるとの事だったので、翌週の土曜の夜にした。

『分かった。急に声掛けてごめんね。ありがとう』

簡素だが、麻季らしいなと思いやり取りを終えた。




麻季とは中学で同じクラスに1回なっただけだが、何故か昔から校内で見掛けたら声を掛けていた。クラスも部活も違うから、接点が無いため向こうは驚いていたけど、年々慣れたのか気にしなくなっていた。

何の縁かは分からないが、中学・高校は生徒会で一緒だった。それがきっかけではないが、更に話す事は多くなった。



当時は声を掛けていた理由は自分でも分からなかった。しかも、見た目がちょっとぽっちゃりしていたから、酷いあだ名を付けていたのを思い出してしまった。罪悪感が今更溢れ出てくる。会った時に謝らなきゃなと思いつつ、俺は昔の自分の思いに気付いてしまった。

「そっか……。好きだったんだな」

「何が??」

「っ!!」

突然後ろから声が聞こえ、声にならない悲鳴をあげて振り向くと、俺が座っているソファーの後ろから直子なおこが俺の顔を覗いていた。

「何でそんな驚くのよ」

歩美あゆみを寝かせてるかと思って…。寝室にいたんじゃ無かったのか」

「今日はすんなり寝てくれたのよ。喉乾いたからお茶飲みにきただけ」

「そうか、お疲れ様」


直子はそのままキッチンへ向かった。その背中に俺は今度、旧友と飲んでくる旨を伝える。

「旧友??私知ってる人??」

「……知らないんじゃないか??小学校の頃の友達だから」

言いながら罪悪感があった。麻季の事は直子も知っているはずだからだ。

「ふーん。そんな古い知り合いなら分からないかな。あまり遅くならないでね」

「ああ、早く帰るよ」

「うん、じゃお休みなさい」

「お休み」

直子は再び寝室へ戻って行った。1人残された俺は飲みかけだったビールを口に運んだ。



妻の直子は高校の同級生だ。卒業し、就職してからたまたま地元に帰った時に再会した。そのまま交際を始め、結婚もした。結婚後に地元近くに引越した。可愛い娘も生まれ、幸せな日々だった。

だが、麻季からのメッセージでそれが崩れてしまいそうな予感がした。気のせいだと思いながら俺は、ビールを飲み切って寝る事にした。



約束の当日、少し遅くなると伝えて家を出る。待ち合わせは18時だったので間に合うように仕事を終えて向かった。俺が指定した場所に行くと、ブラウンのコートに身を包みスマホを眺めている小柄な女性がいた。肩には小さいバッグを掛けており、その中にスマホをしまうと俺に気付いた。昔と違って痩せていたが、薄化粧のせいか顔は昔と変わらない麻季がそこにいた。麻季は俺の顔を見るとはにかみ「久しぶり」と手を振る。

「悪い、待たせたな」

「ううん、私も今来たとこだから」

麻季の声がとても懐かしく聞こえる。麻季は思い出のままの麻季で嬉しかった。10年振りの再会に、俺も少し浮かれているのかもしれない。

「じゃ、行くか」

「うん」


麻季と並んで歩くと、相変わらず背が低いなと実感する。あまり高さの無いパンプスだからか、身長差は高校生のままだった。麻季は少し俯きながら歩いている。昔からの俯きながら歩く癖は変わらないらしい。変わったところと言えば少し口数が少なくなったくらいだろうか。そんな事を考えていると、目的の居酒屋に着いた。

店内は時間が早いせいか閑散としていた。やましい事は何も無いのだが、何となく壁と暖簾で仕切られている個室風の席を選んで案内してもらう。座りながら俺はビールを頼み麻季はシャンディガフを頼んだ。他に何品か頼み、お通しとお酒がきたところで乾杯をする。

「「乾杯」」

互いにグラスを合わせ、喉を潤す。麻季は俺があまり酒を飲むイメージが無かったようで、俺のグラスを指差しながら言う。

「意外だね。あまり飲むイメージ無かった」

そう言いながら微笑む麻季に思わず胸が高鳴る。ダメだと自分に言い聞かせ、さらにビールを飲んだ。

飲んでる間はお互いの仕事の話や、友人の近況話に盛り上がる。最初は何を話せばいいか分からなかったが、昔から知ってるからかそんな緊張も一気に吹き飛んでいた。



飲み始めてから1時間くらい経過したころだろうか。新しく頼んだハイボールを飲みながら麻季が聞いてくる。

「そういえばあきら、結婚して子供いるんだって??」

思ってもいない質問に、思わず口に含んだばかりのビールを吹き出しそうになった。言っていなかった話なのに何処で聞いたのか。

「何処で聞いたんだよ」

「女子の情報網を舐めちゃダメよ」

ふふっと少しいたずらっ子のような笑みを浮かべる。

「直子ちゃんでしょ??」

「相手も知ってんのか…」

「うん、びっくりしたけどね。直子ちゃんと結婚するとは思わなかったから」

「まぁ……タイミングだったのかな??」

「そんな事言ったら奥さんに怒られるよ」


俺は乾いた笑みを浮かべながらある事に気づく。俺は結婚しているけど、麻季はどうなのだろう。左手を見れば指輪を確認できるが、服で隠れてよく見えない。あまり年頃の女性にする質問じゃないが聞いてみる。

「……麻季は結婚してんの??」

「うん、してるよ」

こっちの緊張なんて伝わりもせず、さらりと麻季は答える。そして、左手の薬指も見せてくる。

「……俺知ってる人??」

「知らない人。だって今年で39歳だし」

「えっ」

そんな歳上だと思わず、危うく不倫を疑ってしまう。そんな俺の考えが顔に出ていたのだろう。麻季が笑いながら「違うよ〜」と否定する。よくよく話を聞いたらお互い初婚で、転職する前の会社で出会った人だった。

「優しい人でね、私の事凄く大事にしてくれるんだ」

そう話す麻季の表情は、今まで見た事ないくらい幸せそうだった。その表情を見て俺は胸が締め付けられるのを感じる。

「良い人に出会えて良かったな」

「うん、ありがと」

照れ臭そうに笑う麻季を思わず可愛いと思ってしまった。




時間が過ぎるのはあっという間で、20時半を過ぎていた。麻季は結構お酒が強いらしく、会った時と顔色も特に変化は無かった。他の店に行こうか迷っていると麻季が「実はさ」

と話し始める。

「学生の頃、章の事好きだったんだよね」

「えっ……」

「知らなかったでしょ??」

そう言って麻季は切なげに笑う。全く知らなかった。俺には興味無いような空気を出して話していたから、俺の事を好きでいてくれたなんて信じられない。


「もうお互い結婚してるから時効かなって思って。ごめんね、変な事言って」

俺が知らなかったと言えば「悟られないようにしていた」らしい。他に仲良い女子もいたからという理由だったが、要は身を引いたって事だ。クラスも違ければ、部活も違う。話す時は生徒会の時くらいだったから、相手にされないと麻季は思ったのだろう。当時の俺は、自分の感情に気づいていなかったから、何も言えない。だが、麻季に言わせて俺が言わないのは男としてどうなんだ。意を決して俺も伝える。


「………俺さ、学生の頃麻季の事好きだったみたいなんだ」

「何その言い方。怪しいんだけど。無理に言わなくていいよ」

「いや、そうじゃない。自分の気持ちを知ったのが最近なんだ」

「……ふーん、そうだったんだ。」

麻季はそう言うと伏し目がちに呟く。

「じゃあ告白しとけば、今頃結婚出来てたかな」

当時の俺は麻季に告白されたら交際していただろうか。もしかしたら断って後で後悔するかもしれない。そうなったら今みたいに一緒に飲んではいないだろう。


「でも、多分章は私と付き合わなかったよ。……だって、同級生に私の名前呼んでからかわれて呼ばなくなったくらいだからね」

「………なんでそんな事覚えてるんだよ」

「言ったでしょ??好きだったからよ。章に名前で呼ばれるの、好きだったのに。呼んでくれなくなったから悲しかった」

「……ごめん」

「いいわよ、時効だから」

そう言うと麻季は自分のバッグから財布を取り出し、自分の支払い分をテーブルに置く。

「今日はそろそろ帰るね。旦那、迎えに来てくれるらしいから」

「あ、ああ。俺も帰るよ」


支払いを済ませ2人で店を出ると、麻季は周囲を見渡す。すると、遠くから歩いて来る男性に目を止める。あの人が旦那なのだろう。俺に向き直り笑顔で言う。

「今日は楽しかったよ。急に誘ったのに、ありがとうね」

「いや、こちらこそ。てか、何で今日誘ったんだ??」

「んー……久々に会いたいって思った旧友が章だったから」

「なんだその理由。……今度は俺から誘うから、また飲もうぜ」

俺の申し出に驚いたのか、麻季は目を見開いたまま固まる。まさか今日だけのつもりだったのだろうか。でも、固まっていたのも数秒ですぐに笑顔で頷く。そして手をヒラヒラと振りながら「奥さんに怒られないようにね」と言いながら、その場から駆け足で去って行く。あんなに飲んだのに元気だなと眺めていると、先程見つけた男性に駆け寄る。お互いに笑顔で話しているのを見て、本当に仲良い夫婦なのだと実感する。そんな2人に背を向け、俺も家に向かって歩き出した。




それから、麻季とは昼間も会うようになった。俺から誘う事が多かった。麻季は直子と違い、定食屋やちょっと古いラーメン屋でも付き合ってくれた。直子は何時もお洒落なカフェや、綺麗なお店にしか行きたがらないから、俺はそれが新鮮で楽しかったし嬉しかった。いつの間にか麻季と会うのを心待ちにしていた。


この先は踏み出してはいけないと常々思っていた。だが、楽しそうに俺と会って食事して話をする麻季に、俺は淡い恋心から鍾愛へと変わり、ついには身体の関係を持った。お酒が入りいつもより気持ちが昂っていたのだろう。半ば無理やり麻季に手を出した。麻季は呆然としながらも「こんなつもりは無かったよ」とだけ言ってその日は帰った。





もう会う事は無いだろうと思いながらも、謝罪したいと連絡すると、思ったよりすぐ連絡がきた。そして、最近行った居酒屋を指定された。どんな顔をして会えばいいか分からなかったが、麻季は何時もと変わらない笑顔で居酒屋にいた。

「………もう俺に会いたくないと思ってた」

席に座りながら伝えると、麻季は顔にかかる髪を耳に掛けながら微笑む。

「会いたくなかったよ。でも、謝るって言ってくれたし……。貴重な異性の友人だから失いたくなかったのもあったかな」

「………それは、俺の事を好きだったから??」

「…さぁね」

麻季は俺の質問を軽く流すとメニューを眺めタッチパネルを押す。

「………飲まないの??」

「え、あ、うん。飲むよ」

飲まずに帰るかと思ったので吃りながらの返事になってしまった。だが、麻季が飲むつもりなのに飲まない訳にもいかず俺もビールを頼んだ。


その日、再び麻季と身体を重ねた。今度はどちらからともなく自然な流れだった。俺は麻季に拒否されなかっただけで嬉しかった。麻季が俺の愛情を受け入れてくれていると思った。




その後も会った日は身体を重ねるようになり、俺は麻季に夢中になった。直子とは歩美が生まれてから拒否されてばかりだったから寂しかったのかもしれないが、文句も言わず何時も笑顔でいてくれる麻季の方が俺は心が安らいだ。

そうなると、直子との関係は重く苦しいものに変化してくる。歩美は可愛いから家にいる時間は減らさないようにしているが、自然と直子には冷たくしてしまっていた。そんな俺を怪しんでか、飲みに行くと伝えると直子は露骨に嫌そうな顔をするようになった。そして、浮気を疑ってくる。間違いでは無いが、バレないように早く帰ってきている。

「でも、最近飲みに行くの多いしスマホ気にする事も増えてるから」

「そんな事、特に気にしてなかったわ。……分かった、直子が疑うなら今日は行かないよ」

「ホント??嬉しい」

俺の申し出に直子はとても嬉しそうだった。だが、俺は麻季と会う方が優先になっていたので麻季と会う時間を早めた。


「直子ちゃん、疑っているんでしょ??」

梅酒を片手に聞いてくる麻季に苦笑いで返す。疑われているのは事実だが、それは麻季もではのだろうか。

「麻季は旦那さんに何も言われないのか??」

「言われるよ、夜だと特に。でも詮索はしてこないし」

そう言う麻季の目は少し悲しげに見えたのは気のせいだろうか。

「そっか……。でも、正直に言うと直子といるより麻季といた方が安らぐのは事実だよ」

俺の言葉に麻季は「それは気の迷いよ」と一蹴し、その日はそのまま解散した。





だが、終わりは突然やってくる。





麻季と関係を持って半年近くになる頃。麻季とは良好だったが、直子とは完全に冷え切ってしまった。帰る時間が早くてもやはり回数が問題だった。それに、直子とはどうしてもそういう気分にはなれず、誘う事もしなくなった。直子から誘ってくる事は無かったので自然と無くなった。そして、ついに直子から「帰ってきたら話がある」と言われた。その日は麻季と会う日だったが、流石に断り、仕事が終わったらすぐに家に帰った。


リビングで待っていた直子は俺に座るように椅子を指す。机の上には緑色の用紙が置かれていた。

「………別れて下さい」

「…理由は??」

白々しいとでも言いたいのか、直子は俺を睨み付ける。

「分かってるくせに。何処の女か知らないけど、女に貢いでるでしょ」

貢いでいる訳では無いが、麻季との関係を言えば麻季にも迷惑がかかる。俺は素直に離婚に応じる事にした。


「……分かった。離婚しよう」

あっさり受け入れる俺に直子は驚いていた。悔しげに唇を噛むと離婚届を握り締める。

「……歩美に会えなくなっても、その女を選ぶの??」

「会えないって……??面会くらいは「させないわよ」……はっ??何でだよ!!」

「他の女に現を抜かすような父親に、大事な娘を会わせる訳ないでしょ!!」

俺はショックだった。別れても面会はさせてくれると思っていた。だが、直子はそれさえもさせたくないらしい。呆然とする俺に直子は話を続ける。

「本当は証拠を集めて慰謝料を取ってもいいのよ。でも、そんな労力使うのもバカバカしくなって。養育費だけ払ってくれればいいわ」


話は終わりとでも言うように直子は席を立つ。そして、明日から実家に帰る事と、弁護士を通して書類を送ると言った。急すぎて驚いたが、直子は歩美の傷が浅いうちにとでも思ったのだろう。弁護士には離婚理由を性格の不一致と家事育児に非協力的と伝えたらしい。直子は俺を見もせずに寝室へ入って行った。寝室からは直子と歩美の話し声が聴こえる。恐らく明日ここを出る話をしているのだろう。

俺は2人に声を掛ける事も出来ず、その日はビジネスホテルに泊まると直子にメッセージだけ送り家を出た。


翌朝、幸いにも土曜日で休みだったので、コンビニでパンを買って食べてから家に帰る。すると、直子達が家を出るところだった。歩美が俺を見て「パパ!!」と笑顔で近寄ろうとする。だが、直子が歩美の手を握りそれを拒否する。

「…ママ??」

「歩美、パパとはもう会えないのよ。バイバイしてね」

「……なんで??」

歩美は直子の言葉を理解出来ないのか、困惑している。直子は歩美の目線に合わせてしゃがみ悲しそうに歩美に伝える。

「パパはね、ママと歩美より大好きな人が出来たの。だから、もう会えないのよ」

すると、歩美は泣きそうな顔をしながら俺を見上げる。

「………パパ、もうあゆみのこときらい??」

「嫌いじゃないよ、ずっと大好きさ」

「じゃあなんであえないの??」


歩美の言葉に何て返せば良いのか分からず何も言えずにいると、直子は歩美の手を握り直し立ち上がる。

「歩美、行きましょう」

「……やだ」

駄々をこね始める歩美を直子は抱き上げ有無を言わさずその場から離れる。

「直子!!」

俺は思わず呼び止めてしまったが、直子は足だけ止めて振り向きもせずに言った。

「……短い間だったけど、幸せだったわ。ありがとう」

「………直子、違うんだ。俺が悪かったんだ。すまない」

見てないと分かっていても頭を下げる。だが、近付いてくる気配は無かった。

「……その言葉、もっと早く聞きたかった」

それだけ言うと直子は再び歩き出し、歩美を抱えながら階段を下りて行った。



1人になった部屋でソファーに座りながらテレビをつける。だが、見るというよりただ流しているだけだった。テレビを消そうと思いリモコンを取ろうとした時、ダイニングテーブルの上に封筒が置かれているのが目に付いた。

中を開けてみると、記入済みの離婚届と手紙が入っていた。手紙の内容はこれまでの日々の思い出と、今回離婚を決意したまでの経緯が書かれていた。やはり、飲みに行く回数が多くなった事から浮気を疑いだしたようだ。それに、直子の友人が俺が麻季と行ったカフェから1人で出てくるのを目撃しており、男性1人で使うような店では無かったので直子に連絡したらしい。それで俺の疑いに拍車がかかった。だが、俺がレシートとかそういうのは処分していたから証拠は掴めず、探偵に依頼するのも費用が掛かるので諦めたらしい。

罪悪感が湧き上がると同時に、俺は今後高校の同窓会に出られない事を悟った。直子とは高校の同級生だし、もちろん麻季も同級生だ。そして友人も大勢失うだろう。俺の話を直子がしない訳が無い。自業自得だと思い、溜息を吐く。麻季に伝えようとメッセージを開くが、そこに麻季の名前は無かった。


「えっ」

友人リストを見ても出てこない。メッセージの履歴には「メンバーがいません」とだけ表示されていた。背筋に嫌な汗が流れるのを感じ、慌てて電話を掛ける。

だが、電話の向こう側から聴こえるのは、無機質な機械の声で番号は使われていないというアナウンスだった。




麻季が俺から離れた。




それを悟った時には既に遅かった。直子も歩美もいなくなり、麻季だけだったのに。何処かにいないかと麻季とよく行った店を手当り次第に行ってみようと家を出る。

1度でも行った店を全部回って見たものの、休みだったり、開店前でやっていなかった。開いてる店もあったが、そこに麻季の姿は無かった。諦めて、お昼を買って帰ろうかと思いテイクアウト出来る店でお昼を買う。スマホを眺めながら家に帰る途中、路地を左に曲がったら1人の女性が正面にいた。ぶつかると思い、右に避ける。女性は軽く会釈して去って行く。その時、麻季からよく香っていた柔軟剤の匂いがした。思わず振り返るがそこに女性はいなかった。慌てて戻って見ても歩道を歩いている人は誰もいない。


気のせいかと思うが、背格好が麻季に似ていたので妙に気になる。考えながら歩いているとアパートの前に着いた。アパートの階段を上り、部屋の前に着くと扉に封筒が貼られていた。俺宛の名前が書いてあり、剥がして裏面を見ると「麻季」と書いてあった。急いで部屋に入り、買った物を置くのも靴を脱ぐのももどかしく玄関で封を切る。中には手紙と3枚の写真が入っていた。




『章へ


突然の手紙でごめんなさい。昨日の予定がキャンセルになったから、直子ちゃんにバレたんだよね。章のスマホが鳴る度に「直子ちゃんだな」って思ってたよ。章の大事な家族を壊してしまってごめんなさい。こんな事を言う資格は無いけど、貴方の家庭を壊すつもりは微塵もありませんでした。説得力は無いけど本当だよ。


そして、私と章が会う事はもう無いと思う。旦那の仕事の都合で今日から海外へ移住します。昨日会った時に伝えたかったけど、会わなかったので手紙でごめんね。章から逃げるような形になってしまったけど、私は旦那を選びます。旦那はこんな私でも全て受け入れてくれた人なので二度と裏切る事は出来ないの。



私の勝手な願いだけど、どうか元気で。

さようなら、私の大好きだった人。


麻季』




読み終えて、俺は自然と涙を流していた。俺は直子にも麻季にも捨てられた。俺が麻季と関係を持った事で、直子と離婚するかもしれないと薄々感じてはいた。それを分かって麻季を選んだのに。麻季は旦那を選んだ。

恐らく、旦那にも俺との関係を全て話したのだろう。そして、旦那はそれを受け入れた。もしかしたら、受け入れる条件として海外移住なのかもしれない。俺はその場に座り込み、子供のように泣き続けた。



20分くらいは経っただろうか。落ち着きを取り戻した俺は、封筒に入っていた写真を見る。2枚は俺と麻季の写真だった。学生の頃のとつい最近撮った写真だった。データを送ってと頼んで断られた写真だ。最後の1枚はコインロッカーの写真だった。該当するロッカーの番号に丸印がしてあり、写真の裏にはロッカーの場所が書いてある。肝心の鍵は郵便受けにと書いてあった。


取り敢えず、お昼を食べてからにしようと部屋に入る。お昼を温めながら、麻季の事を考える。麻季に家の場所を話した記憶が無いが、恐らく酔っ払って話したのだろう。そして、俺がいない時を見計らって封筒を貼り付けたとしたら、先程すれ違った女性はやっぱり麻季だったかもしれない。髪は長かったが、それはカツラとかで誤魔化せるし、身長もヒール等で誤魔化せるが、体型はそうもいかない。やはり麻季が部屋の前まで来たんだなと確信した。



お昼を食べた後、写真に書いてある場所へ向かった。そこは空港のコインロッカーだった。国際線もある空港なので、もしかしたら麻季もいるのかもしれない。探そうかと思ったが、やめた。大人しく指定されたコインロッカーへ向かう。鍵の番号とロッカーの番号を確認して鍵を開ける。すると、中に入っていたのは茶色の大きい封筒だった。表に持って帰ってから開けるように書いてある。そのまま受け取り、コインロッカーから離れた。帰り際に搭乗手続きや待合ロビーも覗くが、麻季の姿は見えない。既に異国の地へ飛び立ったかなと思うと急に胸が締め付けられる。



家に帰り、封筒を開けてみた。中には分厚い札束とメモが書いてあった。どうやら慰謝料を取られた時用のお金らしい。受け取れないから返そうと思っても返し先が分からない。どうにも出来ないので、取り敢えず手を付けないようにしまっておく事にした。




結局、俺に残ったのは広くなったこの部屋と麻季との写真だけ。自業自得だが、何故あんなにも麻季に夢中になったのかまだ説明出来ない。


やはり、学生の頃に告白をしておけば幸せな日々を失わずに済んだのだろうか。



今更悔やんでも仕方ない。


もう1人で生きるしかない俺は、静寂が広がる部屋で再び涙を流した。











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