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Heaven's Gate  作者: みずたにみゆう
>第3編<
24/37

24章 : 女豹の過去

(……………………)


(………………)


(…………)


(……ここは……)


(……そうかっ! 俺はブルームを追って――)


 ライザは、身体を起こすと、即座にブルームの姿を求めた。


 しかし、手に触れるものはゴツゴツとした岩片ばかりだ。崩落した時の破片が四方八方に散らばっている。


 これでは彼女が生き埋めになっている可能性も否定出来ない。そのことが、ライザの心に更なる不安を煽った。


(どこだっ! どこに居るっ!)


 視界の利かぬ闇の中で、必死になって彼女を探した。


 早く手当てをしなければ、彼女の命は危うい。


 右……左……前……後ろ……


 手当たり次第に手を伸ばして彼女の体温を探した。


(ん……)


 柔らかい感触があった。彼女だ。


「ブルーム!」


 慌てて彼女の身体を抱き上げた。


「しっかりしろ! しっかりするんだ!」


 身体を揺すりながら、ぺちぺちと頬を叩く。


「…………」


 それでも、彼女はぴくりとも動かない。


「お願いだ。目を覚ましてくれ……」


 神に祈るような想いで彼女の頬を叩き続けた。


「……ぅ……」


「ブルーム?」


「……うぅ……ぅ……」


 祈りが通じたのだろうか。気づいたようだ。


 しかし、彼女は微かに動いただけで、まぶたを開こうともしなかった。


 彼女の身体はすっかり冷え切っていた。裸である分、体温の低下も著しい。


 脈を測ってみると、今にも消えてしまいそうな程に弱々しかった。


 ライザは、着ていた服を脱ぐと彼女に掛けてやった。


 それでもほんの気休め程度にしかならない。こうしていても彼女の容態は悪化していくばかりだ。


(このままではマズイ。何か暖めるものを探さないと……)


 辺りをぐるっと見回してみた。


 だが、明かりらしきものはどこにも見当たらない。闇が嘲笑うように蠢いていた。


(せめて明かりさえあれば……)


 このような地下道において、自然の光など存在するはずがない。「光」=「火」を意味している。蝋燭の火でもあれば、少しでも彼女を暖めてやることが出来るし、傷を診て手当てだってしてやれる。逆に言えば、今の状態では何も出来ないということだ。とにかく、すべては明かりを見つけてからだ。


「しっかり掴まっていろよ」


 ライザは、転ばないように足場を確認すると、冷え切った彼女をおぶった。


 彼女の身体は綿毛のように軽かった。ふたつのふくよかな感触がライザの背中を刺激する。


(うわ……)


 どんなに男勝りな彼女であっても、やはり「女」であることには変わりない。


(役得といった感じだけど、こんな時にこんなことを考えていたら、リーナの奴に殺されるな)


 そう考えていると、急にみんなのことが思い出された。


 パーティーの夜以来、ブルームとラスタ以外は誰も見ていない。


 リーナ。コウエン。サイネル将軍。軍の兵士達。そして、ティアナ。


(……みんな、無事なんだろうか?)



 ――最後にあなたに会えてよかった――



 突然、ライリス様の顔が浮かび、胸が苦しくなった。


 手が緩み、背中におぶっていたブルームがずり落ちそうになる。


 悲観的な考えが頭をもたげる。


(まさか他のみんなも……くそっ! そんなこと、考えたくも無いっ!)


 不安を断ち切ると、もう一度ブルームを背負い直した。


(今は、ブルームのことに専念しよう)


 そう決心すると、一条の光を求めて彷徨い始めた。



 それでも、ティアナのことが何度も頭に浮かんでは消えた。


 魔族に転生した彼女の姿が脳裏に映し出される。


 ティアナは、忘れていた自分の過去を知り、絶望して震えていた。


 早く彼女に会って、こう言ってあげたい。


 たとえ君が魔族であっても構わない。俺の気持ちは変わらない、と。




 転ばないように、一歩ずつ、慎重に進んでいく。


 聞こえる音と言えば、自分の足音だけだ。


 黙々と歩を進めていると、時々、自分がどうしてこんなことをしているのか分からなくなる。


 もしかしたら、自分は既に死んでいるのではないか。ブルームと一緒に地獄を彷徨っているのではないか。そんな悲観的な考えが心を満たして止まない。


 それでも、自分がここに居ることを否定したくはなかった。


 自分はここにいる。確かにここにいる。ここにいて、ティアナという女性に想いを馳せている。彼女にもう一度会う為には、こんな所で凹んでいる余裕などない。




 ずっと暗闇にいたせいか、だいぶ感覚も慣れてきた。


 さすがに走ったりすることは出来ないが、ゆっくりと歩く程度なら簡単に出来そうだ。


(あれは――)


 ぼんやりとだが、揺らめく光を見つけた。


 急く気持ちを抑えながら、ゆっくりと進んでいく。


(これは……?)


 視界に現れたのは、ふたつの松明たいまつの炎に照らされた小さな部屋だった。部屋の片隅ではちろちろと地下水が染み出す音がしている。


 これならばブルームの手当てをしてやれそうだ。


 そして正面にあったのは、拷問部屋の扉を開く時にあった不思議な壁画だった。松明の炎に照らされ、凹凸のある絵が不気味に揺らめいていた。


 雰囲気からして、この壁画を奉る祭壇か何かではないだろうか。


(またか……、これはいったい何を意味してるんだ?)


 気になったが、今はそんなことを言っている場合ではない。ブルームのことが先決だ。


 彼女をそっと壁に寄り掛からせると、松明用の薪を探した。


(よし……)


 思った通り、予備の薪がまとめて出てきた。


(これだけあれば、充分に暖を取れそうだな)


 早速、焚き火の用意を整える。同時に疑問の念が沸き起こった。


 こうして炎が絶やされないということは、誰かが常にここに来ているということだ。


 ラスタの奴か……? いや、ガサツなあいつがこんなことをするとは思えない。


 それではいったい誰が……?


 地下道といい、この壁画といい、すべてが謎だらけだ。




 火を灯すと即座にブルームの傷の手当てに入った。


 自分の服の一部を引き千切り、軽く火であぶって消毒する。その後、地下水を充分に染み込ませ、彼女の身体を拭いてやる。


「うっ……」


(痛いかもしれないけど、我慢してくれよ……)


 ブルームの呻き声に耐えながら、出来るだけ優しく拭いていく。


「ぅ……くっ……」


 汚れが落ちてきた所で、シャツに織り込んである特別な薬草を磨り潰すと、化膿した部分に優しく塗っていった。


「ぅ……くっ……」


 ライザは、薬草だけには常にこだわっていた。魔法を使える人間自体が貴重な上、治癒能力を持った人間などその中でもほんの一握りである。ファレスのような高等神官などまずお目に掛かれない。そう考えれば、自然と治癒に関心が高くなるのは当然だった。


 今回の薬草など本当にいざという時のために特注でシャツとして織り込んでもらったものだった。希少価値の高いカームニス産のこの薬草は他の薬草とは比較にならないほどの治癒力を持っている。ティアナに腹を打ち抜かれた際も、このシャツのおかげで致命傷を逃れられたのかもしれない。


「ぅ……うあぁぁぁ……」


 数時間の間、ブルームの呻き声だけが辺りに響き続けた。


 手厚い看病を続けていると、次第に本来の絹のように美しい身体が現れてきた。


(へえ……)


 あまりの美しさに、つい見入ってしまった。


 性欲を通り越して感嘆の念が湧き上がった程だ。まるで著名な画家の裸婦画を見ているような心地である。


 ふと、あの時、ブルームが見せた顔が頭にちらついた。


 辛そうな顔をして眠っている彼女を見る。


 感情を表に出さない孤高の剣士ブルーム。


 彼女の瞳には希望の色は窺えず、世の中を一歩離れて見ているような雰囲気があった。


 しかし、彼女にだって無邪気に笑っていた時代があったはずだ。


 この女性は、こんな美貌と肉体を持っているのに、なぜ剣士などをやっているのだろうか?




 俺がこの仕事を選んだ理由――もちろん、自分の記憶を探す為だった。


 なぜ自分がここに居るのか。なぜあそこで魔剣を握り締めて立っていたのか。それを知りたかった。


 だからこの仕事に就いた。世界中を旅しながら情報を得ることが出来るからだ。


 初めのうちは必死になって自分の過去を求めた。


 だけど次第に、そんなことはどうでもいいような気がしてきた。


 そんなことよりも、困っている人びとの為に戦いたいと考えるようになった。


 自分にとって、人びとの明るい笑顔を見ることが何よりも嬉しかった。


 そう考えてみると、形は違えど、俺とライリス様は似たもの同士だったのかもしれない。


 一方、ラスタの奴は世界最強の剣士になることを目指してこの仕事を選んだという。まったく奴らしい理由だ。


 確かに手っ取り早く実力をつけるなら、魔族を相手に経験値を上げていくのが一番だ。


 そんな奴だからこそ、目の上のこぶであるブルームの存在が許せなかったのかもしれない。


 人間としての誇りを捨ててまでして、彼女に対抗する「力」を求めたのだ。


 俺にも、ラスタにも、こうしてこの世界に入ったきっかけがあった。


 それならば彼女は、ブルームは、何を目指してこの世界に入ったのだろうか?


 彼女が元気になったらそれを聞いてみたかった。



 ◆ ◇ ◆



 枯れ木がパチパチと音を鳴らして燃える。


「……目を覚ませ……」


「ん?」


 軽くウトウトとしている間に、どうやらブルームは意識を取り戻していたようだ。


 見ると彼女がむくりと身体を起こし、魔剣アンサラーを彼の首筋に突きつけていた。


「誰が傷の手当てをしろと頼んだ?」


「よかった。気づいたんだな」


 ブルームは顔を引き攣らせる。


「あんた、この状況を分かって言っているのか?」


「……ああ……」


 確かに落ち着いて会話をしていられるような状態ではなかった。今にも首を削ぎ落とされるんとしているのに、普通なら平然としていられる筈がない。


 だが、今のブルームが本気でそんなことをするなどとはとても思えなかった。


 ライザは、平静を保ったまま、言葉を続けた。


「勝手なことをしてごめん。でもあのままだったら、お前の命は危うかったかもしれない」


「…………」


「それと、不可抗力とは言え、裸を見てしまってごめん……」


「…………」


「これは常備している保存食だ。よかったら食べてくれ」


 ライザは、持っていた保存食を頭上に投げる。


 綺麗にキャッチした彼女は、怪訝そうな顔をして尋ねてきた。


「……何のつもりだ?」


「お前、ずっと何も食べてないんだろ? このままいたら餓死するぞ。とにかく腹に詰め込んでおけよ」


「…………」


「何だよ、じっと見つめたりして? 俺の顔に何か付いているのか?」


「どうして、わたしを助ける? 助けたって何の得にもならんのに……」


「放っておける訳ないだろ? 俺達は仲間なんだぞ?」


「仲間、だと?」


「ああそうだ」


「ふふっ、笑わせてくれる。仲間など必要ない……わたしは自分の為だけに生き、自分の為だけに死ぬ」


「ははっ!」


「何が可笑しい!?」


「それは俺の台詞だよ。それなら、どうして俺をかばった!? どうして他人である俺の為に死のうとした!?」


「……それは……」


「忘れたとは言わせないぞ? ラスタの攻撃から俺を守ってくれたのは、他でもない、お前じゃないか!」


「…………」


「……お前は何を脅えているんだ?」


 その言葉は、ブルームの胸に深く突き刺さった。


「…………だまれ! だまれ! だまれぇぇ!」


 逆上したブルームは、ライザ目掛けてアンサラーを振り下ろす。


 ライザは、静かに目を閉じた。


 ブォン!


 切っ先は、ライザの首の皮一枚の所で止まっていた。


 しばし沈黙が流れたが、ややあって、ブルームが静かに口を開いた。


「……なぜ、避けなかった?」


「俺は、お前がそんなことをしないと信じていた。だから、避けなかった」


「…………」


 ブルームは、持っていた剣を地面に落とすと、そこで黙り込んでしまった。


 動揺しているのだろうか? 彼女の顔までは明かりが届かず、その表情は窺えない。


 パチパチパチパチパチ……


 枯れ木が燃える音だけが続く。


「……たしには――わたしには、あんたが不思議でたまらない」


「……?」


「サイネル将軍もそうだ。わたしには、他人の為に何かをするなんて信じられない……」


「そんなことはないと思うぞ? 誰かの為に何かをしてあげて、それで喜んでもらえたら、誰だって嬉しいじゃないか」


「わたしは……わたしには……誰も信じられない……」


「どういうことだよ?」



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 貴族階級の娘として生まれたわたしは、何不自由なく幸せな幼少時代を送った。


 わたしの家は、今は無きガーザ王家の遠戚に当たり、父は将軍としてサマル皇帝に仕えていた。


 父の人望は厚く、街に出掛けるたびに民衆から熱烈な歓迎を受けた。


 戦に出れば百戦錬磨で敵は無く、家には毎日、国の英雄を拝みたいとやってくる人びとが後を絶えなかった。


 幼かったわたしにとって、父は尊敬すべき存在であり、憧れの存在でもあった。




「おかえりなさい! おとうさま!」


「おお、ブルームか。いい子にしていたかい?」


「うんっ!」


「そうか。よしよし、お利巧さんだ」


「えへへっ! おとうさまは今回もお国の為に戦って来たの?」


「ああそうだ。父さんの仕事はサマル皇帝の為に外敵を倒すことなんだ」


「敵って、サイデルトキアっていう国のこと?」


「そうだ。ちゃんと覚えているなんて偉いぞ」


「うんっ! 大きくなったらあたしも、おとうさまみたいに立派な剣士になるっ!」


「これこれブルーム。貴族の娘がそんなことを言ってはいけないよ?」


「だって……」


「お前の名前の由来は覚えているかい?」


「あたし、ちゃんと覚えてるよ! BLOOMって『お花』のことだよね!」


「そう、その通りだ。この家ですくすくと育って、花のように美しい女性になって欲しい。そう思ってブルームと名づけたんだ」


「へぇ、そうだったんだ……」


「だから剣士になりたいだなんて言わないでおくれ。お前には辛い思いをして欲しくないんだ」


「うん……おとうさまがそう言うなら……」


「よし、いい子だ」


「うんっ!」




 しかし、そんな幸せな生活は長くは続かなかった。


 サイデルトキアとの交戦が長期化し、それまでずっと攻勢一方だったガーザ帝国は徐々に押され始めた。


 ガーザ側が停戦を申し込むかに思われたが、サマル皇帝はそれを良しとせず、更に軍隊を動員することを発表した。死しても敵に後ろ姿は見せるな。それがサマル皇帝の方針だった。


 疲弊した民衆は次第にサマル皇帝への不満を高めていった。


 それが一気に爆発したのが一月のクーデタだった。


 雪の降りしきる夜、武装した民衆数千が突如としてガーザ城へと雪崩れ込んだ。


 城は焼き払われ、サマル皇帝とその皇妃は捕まり、民衆が見守る中、ふたりは順番にギロチンに掛けられた。


 その首は、首都バイムコーア市の一角に晒された。


 こうしてクーデタは成功を収め、ガーザ王家に代わってロスタリカ共和政府が樹立された。


 初代元首に就任したのは、バイムコーアを中心に勢力を伸ばしていたリズモンドという政治家だった。公正な選挙で選出されたということになっていたが、実態はクーデター時に多大な資金援助をしていたこともあり、強力な根回しが働いたとも言われている。


 リズモンドは猜疑心の強い男で、サマル皇帝派の人間は国賊と見なされ、次々と逮捕もしくは暗殺されていった。


 そのリストの中には、当然わたしの父も含まれていた。


 身の危険を感じたわたし達一家は、家を捨ててサイデルトキアへと亡命を図った。


 しかし、わたし達に与えられたモノは想像を絶する仕打ちだった。


「貴様、私の家に泊めて欲しいとは何様のつもりだ!」


「逆賊の仲間と思われるのはごめんだよ!」


「この害虫めが!」


 今まで父に尻尾を振っていた街の有力者や貴族達は、手のひらを返したように、わたし達一家を汚いモノを見るような目で見た。


 手配書が国中にばら撒かれ、普通に宿を取ることすらままならなかった。


 雪の降り積もる街の片隅で、凍えながら野宿をする日々が何日も続いた。


 ようやく眠れたかと思えば民兵隊に発見され、逃げ出したり、戦闘を繰り広げたりすることもしばしばあった。


 それでも、わたし達は決して諦めはしなかった。


 あと少し辛抱すれば自由を手に入れられる。そう信じて歩を進めた。




 だけど、あと一歩という所で――


 父が買い物をしに離れた隙を突かれて、わたし達は柄の悪い民兵隊に捕まってしまった。


「おら、さっさと歩け!」


「うっ……!」


「おかあさまっ!」


「ブルーム! お父様が戻って来られるまでの辛抱だから、そこでじっとしているのよ。いいわね?」


「……う、うん……」


 わたしは母に言われた通り、物陰で息を潜めていた。ガチガチと歯を鳴らしながら、瞳に込み上げる涙を必死になってこらえていた。




「そこに居るのはブルームか?」


「その声は、おとうさま?」


「ああそうだ」


「おとうさまぁ~~! あの、あの、あのね……!」


「よしよし、いい子だ。いったい何があったんだい? 落ち着いて話してごらん?」


「おかあさまが悪い人達に連れて行かれて……!」


「なんだって!?」




 わたし達が辿り着くと、母は舌を噛み切って自害していた。


「いやぁ~~~っ!!」


 兵士達の慰み者にされそうになった母は、貴族として、辱めを受けるよりは自ら死を選んだのだ。


 兵士のひとりは、母を踏みつけると退屈そうにあくびをした。


「ふぁ~あ。この女、まだこれからだって言うのに舌噛みやがったよ」


「ちっ……つまんねぇの」


 別の兵士が唾を吐きかける。


「……シンシア……」


「なんだよ、オッサン?」




 父は、雄叫びを上げると有無を言わさず男を切り殺していた。


 剣を抜こうとする者があればその前に腕ごと切り落とし、飛び掛ろうとする者があれば首をはねた。


 兵士が既に息を引き取っても、その手を止めようとはしなかった。目玉が、脳が、内臓が飛び出しては散った。


「おとうさま! もうやめてっ!」


「邪魔だっ!」


「きゃっ……!」


「こいつらは人間じゃない! 人の皮をかぶった悪魔だ! これくらいのことではすぐに起き上がってくるわ!」


「…………」


「ほら、また動いた! 死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ねっ!」


「おとうさま……」


 父は、相手が人間であることを忘れ、殺戮マシンのようにただただ切り刻んでいた。


 突然、吐き気が込み上げてきて、その場に吐瀉物をぶちまけた。


 吐いても吐いても収まることはなく、最後には胃液まで搾り出していた。


 それは、ぐちゃぐちゃになった人間の死体を見たせいだろうか? それとも母の死を目撃したせいだろうか?


 いや、尊敬していた父が発狂してしまったのが大きかったのかもしれない。


 その時、父は既に人間ではなくなっていた。


 彼は、怒りと憤りと絶望の念に取り憑かれた魔族だった。




 ズンッ……!


 気づくと、幼いわたしは、涙の雫をぼろぼろと落としながら、父の腹に剣を減り込ませていた。


「ブルーム……おまえ……」


「おとうさま……おとうさま……おと……」


 わたしは呪詛を唱えるようにひたすら父の名を呼び続けていた。


 これ以上、こんな父の無様な姿を見たくはなかった。




 その日、わたしは感情を失った。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 パチパチパチパチパチ……


 枯れ木の燃える音が部屋に響く。時々、黒くなった炭が崩れては散った。


 ライザは必死になって返す言葉を探していた。それでも何も出て来やしない。


 今、何を言ったとしても、何の慰めにもならないと思った。


「あれ以来、わたしは貴族としての過去を捨て、血の滲むような修行をした。


 一年中氷に覆われた極寒の地である北カームニスに渡り、戦闘部族として名高いケシュア族に身を寄せ、族長グングニルに弟子入りをした。女というハンデを感じさせぬように自分が女であることを捨て、男達と共に変わらぬ修行を十年近く受けた。俊敏性、正確性、剛腕性等、一通りの事はあの地で身に付けた。


 独り立ちした後は、人里に戻り、誰に頼ることもなくひとりで生きてきた。

 政敵の暗殺、諜報、魔族討伐……色々な仕事を引き受けて、改めて感じた。この世の中には自分のことしか考えてない腐った奴しかいないとな。だからわたしは、誰も信じたくないし、それを悲しいとも思わない。そんな、誰を想う等と言う感情はわたしの心から死に絶えた」


「…………」


 《夜風を屠る女豹》と呼ばれた孤高の剣士が背負っていた過去。


 それは信じられない程に過酷なものだった。


 国の政変に巻き込まれ、人間として生きる権利を奪われたブルーム一家。


 だから誰も信じようとしない。自分の心を開こうとしない。


 だけど……


「あんたのようなお人好しには、わたしの気持ちは分からないだろうな」


「分からないよ……、分かる筈がない……」


「なんだと?」


「お前の過去がどんなに辛かったかは、俺には想像もつかない。だけどすべての人間がみんな同じ訳じゃないと思うんだ。一部の人間だけを見てそれがすべてだなんて考えちゃいけないんじゃないかな? 少なくとも俺はそう思っている」


「馬鹿なっ! 誰がそんなことを信じるかっ!」


「最近、ようやく魔族が何なのか分かってきた気がするんだ」


「……奴らが人間から転生した生き物だと言いたいのか?」


「……知っていたのか」


「父が転生したのを見たからな」


「あっ……!」


 ライザは、自分が無神経なことを言ってしまったことに気づき、慌てて口を噤んだ。


「気にするな。……だが、今までそのことを知らなかったのか?」


「ああ。それを知っていたら、こんな魔族退治なんて仕事はやっていなかったかもしれない」


「……だろうな。あんたならそう考えそうだ」


「ここの所、色々なことがあり過ぎて、もう驚いたりしないけどね」

 と、ライザは大きくひとつため息をついた。


 そこには様々な想いが込められていた。


「ならば、もうひとつ教えてやる。わたしがサイネル将軍の応援に向かった時、現れた過激派ダァトの連中はみな魔族だった」


「ま、まさか……」


「本当だ。サイネル将軍が苦戦したのもそのせいだ。奴らはもはや人間ではなく、この世界を否定した魔族だ」


「そんな馬鹿な……」


 ライザの顔が真っ青に染まった。


 ブルームはそれを見て、ふふっと笑うと投げやりな言葉を吐いた。


「改めて考えてみると、この世界はもう終わりだな。世界中の人間が同じように魔族になるのも時間の問題だろう」


「そんなことはないっ!」


「なぜそう言える?」


「俺達がそうなるまいと信じなくてどうする? 心が負けたら、本当にそうなってしまうぞ?」


「…………」


「ブルームの言うように、人間が魔族に転生しているというのは確かだと思う。でも俺が言いたいのは、どうしてそうなってしまうか、だ」


「……?」


「ラスタは自分の欲望に負けてあんな風になってしまった。あれを見て思ったんだ。自分の心の闇に負けた人間が魔族になってしまうんじゃないかって」


「心の闇?」


「ああ。俺だって、リーナだって、ライリス様だって、そしてティアナだって――みんな何も言わないけど、心に何かしらの傷を抱えている。大切なのはそこで腐るか腐らないかじゃないのかな?」


「腐るか、腐らないか……」


「お前の親父さんもそうだ。大切な人を失ったことで、この世界にいる意味を見失ってしまったんだよ」


「…………」


「……違うだろうか?」


「…………」


「ブルーム……?」


 その時、ブルームの身体が小刻みに震えているのが分かった。


「…………」


「…………」


「……ライザ……」


「ん?」


「いまだけ……、胸を貸してはくれないだろうか……?」


「……わかった……」


「……っ!」


 言葉と同時に、ブルームが胸に飛び込んできた。


 力強く服の裾を掴むと、抑えていたものをすべて解放するように泣き出した。


「うっ、うっ、うっ……!」


 ブルームは、泣き声を聞かれまいとしゃくり上げていた。


 優しく彼女の頭を撫でてやる。



 それは、感情を失って以来、彼女が初めて他人の前で見せた涙だった。

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