23章 : 炎の魔人
闇……、やみ……、ヤミ…………。
ボクを包む闇、ボクのカラダを包む闇、ボクのココロを包む闇。
ボクはまた来てしまった。
ここは始まりも終わりも無い世界。すべてが終わってしまった世界。
あるのは無限の時間。無限の自由。
ああ、これがきっと「死」というものなのだろう。
だがそれでも終わることは無い。苦しみから解放されることはない。
肉体という「ウツワ」から外れてさえも続く、永遠の苦しみ。
「生」とは愚かな人間に与えられた至上の苦しみに他ならない。
誰だっ! ボクの許可なく、誰がこんな世界に産み落としやがったっ!
ボクは産んでくれなんて頼んだ覚えはない。
お願いだ。
ボクを、ボクを許して欲しい。
この苦しみから解放して欲しい。
生きることは地獄。生きることは苦痛なんだ。
(……ちがうよ……)
ボクのココロの中に何か暖かいものが流れ込んできた。
(それはちがうの。生きることは楽しいこと)
そんなことはない。ボクは辛いんだ。たった独りこんな場所に閉じ込められて、辛くてたまらないんだ。
(……あなたはひとりじゃない……)
うそだッ!
(……あたしが居るよ……)
「えっ……」
目の前に初めて自分以外の何かが現れた。何もない、深遠なるこの世界に。
それは女の子。髪の長い女の子。
少女は一糸まとわぬ姿でボクを見つめていた。天地も存在しない闇にぼうっと浮いていた。
ボクは少女の美しさに見入ってしまった。
「きみは……?」
「……あたしはティファレト。太陽をつかさどる《セフィラ》よ……」
「ティファレト……?」
ボクは彼女を知っていた。いや、知っているはずだった。
それなのに何かが思考の邪魔をして思い出させようとしない。
少女は瞳に溢れんばかりの涙を溜めながら笑顔を浮かべた。
「……ようやく会えたの……」
少女はそっと抱きついてきた。
(あれ、からだが――)
実体がないはずのボク達は確かに抱き合っていた。
どうやって抱き合っているのだろう? 分からない。
だけど、彼女のぬくもりは確かに感じられた。
腐っていたココロが、心地よい陽の光を浴びたように暖かくなっていく。
あれだけ怖かったはずの闇がどうでもよく感じられる。
やはりボクは知っていた。ココロは覚えていなくても、カラダがこのぬくもりを知っていた。
ボクも力を込めて彼女を抱き締める。鼻先に触れた長い髪から、懐かしい彼女の匂いがした。
胸がいっぱいになったボクは、彼女の愛称を何度も何度も呼んだ。
「ティファ……! ティファ……! ティファ……!」
「うふふっ」
顔を上げた少女が無邪気に笑う。
「何百年経ったかな? やっと実体化出来た」
「実体化って……?」
「この世界で自分という存在を維持することってとても大変だから。時々、あなたのことを励ましながら、必死になって想念を集めていたんだよ」
「…………」
自分を維持? 想念を集める?
ティファが何を言っているのかさっぱり分からない。
少女は急に真面目な顔をしてボクを見た。
「ここはあたしたちが生きるべき世界じゃないの」
「ボクたちが生きる世界じゃない?」
「何も覚えていないの?」
「そんなこと言われても、ボクは……」
ボクには何も分からなかった。
ボクが誰なのか。どうしてここに居るのか。
そもそもここに「世界」という概念が存在しているのかどうかも分からなかった。
少女は吐き出すようにして言った。
「ここは負の想念が作り出した世界」
「負の想念?」
「負の想念とは、マイナスの感情の塊。欲望や嫉妬、恨みなど。それらが集まって、実体を持ったのがあいつなの」
「あいつ?」
「闇をつかさどる《セフィラ》ビナー。またの名をフェニ=ナ=ゼス」
「フェニ……ナ……ゼス……?」
聞いたことがないはずなのに、何だかとても懐かしい感じがした。
そして、同時に憎いという感情が湧き上がってきた。
この感情はいったい何なのだろうか?
「知っている。ボクはその名前を知っている――」
「思い出して……すべてを……」
「すべて……?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(……………………)
(………………)
(…………)
(……ここは……)
(俺はまだ生きているのか……?)
誰かが俺を見つめている。覗き込むようにして見つめている。
(ティアナ……なのか……?)
ライザは、その手に抱いていたはずの少女を求めた。
伸ばした手が空を切る。
――誰も居ない。
辺りには人の気配すらしない。
俺は確かにティアナを抱き締めた。壊れそうなくらいに繊細な少女をこの手で抱き締めた。
すべては夢だったと言うのか? そんなはずはない。
胸に手を差し入れてペンダントを取り出す。彼女に貰ったペンダントは確かにここにあった。
ティアナの無邪気な笑顔が浮かぶ。
――ライザくんっ!――
(……ティアナ……)
自然とペンダントを掴む手に力が入っていた。
一足遅れて、いま自分が居る場所に関して疑問が沸き起こった。
俺はライリス様の寝室に居たはずだ。そして彼女の死に立ち会い、何度も攻撃を受けながらもティアナをこの手に抱いた。
それなのにここは……?
改めて自分の倒れていた場所を見回してみた。
そこには一条の光も差し込まぬ陰湿な世界が広がっていた。数メートル先に灯された蝋燭の炎のみが彼の視界を切り開く唯一の縁だった。
ふと魔剣アンサラーのことを思い出し、鞘に手を掛けてみた。感触がある。
どうやら長年連れ添ってきた相棒だけは無事だったみたいだ。
<……だれか……>
「えっ……」
一瞬、何かが聞こえたような気がした。他にも誰かここにいるのだろうか?
立ち上がって人の気配を探ってみる。が、やはり誰もいない。幻聴だったのだろうか?
<……だれか……>
「!?」
いや、今度は間違いない。確かに聞こえた。
聴覚で感じるというよりは、心で感じられるモノだ。
もしかして、ティアナがこの近くにいるのだろうか?
胸の辺りがざわざわとして落ち着かない。
(どこだ? どこから聞こえた……?)
ライザは、胸に響く声を頼りに暗闇に慣れない目を凝らしながらゆっくりと壁伝いに進んだ。
自分がいまどこにいて、どこに向かっているのかなどは全くわからなかった。
それでもそのままじっとしているよりはマシだと思った。
<……だれか……だれか……>
進むにつれて、徐々にその声が強くなっていく。
(この角を曲がればきっと……)
突き当たりで右手に折れた。
しかし、その先は行き止まりだった。
来る道を間違えてしまったのだろうか?
数瞬、そんな思いが頭をよぎったが、心に直接訴えかけるような声は消えなかった。むしろ、今までになく強く感じられた。
(きっと何か見落としているんだ)
少し引き返して、その辺りを灯していた蝋燭を掴んだ。
火が消えないように慎重に運びながら、先程の場所まで戻ろうとした。
(……ん?)
曲がり角の所まで来た時、その壁が不自然に凸凹していることに気付いた。
頼りない光を放つ蝋燭を掲げて、その場を照らしてみる。
(これは……)
その壁には不思議な絵が掘り込まれていた。
それは天から降り注いだ落雷が、三本の柱を交互に流れるようにして落ちていく絵だった。落雷と柱の交差する部分がそれぞれ火花を上げるように誇張して描かれており、その中にはそれぞれ見たことも無い文字が描かれていた。
(なんだこれは……? 古代人か何かが彫った壁画か?)
初めて見る壁画に妙に興味をそそられた。恐る恐るそれに触れてみる。
その壁画は鋭利なものでただ刻みつけられたという感じではなく、凹凸がしっかりとしていた。そうなると彫刻家か何かが彫り込んだものなのだろうか?
(あれ、これって……)
今まで気づかなかったが、文字が描かれた部分がボタンになっているようだ。正しい順番で押す事で、何かのからくりが作動する仕掛けなのかもしれない。
こういうものは得てして「鍵」であり「罠」でもある。
むやみにボタンを押すことで、何が起こるか分かったものではない。慎重に考えて行動しなければならない。
こんな時にコウエンが側に居てくれたら、と思う。
彼ならば、何かしらの法則性を導き出してくれただろう。
その時、中央の柱に刻まれた古代文字の中に見覚えがあるものがあることに気づいた。
(これは……?)
どこで見たのだろうか。世界各地を旅してきたものの、このような古代文字にお目にかかったことなどなかったはずだ。
答えを求めるようにその文字の描かれた部分にそっと触れる。
すると、ライリス様の亡き骸に手を伸ばすセラフィスの姿が脳裏をよぎった。
(そうか!)
ようやく記憶の糸を手繰り寄せることが出来た。
この文字は、ライリス様の胸の中から出てきた宝石に描かれていた文字である。
何と書いてあるのかを理解できる訳ではないが、この文字であったことは間違いなかった。
ライリス様の宝石とこの壁画には何か関係があるのだろうか。
<思い出して……すべてを……>
何の前触れもなく、少女の声が聞こえ始めた。
先ほどから自分を呼んでいた声とは違う。
とても優しい声。そして、とても懐かしい声だ。
少女の言葉がリフレインを続ける。
<思い出して……すべてを……>
胸が温かくなる。
一条の光も差さぬ地下にいることが嘘のように感じられる。
(君は……ティアナ……?)
すると何かに操られているかのように、右手が勝手に壁画の文字を押し始めていた。
一瞬、驚いてしまったが、為すがままに押し続けることにした。
順番が間違っているとは思えなかった。彼女が自分に力を貸してくれているように感じていた。
右手は落雷が落ちる順番に古代文字のボタンを押していた。
中央の柱にある最後のボタンを押す。
すべてを押し終えると、一歩だけ後づさって様子を見守った。
遠くの方で何かが動くような音がした。方角からして、先程の突き当たりだ。
(ティアナ、ありがとう)
そう呟いていた。
◆ ◇ ◆
蝋燭の炎をかざしながら先を進んだ。
行き止まりだったはずの場所に辿り着くと、床の一部が動き、地下へと通じる階段が出現していた。
(やはり、ここで正しかったのか……)
ずっと締め切られていたせいだろうか、開け放たれた入口から腐敗臭に似た黴と湿気の入り混じった臭いが吹き出していた。咄嗟に嘔吐感が込み上げてきたが、何とか持ちこたえた。
階段の奥を見つめる。重苦しい闇が愚かな人間を地獄へと誘わんと手招きしていた。
緊張のあまり、乾いて張りついた喉がゴクリと鳴った。
(行こう……)
意を決すると、慎重に一段ずつ降りることにした。
一段でも踏み外せば、二度とこの世界には戻れないような気がしてならなかった。
(ここは……)
無事に下段まで辿り着くと一気に視界が開けた。
今まで歩き回っていた場所はここへ来る為の通路か何かだったのだろう。ここは通路というよりはむしろ部屋といった感じだ。
刹那、一陣の風が吹き抜け、持っていた蝋燭の炎を掻き消した。
視覚を奪われた途端、何かに蹴躓き、素人のように派手に転んだ。
打ちつけた身体を撫でながら起き上がると、すぐさま落とした蝋燭を拾った。これを無くしたらお終いだ。
(どこかに明かりはないだろうか……?)
覚束ない足取りで進むと、前方に明かりが見えた。
藁をも掴む思いで歩み寄った。
(こ、これは……!)
ライザは、自分の目を疑った。
蝋燭の炎に照らされるようにしてボロ雑巾のような人間が壁に磔になっていた。
反射的に魔剣アンサラーを抜いて構えると、警戒を解かぬまま、じりじりとそいつの許へ近づいた。
目を細めながら観察する。
(……こいつは酷い……)
そいつは全裸のまま手足を鎖で繋がれていた。体格からして女性のようだ。
全身を鞭のようなもので打たれ、ミミズ腫れになっているのが痛々しい。手足に食い込んだ枷から見える黒く固まった血の跡がそれを引き立てていた。
その姿は、民衆に受け入れられず、十字架に磔にされた哀れな預言者アロンのようだった。
人の気配に気づいたのか、その女性はゆっくりと顔を上げると全身の力を振り絞るようにして言葉を紡いだ。
「……あんたは……」
ライザは、思いも拠らぬ人物の顔を見て目を丸くした。
「ブルーム……なのか……?」
「……ああ……」
信じられなかった。
ブルームはサイネル将軍の援軍としてダルテスベルク市に向かったのではなかったのか?
「俺を呼んでいたのはお前だったのか……?」
「呼んでいた……だと?」
「ああ。誰かが呼んでいるような気がして、胸の辺りがざわざわと落ち着かなかったんだ。……その声に呼ばれて来て見たら、ここに辿り着いた」
ブルームはふっと笑った。
「……相変わらず、不思議な男だな……」
「そうか?」
「ああ。あんたみたいな奴は初めてだ」
ブルームは妙に嬉しそうな顔をして笑う。
「そんなことよりもあんた、どうしてここに来たんだ?」
「……分からない……」
「分からない……?」
「自分でも不思議なんだ。俺はあの日、魔族討伐の祝勝パーティーの日、暴走したティアナに腹を貫かれて意識を失った。それから長い夢を見ていたような気がする。……気づいたら、ここに辿り着いた」
「何を言っている? わたしにも確かなことは分からないが、あの日から既に十日は経っている筈だぞ?」
「十日だって……? そんな筈は……!」
ライザは混乱した。
それなら俺は、十日近くも意識を失っていたというのか? その間、セラフィス達が何もせずに俺を放って置いたというのか? いや、そんな筈はない。それなら、俺が死んだと思って、奴がここに打ち捨てたのだろうか?
考えれば考える程、謎は深まるばかりだ。
カツーン、カツーン、カツーン。
誰かが階段を降りてくる音が聞こえた。
じっとライザのことを見ていたブルームだったが、咄嗟に邪悪な気配を感じ取った。
慌てて声を張り上げる。
「あいつが来た! 今すぐ隠れるんだ!」
「あいつ……?」
「いいからこの場は隠れるんだ! そして、何があっても顔を出すんじゃない! いいな?」
「あ、ああ……」
ライザには彼女の意図する所が分からなかったが、取り敢えず、言われるがままに物陰に隠れた。
彼とほぼ入れ替わりに、物凄い形相をした男が姿を現した。
ライザは予想外の人物の登場に目を疑ってしまった。
(ラスタじゃないか……! どうして奴がここに!?)
ラスタはブルームを睨みつける。
「おいこら、何をブツブツほざいてやがったっ!」
「…………」
ブルームは頑として気丈な態度を崩さない。逆に問い返す。
「――何しに来た?」
「……テメェの死に面を拝みに来てやったんだよ。それなのに、まだくたばってなかったとは……。しぶてぇ女だぜ」
「わたしがあんたの思い通りになるとでも思っているのか?」
「黙れ!」
ラスタは、ブルームの頬を思い切り引っぱたいた。
ブルームは、全く動じることなくラスタを睨み返すと、ペッと彼の顔に唾を吐き掛けた。
「このクソ女……」
「弱い者ほどほざく、か」
「ぐっ……! 馬鹿にしやがってぇ~!」
完全に逆上したラスタは、めちゃくちゃにブルームを殴り出した。
バキッ! バキッ! バキッ! バキッ! バキッ! バキッ!
ブルームの肉体はさながらサンドバッグ状態であった。
物陰で一部始終を見ていたライザは、あまりの悲惨な光景に目を覆った。
鬼のような形相をして殴り続けるラスタ。とても正気の沙汰とは思えない。
(ラスタの奴、何を考えてるんだ! 本気でブルームを殺す気か!?)
今すぐにでも止めに入りたかったが、ブルームとの約束を思い出してぐっと踏みとどまった。
(ブルームの奴は何を考えて……? まさか、俺にこの光景を見せたかったとでも言うのか?)
「ハァハァハァハァ……」
殴り疲れたラスタは乱れた呼吸を整えながら、ゆっくりとブルームから離れた。
ブルームは全身血だるまになっていた。
それでも彼女の瞳が輝きを失うことはなかった。じっとラスタを睨みつける。
どこまでも屈しない彼女の態度は、ますますラスタのプライドを傷つけた。
「もう少しいたぶってやろうと思っていたが、もう止めだっ! 一気にトドメを刺してやるっ!」
ラスタは鞘から巨大な剣を取り出した。
それまで顔色ひとつ変えなかったブルームも、それを見てさすがに動揺を隠せなかったようだ。
「そ、それは、炎魔竜神剣……! あんたには扱えないとライリス様に没収されていたはずでは……?」
「はぁ? ライリスなんて奴はもういねぇよ。それに、オレ様は強大な魔力を得た。この剣が使いこなせねぇ訳ねぇだろ?」
「な、なんてことだ……」
「今や、この剣はオレ様に最高の力を与えてくれるのさ!」
ラスタは、炎魔竜神剣の力を解放する。
ゴオオオオオオオオオ……!
物凄い波動が広がり、あらゆるものを薙ぎ倒さんばかりに突風が吹き荒れた。拷問部屋全体がガタガタと振動を起こし、今にも天井が崩れ落ちそうだった。その力は孤児院で解放した時のものとは桁違いだ。
(こ、この波動は……)
ライザは自らの感覚を疑った。
ラスタがいま発している波動は魔族特有のものだ。人間である彼がなぜ……?
「くっ……! 満更、嘘でもなさそうだな」
「さあ、死んで貰おうか」
「もはやこれまでか……」
覚悟を決めたブルームは静かにまぶたを閉じた。
ライザに助けを求める気にはなれなかった。
表面上どんなに取り繕っていても、彼は所詮、ラスタの仲間なのだ。
ラスタが高らかと炎魔竜神剣を振り上げた。
「あの世に逝きなっ!」
ガキィィィィィィィィン!
剣と剣がぶつかり合う激しい音が響き渡り、目映いばかりの閃光が走った。
「久しぶりだな、ラスタ」
「なっ……!」
ふたりは宙で会話を交わすと、即座に後ろに飛んで間合いを取った。
「テメェ……、生きてやがったのか……!?」
「それは俺の台詞だ」
そう言うと、ふたりは軽くニヤリと笑い合った。
「……ライザ……」
ブルームは、自分の瞳に、失われてかけていた光が徐々に戻り始めたのを感じた。
気づいた時には、声を張り上げていた。
「お願いだ、ライザ。わたしの鎖を切ってくれ! 頼む!」
「…………」
ラスタは馬鹿にするように笑うと、ライザの肩に手を掛けた。
「この後に及んで血迷ったか。こいつはオレ様のパートナーだぜ? な?」
「あ、ああ……」
ライザは、そうは言ったものの内心では動揺していた。
(いったいどうなっているんだ? ティアナに続き、ラスタまで……!)
仲間だった奴らが悉く魔族になって襲い掛かる――悪夢のような出来事が立て続けに目の前で起こった。
ラスタまでもが魔族に転生してしまったなんて信じたくはなかった。
ライザが混乱していることに気づいたのか、
「現実を直視するんだ! こいつはもうお前が知っているラスタではない!」
「…………」
ブルームは真摯な瞳でライザを見つめた。
「わたしは信じている。あんたには自分の為すべきことがわかるはずだ」
「ブルーム……」
「あの世に逝きなっ!」
炎魔竜神剣が唸りを上げてブルームに襲い掛かった。
ブルームはこらえていたものをすべて吐き出すように叫んだ。
「ライザぁ~~!」
ラスタの攻撃がブルームに直撃する。
ズドォォォォォォン!
凄まじい轟音と共に砂煙が上がった。脆くなっていた壁の一部に亀裂が入り、パラパラと崩れ落ちた。
ラスタはひとりほくそ笑んだが、即座に顔を引きつらせた。
「馬鹿な……」
なんと、ブルームがプロテクトチェーンを掲げて攻撃を中和していたのだ。
枷は彼女の腕にしっかりと嵌められたままではあったが、四錠の鎖はすべて断ち切られていた。
「な、なぜ、あの鎖が――まさか!?」
ラスタは目の前にいる戦友の顔を見た。
戦友はブルームの許に駆け寄ると、彼女の安否を気遣っていた。
「テ、テメェ……!」
ラスタは眉間に今にもぶち切れそうな程に太い血管を浮かび上がらせた。
「長年付き添ってきたオレ様より、そのクソ女の味方をする気か!?」
ライザは軽蔑の眼差しを向けると、
「お前が裏切ったことはその波動を見れば一目瞭然だ!」
「ぐっ……!」
ラスタは返す言葉を失った。
ライザは、本心ではまだ半信半疑だった。
それでも信じようと思ったのは、ブルームが身体を張ってラスタの異変を伝えようとしてくれたからだ。
彼女の身体は衰弱が激しく、もはやひとりで立てるような様子ではなかった。
ライザはブルームに肩を貸してやった。
「大丈夫か?」
「すまん……」
「謝るのは俺の方だ。お前を酷い目に遭わせてしまった」
「なぁに、これくらい大したことないさ」
「どこが大したことない、だ! 普通だったらとっくに死んでいるぞ!」
「ふふ、そうか……?」
「テ、テメェら……ぶっ殺す!」
ライザという最後の拠り所を失ったラスタは、怒髪天を突き、唸りを上げながら気を集め始めた。
静電気が弾けるような感覚が部屋全体に沸き起こる。
「何をする気だ、ラスタ?」
「これだけは使いたくなかったんだがな……」
「何だと!」
「『炎魔装甲』!」
刹那、ラスタの全身から炎が放出された。そして彼の身体が焔蛇によって覆われていく。
ブルームの顔が青ざめる。
「これは……! 炎を完璧に自らの眷属としたのか?」
「どうだ、ブルーム! これがオレ様の最終兵器だ!」
ラスタの身体は完全に炎が物質化した鎧に覆われていた。とは言え完全に物質化した訳ではなく、時々、ノイズが入るようにジジッ、と揺らいでいた。
「これはいったい……?」
「『魔装甲』を使うとは……」
「魔装甲……?」
「自然界の四大元素と己の負の想念を掛け合わせることによって物質化させる鎧だ。物質化するには並々ならぬ精神力と魔力が必要と言われている。故にこれを使えるものは魔族の中でもごく一部に限られている。だが一度使いこなせるようになれば……、それは攻守共に他の追随を許さない無敵のアーマーとなる」
「無敵のアーマーだって……!」
「くくっ……! すべては炎魔竜神剣のおかげさ。もはやオレ様に敵う奴などいねぇ!」
ラスタは、狂ったように炎魔竜神剣を振り回した。
凄まじい熱風によって次々と壁に亀裂が入り、天井が崩落し始めた。彼の近くの岩盤などあまりの高熱によって真っ赤になっていた。
ライザは腕で顔を覆うと、よろよろと仰け反った。
「あの馬鹿、加減ってもんを知らないのかっ!?」
「このままだと、全員生き埋めになってしまうな」
「どうする?」
ブルームは悔しそうな顔をすると、吐き出すようにして言った。
「……今のわたし達に勝ち目はない……」
「……となると、やはりここから脱出するしかないか」
「ああ。それしかない」
意を決したふたりはラスタの方に向き直った。
崩落を続ける拷問部屋では、ラスタの高笑いが耳鳴りのように木霊していた。
ライザは、静かにアンサラーを抜くと、精神を集中し始めた。
ラスタの癖は誰よりも知っているつもりだ。
奴はいつも剣を振り上げる時に、一瞬、力を溜める。
そこを突けば、奴の攻撃を掻い潜って逃げ出せる自信はあった。
……………………
………………
…………
ラスタが剣を振り上げた。
(今だっ!)
刹那、ライザはアンサラーを振り下ろした。
部屋中の埃やゴミが渦を巻き、ラスタの視界が遮断される。
「なにっ……!」
ラスタの虚を突いたふたりは、希望に向かって駆け出した。
階段まではさほどの距離も無い。これならば逃げ切れると思った。
「その手に乗るかっ!!」
ラスタは全身全霊の力を込めて炎魔竜神剣を振り下ろした。
地面に亀裂が走り、焔蛇が飢えた獣のようにふたりに襲い掛かる。
「なっ……!」
振り返ると眼前で焔蛇が牙を剥いていた。恐怖が目に焼きついて動けない。
何かに飛ばされたような感覚があった。
(ブルーム……!)
ブルームがライザを庇って突き飛ばしていた。
ラスタの渾身の一撃がブルームに直撃する。
「がっ……!」
彼女はもはや悲鳴すら上げることが出来ず、静かに炎に包まれた。
「ブルームっ!」
脆くなった地面が限界を超えて崩落を起こした。
身動きの取れなくなったブルームがそれに巻き込まれる。
「掴まれっ!」
ライザは、無我夢中で手を伸ばした。
だが、彼の手は空を切り、彼女はそのまま吸い込まれていく。
不思議なことに、彼女は微笑みを浮かべていた。
すべてに満足したかのように。自分の役目がここで終わったかのように。
彼女がこんな顔を見せたのは初めてだった。
(ばかっ! 死んじゃいけないっ! こんな所で死んじゃ駄目だっ!)
気づいた時には、ライザも彼女を追って飛び込んでいた。




