切手を探せ
弟の生活は不規則だ。早朝に張り込みをすることもあれば、連日深夜に働くこともある。それでもまるまる三日泊まりになるのは今回が初めてだ。連絡はあったが事情はわからない。珍しいなと思いつつ、少々だらけた。
両親とおばあちゃんが亡くなって弟が探偵を始めてから、家にいる時間が圧倒的に長い半ひきこもりの俺が家事をすることは多い。だがこれは義務じゃない。やらなくても文句は言われないと思う。
俺が立派な社会の歯車ならきっとやらない。だが俺はそんな偉大な存在じゃないから、これ以上人の道を踏み外さない行動をとりたい。だからあきらめて掃除を再開し、夕食も作っていたら弟が帰ってきた。
「今回えらく長かったな」
「まだ終わってない」
驚いたが、少なくとも今夜は家にいるらしい。普段は時間帯が違うから別に食べることが多いが、久々にいっしょに食事をした。が、少々箸の進みが遅い。疲れているのかと尋ねたら、そうでもないと答えられた。
「なんか味変か」
「いや。変わらない」
家事を担っていたうちのおばあちゃんのやり方を継承しているので、多少古風かもしれんがいつもと同程度のはずだ。首を傾げつつ洗い物に向かおうとするとなぜか止められた。
「今日は俺がやる」
うちでは成人少し前から、使用した食器は各自で洗うことになっている。食器洗い機もあるが普段は起動させない。
「いやいい。プラモ作るし」
「プラモデルのことか? 何の関係がある」
弟が不思議そうな顔をする。こっちの方が不思議だ。なぜ急にいつもの習慣に口を出す。
「ガンプラは別だが、他は離型剤を落とすためにしっかり洗浄する必要があるんだ。無意識レベルでちゃんとするように心がけている」
自分の性格のいいかげんさは把握しているので、条件反射を組み込んでいる。
「それでもたまには楽をしてくれ」
「……何が目的だ」
尋ねると弟は「仕事を手伝ってほしい」と真顔で言った。「どういう?」と俺は尋ねた。ネットで検索するとかなら協力してやらんでもない。
「とある豪邸に何日か泊まって切手を探してほしい」
「空き家?」
「いや。何人かいる」
「絶対にイヤだ」
ただでさえ人に会いたくないのに、他者のいる見知らぬ館に何日も泊まるなんて耐えられない。徹底抗戦の構えの俺に、弟はただ頭を下げた。
「……頼む」
能力もプライドも高いこいつが、こんな態度を見せることは極めて稀だ。少し考えた。
「事情だけは聞く。だが行かない」
「わかった」
弟は仕事の内容を話し出した。
とある金持ちがいた。彼は遺産のすべてを孫娘に残そうとしたが、面倒くさい親族がたくさんいた。孫娘の両親はすでに死んでいる。
「うわ、絶対行かない。どんどん人が死ぬヤツじゃないか」
「大丈夫だ。もうほとんど死んだ。警察も入って犯人も捕まっている」
「……新しいな」
で、遺産はその娘さんが継ぎ金持ちは死んだ。大体は上手く行ったのだが困ったことが一つあった。
「遺産の一つの切手が見つからない」
「金持ちなら一つぐらいあきらめればよくね?」
「いやそれが、あきらめるには惜しい金額なんだ」
七年前その金持ちがオークションで購入したが、なんでもヨーロッパの小国の王位継承記念に発行したもので、なんかちょっとしたミスプリントがあり、しかも超有名美人女優がコレクションしてたとかで箔がついたらしい。オークション時点で億に近かったが、今はその何倍かになっているそうだ。
「そりゃもったいない。だけど家中探したんだろ」
「探した。徹底的に探した。それでも見つからなかったが、金持ちが死ぬ間際に『この邸の中にある』と言い残した」
「切手のサイズは?」
「小さい。縦1.2cm、横1.1cm。全体が灰色で、黒い線でねずみの絵が描いてある」
「そんなめでたい祝いになぜそんな地味な柄を」
「王は国中至るところに目を持つ、とかその国の格言とか伝説に関係するらしい」
よその国の人のセンスはよくわからん。
「よく探しても見つからなかったので、通常とは異なる視点で探せる人が必要だ」
「俺は凡人だし絶対イヤだからな。期待されても不可能だし」
「それでもいい。もう一つ、金持ちが死ぬ前日に自室に呼んだ家政婦さんと話してもらいたい」
「死んでもイヤだ……美人か?」
つい尋ねてしまったが、弟は首を横に振った。
「七十一歳で恐ろしく無口な人だ」
「無理。大体おまえの方が人あたりがいいだろ」
年齢に限らず大抵の女性は弟に好感を示す。絶対にこいつの方が向いている。だが彼は肩をすくめた。
「無難にはこなすしほどほどにはつきあえる。だが、高年齢層はあんたの方が絶対聞きだせる」
「ないって」
「バスに乗るだけで飴とかみかんとかもらってるじゃないか」
それは正直よくあった。といってもバスなんか十年ぐらい乗ってない。
「病院の見舞いでも、いなくなったと思ったら見知らぬ老婦人にせんべいもらってたじゃないか」
「あの年代の人は若いもんを餌付けする癖があるんだ」
「俺はもらわない」
「ほしかったのか」
「いや、別に」
だろうな。俺だって若い女の子にもらうほうが嬉しい。
「とにかくこの家政婦さんがキーパーソンだと思う。彼女が少しでも心を開いてくれれば、格段に仕事が楽になる」
死ぬ前日の金持ちは誰も寄せ付けずに彼女と話したらしい。その時に切手を預けた可能性がある。彼女は身よりもなく五十年以上忠実に勤めている人だそうだ。
コミュニケーション能力が著しく欠落した俺には無理な話だと思う。更に拒否したが、弟は今度は遺産相続した孫娘について語った。
「二十四歳の美女だ。だが彼女の長所は、それ以上に穏やかな人柄だ」
「それはおまえに対してだけじゃ?」
「違う。誰にでも優しい。少し天然入ってる気はするが」
だいぶ心が動いた。アニメかなんかのキャラクターなら気性の荒い娘も好きだが、リアルの人なら温厚な性格が一番いい。更に天然は付加価値だ。
「その上フィギュアが趣味だと聞いている」
「何系?」
「知らない。可動域が広いとか言っていたが」
弟はその類に全く興味を示さないので、好みの範囲は絞れなかった。だが可動域にこだわるのなら撮影ぐらいはするだろう。とするとそれ用のライトはあるだろうから、手持ちの逸品を持っていけばジャンルは違っても喜んでくれるのではないだろうか。
「じゃ、明日十四時に出るから」
「って、おい」
「…………少しは外に出た方がいい」
抵抗しようとしたのだが、あんまり真剣に言われて口ごもった。いいや出ている。通販以外に本屋にもプラモ屋にも行く。たまにだが。
話し終えた弟はさっさと洗い物をしてフロに向かった。タイミングを失った俺は自室に引き上げ、少し唸った。
自宅のある県庁所在地から車で約一時間。昔はだいぶ栄えたT町だが、今は少し寂しげな所だ。
なんでも明治後半に鉄道敷設の話があったらしい。ところが当時の地元の人は、そんな野蛮なものは必要ないと拒否したそうだ。その結果鉄道の話は近郊の町に行き、大正二年に完成した。今ではそこが県内の第二都市になっている。そしてT町は、市町村合併の時にそこに吸収された。
それでも昔の名残りか町並みはどことなく品がある。でも、くだんの邸は町中ではなく少し外れた山の上にあった。
高い塀に囲まれた正面はいかつい金属製の扉だ。端にあるインターホンを押すと、確認の上自動で開かれた。中はほとんどレンガが敷き詰められていて、ところどころ丸い囲いの中にほどほどの高さの木が生えている。青々とした楓はわかるが、他の種類は知らない。車を下りて歩いていると、玄関前の花壇に綺麗な紫の花が咲いている。これが紫蘭であることは思い出した。
「思ったよりは小さいんだな」
大き目の二世帯住宅くらいの邸だった。だが建物はそのくらいでも、山全体が所有地だそうだ。さらに都会や外国にも所有する館があるそうだ。
邸に入ろうとしたら、貧相な中年の男が飛び出してきた。
「お待ちしていましたよ、佐々木さん」
驚いていると、男は俺に目を向けた。
「その方がお兄さんですか」
ここの弁護士さんだった。市川さんというらしい。俺はおどおどとあいさつに応えた。
「そんなに緊張しないでください。私など最近雇われた二人目ですから」
「一人目の方は?」
「死にました。いえ、この方は脳卒中で」
いろいろストレスがあったからか。邸関係の犯人が捕まってすぐだそうだ。
「まあとにかく邸の中へどうぞ」
俺たちはわりと和風の玄関で靴を脱ぎスリッパを履いて、右横の一つ目の客間に案内された。弁護士さんが今までのあらましを、伝聞ですがと断って語ってくれる。殺人犯と孫娘以外の親族は、本当に死に絶えたらしい。
「よくそのお嬢さん無事でしたね」
「前の弁護士も手を尽くしたそうです。犯人もフェイントで他から殺し始めましたからね」
何でも彼女のおじさんだったらしいが、作戦を誤ったんだと思う。
「最後は直接ナイフで襲いかかったのですが、用心して彼女の部屋に潜んでいた家政婦の稲田さんに返り討ちにあいました」
「……家政婦さんは二人いるのですか」
「はい。通いの森田さんと調理担当の稲田さんです」
俺は森田さんが例の七十一歳だと思った。だが逆だった。
「ということは七十一歳の老……いえご婦人が返り討ちにしたというわけですか」
「ええ。彼女は大柄ですし牛もさばけます」
「犯人は何でそんな物騒な相手を先に殺さなかったのですか」
「遺産相続人じゃありませんからね。それに彼女は恐ろしく料理が上手い。ただでさえ気のめいる連続殺人なんかやるんですから、ご飯ぐらいおいしいのが食べたかったんじゃないですか」
俺は殺人犯の気持ちなんか全くわからないから、否定も肯定もできかねる。困惑していたら扉を叩く音がして、もう一人の方の森田さんがお茶を持ってきてくれた。
たぶん四十から五十くらいの女性だと思う。でも六十ぐらいの人が気合を入れたとしてもこんなものかもしれない。見分けられない。
料理以外の家事はほとんどこの森田さんがやっているらしい。掃除とか大変じゃないですかと尋ねたら、自立走行系掃除機が十台いるのでできているそうだ。
「窓や庭はどうしているのですか」
「どちらも季節ごとに業者が入りますが、主人が亡くなってからはまだ入れてません」
ただし切手探しには業者を入れたらしい。え、盗られちゃったらどうするんだろうと思ったら、高額な時給を出す代わりに指紋をとらせてもらい、免許証のコピーとマイナカードのナンバーを必須とし、なおかつカメラに記録し自分たちも立ちあったそうだ。
「佐々木さん……祐二さんにも監視をお願いしました」
「信用していいんですか」
「他の仕事でも何度かお会いしていますから」
信用のある立派な社会人だ。俺と違って。
「邸をくまなく探しましたが発見できませんでした」
電子書籍に移行していたため減らされてはいたがそれでも三つある本棚すべてをチェックし、本棚自体も裏まで調べた。同様に各部屋を細かく調べたが発見できなかったようだ。
「掃除機はどうですか。ゴミはもちろん調べるでしょうが、中に貼り付けてあったとしたら」
「ええ。祐二さんが同じことを考えて分解して調べたのですが、見つけられませんでした」
他の機械類も同様だ。中には元に戻せなくて買い換えたものもあるらしい。ゴミは掃除機が自動で集積場所に向かってかってに吐き出すが、もちろん毎日チェックしているそうだ。水ぶきの機械もあるらしいが、今は制限して使っているとか。
「家具もすべて調べたのですが、発見できません」
見落としはないか。少し考え込んだ俺に弟が補足した。
「俺も手伝った。信用していい」
こいつが言うならそうなのだろう。じゃあそれはいいとして、もう一人の家政婦さんについてだ。
「稲田さんは先代のご主人に大変信頼されていたと聞いていますが」
弁護士は大きくうなずいた。
「そのとおりです。彼女は人生をこの家の食卓に捧げたのですから」
少し大げさじゃないかと思ったが、話を聞くとうなずかざるを得なかった。
稲田さんは身寄りを早く亡くしたので、十五の年に家政婦見習いとして先代の父である先々代の主人に雇われた。そしてすぐに料理に目覚めた。
当時は使用人に結婚相手を紹介することもよく行われていたそうだ。稲田さんが十八になった時、先々代は部屋に呼び出して希望を聞いた。だが彼女はそれを拒否した。
「一生結婚せず、生涯一料理人としてこの家に仕えることを望んだそうです。先々代は了承し、それでも女子の一生を預かるわけだからと、代わりに料理研究のための費用をすべて持つ他、別宅にはもちろん同行し、名のあるレストランや料亭にも連れて行き、時にはその厨房に預け、肉屋や魚屋にも通わせ、家族での海外旅行には必ず同行して食事を共にしたそうです」
その結果稲田さんは料理の名人となり、先々代が亡くなった後も、先代の亡くなった今も変わらず当家に仕えている。
「ということで、五十年以上も勤めている特別な使用人なのです……どうぞ」
説明中にノックがあって振り向くと、きれいな女性が入ってきた。彼女は俺の前に立ち「はじめまして佐々木明裕さん。白霧真衣子です」と言ってにっこりと笑った。
盛大にどもりつつあいさつを返した俺に向けた瞳は優しかった。
「稲田さんについて話していたところなんですよ」
弁護士が説明する。真衣子さんは善意あふれる笑顔のままうなずいた。
「私にとっても特別な方なのです。もう一人のおばあさまと思っています」
「あの……本当のおばあさまが不愉快に思うことはなかったのですか」
唐突に失礼なことを聞いてしまい焦ったが、彼女はみじんも動じなかった。
「まさか! うちの祖母は料理が恐ろしく下手だったのです」
そのため、ここに嫁ぐ前に一度婚約破棄されたことがあるそうだ。なので彼女は料理すべてを引き受けてくれる稲田さんに感謝していて、とても大事にしていたと話してくれた。
「今どきはそんなこともないでしょうけど念のために、と祖母に勧められて私、稲田さんに少しだけ料理を習ったの。だから私は彼女の弟子でもあるのです」
そうだよな。幼い時に食べた味は自分が継承しておくのがてっとり早い。もごもごとそんなことを口走ったら、彼女は肯定してくれた。
「ええ。彼女みたいには作れないけれど、それでも他の人よりかはいくらか近いと思います」
謎のおばあさんの料理よりもむしろあなたのを食べたいですと、心の中でつぶやく。
「そんなに仲がいいのに、切手のありかを教えてくれないのですか」
「彼女が持っていると確証があるわけではないのです。それに私、つかまったおじさまをギリギリまで信じていたので、判断力を疑われても仕方がありません」
「私のせいかもしれません」
弁護士さんが悲しそうに付け加える。
「前の方が急に亡くなったので、新参者の私が信用できないのも無理はないのです。あれだけ死者も出たわけですから」
俺は小声で弟に尋ねた。
「この人いい人?」
「いい人だ」
即答された。じゃあ信じる。こいつが言うならそうなんだろ。
「彼女がいる場所は探したのですか」
「ええもちろん」
今度は弁護士さんが勢いよくうなずく。稲田さんは台所横の部屋に住んでいる。私室もキッチンも了解を得て何度も捜した。
「食器棚も動かして裏まで見ました。皿も一枚一枚チェックし、冷蔵庫の中身や食材、なべの中まで見ました」
真衣子さんも口をはさむ。
「抜き打ちで調べて、一度など非番の婦警さんにボディチェックまでしてもらいました。失礼だと思って、私もいっしょに受けましたが」
弟の探偵の師匠の紹介できてもらったそうだ。
「口の中まで捜されましたが、身につけてはいませんでした」
そこまで徹底しても見つからないのなら、家政婦さんは関係ないのではないだろうか。
「かもしれません。祖父はただ単に、長く勤める彼女に、私のことを頼んだだけなのかもしれません」
もっと多角的な視点で見るべきなのではないだろうか。俺はもう一人の家政婦さんについても尋ねたが、よく気心が知れた人ではあるが亡き先代と親しかったわけでもなく、預けられる可能性は低いということだ。
「それに森田さんのお子さんも役場づとめと公立校の先生で、同業の方と結婚していますから彼女のことは疑っていません」
確かに身内の生涯賃金を考えると、切手一枚に人生をかけるとは思えない。
「森田さんが稲田さんのことをうらんでいたりはしませんか」
一人だけ特別扱いで、レストランや外国旅行に連れて行ってもらっているのなら、他の人にねたまれていたりはしないのか。だが真衣子さんは首を横に振った。
「かつて勤めていた方の中にはそんな人もいました。でも森田さんはさっぱりとした気性の方で、それにご家庭第一主義で十七時になったらまっすぐ家に帰ります。海外には興味をお持ちでないので、何度か国内の旅行にお誘いしましたが、それよりも自宅にいたいからとお断りされました」
二人の関係性は悪くないらしい。森田さんの昼のまかないは稲田さんが作るし、試作品の味見も協力するらしい。
「私も試食することがあるのですけれど、もう最初の段階から美味しいしかいえなくて、全然参考にならないのです」
「わかります!」
真衣子さんの言葉に弁護士が大きくうなずいた。
「最初の夜にいただいたテールシチューがあまりに美味しくて、もう一生こんなすばらしいシチューが食べられないのかと思ったら悲しくなって、懇願してまた作ってもらったほどです」
「おかげで俺も食べられた。タンシチューだったが」
「その間に食べたおでんもすごかったです。いや昼食の手作り東坡肉入りチャーハンも他もすべて美味しい。ですが最初にいただいたタンシチューのおいしさは忘れられません」
そんなに力説されると食べたくなるじゃないか。しかしさすがに三回は続けてくれないだろう。
「みんな彼女の料理のとりこになるのです」
「白霧さんは何がお好きですか」
「すべて美味しいので悩みます。帆立貝のコキールかしら……いいえ、あれが一位じゃないわ」
「コキールって何?」
弟に聞くと「貝がら型に入ったグラタンだ」と答えられた。真衣子さんはそのまま悩んでいたが、さすがに脱線がすぎると思ったらしい弟が話を進めた。
「そのうち思いついたら教えてください。それでは稲田さんを呼んでもらえますか」
彼女は画面なしのスマートスピーカーで家政婦さんを呼んでくれた。
話は聞いていたので予測はしていた。だが実際に見るのとはやはり違う。俺は当然『そんなでか』と脳内で口走りかけ、人様の身体について失礼な言及をする自分の卑しさに痛みを感じ、でも何かに似ているという疑問がわき、『チャーリーとチョコレート工場のウンパルンパ族に似ている!』と判明し、さらに『明治北方活劇マンガの牛山というキャラにもどこか似ている』と気づき、そして高齢とはいえ女性にそう思ってしまう自分にがっかりしてその結果過呼吸を起こした。
みなが焦る中、いつの間にか席を外していた稲田さんが戻ってきて、持っていたマグカップを差し出した。考える間もなく口にして、その温もりと香り、優しい味に驚いた。
みんなの賞賛を聞いて、有名シェフのなんか派手な料理を想像していた。でもこのスープは違った。地味で温かな最上級の家庭料理だ。俺は落ち着き、珍しく相手の目を見て礼を言った。
「……ありがとうございます」
稲田さんはほんのわずかにへの字型の口の端を持ち上げた。
「しょうゆを落とした鶏がらスープですか」
彼女はうなずいた。そのあっさりした穏やかな味が彼女の本質に思えた。表面はもう気にならなかった。
「うちでもよく作ってもらいました。冬瓜を入れても美味しいですよね」
さっきと同じくらい口の端が上がる。肯定だ。その勢いに乗って自分の任務を遂行する。
「切手の件はご存知ですよね。長く勤めるあなたにお尋ねしますが、ぶっちゃけどこにあると思いますか」
唐突な質問に面食らったのか、稲田さんは黙っている。
「ぼんやりとでも考えつく場所はないですか?」
「……意外な所か」
「たとえば?」
「……フロ?」
口重な彼女がようやく答える。俺はぽんと手を打った。
「なるほど。考慮すべき場所ですね」
また何か思いついたら教えてくださいと頼み台所へ戻ってもらった。
残った人たちが不思議そうな顔で俺を見るので、どもりながら「嘘に慣れた人には見えなかったので」とつぶやいた。
「もし彼女が先代のご主人に頼まれて黙っているとしても、何か真実に近いことを言うんじゃないかと思って」
「フロに隠しているのでしょうか」
弁護士さんが尋ねる。俺は首を横に振った。
「知っていたとしてもさすがにずばりとは言わないと思います。だけどヒントをくれたかもしれません」
なんか思ったよりなめらかにしゃべれたが、具体的な場所を聞かれても答えられない。だが弟たちは検討し始めた。
「とすると水場か」
「どこも探しましたよね」
「だが確かに意外な場所です。切手は紙だし水周りにあるとは誰も思わない」
弟は少し考えていたが、いきなり俺に振った。
「水場で切手を隠しておけて誰も気づかない場所はどこだ」
「俺が知るわけがないだろう…………あ」
運悪く思いついた。黙っとこうとしたのに、俺の反応に慣れている弟に気づかれて急かされた。
「言ってくれ」
「外れても失望するなよ。そもそもあたってるわけがないからな」
「いいから」
しぶしぶ思いつきを口にした。
「ほら、あの洗面所にある……いやキッチンにもあるか。排水溝につながる曲がった部分」
「S字トラップか」
そんな名前なんだ。初めて知った。弁護士さんが首をかしげる。
「濡れたりくっついたりしたら、価値が損なわれませんか」
いくら俺でも直接入ってるとは思わない。
「いえ、ビニールに入れて」
「でも、水を強く出したら流されてしまいます」
真衣子さんも懐疑的だ。俺はおずおずと補足した。
「切手をビニールに入れ、いっしょに重りとなる鉄製品を入れます。必要なときはネオジムとか強力な磁石を配水管にあてると」
「とりあえずキッチンの方を見てくる」
弟はすごい勢いで行ってしまった。弁護士の市川さんは真衣子さんに尋ねている。
「ここにはいくつ洗面台がありますか」
彼女は頬に手をあて「おじいさまの部屋と私の部屋、キッチンは調理用以外に隅に手洗い専用のものがあるのでそこと、一階と二階のおフロの横で五つかしら。あ、客室にもあったわ。玄関にもあるし、トイレの手洗いも考えるのかしら」
「たくさんあるのですね」
「全部確認しなければなりませんね」
二人がおっとりと話しているうちに弟が戻ってきた。
「キッチンのトラップにはなかった。少なくとも今は」
「磁石持ってるのか」
「ああ」
その上、この短い時間で一応開いてみたらしい。
「水が出ただけだ。何もない」
「他の洗面所も調べて見ましょう」
特に協力できるスキルもないので、俺は引き上げたくなった。控えめに主張すると「二階にお部屋を用意してあります。弟さんと同じ部屋ですが」と言われた。なんでもいい。もう限界だ。社交性の欠片を使い切ってふらふらしながら与えられた部屋に引き上げた。
二台並んだベッドの片方に転がって、深い穴に突き落とされるように眠り込んだ。
ここ、連続殺人の起こった屋敷だよな。とするとこの部屋でも人死んでるんじゃないかな。
目が覚めると同時にそう思いついて鳥肌が立った。いや、何もない。恨めしそうなお化けが俺を見つめていたりはしない。それにまだ窓の外は明るい。だけどなんか恐くなって部屋を飛び出した。
この館は玄関とそこに続くホールを中心として二つに分かれている。最初に通された客間は東側で、俺のいる部屋は二階の北側だ。部屋には小さな洗面台がある。隣も客室っぽいが、その横は共有のトイレと浴室だと思う。
亡くなった先代の部屋は一階の南端で、真衣子さんの部屋はその上にある。この二つにはトイレも風呂もあるらしい。
フロの隣の並びはたぶん客室だろう。その辺まで来た時に、何かがすごい勢いで足元に走ってきた。ぶつかると思ってびっくりした瞬間、それは俺を避け急に止まった。掃除機だった。
「六番ちゃん!」
声がしたと思ったら森田さんが駆けてきてそれを抱えあげた。
「ごめんなさい、ケガはありません?」
「いえ。ぶつかってもいませんよ」
「センサーは効いてるのねー。こら、かってなことしちゃダメでしょ」
彼女は掃除機をめっ、と叱った。
「午前中にお掃除は終わってるんですけど、この子時たま変な時間に動き出したり謎ルート掃除したりしちゃうの」
「故障ですか」
「だと思うけど、毎回じゃないので修理するほどでもなくて。でも驚いたでしょう」
一階も二階も西に三畳ほどの小部屋があって、そこが道具部屋だ。扉の代わりに壁とよく似た布が吊ってあり、掃除機たちはそこをステーションにしているそうだ。森田さんは追加の雑巾を取りにきて気づいたらしい。彼女はもう一度謝り、その小部屋に向かったところでフロ横の客室から弟と弁護士さんが出てきた。濡れたビニールの大袋を持っている。その中に雑巾などが入っていた。
「うちの部屋で最後だ」
「私は戻りましょう」
「いえ、いてください。あなたの部屋にも入らせてもらいましたし」
ちょうど森田さん戻ってきて、新しい雑巾を渡し古いものを引き取って階下に下りていった。二人はなれた手つきで洗面所のS字トラップの周りにビニール袋をくくりつけた。管を外してチェックするとすぐにそれを戻し、袋にたまった水を流し捨てた。
「ありませんね」
「すみません」
消え入るような声で謝ると、弁護士さんが慌てて手を振る。
「いえ、とんでもない! よく思いつきましたね。私たちじゃ考えつきもしませんでした」
ムダな労力を使わせただけだ。
「先にフロを使ってください。こちらは後から入りますから」
弟は彼に勧めた。多少汚水を浴びたらしい。
「それでは遠慮なく。お兄さん、もっと自信を持ってください」
なんだか妙な励ましを受けた。どう応えるか焦ってる間に彼は部屋を出て行った。
「……だから言ったろ!」
二人になった途端に強気になって弟にくってかかる。
「そこにないことは確定した。一時的にあって回収されたかもしれないが」
「間違っていたとは言え一つ提案したんだから、もううちに帰してほしい」
「稲田さんの料理を食べずにか。あれは絶品だ」
「スープもらったからいいよ」
「夕食はあの鶏がらスープで煮込んだポトフだ」
優しい味がよみがえる。あんな域に達していたわけじゃないが、うちのおばあちゃんのご飯とどこか似ている。
「…………食べる」
食欲に負けた。
実際ポトフは美味しかった。スープは昼にもらったやつに野菜や肉の味がもっと加わって最高で、かといって中の肉も味が抜けていない。スープになじんでいて実にうまい。
「おかわりはいかがですか」
真衣子さんがニコニコと尋ねてくれる。うなずくと弟たちも賛同した。
「こんなに全力で食事を楽しむなんていつ以来でしょう」
弁護士さんは貧相に見えるほどやせていて、普段は食が細そうだ。この件が長引くと太るんじゃないだろうか。
「稲田さんのおかげですわ」
「確かに。ずっとお元気でいてほしいですね。ケガとか火傷とか大丈夫ですか」
「今のところは不安はありませんわ」
「うちはオール電化なんですが意外と便利ですよ」
弁護士さんが穏やかに勧める。俺も家族に同じことを言ったことがある。
「うちでも料理をしていた祖母に勧めたことがありますが、拒否されました」
弟が口をはさむ。「ガスは火力が一目でわかるので対応しやすいし、それと海苔があぶれないのはいやだと言われましたね」
真衣子さんはうなずいた。
「ええ、うちも同じことを言われました。あぶりたての海苔を巻いたおむすびは美味しいのでそれ以上言えなくって」
わかる。
「それに今どきのガスには中央に立ち消え安全装置がついていて、空焚きの時や熱しすぎの時は消えるようになっている上に、稲田さんは私よりずっとしっかりしているので大丈夫だと思いました」
そう言われて弁護士さんも首を縦に振る。
「それもそうですね。稲田さんなら安心でしょう」
「本当に何かと便利になりましたね。この家は五年前に建てたのですが掃除機やエアコンも昔とは大違いですし、呼び出しさえ簡単にできます」
さっき呼び出しにスマートスピーカーを使っていた。ちょっとそちらの方に話題がいったが、真衣子さんと先代と稲田さんの私室には10インチの画面つきのスピーカーがあり、他の部屋にあるものはほとんどが画面なしだそうだ。これでエアコンや掃除機を動かすこともできるし、会話もできる。うちでも使っているが音楽も聞けるし動画サイトも見ることができる。なかなか便利だ。
「私はまだ少々抵抗がありますね」と弁護士さんが言うと、真衣子さんは「あら、稲田さんも使いこなしていますからすぐに慣れますよ」と微笑む。
「何に使うのですか?」
「ガスコンロ以外のタイマーとしてや食材の注文、リマインダーやスケジュール、todoリストや買い物リストなどけっこう活用しているみたい」
ガス台はタイマーとか湯沸しスイッチが組み込まれているので、そちらを使っているそうだ。
「大したものですね。見習わなければ」
彼は少し反省した。
食事は美味しかったし、弟は別にしても同席する二人は穏やかな人たちなので、他者といるにしては落ちついている。
ただ、気になっていたフィギュアの件は残念な方向に解決した。真衣子さんの好きなのはフィギュア違いだった。俺は思いっきり弟をにらんだが彼はスルーした。
もちろん部屋に帰ってから文句を言った。だが柳に風と流されて、憤然としたまま眠りについた。
朝食ももちろん美味しかった。朝に弱い真衣子さんがいないのは残念だが、それはそれとして機嫌よく食べていると弁護士さんがもっとハッピーな顔で「素敵な報告があります」と俺に告げた。てっきり切手が見つかったのかと思ったが違った。
「今夜はビーフシチューに決まりました!」
……この人仕事を忘れてないか。小学生みたいになってるぞ。
俺の内心を知るすべもない彼は得意そうに語った。
「一人だけ食べられないのはかわいそうだって主張したのですよ。で、私も弟さんも何度続いたって嬉しいと言うことも伝えました。稲田さんは同系統の料理をすぐに何回も続ける方じゃないそうですが、私の必死の要求を受け入れてくださったのです」
俺はもごもごと感謝を示した。そこまで執着されるシチューは食べたい。でも、もう家に帰りたい。けれどせっかく好意で動いてくれる彼に否定的なことを言いたくなくて、あいまいな笑い方をして席を立った。
せめて一人になりたくて、家の周りを散策することにした。弟に断って外に出てぶらぶら歩く。敷地内はきっちりと管理されているが、周りは緑があふれていて空気もきれいだ。
ついでだから建物周辺をぐるりと廻って、外部に切手が隠されてないか探してみたがもちろん見つからなかった。一周であきらめて、北裏のベンチに座って向かいの山を眺める。
「いい景色でしょう」
人の声で飛び上がりそうになったが、真衣子さんが全く邪気のない笑顔を見せているのを見て飛ぶのをやめた。
「ええ。気持ちがいいです」
「私もここの眺め大好きです。ずっと見ていたいわ」
深い想いのありそうな声だ。今までもずっと見ていたのではないかと思ったが、尋ねると彼女がこの町で育ったのは小学四年生までで、それ以後は旅行に行かない長期休みの時だけ帰省していたらしい。
「親からすると、そのくらいの年から受験とか考えるのでしょうね」
何気なく言ったのだが真衣子さんの顔が暗くなった。やべ、もしかしてなんか地雷踏んだかと焦ったら、彼女は何かを振り払うようにちょっと首を振って「それもあったとも思いますけど、その頃私が失敗してしまって」と苦笑いした。
うなずくこともできず黙っていたら、彼女は自分から話を続けた。
「その頃料理自慢のお母さまを持つお友達のとこへ泊まりに行ったのです。そのお母さまから『何でも作ってあげるわ。何が好き?』と尋ねられたので、つい『鱸の奉書焼き』と」
「…………やらかしましたね」
「はい」
あまりご家庭で作る料理ではない。それに微妙な年頃だ。彼女は金持ちを鼻にかけていると噂になり、居心地が悪くなって都会の私立に転校した。
「それでもその頃は両親もいましたし、稲田さんもいっしょに来てくれたのでそこまで暗くならずにすみました。でも、事情を聞いたらしい彼女はプロっぽい料理を封印して、うちで出すものは家庭料理の範疇に留まるものに限定したのです」
牛骨でブイヨンを取ったビーフシチューがその範囲かどうかはよくわからないが、この辺は地元ブランド牛の産地でもあるからがんばればできると思う。
「それでも私はこの町が大好きでしたから、おじい様は本宅をここへ移してまで残してくれたのだと思います」
澄んだ空気と豊かな緑。どこにでもあるようでいてよその土地はみな違っている。彼女にとってここは大事な故郷なのだろう。
「この素敵な景色と美味しいご飯があれば、あなたはきっと大丈夫ですよ……辛かったでしょうけど」
できるだけ淡々とそういうと彼女は少し息をのみ、それからわずかに微笑んだ。正面から顔を見たりできないから視界の端での判断だが。
「ありがとうございます」
「おじさんのことは残念ですが、それはもう仕方がない。そこは捨てて、もうちょっとわがままになってみるのはどうです? たとえば一番お好きなメニューを頼んでみるとか」
「素敵だわ。だけど市川さんがいろいろ楽しみにしているので時期を見て頼んでみます」
いつかは知らないけど旬もあるだろうし。
俺は立ち上がって友好的な雰囲気のままその場を去った。
いったんは部屋に戻ったが、さすがに気がとがめる。美味しいご飯だけもらって何もしないのもどうかと思う。何をするべきか聞きたかったが、弟はどこに行ったのかここにはいない。
しぶしぶ部屋を出てキッチンに向かった。途中働く掃除機を見かけた。
一階にある厨房は八畳くらいだと思う。真ん中にテーブルみたいなステンレスの調理台があり、そこがゆったりとした水場も三口のガス台も兼ねている。隅の方に台とは別に手洗い用の洗面台があるのはさっき聞いた通りだ。
稲田さんの無言の指示に従って手を洗う。消毒もした。彼女は身振りでどこでも開いていいと知らせてくれたが「いや、いいです。しばらく見ていてもかまいませんか」と尋ねて了承された。
清潔で機能的なキッチン。稲田さんが指差した丸いすに座って辺りを眺める。スマートスピーカーは南側の棚の戸のない部分に乗っている。この一部には二重のガラスの引き戸があり、物を置くと南側の部屋からも取れるようになっている。
東端のドアは外に通じている。そこには小さな畑があり、パセリとかネギとかちょっとしたものが植えてあることは、さっき外を廻って知った。キッチンの西には稲田さんの私室へ向かう扉がある。
ガス台の上には大きな寸胴なべが置かれていて、静かに加熱が続いている。牛骨ですかと尋ねると稲田さんはうなずいてフタを開けた。セロリや月桂樹の香の混じったにおい。スープは静かに表面を揺らしている。
彼女は浮いてきたあくをあみじゃくしですくい上げた。無数に繰り返してきたはずの慣れた動作。見ている俺もなんか落ち着く。
「これはまだ味見には早そうですね」
稲田さんはうなづき、代わりにクッキーをいくつか皿にのせてくれた。技量を感じさせる素朴さ。いれてくれた紅茶も抜群にうまい。
しばらく黙ってそれを口にする。ことこととわずかな音をたてるなべ。円環を作るガスの小さな青い炎。太古の昔から人を癒してきた要素が今も変わらず俺を癒す。
空になった皿とカップを洗った。水道はセンサー式で触れずに水が出た。器は水場横に置けと身振りで言われたからそうする。3ミリぐらいの穴がたくさんあいてるなと思ったら、温かい空気が噴き出してきた。ドライヤーみたいなものらしい。
感心しつつそこを出た。キッチンを離れると穏やかな気分が乱れてきて、急に落ち込んできた。やはりなにもできない。一足ごとに顔色を悪くして部屋に向かう俺の前に、かごを持った森田さんが現れた。
「ちょうどよかった。新しいタオルと交換するから、古いの出してちょうだい」
俺にはこんなコミュ力もない。
「……はい」
部屋に入ってかかってたものを取ってきて渡すと、真っ白でふかふかしたものを渡された。礼を言うとそれには答えず「なんか暗いわねー。いやなことでもあった?」と尋ねてくれた。
「いいえ。むしろみんな親切なのに何もできなくて」
「えー、一つ思いついたでしょ。はずれでもいいじゃない」
「はあ」
「ずっと探してるのに見つからないんだからもうないかもしれないし。それより長い間めいってたお嬢さまが、だいぶ元気になったから助かるわー」
ポジティブでありがたい。
「まあ私もここで人が何人も死んだときはさすがにやめようかと思ったけど、祟るんなら犯人だし、おばけが出てもたぶん掃除機ちゃんたちが気にせず吸い込むだろうしまあいいかと。稲田さんにも悪いしね」
「掃除とか困るでしょうし」
「それはスマートスピーカーで動かせるからどうにかなると思うけど、他にもいろいろあるから。私は私のできることをやり、稲田さんは美味しいご飯を作る。今日は帰りにビーフシチューを分けてくれるそうだからがんばるわ」
俺はちょっとだけ微笑むことができた。
「楽しみですね」
「そ。最近煮込み系多くて嬉しいのよね。他のも好きだけど」
持って帰った時温めやすいからかもしれない。森田さんは元気よく他の部屋へ向かっていった。俺は午前中だけで四人もの人と話すと言う偉業を成し遂げたので、疲れてベッドに横たわった。
中途半端に眠ってから、弟に起こされた。寝ぼけまなこで食卓に向かう。昼食は中華スープと魯肉飯、手作りにんじんドレッシングのかかったサラダとシュウマイだった。スープは昨日の鶏がらスープの残りで作ってるんだと思う。シュウマイも海老が乗ってたりグリンピースが乗ってたりする。おいしい。
どれも文句一つ出ない味で充分満足したが、何かが頭にひっかかっていて楽しみきれない。それでもデザートの杏仁豆腐は普通の触感と違ってモチモチしてて、この時だけはすべてを忘れて堪能した。
もやもやする。だがそう感じるということは俺は何かに気づいているはずだ。戻ってベッドに転がり、更に眠った。しばらくしてまた弟に起こされた。おやつの時間だ。今度は市販のタルトと紅茶が出てくる。俺はそれを食べ終え「切手のありかがわかりました」と重々しく告げた。
=====読者への挑戦状=======
すべての情報がそろっています。めっちゃフェアに提示しているので、推理の得意な方は推理で勘のいい方は勘で切手のありかを見つけてみてください。
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全員があっけにとられて俺を見た。俺は誰とも目を合わせずに「場所を移しましょう」と言った。
みんなぞろぞろついてくる。キッチンでは稲田さんがなにごとかと目を向けるので、まず手を洗った。他の人もそれに従う。
「すみません、かってなことさせてもらいます」
宣言して引き出しをいくつか開け、超巨大なステンレスボウルを見つけ出した。これでいいと思う。
「わりと単純な話です。稲田さんはちゃんとヒントをくれていましたし、他の方の話も参考になりました。彼女の言ったとおり意外な場所にあるのです。でも水周りじゃありません」
俺はちょっと手を止めて、あるものを目で探した。壁に吊ってある。
「今は紫蘭の花が咲き乱れ、楓の青い葉が美しい初夏です。なのにここの夕食はずっと冬にふさわしい煮込み料理です」
「それは私が」
市川さんが口をはさみかけたが俺は続けた。
「ビーフシチューはそうかもしれませんが、ポトフ、おでんも出たのですよね。夏場に続くのは不自然だ。でももし、白霧さんの好物ならわかります。だけど会話によると帆立貝のコキールや鱸の奉書焼きがお好きなようです。コキールはよくわかりませんが、貝を使っているなら加熱しすぎないグラタンなんだと思います。つまり、素材を生かしたあっさりとした料理がお好みなんじゃないかと。なのにぐつぐつ煮込む系の料理が連日続くのは不自然です。しかも最近になって多くなったそうじゃないですか」
壁にあったなべつかみをとり自分の両手にはめる。そのままガス台にいき、ビーフシチューの入った寸胴なべを垂直に引き上げる。青い炎は小さく揺れた。俺はなべの中身をステンレスのボウルにあけた。
「キッチンはなべの中まで調べたって話ですが、じゃあとろ火で煮ているなべの底は? ガスの真ん中はたち消え安全装置で火はついていない。炎は円環になってそこをとり巻いているだけです」
「……切手だ」
「こんな所に……」
弟と市川さんが食いつくように確認している。真衣子さんは衝撃を受けた顔で稲田さんを見ている。
「なぜ、教えてくれなかったの?」
「ちゃんと命じましたか?」
俺は真衣子さんに尋ねた。
「あなたは凄く優しい人だ。他者の気持ちを傷つけないようにいつも気をつかっている。過去のトラウマのせいでもあるかもしれない。だけどあなたは立派な大人でこの家の主人だ。あなたを守るべき人はもう稲田さんしかいないけれど、彼女は高齢だ。いつまで元気かはわからない。だからあなたは時には他を傷つけたとしても、言うべきことははっきりいえる人にならなきゃいけない。命をかけてあなたを守った彼女や亡くなったおじい様が望んでいるのはそんな強さだと思うんです」
稲田さんがちょっと驚いた顔をしたが、すぐにニヤリと口の端をあげた。最初の時より少し上だ。
真衣子さんはちょっと目を潤ませていたが、ふいに顔をほころばせた。
「確かにそうだわ。稲田さん、切手を返していただくわ」
「……かしこまりました」
稲田さんはあらかじめ用意してあったらしいはがし液を塗って、なべ底からカンタンにぺりっと剥がして切手を真衣子さんに渡した。
「ありがとう。それと近日中に炭火を用意して鱸の奉書焼を作ってね」
「承知しました」
稲田さんはそういうと口の端をもっとあげた。鶏がらスープなみに温かい笑顔だった。
「……死にたい」
「切手も見つけてビーフシチューももらったじゃないか。なぜだ」
運転しながら弟が尋ねる。俺は髪をかきむしった。
「相手の気持ちになってみろよ。ニートに説教されたんだぞ。人生の汚点だ」
「いや、普通に喜んでいた」
「今はそうかもしれないが、後でじわじわと来るんだ。なに、あの男偉そうに、と」
ダッシュボードにがんがん頭をぶつけたいが、弟に事故を起こさせるわけにはいかない。どうにか自重する。
「考えすぎだろう。彼女が今後少々強気になったとしても根本は変わらない」
「だとしてもそんな優しい人に妙な説教してしまった」
なんといわれても落ち着かない。すさんだ気分で道路向こうの山をにらむ。
「わけがわからないな。見事に解決したのに」
「おまえには絶対わからない」
まっとうな社会人でコンプレックスもない彼には理解のできない卑屈な感情だ。だが弟は少し苦い顔で口元を緩めた。稲田さんとは違う不可解な苦笑。
「ああ。わからないな」
うねうねとカーブの多い道は時たま先が見えない。俺は田んぼと山を見比べて、ため息をついた。




