5章 : グレートマザー
(ようやく、まともに動けるようになったな……)
ライザは軽く素振りをすると、なまっていた体をほぐしていた。
王家のお抱えの医師は、どうやったらこんなに早く治るのかと不思議がっていた。
確かにライザの自然治癒力は並大抵ではない。完治まではいかないものの、数日で支障無い程度には調子を戻していた。
やはり、長年鍛えてきた成果が現れているのだろうか。
(よし、急いで謁見の間へ向かわないと。みんな待っているはずだ)
ライザの傷が癒えたということもあって、今日は着任の挨拶を兼ねて将軍や貴族、官吏らと顔を合わせることになっていた。
それと、毎日欠かさず見舞いに来てくれたライリス様にも礼を言わなくてはならない。
ライザはアンサラーを鞘に収めると、慌てて部屋を飛び出した。
が、すぐさまその足を止めた。
(謁見の間ってどこにあるんだ?)
(……………………)
(………………)
(…………)
さすがに笑えなかった。考えてみれば、ここに来てから一度も部屋を出ていない。
当然、どこに何があるかなど全くをもって分からなかった。ライリス様のお客様扱いも程度が過ぎていたのかもしれない。
天下のサイデルトキア城の中で迷子にでもなったら、それこそいい笑い者になってしまう。
ライザは辺りを見回して、誰か居ないか探してみた。
(あっ、今、誰か通り過ぎたみたいだ)
ライザは、左手に見えるT字路に向かって駆け出した。
T字路を右に曲がると、鎧を身に纏った髪の長い女性がカツカツと歩いていた。
ライザは、女性の数メートル後ろまで近づくと口を開いた。
「すみません。謁見の間がどこにあるのか知りませんか?」
その途端、返事の代わりにブォン、と風を斬るような音がした。
ライザは咄嗟に身を引いていた。何かがライザの首筋をかすめる。
首筋から微かに赤い糸のようなものがつーっと流れ出した。
女性は、静かに剣を収めると、キッとライザを睨みつけた。
「……むやみにわたしの背後に立つな……」
そう言い放つと、女性は何事もなかったかのように、またカツカツと歩き出した。
(なっ、なんて速さだ……!)
ライザは攻撃されたことも忘れて、ぽかんと口を開けたまま女性の後ろ姿を見ていた。
暫くして、全身にどっと冷や汗が溢れ出して来た。背筋に寒気が走る。
今頃になって、恐怖心が全身に沸き起こってきたようだ。
(あの女性はいったい……?)
「怪我はないかな、青年」
「えっ……!?」
ライザがハッとして振り返ると、ひとりの老人が立っていた。
普通の老人とは違い、背筋もしっかりしているし、体格も結構がっしりしている。
右手には蛇が巻きついたような杖を持っており、きちっとした神官服と長いあごひげが彼に貫禄を与えていた。
「あやつの名はブルーム。お主と同じく、ライリス様の護衛を引き受けた剣士じゃ」
「ブ、ブルームって……、まさか、あいつが巷で有名な《夜風を屠る女豹》なのか!?」
ライザは、動揺を隠せない。
《夜風を屠る女豹》と言えば、その素早い剣さばきでは右に出るものはなく、引き受けた仕事は確実こなすと言われている世界最強の女性剣士である。
かつて誰も、彼女が他人に心を開いた所を見たことがなく、ましてや仕事には一切私情を挟むことはない。
自分の父親でさえ、何のためらいもなく殺したと噂されている程だ。
最近ではカームニスにあるケシュア族の集落で暴れていた凶悪な中級魔族を瞬殺したと風の便りで聞いた。
老人はあごひげを撫でながら、面白そうに微笑んだ。
「今回の件に関しては、サイネル殿もずいぶん力を入れておるからのう。世界中から選りすぐりの人材を集めたようじゃな」
「サイネル殿?」
「サイデルトキア軍をまとめている将軍じゃよ。今頃、謁見の間で待ちくたびれている頃じゃろう。さあ、儂の後について来い。案内してやろう」
老人は、くるりと向きを変えた。ライザは歩き出そうとしている老人を呼び止めた。
「それより、あなたはどうして俺のことを知っている? いったい何者なんだ……?」
「儂か? ふぉっふぉっふぉっ。儂は、謎の神官ファレスじゃ!」
「…………」
(このジイさんも、タダモノではないな)
ライザの直感が、そう告げていた。
◆ ◇ ◆
「も~、みんな待ちくたびれてるよ! 何やってたの!?」
リーナは、顔をぷうっと膨らませている。
「悪い悪い。それにしても、この城はあまりにも広すぎるよ」
ライザは、ぶつぶつ言っているリーナをなだめながら、皆が集まっている列に加わった。
謁見の間は、サイデルトキア城の最上階に近い場所にあった。
さすが天下のサイデルトキア城である。その広さは尋常ではない。ファレスに案内してもらったが、ここまでの道のりを頭に入れるのは結構骨が折れそうだ。
謁見の間も、さすがと言った感じである。
上の階まで吹き抜けになっていて、天井はステンドグラスなどで美しく装飾されており、陽光を受けて、宝石のようにキラキラと輝いていた。また、玉座から真っ直ぐに伸びている真っ赤な絨毯にそって、国の将軍や貴族、官吏らといった重鎮達がずらりと並んでおり、柱の影には、何が起こってもすぐに対処出来るようにか、数人の兵士たちが控えていた。
(ティアナの姿が見えないな……、まだ来ていないのだろうか)
ライザは自然とティアナの姿を探していた。
「誰を探してるの?」
リーナの鋭い視線が突き刺さる。ライザは慌てて顔を逸らした。
(あれは《夜風を屠る女豹》……)
目が留まった先には、先程いきなり攻撃を仕掛けてきたブルームが立っていた。
彼女はどこを見ていると言う訳でもなく、静かに虚空の一点を見つめているようだった。
ライザが彼女を見ていると、ラスタがそっと肘で小突いて来た。
ラスタは、小さな声で話し掛けて来る。
「さすがだな。テメェもすぐに気づいたか。あそこにいる女こそ、《夜風を屠る女豹》ブルームだ。ちっ……、あいつの顔は、いつ見ても吐き気がするぜ」
「お前、ブルームのことを知ってるのか?」
「昔、一度ヤツに仕事を横取りされたことがある。どこまでもムカツク野郎だ」
その時、ブルームもこちらの視線に気がついたのか、一瞬ふたりの方に顔を向けたが、またすぐに逸らしてしまった。ライザ達を見る彼女の瞳は、見たものを一瞬にして凍りつかせてしまうような何かを持っていた。
「クソッ……! 相変わらずナメた野郎だ」
ラスタは吐き捨てるようにそう言葉を漏らすと、大きく舌打ちをした。
彼は、ブルームに対して、あからさまに嫌悪感を抱いているようだ。
その時、ライザ達の向かい側に立っていた若い男が口を開いた。
「みなさん、はじめまして。本日はお集まり頂き、誠に感謝しております。自分はコウエンと申します。出身は東ロスタリカなのですが、現在はこちらでサイネル将軍の副官をやっております」
彼は落ち着いた物腰で自己紹介を進めていく。外見からしてライザと同い年程度であろうが、言葉遣いは歳不相応に礼儀正しかった。
コウエンが礼をすると、ライザ達もそれに合わせて礼をした。
「そして、こちらがこの国の将軍を務めるサイネル将軍です」
コウエンに紹介をされて、ひとりの男が一歩前に歩み出た。
「サイネルです。よろしく」
サイネルと名乗ったその男は、ゆっくりとみんなに向かって挨拶をした。
(この人が、ファレスの言っていたサイネル将軍か。なかなかしっかりとした感じの人だな)
サイネル将軍の体は相当がっしりとしており、髪の所々に白髪が混ざっていた。歳は五十前後と言った所か。身に纏っている鎧を見ただけでも、歴戦の勇士であることは一目瞭然だった。
ライザ達も礼をすると、各々、簡単な自己紹介をした。
一番賑やかだったのは、言うまでもなくリーナだった。
彼女がロスタリカ出身ということを聞いて、コウエンが何やら嬉しそうな顔をしていた。久々に同郷の者と巡り合えたからだろうか。
一方の《夜風を屠る女豹》ブルームは、一言だけ「よろしく」と言った以外、何も口にしなかった。
嫌な雰囲気が漂う中、最後にファレスが口を開いたが、彼の自己紹介も先程と同じ「謎の神官」だけであった。
コウエンが簡単にフォローした所では、ファレスは今は亡きサイデルトキア王の知り合いだと言うことらしいが、詳しいことはコウエン自身も知らないようだ。
一通り自己紹介が終わると、サイネル将軍が再び口を開いた。
「《マジッド・メシャリム》殿、《夜風を屠る女豹》殿、よくぞお越しくださった。今回みなさんにお集まり戴いたのは、他でもない、ライリス様の護衛の為。最近、ライリス様は何者かに命を狙われていらっしゃる。先日、ライザ殿が退治した魔犬も、その一味の者の仕業と考えられるのだ」
「まさか、これまでにもああいった事件が?」
「その通りだ。これまで軍の精鋭を放ってライリス様を狙う敵と戦ってきたが、それでもやはり力不足であることは否めない。わたしは、女神のようなライリス様を狙う、奴らが憎くて仕方ないのだ。例え自分の身に何が起ころうとも、ライリス様だけは守ってやりたい」
サイネル将軍は、悲しみと憎しみの入り混じった表情をしていた。
その気持ちはこちらにもひしひしと伝わってきた。
「そういえば、当の本人はどこに?」
「ライリス様なら、奥の寝室でお休みになられているはずだが……。そうだな、やはりライリス様にもご挨拶して頂いた方がいいか。おい――」
「はっ!」
脇に控えていた兵士は、ライリス様を呼びに寝室の方へと走っていった。
暫くして、先程の兵士が血相を変えて戻ってきた。
「サイネル様、大変です! 寝室はもぬけの殻です!」
「な、なんだと!?」
瞬時にサイネル将軍の顔が真っ青になったのを見て、ラスタは皮肉っぽく言った。
「あの遊び好きなお姫様のことだ。また、街にでも遊びに行っちまったんじゃねぇか?」
それを聞いて、サイネル将軍の顔が更に真っ青になってしまった。
「そ、そんな、あれほど厳重に見張って置くようにと言ったはずなのに。――警備兵! 警備兵はどうした!」
サイネル将軍は、おろおろしながら飛び出して行ってしまった。
ライザ達は、予想だにしなかったサイネル将軍の豹変ぶりに、あっけに取られてしまった。
コウエンはくすくすと笑うと、ライザ達の許に歩み寄って来た。
「すみません。将軍は普段はしっかりとした方なのですが、ライリス様のことになるといつもあんな感じなんです」
「なはは……」
ラスタは同情したのか、コウエンの肩をぽんと叩いた。
「お転婆姫に、お節介焼きか。オメェも大変だな」
「いえ、もう慣れていますから。それより、大丈夫だとは思いますが、万が一ということも考えられます。みなさんで手分けしてライリス様を探して頂けませんか? 自分は城の中を探してみます」
◆ ◇ ◆
(ここに来てからというもの、人探しばかりしているような気がする……。まあ、魔族が出現するよりはずっとマシだけど)
街に出たのは数日振りだが、相変わらず活気に満ちており、その賑わいは途絶えることはなかった。
この街には、他の街では見られない生の力が溢れている。
先程、この前魔犬が出現した場所にも顔を出してみたが、今や何事もなかったかのように、人びとが行き交っていた。飼い主だったあの少女は、もう落ち着きを取り戻したのだろうか。
雑踏の中、ライリス様の姿を探す。
この街にやってきた日とは違い、顔馴染みとなった分には探しやすい。
それでも広いこの街中からひとりの人間を探すことは容易ではなかった。
(ん、何やら楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてくるな。……行ってみるか)
ライザは、突き当たりの角を左に曲がると、声の聞こえて来た方に向かって歩き始めた。
(これは……)
行き着いた場所は、小さな孤児院だった。
かなりオンボロな建物のようで、今にも取れかかった看板がその古さを物語っていた。
こんな裕福な街でもこのような場所があるのか。そう考えるとなんともやり切れない気持ちになる。
どこの世界に行っても必ずこうして貧しい人々がいる。どうして人間は平等に暮らせないのだろうか。
(それにしても、どうしてこんなに楽しそうなんだ? ――あっ!)
敷地内に入ると、たくさんの孤児達が駆け回っていた。
そして――その中にライリス様がいた。一緒になって楽しそうに遊んでいた。
「おねーちゃん、今度はボール投げして遊ぼうよ~」
「そうね……、それじゃ、今、ボールを探して来てあげますからね」
「あ~、おねーちゃん! トニーがお漏らししちゃったよ!」
「あらあら大変。ほら、男の子なんだから泣かないの。すぐにお手洗いに行ってお着替えしましょうね」
ライザはそれを見て、なんだか暖かい気持ちになった。
「ほんと慈悲深い人じゃのう」
「えっ……」
ハッとして横を見ると、ファレスが微笑ましそうにライリス様を見ていた。
「ああ……」
ライザも静かに頷いた。
「ここの所、この孤児院の院長が大病を患って、ずっと寝たきりになっているのじゃ。それを知ったライリス様は、自ら進んで、子供達の面倒を見たいと言い出したのじゃよ」
「それじゃ、毎日城を抜け出しているのって……」
「そう、この子達の為。それにここだけではない。ライリス様は普段から街中を歩き回って、他にも困っている老人や子供がいれば、進んで手助けをしているのじゃよ。あの人にとっては、身分や地位、権力などは全く興味がない。そんなことよりも、万人がいつも笑顔でいられるような平和な世界を望んでいる。傷ついた人を癒してあげたり、立ち上がろうとしている人の支えになってあげたり……。まさにグレートマザーと呼ぶに相応しい人じゃよ」
「そうだったのか……」
ライザはなんだか目頭が熱くなるのを感じた。
(この世界にも、まだこんな素晴らしい人が残っていたんだな。将軍が女神のような人だって言っていた意味がよく分かる)
「ライザ殿。出来れば、このことは内緒にしてやってくれぬか? サイネル殿達が知ったら、きっと反対するに決まっておる」
「分かってるよ」
言われるまでも無くそうするつもりだった。
ここにいるライリス様は城にいる時よりも何倍も生き生きして見えた。他人の為に尽くすことが、何よりも彼女自身の喜びに繋がるのだろう。そんな彼女の行為を邪魔することは誰にも出来ない。
本気で心配しているサイネル将軍には悪いが、このことが分かったらそれこそ危険だと言って外出禁止になりかねない。このまま黙って見守ってやるのが一番だと思う。
その分、彼女がここに来ている時は、俺とジイさんで見張っていれば充分だ。ジイさんの強さは未知数だが、長年の戦闘経験から察するに、魔獣レベルの雑魚など、赤子の手を捻るように簡単に潰すことは間違いない手練れだろう。
そう決意したライザは、ファレスと一緒に、もう暫くライリス様の姿を見守っていた。
◆ ◇ ◆
そんな光景をじっと見つめている者達がいた。
ひとりは背の高い男であり、その男の両横に背の低い少女と小柄な少年が並んでいた。
少女は、見下すようにライリス様を見た。
「ほう、あの小娘がターゲットか?」
「……ああ……」
と、背の高い男は、ずれた眼鏡を静かに直す。
「え、どれどれ? ボクにも教えてよ」
「あれだ。あの金髪の娘だ」
「ふ~ん」
「よりによって、姫に転生しなくてもよいものを。警備もきつくなろうし、私達の仕事も増えるだけだ」
と、少女は面倒くさそうにあくびをした。
彼女は、外見こそ幼い少女そのものだが、その物腰や言動は熟年の女性を思わせる程に妖艶であった。
「ほんとだね」
少年も同意見らしい。
長身の男はじっとライリス様の方を見つめていたが、その傍にいたある人物に気づいた。
「…………」
男はきびすを返すと、急に声を張り上げた。
「今日は止めだっ!」
長身の男はその言葉と同時に、煙のように掻き消えた。
「え、急にどうしたの?」
少年は訳がわからず声を上げたが、意味を理解した少女はぽんと少年の肩を叩いた。
「ふふっ。後に回すのもまた一興」
「?」
「まあよかろう。ゆくぞ」
少女が姿を消す。
「あ、待ってよぉ~」
少年は、跡を追うようにして姿を消した。




