6章 : 酒場
夜の帳が下り、辺りはすっかり闇に包まれていた。
街は昼とは少し違った顔を見せる。
それまで元気に遊んでいた子供達は寝静まり、代わりに働き疲れた大人達が酒を飲み交わして夜を明かすのだ。
青年は、夜が好きではなかった。
夢に度々出て来る闇が現実にやって来たのではないかと錯覚することがあるからである。
実際はそんなことなどあり得ない。疲れが溜まっていて、悲観的な考えが頭をもたげているだけだ。
夢は夢であり、現実は現実として存在している。
だが、それが現実になったとしたら? 夢は夢ではなく、現実の一部だとしたら? 闇に飲み込まれた人間は即座にこの世界を捨てて自らの命を断つに違いない。
「しかし、珍しいな。お前が俺を酒のお供に誘ってくれるなんて」
「まあ、いいじゃねぇか。たまには一緒に飲みたいと思ってな」
「本当は何があるんだ?」
と冗談半分に勘ぐってみる。
「何もねぇって。この前、ちょっといい感じの酒場を見つけたんだ。それで酒飲み仲間を探してたんだよ」
「サイネル将軍を誘ったらよかったじゃないか。あの人、酒には滅法強いって言っていたし」
「また今度な。……おお、ここだここだ」
ラスタはお目当ての酒場を見つけると、嬉しそうに中に入って行った。
ラスタは俗に言う「ザル」だ。幾ら飲んでも顔色ひとつ変えやしない。こいつにつき合って酒を飲んで二日酔いにならなかったことはない。
(今夜は離してくれそうにないな)
ライザは、諦めて酒場の中に入った。
(へぇ……)
さすが鼻のいいラスタが見つけただけはある。中は既に色んなお客さんで賑わっていた。
誰しもが日頃の辛い仕事のことを吹き飛ばしたいと思っているのだろうか。みんな、お酒を片手に楽しそうに語り合っていた。
ラスタはテーブル席ではなく、真っ直ぐにカウンターに向かうと我が物顔でそこに座った。
既に自分の特等席が出来ているらしい。
ライザも、黙ってラスタの横に腰掛ける。
「ねーちゃん! いつものをふたり分頼む!」
「あいよっ!」
と元気のいいお姉さんがラスタのお薦めを用意し始めた。
何を出してくれるのか少し楽しみだ。
「はい、お待ちぃ」
ふたりの前に、じっくりと煮込まれたであろう大きめの手羽先と新鮮な野菜が散りばめられたサラダ、今にも溢れんばかりに並々と注がれた大ジョッキが置かれた。
「よし、乾杯と行こうや」
「何に乾杯するんだ?」
「何を言ってんだ? 今回の楽勝な仕事に決まってんだろ?」
「そうか。……そうだな」
ライザは苦笑した。
確かに今回の仕事は、破格の給料に加え、魔物が出現しない限りはフリーでも構わないという極めて楽な仕事である。もちろん、給料だけ貰って、後は酒を飲んでいるだけというラスタ限定の話ではあるが。
何を言わずとも、みんな自主的に街へ繰り出して魔族退治を行なっていた。
特に影でライリス様を見守ることにした俺とファレスにとっては、楽などとはとても言えなかった。《クリフォート》が刺客を放っているのかは判断が難しいが、街で下等魔族と遭遇することなどは日常茶飯事だし、行動パターンが決まっていない彼女の追跡にはずいぶんと骨が折れた。
今日も夕暮れまでライリス様の警護をしてから、ここに来たのだ。
「んじゃ、今回の仕事に――」
「「乾杯っ!」」
ごきゅごきゅごきゅとラスタの喉が鳴る。物凄いペースだ。あっという間に飲み干してしまった。
「ぷはぁ! やっぱここのビールは最高だぜ!」
「ほんと。なかなかイケる」
これは何産のビールだろうか? その辺の村や街で飲んだものとは味が全然違う。かなり喉越しが良い感じだ。
ラスタには敵わないものの、こちらもなかなか早いペースでジョッキを空けた。
「ねーちゃん。今夜のオレ様は機嫌がいい。面倒だからピッチャーごと持って来いや」
「今夜は飲む気だね~、あいよっ!」
瞬く間に、ラスタの前にピッチャーが用意された。
「それ、ひとりで飲む気か……?」
「当たり前だ。これくらいじゃ足りねぇぐらいだぜ」
とさっそく飲み始める。
注文する方も注文する方だが、言われた通り用意してしまうあのウェイトレスもなかなかノリがいい。
どこの世界にこれだけの量をひとりで飲もうと考える奴がいるだろうか。稀に見る酒豪である。
とは言え、この男を見ていると、世の中に「限界」など存在しない気がして来る。不思議なものだ。
この豪快さと底知れない自信がラスタの最大の魅力なのかもしれない。
ピッチャーを空にして手持ち無沙汰になったラスタはライザの顔を見るとニヤリと笑った。
「なあ。あの女のことはどう思ってんだ?」
「さっきのウェイトレスさんのことか? ノリがいい娘だね」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。お転婆姫の妹のことだ」
「なっ!」
と飲んでいたビールを吹き出しそうになる。
「ど、どうしてティアナのことが出て来るんだ!?」
「何年、オメェとコンビ組んでると思ってるんだ?」
「ぐっ……! 彼女はリーナよりも少し下くらいだぞ? 幾らなんでもそれは――」
「誤魔化しても無駄だ。顔にちゃんとそう書いてある」
「えっ!?」
慌てて両手で顔を覆って表情を直そうとするが、そんなことをしてもどうにもならない。
(今夜の飲みはこれが狙いだったのか)
この男に完璧に一本取られた感じだ。
自慢にもならないが、互いに相手のことで知らないことなどは無いに等しい。今では顔を見れば何を考えているのか分かってしまう程だ。
「で、どうなんだよ?」
「ほんと、何でもないんだ。ただ、何か惹かれるモノがあることは確かだけど……」
「確かに不思議なガキだな。あんなにも世の中に揉まれていない奴は初めて見たぜ」
「ああ。きっと王家に生まれて何不自由なく育ったんだろうな。まるで天使のような子だよ」
「それで惚れた、と? このロリコンが」
「だ、だから違うって!」
「もちろんオレ様の守備範囲内じゃねぇが、あのまま成長すれば結構いい感じになるかもしれねぇな。ここはひとつ、先に唾でもつけとくかな?」
「ラスタっ!」
「くくっ、冗談に決まってんだろ?」
「…………」
「しかし、オメェがあんな嬉しそうな顔してるのは、コンビを組んで以来初めてだぜ? もし自覚がないって言うなら、それはテメェ自身が認めたくない証拠だな」
「そ、そうだろうか?」
「もしかして初恋って奴か? くく、さすが純情青年」
「そ、そんな訳ないだろ? 俺だって――」
と言いかけたが、実際に自分自身でもどうなのかは分からなかった。
数年前のあの場面が脳裏によぎる。
(……俺は……)
「…………」
ライザの変化に気づいたラスタは、からかうのをやめると遠い目をした。ピッチャーに僅かながら残っていたビールを舐める。
「そういや、この冬でもう三年になるんだな」
「ああ」
俺達が初めて出会い、激しい戦闘を繰り返したあの雪の日。
ロスタリカの首都であるバイムコーア市の一角で死闘を演じた。
どちらが先に攻撃を仕掛けたかなんて覚えていないけど、商売仇として己のプライドを賭けたその戦いは三日三晩続いた。
結局、どちらが勝つということもなくふたりとも倒れた。
あれ以来、ラスタは俺にとって最高のライバルであり、同時に気の置けない親友でもあるのだ。
「また、一度戦ってみたいな」
「くく、今度はオレ様が必ず勝つぜ!」
「どうかな?」
刹那、店の外から甲高い悲鳴が聞こえた。
「!?」
ライザとラスタは、反射的に店を飛び出すと、即座に剣を構えた。精神を集中して辺りを見回す。
こういう場合、突然、魔族が襲い掛かってくる可能性が高い。少しでも気を抜けば命取りになる。
(あれは……?)
店を出たすぐの所で、先程のノリのいいウェイトレスがぺたんと腰を落としていた。
「どうしたんだ!?」
慌てて駆け寄ると、ウェイトレスはガタガタと震えながら一点を指差していた。
「あ……あ……あぁ……」
「もう大丈夫だから、落ち着いて話してみるんだ」
ライザは、気の動転した彼女の背中を優しくさすってやる。
暫くして、ウェイトレスはようやく話せる状態になった。
「……今、ゴミを捨てに外に出たんですが、そこの男性が急に魔族に襲われて……」
「魔族だって!?」
彼女の示す方向には、確かに男性がひとり横たわっていた。彼女にばかり気を取られていて気づかなかったようだ。
近寄ってみると、心臓部分を一突きにされて、既に息絶えていた。
(くっ……!)
静かに外套を掛けてやるとその男の冥福を祈った。
「おい、ねーちゃん! そいつはどこに行った!?」
「それが……、わたしが悲鳴を上げた途端、慌てて逃げてしまって……」
「くそっ!」
ラスタは地団駄を踏んで悔しがった。
(いくら酒を飲んでいたとはいえ、俺達ふたりが魔族の波動を感じ取れないなんて……!)
ライザにとっても予想外の事態にショックを隠し切れない。
「確かに魔族だったのか?」
「はい。魔族はその男に近づくと、心臓をくりぬいて光り輝く綺麗な宝石のようなものを取り出したんです」
「宝石……?」
「その輝きはまるで蛍のようでした」
「…………」
(確かに魔族特有の核は宝石のように美しいが、この男性はどうみても人間だぞ? その彼が核を持っていたというのか? そんな筈はない)
ライザは静かに空を見上げた。
(魔族の狙いはいったい何なんだ?)
引き続き、周囲に気を張って警戒を強めるものの、近くには既に魔族の気配は無くなっていた。
それからふたりで飲み直すことにしたが、その酒は何とも後味悪いものに変わってしまった。




