3章 : 天使
(残念だったな)
(お前は……?)
ドロリとした感触がボクを襲う。
振り切ったはずの闇がボクを包む。
もがいても、もがいても、絡みついた闇は決して晴れることはない。
いったいどれくらいの時を過ごせば、この闇から解放されるのだろう?
太陽が昇ることがなくなってから、どれくらいの時が経ったのだろう?
今ではそのことも分からなくなっている。
もはや数えることすら馬鹿らしい。
虚無の世界。ナニモナイ空間。トマッタ時間。
ボクのココロも一緒に止まってしまっている気がする。
あ、そういえば、ずっと何も食べていないな。
美味しいものを腹いっぱいに食べたい。
……食べる?
食べるということはどういうことだ?
すべてが記憶の中から消えていく……。
嬉しいことも、腹が立つことも、哀しいことも、楽しいことも。
みんな、みんな忘れてしまった。
想い出はすべてなくなってしまった。
たったひとつ残ったのは、果てしなく続く闇。
ボクを包む、深遠なる闇。
闇……、やみ……、ヤミ…………。
その時、ボクのココロの中に何か暖かいものが流れ込んできた。
ボクはハッとして顔を上げた。
暖かい……、すごく心地いい……。
果てしなく広がる闇が消えていく……。
決して消えることのなかった闇が晴れていく……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(……………………)
(………………)
(…………)
(だれだ……? だれかが、おれをみている……)
ライザは、ゆっくりと目を開けた。
目映いばかり光がライザの瞳に突き刺さる。
(てん……し……?)
すると、ライザを見ていた天使がそっと彼の頭を撫でた。
「よかった。やっと目を覚ましたの……、うふふっ」
ライザは戸惑いながら、ゆっくりと口を開いた。
「きみは……、てんしなのか?」
「あたし? あたしはそんな名前じゃないの。ティアナっていうんだよ」
目の前で頭を撫でてくれていたショートヘアの少女はにっこりと微笑んだ。歳は十代前半くらいだろうか。外見よりは幼く感じられるその笑顔には一点の濁りもなかった。
「あなたのお名前は?」
「おれ……? 俺の名前はライザって言うんだ」
「ライザくんか……、ふふっ、いい名前だね。あたし、ライザくんの名前好きなの」
「あ、ありがとう……」
ライザは、ティアナの顔を見上げる。
(なんて純粋な子なんだろう)
信じられなかった。比較的裕福で平和なサイデルトキアだからかもしれないが、それにしても、この澱んだ世界にまだこんな子が居たなんて。
ライザは、彼女に引かれるように無意識のうちに体を起こそうとしていた。
「うっ……!」
その途端、体中に激痛が走った。
(そうか、俺は魔犬に深手を負わされて……)
それを見て、ティアナは優しくライザをベッドに寝かせた。
「だめなの。ちゃんと寝てないと治らないの。……ね?」
ティアナは、ライザにシーツを掛けてやると、にこりと微笑んだ。
「あ、ああ……」
なぜだか、彼女には全く逆らうことが出来ない。
彼女の笑顔を見ているだけで、体の痛みもどこかへ飛んでいってしまいそうだ。
「なあ、君が俺を助けてくれたのか?」
「うん。ぐったりとしたまま、いくら呼びかけても全然動かなかったんだよ? あたし、あのままライザくんが死んじゃうかと思ったら、この辺がきゅって痛くなったの」
と、ティアナは自分の胸の辺りを押さえていた。
その言葉を聞いて、ライザは胸が熱くなるのを感じた。
人間など体裁を取り繕っただけの、偽善に満ちた生き物だと思っていた。
こちらが少しでも心を開こうものなら、その隙を突いて、甘い蜜を吸おうと群がってくる。それでいて、自分に不利になるようなことがあれば、何の躊躇いもなく打ち捨てて逃げようとする。
期待しても裏切られるだけの関係――そんな経験を味わったものならば、本心から誰かの為に何かをしようなどと考えるはずもない。
ましてや、この街の人間ではなく、世界中を旅して回っているような得体の知れない男だ。助けた所で、何の得になる訳でもない。
彼女は損得など考えもせずに彼を助けてくれたのだ。
「でも、大変だったんじゃないか? 俺みたいな男をひとりで背負ってきたなんて」
「ううん、違うの。最初は近くのお家を借りて手当てをしていたんだけど、傷が酷くて大変だったの。だから、ライリスおねーちゃんに来てもらったの」
「ライリスおねーちゃん?」
「うんっ! おねーちゃんは、この国で一番えらい人なんだよ」
(ま、まさか――!?)
ライザはそれを聞いて、慌てて部屋の様子を見回してみた。
部屋の中には一通りのものが揃っており、壁には明るい色の綺麗な壁紙が貼られていた。カーテンもそれに合わせて綺麗な色で統一されている。暖炉の前には、これからのますます寒くなる冬に備えてのことか、幾束かの薪も用意されていた。
どう考えても普通の宿屋ではない。宿屋にしてはあまりにも豪華過ぎる。
(もしかして、ここって……)
その時、がちゃりと音がして、誰かが部屋に入ってきた。辺り一面にふわりと甘い香りが漂った。
「あ~、おねぇちゃん!」
ティアナが嬉しそうに駆け寄っていく。
入って来たのは、綺麗な長い髪の女性だった。その髪は腰近くまであり、先端の方は微妙にウェーブが掛かっていた。歳はライザと同じ、いや少し上くらい。落ち着いた感じで、初対面のはずなのに何か居心地の良いものが感じられた。
「よかった。ようやくお目覚めになったのですね。あなたは怪物を倒したあと、三日も昏睡状態だったのですよ」
「そうだったのですか。助けて頂いてありがとうございます」
冷静に受け答えをしていたが、内心は穏やかではなかった。
ライザは自分が数日の間、意識を失っていたことを知って驚いた。
あれだけの深手を負ったとはいえ、あまりにも不覚だ。
「意識もはっきりしているみたいだし、もう安心ね」
「それより、ティアナから聞いたのですが、あなたは……」
「ええ。私はライリスと言います」
「それじゃ、あなたがあの常識外れな国王さ――あっ! す、すみません!」
ライザは慌てて口を抑える。ライリス様は苦笑した。
「ふふ、いいのですよ」
ライザは、あたふたとしながら次の言葉を探す。
「いや、あの、その……、王様って言うくらいだから、てっきり男の方だと思っていたのですが……」
「去年、サイデルトキア王であった夫が病死したの。私たちの間には息子も居なかったし、そこで急遽、私が王位を継いだのです」
「…………」
ライザは悪いことを訊いてしまったと苦い顔をした。
それを見て、ライリス様は優しく微笑んだ。
「ふふ、私のことを気遣ってくれているのね。ありがとう」
「い、いえ、そんな……、俺は別に……」
ライザは顔を赤らめる。
それを見て、ティアナが面白そうにライザの頬をぺたぺたと触った。
「うふふっ。ライザくんのお顔、真っ赤になってるの」
「う、うるさいっ!」
「はぅぅぅぅぅ……、ごめんなさい……」
ティアナは、小声で謝ると、しゅんとしてしまった。
(しまった。強く言い過ぎた)
それを見て、ライザは慌てて謝った。
「ごめん、別に怒ってるんじゃないんだ。俺はただ――」
その時、ドカンッと大きな音がしたかと思ったら、ドアを吹き飛ばさんばかりにリーナが部屋に飛び込んできた。
「ライザ~~!」
真っ赤に目を腫らしたリーナは、そのままライザの胸の飛び込んだ。
「リ、リーナ!?」
ライザは、意外な来訪者の登場に、驚きを隠せなかった。
「ライザぁ~~、ライザぁ~~!」
リーナは強く強く抱き締めてくる。
「痛い、痛いって。そんなに強く抱き締めるなよ!」
「だってだって、すっごく心配したんだよ。街中どこを探してもいないんだもん……。もしかして、ライザ、何か事件に巻き込まれて死んじゃったんじゃないかって……」
「お、大げさな奴だな。そんな訳ないだろ?」
「だって……」
ライザが泣きじゃくるリーナの頭を撫でてやっていると、ラスタの奴が呆れた顔してこちらを見ていた。
目が合うと、お互いにニヤリと笑った。ふたりにとってはこれで十分なのだ。
そんなライザ達を見て、ライリス様は嬉しそうな顔をした。
「怪我をしたあなたを連れて城に戻った時に、門番があなたの顔を覚えていたの。それで、その時一緒にいたって言うリーナさん達を探してもらったのよ」
「そうだったのですか……、何から何まですみません」
「積もる話もあるでしょう。それでは、私たちはこの辺で失礼します。護衛の件は、ライザさんの傷が癒えてからでも全然構わないので、今は安静にしていてくださいね」
「ありがとうございます」
「行きますよ、ティアナ」
「はーいっ!」
ティアナは可愛く返事をすると、ライリス様の後を追った。
「あ……」
ライザは無意識のうちにティアナを呼び止めようとしていた。
自分でも驚いて、言葉を詰まらせる。
(俺は、いったい何を……)
その時、ライザの想いが届いたのか、ティアナがくるりと向きを変えてこちらにやってきた。
ライザの目をじっと見ると、突然、頬にキスをした。
側で見ていたリーナが硬直する。
「ぐっすり眠って、早く元気になってほしいの」
「ティ――」
「ばいばい、ライザくん」
そう言うと、ティアナはとてとてと部屋を出ていってしまった。
ライザは、彼女が出ていったドアの方を眺めながら、温かみの残る頬を触った。
リーナはハンカチを取り出すと、ゴシゴシとライザの頬を拭いた。
「な、なにするんだよ!」
「ライザの馬鹿!」
それを見ていたラスタは、面白そうにニタリと笑った。




