37章:頬を伝う涙
ライザは、重症を負ったコウエンとブルームをバイムコーア同盟本部のリズモンドに預けた。
ブルームとラスタの戦闘で半壊状態になった同盟本部だったが、それでも十分に機能はしているようだ。
リズモンドも怪我を負っているようだったが、行動に支障はない程度のようで、快く引き受けてくれた。
ライザとしてはリズモンドは初対面ではあったが、いかにも政治家といったでっぷりした風貌は確かにそうだが、応対を見ている限り、前にブルームから聞いていたような醜悪な印象はそこまで感じられなかった。やはり内乱状態における立場の違いによるものなのだろうか。
「手練れのブルーム氏がここまでの大怪我をするとは……、敵も相当な相手のようだな」
と、リズモンドも流石に苦い顔をする。
「容易に打倒出来る相手ではないことを再認識したよ」
ライザは、元相棒のラスタはさておき、人間離れした強さを誇っていたグングニルを手玉に取り、死に追いやったリスティの恐ろしさを再度実感していた。
リスティという≪クリフォート≫には、何とも言えぬ底知れない怖さがあった。セラフィスもかなりの恐ろしい人物であると考えているが、同列では扱えない何かがある気がするのだ。
ライザは、コウエンとブルームの回復を優先して一緒に残ると宣言したリーナに別れを告げる。
「リーナ。ふたりをどうか頼む」
「うん、あたしに任せてよ! 必ずみんなを回復させて後で追い付くから!!」
リーナは、ライザを優しくぎゅっと抱き締めてくる。
そして、大船に乗った気持ちで行って来てね、と笑顔で送り出してくれる。
その表情にはどこか寂しそうな感じも含まれていたが、ライザには分かっていた。
自分の横に居る彼女との再会が、リーナの心を傷付けていることを。
それでも、リーナの気持ちには応えることは出来なかった。
何よりも大切なティアナという存在を取り戻した今、もう自分の傍から手離す気は無かった。
ティアナと共にこの戦いに終止符を打ち、ふたりで幸せに暮らすのだ。
ライザはティアナを抱き寄せると、優しく頭を撫でた。
「行こう、ティアナ」
「うん!」
◆ ◇ ◆
新たにふたつの核を取り込み大幅な能力アップを果たしたライザにとって、場所移動は容易になっていた。
ライザとティアナは想念を集めると、ゆっくりと身体が宙に浮き出し、空中浮遊を実現した。
そして、ティアナに飛行制御方法を教えて貰いながら、そのまま空を飛んで南方ハノイ方面へと急いだ。
ライザにとって空を飛ぶということは初めての体験だったが、意外とすんなりと身体が馴染んだ。
ひとりではなく、ティアナが一緒に居てくれたことも大きかったのだろうか。
それとも、ラスタが託してくれた峻厳の核の力のお陰なのだろうか。
(これならば、すぐにサイネル将軍達に合流出来そうだ)
月夜に照らされながら、ロスタリカ高原に差し掛かると、猛烈な戦いがあったと思われる惨状に出くわした。
(酷い……)
三ヵ国同盟軍も魔族軍も無数の死体の山が築き上げられており、月の光に照らされて真っ赤に染まっているのが見えた。双方数百人以上の犠牲は出ていると考えて間違いないだろう。
(サイネル将軍、どうか無事で居てくれ!)
ライザは祈る気持ちで引き続き南へと飛んだ。
数時間南下を進め、朝日が差し込み始めた頃、
「あ、あれは……!?」
ライザの目にゆっくりと南方へ前進する一軍の姿が入って来た。
朝焼けに照らされ空を飛ぶライザに気付いたサイネル将軍が、馬の背に括り付けていた同盟軍の旗を持って大きく振る。
「ライザ殿!!」
「サイネル将軍!!」
「凄い能力だな、ライザ殿。まさか空を飛んで移動してくるとは」
サイネル将軍の姿を見付けたライザは、ゆっくりとその一軍の中心に着地をした。
「良かった、無事だったんだな」
「リーナの叔父殿の援軍のお陰だ。カルロス殿はバイムコーアに戻られていて不在だが無事だ。わたしはこの通り問題無い」
と力こぶを作って健全さをアピールしてくれる。
サイネル将軍は安堵したのか、カームニス産の巻煙草を懐から取り出すと火を入れる。
ずっと張り詰めていた緊張の糸がようやく解けたようだ。
「ライザ、その娘がティアナかい?」
と、リーナの叔父が問い掛ける。
ティアナはおどおどとしながらもペコリと頭を下げる。
「は、はじめまして……」
「ああ、そうだ。バイムコーア市でラスタと戦った際にティアナも一緒に現れたんだ」
「成る程、遂に念願叶ったのじゃな」
「犠牲は伴ったがな……。ティアナ、ふたりを紹介するよ」
ライザはティアナの紹介をすると共に、バイムコーアでの戦闘の経緯を説明した。
子供の頃からティアナの面倒を見て来たサイネル将軍の表情は複雑そうだったが、ライリス様を殺めてしまったことは特に話題に出さず、静かに迎えてやっていた。
グングニルやラスタの死、重傷を負ったコウエンやブルームのことを伝えた。
「そうか……、バイムコーアでは色々あったのだな……」
サイネル将軍の顔が曇る。
グングニルを中心として、まさか自分よりもだいぶ強いと感じていた面々の惨状を目の当たりにして動揺を隠せない。
「アラスタルは大丈夫なのか?」
と、ライザは暫く一緒に魔導道場で修行していた先輩の怪我を慮る。アラスタルは全身大火傷を負っており、包帯で全身を巻かれていた。
「結構な重傷だ。ハノイに着き次第、こいつの治療を優先させる予定だ」
と、アラスタルを抱きかかえたカイトは悔しそうだ。
「サイネル将軍。俺とティアナは少し仮眠を取らせて貰った後、空から国境を越えて先にサイデルトキア市へと向かおうと思う。魔族軍の行動を分断する為にも予定通り、ハノイ市からサイデルトキア北のカリア村を目指して貰えないだろうか」
「承知した。元からその予定だ。昨晩の勢いで一気にカリア村の奪還を目指そう」
「ああ」
ライザがセラフィスの居場所を察知出来るようになったということは、相手も同様に察知出来ると考えた方が正しいだろう。それでも全ての魔族軍が空を飛んで攻撃して来る訳ではなく、ロスタリカ共和国に突入してきたような騎兵タイプの魔族も多数存在している筈だ。纏まって行動するよりも各々が意味のある行動を取ることが敵の意識を分断させる為には重要だと感じていた。
◆ ◇ ◆
サイネル将軍達が先にカリア村へ向けて出発したのを確認した後、ライザとティアナはキャンプをひとつ借りて、仮眠を取ることにした。
布団はひとつしかなかったので、ふたりで同じ布団で眠る予定だ。
こうして彼女と一緒に過ごせるのはいつぶりだろうか。
布団と言えば、サイデルトキア城で目を覚ました時にティアナが布団に潜り込んでいて、それを見付けたリーナに半殺しにあった気がする。
「ライザくん」
「ティアナ?」
ライザが振り返ると、近くで水浴びをしてきたティアナが顔を赤らめながらこちらを見詰めていた。
装備していた外套や魔導の鎧を脱ぎ捨て、真っ白なシャツ一枚で枕を抱きかかえている。
再開した際にも気付いていたが、彼女の外見はだいぶ成長していた。
女性特有のふくよかな身体のラインは隠せない。シャツからも以前はそこまで見られなかった胸の膨らみが見て取れる。
後ろで束ねていた髪は解かれていてまだ少し濡れている。
ライザはその美しさに思わず息を呑んでしまう。
「ティアナ、おいで」
「うん」
ライザが優しく声を掛けると、ゆっくりとティアナが布団の所まで歩み寄ってきて、ライザの横に座り込んだ。
彼女の甘い香りがする。
外見は成長して変わってしまっていたが、ティアナ独特のあの香りは全く変わっていなかった。
ティアナが、ティアナが、本当に自分の元に戻って来てくれたんだ。
今更のようにそのことを再認識したライザはガラス細工に触れるようにそっとティアナを抱き締める。
「ティアナ、本当に会いたかったよ……」
「ライザくん……」
ふたりは強く強く抱き合う。
以前のように華奢で、それでいて少し柔らかさが増していて、凄くドキドキする。
ティアナは上目遣いをして、ライザを見上げる。
「ライザくん、お願い。あたしの髪を切って?」
「え?」
ティアナはライザと過ごした記憶を失っていたが、サイデルトキアで過ごした当時と比べると髪がだいぶ伸びていると聞いていた。彼女なりに前世の『マルクトとティファレト』ではなく、少しでも『ライザとティアナ』に近づけたいという気持ちがあったのだろう。
「俺はそこまで上手く出来るとは思えないぞ? 美容師にお願いしなくて良いのか?」
「うん、ライザくんの手で、以前のあたしに戻して欲しいの」
「……分かった」
ライザは袋に常備している料理用のナイフを取り出すと、彼女の真っ白な柔肌を傷つけないように慎重にナイフで以前のような長さに切り落としていく。
二十センチ程はバッサリと切り落としただろうか。以前のティアナのようなショートボブになった。
どうしても慣れない手でやっているので不格好な箇所が出てしまっているのが困ったものだが、当のティアナは本当に嬉しそうだ。
最後に櫛で髪を梳かしてやった後、手鏡をティアナに渡してやった。
手鏡で自分の髪型を眺めたティアナは嬉しそうに笑った。
「ふふっ、前のティアナはこんな感じだったんだね」
「そうだよ。本当に可愛かったんだ」
「可愛いだなんて、そんな……」
「お世辞じゃないよ、本気だから」
「……ライザくん……」
ライザは肌身離さず持ち歩いていた、あの露店で買ったペンダントを胸から取り出して見せた。
「はい、これ」
「これは……?」
「このペンダントは実はティアナからプレゼントされたものなんだ。君には俺が同じものをプレゼントしていたんだよ」
ライザはこのペンダントに何度も何度も救われていた。
このペンダントがあったからこそサイデルトキアの地下牢獄でも心折れずに前に進めたし、これまでだって戦って来れたんだ。
「そっか、あたし……、大切なものを無くしてしまっていたんだね」
彼女は自分が今、そのペンダントを持っていないことに気付いた。
リスティ達と行動を共にしている中でどこかに無くしてしまったのかもしれないが、記憶がないので真偽は分からない。
「これからはそのペンダントをティアナに持っていて欲しいんだ」
ライザは、ペンダントをティアナの首に掛けてやった。チェーンを止めてやる。
「えっ……」
すると、ティアナの頬を一筋の涙がすっと伝った。
「ティアナ、どうしたの……?」
ティアナは驚いた顔をして、ライザが手に取ったペンダントを見遣っていた。
「……あたし……、思い出した……」
「え、本当に……!?」
「うん……、これって遠征からライザくんが帰ってきた日に露店で一緒に買ったペンダントだよね?」
「そう、そうだよ! 本当に思い出してくれたんだな!!」
「まだ全てという訳ではないけど……、このペンダントのこと、その時のライザくんの嬉しそうな顔は思い出したの」
ライザの想いがティアナの心に届いたのだろうか。
本当に信じられないような奇跡が起こったように感じた。
気持ちが一気に盛り上がってくる。
思わずティアナを抱き寄せてしまう。
「ティアナ……」
「ライザくん」
ふたりは暫し見詰め合っていたが、自然にキスをしていた。
もはやお互いの気持ちを抑え切れなかった。
互いに纏っていた服を脱ぎ、強く強く抱き締め合う。
肌を重ね合わせることで、どんどん胸の鼓動が大きくなり、この上もない幸せな感情がライザを満たす。
――好きだ。
いや、好きだなんて言葉だけではこの気持ちは表現し切れるものではない。
――愛している。
――――深く愛しているのだ。
ライザにとってティアナは、この腐った世の中で、彼が初めて見つけた一輪の健気な花だった。
その花は、とても小さくて儚いかもしれない。
だからこそ、守ってやりたかった。誰にも渡したくなかった。
――もう二度と手放したくない。
例え世界が自分達を引き離そうとしても、絶対に共に居続けてやる。
何に替えてもその強い意志が曲がることはないと感じていた。




