21章 : 決意
「ふわああああ」
リーナは眼を覚ますと、拳が入ってしまう程の大あくびをしながらぐっと背伸びをした。
レースのカーテン越しに四角く切り取られた陽光がキラキラと差し込む。今日もいい天気みたいだ。
どこからか紅茶のいい香りがし、小鳥の囀りが穏やかな朝を引き立てていた。
「あ痛たたたた」
急に猛烈な頭痛に襲われた。たまらず頭を抱える。
(あれ、どうしちゃったんだろう?)
頭を触るとズキズキと痛む。
(……そうか……)
思い出した。昨日の夜は魔族討伐の祝勝パーティーだったのだ。
その席で少し飲み過ぎてしまったのだろう。パーティーの途中から今までの記憶がスッポリと抜け落ちていた。
(リーナ、またバカなことしちゃったな)
ヤケになって飲んでいた自分を思い出し、少し鬱になった。
「お目覚めになられましたか?」
「へっ!?」
声のした方を見ると、コウエンが心配そうな面持ちで見つめていた。
「あれ、コウエンじゃない。どうしてここに……? まさか、リーナの寝顔が見たくてこっそりと忍び込んだの? やだ、リーナってそんな魅力的!?」
「…………」
いつもの調子で話し掛けるが、反応が無い。
「どうしたの? 今日のコウエン、何か変だよ?」
「……リーナさん……」
コウエンは涙を浮かべると、ぎゅっとリーナを抱き締めた。
「ちょ、ちょ、ちょっと、どうしちゃったの!?」
「…………」
コウエンは返事をすることもなく、ただひたすらに抱き締めていた。その腕はとても力強い。
リーナは気が動転してしまった。
この人がこんなことするなんて初めてだった。いつもと違う。
急にコウエンが知らない人に見えた。
「やだっ!」
気づいた時には、コウエンを突き飛ばしていた。
「リーナ……さん……?」
コウエンは驚いたような顔をしてこちらを見た。
「本気なの? 本気でリーナのことを襲いに来たの……?」
声が震える。
「……何を言ってるんですか?」
「やだ、来ないでっ!」
コウエンに枕を投げつける。
「リーナさんは何か勘違いしています」
「じゃあ、どうしてリーナの部屋に居るの!?」
「周りをよく見てください」
「え……?」
「いいから見てください」
「う、うん……」
コウエンに言われるままに、部屋をぐるっと見回してみた。
すると何かおかしなことになっていることに気づいた。
どう見ても自分の部屋ではなかった。ましてやコウエンの部屋などでもない。
「……あれ、ここどこ?」
「ようやく気づきましたか。ここはニスタの市庁舎です」
「ニスタって……!」
ニスタとは、サイデルトキアの南東にある街で、サイデルトキア市には劣るものの、ダルテスベルグ市に並ぶ程の賑わいを見せており、魔族討伐の際にも何度か立ち寄った街である。魔人の森にも近く、他の街よりも比較的多くの部隊が設置されていた。
「リーナ達、どうしてこんな所に居るの!?」
コウエンは怒りを押し殺すようにして、
「サイデルトキア市が魔族の手に落ちたからです」
「うそっ!?」
「本当です。パーティーで警備が緩んでいた隙に奇襲をかけられて……。街の人々は大半が魔族に洗脳され、逆らう者はみな殺されました。更に周辺警備に当たっていたラスタ様の軍は壊滅、残りの軍も大半がやられました」
「そんな……、たった一晩で陥落しちゃったって言うの?」
「いいえ。リーナさんは意識を失っていたから知らないと思いますが、あの夜からもうまる五日は経っているのですよ」
「五日って……、リーナ、そんなに寝てたの?」
「ええ。ずっと昏睡状態でした」
コウエンは今にも涙が溢れそうになるのをぐっとこらえている様子だった。
「コウエンったら大袈裟なんだから。リーナは酔っ払って寝てただけだよ?」
「何を言ってるんです。それなら、その頭に巻いているものは何なのですか?」
「えっ……!」
驚いてぺたぺたと頭を触ってみた。先程はぼーっとしていて気づかなかったが、何か布のような感触がした。
(これは……、包帯……?)
「うっ!」
急に全身を駆け巡るような痛みが走った。
「大丈夫ですか!?」
コウエンは優しく包み込むようにしてリーナの体を抱き留めた。
「う、うん……。それよりも、リーナ、怪我してるの?」
「そうです。あなたの部屋に駆けつけた時には、頭を何度も殴られて魔族に殺される寸前でした」
「……そんな……」
頭の痛みは二日酔いのせいではなかったようだ。
寝ている所を魔族に襲われて、瀕死状態に陥っていたらしい。
そんなリーナを助けてくれたのがコウエンだった。
彼にはいつも迷惑を掛けっ放しだ。
「……ごめんね……」
「どうしてリーナさんが謝るんですか?」
コウエンは不思議そうな顔をしてリーナを見た。
「だって、リーナはコウエンに迷惑ばかり掛けてるから。なのに襲われるだなんて……、あまりに失礼だった」
「そんなことは気にしなくてもいいんですよ。それよりも、先程は済みませんでした。もう目を覚まさないかと沈んでいたので、つい感極まってしまって……」
「ううん。勝手に勘違いしたリーナが悪いんだよ」
(そう。リーナの勝手な想い込みだよね)
(コウエンは誰にでも優しい人だもん。困っている人がいたら放って置けなくなっちゃう人だから)
(そんな彼を突き飛ばしたりして、リーナったら、何を考えてるんだろ? どうにかしてるよ)
(これ以上コウエンに心配ばかり掛けていられない。もっとしっかりしなくちゃ!)
誤解が解けたコウエンは安堵の息を漏らした。
「でも、リーナさんだけでも助けられてよかった」
その言葉にリーナはハッとして顔を上げた。
コウエンは余計なことを言ってしまったことに気づき、慌てて口を噤んだ。
「リーナだけって……! 他のみんなは!? ラスタは、ライザはどこ行っちゃったの!?」
「それが……」
コウエンは言い辛そうに顔を背けた。
言い知れぬ不安が小柄なリーナの体を押し潰すようにして広がっていく。
「お願い。教えて」
リーナの真摯な瞳がコウエンに突き刺さる。それでも彼は押し黙ったままだ。
もう一度祈るようにお願いする。
「お願いだから本当のことを教えて」
「…………」
「お願いっ!」
コウエンはリーナの気迫に根負けしたのか、ゆっくりと口を開いた。
「……自分はリーナさんを背負って逃げるので精一杯でした。あの夜以降、他の方とは一切連絡が取れていません。ライザ様はおろか、ライリス様もご無事かどうか……」
「そんな……」
急に目の前が真っ暗になった。息が詰まる。
リーナは自らの声を失ったかのように黙ってしまった。
ふたりの間に暫し沈黙が流れた。
その重苦しい空気は、コウエンの心に入り込んでは沈鬱を引きずり出していった。
居たたまれなくなったコウエンは深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。自分が至らないばかりに……」
コウエンが悪い訳ではない。あの状況では、誰であってもどうすることも出来なかったのだ。
そんなことは彼自身にもわかっていた。
それでも、謝らずにはいられなかった。何もせずにじっとしていることなど出来なかった。
リーナは自問自答した。
(ライザが死んだ? うそ。うそだよ。そんな筈ないよ! だって、リーナの王子様なんだよ? 王子様はお姫様を迎えに来るって決まってるんだから!)
リーナはすくっと立ち上がった。
それに気づいたコウエンが頭を上げた。
「リーナ……さん?」
「今からサイデルトキアに行く」
「えっ!?」
コウエンは、彼女の予想外の行動に面を食らった。血相を変えて反対する。
「無茶言わないでください! みすみす死にに行くようなものですよ!」
「だって、ライザが死んだなんて信じられないもん! 絶対に生きてる! 生きてるよ!」
「ですが、みんなきっと……」
彼女はコウエンに対して、軽蔑の眼差しを向けた。
「その目で確かめもせずにどうしてそんなことが言えるの? 弱気な人なんてだいっきらい!」
「……リーナさん……」
ぐじぐじしているのはリーナの性には合わないのだ。
そうと決めたリーナは、コウエンが目の前に居るにも関わらず、ベッドの脇に畳んであった服に着替え始めた。
既に五日も経っているという。彼女にはもう立ち止まっていられる時間などなかった。
コウエンは弱音を吐いていた自分が情けなくなった。
「今までありがと。さよなら」
リーナは足早に部屋を出ていこうとする。
「待ってください!」
「止めたって無駄だよ。リーナはもう決めたの」
「いえ。自分も連れていってください」
リーナとコウエンは、部屋を出ると一緒に逃げて来た兵士達の集まる大広間へと向かった。
コウエンが現れたのを見て誰かが声を上げたのをきっかけとして、わらわらと兵士達が集まり始めた。
首都陥落という絶望の淵に立たされた彼らにとって、コウエンとリーナが最後の望みの綱だったのだ。
コウエンは頃合いを見て演説台に上ると、集まった兵士達に呼び掛けた。
「みなさん、聞いてください!」
ざわついていた兵士達が一斉に静かになった。
コウエンは一礼をすると、みなに聞こえるように演説を始めた。
「ご存知の通り、首都サイデルトキア市は魔族の手によって陥落し、我が国の被害は甚大、我が軍の大半が命を落としました。勢いを得た魔族は遠からずここニスタ市にも攻めて来るでしょう。ですが、我が国はまだ敗北を喫した訳ではありません! 国王様が生きていらっしゃる限り、自分達に希望の光が絶たれた訳ではないのです!」
熱のこもった演説に鼓舞された兵士達は「そうだそうだ!」と声を張り上げた。
「そこで自分とリーナ様はこれから首都に潜入し、孤立していると思われる国王様を救出に向かいます。その間、あなた達にはニスタの警備隊と共に民衆から兵を募り、出来る限り魔族の攻撃に備えて欲しいのです!」
兵士達の声援が飛び交う。
「わかりました!」
「絶対に死守して見せます!」
「コウエン様、絶対に国王様を助け出してください!」
ライリス様が無事かどうかは分からなかったが、みんなの士気を高める為にはこれしかなかった。
お転婆な所があっていつもサイネル将軍に気を揉ませているライリス様。それでも、年に一回行なわれる聖誕祭には全国から数え切れない程の人びとがライリス様の笑顔を見る為に集まっていた。彼女はサイデルトキア国民にとっては掛け替えの無い「希望」なのだ。
演説の間、リーナは泣きそうになるのをぐっとこらえていた。
こんな状況だと言うのに、誰一人として泣き言を言ったり、悲観したりする者が居なかったからだ。
(誰もがライリス様が生きてるって信じてる)
(リーナもライザが生きてるって信じてるよ)
(だからこんな所で諦めちゃいけない……! くじけちゃ駄目なんだよね? ね、ライザ)
ニスタの警備隊長に今後の手筈を教えたコウエンが、リーナの許に歩み寄った。
「行きましょう、リーナさん」
「うんっ!」
(ライザ、ラスタ、みんな……いま行くから待っててねっ!)
ふたりは兵士達の声援を背に受けて、その場を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ここか、セラフィス?」
「……ああ、そうだ」
見渡す限りの砂塵の世界に、ひとりの少女が降り立つ。その後ろには長身の男が控えていた。
その少女は幼い外見とは裏腹に、見た者を総毛経たせるような威圧感を放ち、深紅の瞳を光らせていた。一寸先も見えむ砂塵の舞い散る世界で、風さえもが彼女を恐れるように避けてゆく。
「ファルの奴、こんな場所に隠しておったのか……。忌々しい奴じゃのう」
「…………」
長身の男は黙ったまま静かに眼鏡を上げ直した。
ここはダァト密教徒の自治区『ペトラ砂漠』の中でも聖地『イレム』と呼ばれる場所。直径数百メートルほどの大穴がこちらを覗き込んでいる。
密教徒の間では預言者アロンの消えた聖なる地とされ、決して立ち入ることを許されていない。だが、現実には一切の「生」を感じられぬ負のテリトリーだ。知識の門など、どこにもありはしない。
暫し『イレム』を覗き込んでいた少女だったが、満足したのか、腰に着けていた袋から何かを取り出した。
それは、中に古代文字の刻まれた一点の曇りもない透き通った宝石だ。それでいて、中央でほのかに暖かな光を発している。
少女はふわりと体を浮かせると、ゆっくりと穴の中央に移動していった。長身の男は静かにその後ろ姿を見つめる。
穴の中央部に辿り着くと、少女は親指を軽く噛み、そこから流れ出した血を使って空中に何か描き始めた。少女の念を受けた線は、まるで地面に描いているかのように宙に描かれていく。複雑な線は次第に紋様となり、最終的には巨大な魔法陣の様相を呈した。
そして、握っていた宝石を魔法陣の中央部に設置した。
宝石は次第に眩い光を放ち始め、血で描かれた魔法陣も輝き始めた。
同時に辺り一体に吹き荒れていた砂嵐が晴れていった。
それまでぼんやりとしか見えていなかった深淵なる穴が、次第にくっきりと姿を現し始めた。
少女は手で印を描きながら呪文を唱え始めた。
「アム・レム・イレム、カム・ナ・イェソド!」
すると、宙に浮いていた宝石が砕け、瞬時に空中魔法陣全体に広がった。
刹那、魔法陣が物凄いスピードで穴の奥深くへと呑み込まれていき、大地が大きく揺れ始めた。この世の終わりがやってきたかのような激しい揺れである。
鼓膜が破れんばかりの地鳴りと共に猛烈な勢いで臭気が噴出し、巨大な穴から何かがゆっくりと姿を現し始めた。
「我が眷属バイアクヘーよ。今再びここに姿を見せるがよい!」
少女の掛け声と共に、どす黒い色をした全長二百メートルくらいの物体が姿を現した。蝿と蜂を足し合わせたような外見をしており、腐食した全身から物凄い臭気を漂わせている。
その生物は少女の方を向くと、強大な目玉をギョロリと向けた。
「よくぞ蘇ったな、バイアクヘー」
少女はバイアクヘーと呼ばれた有翼生物の頭の上に乗ると、優しく頭を撫でてやった。バイアクヘーも「グェッグェッ」と声を上げて喜びを伝えている。
「ふふっ。可愛い奴じゃのう」
長身の男は黙ったまま、その光景を見つめた。
(クリフォート戦争中、オレ達を苦しめた機動要塞バイアクヘー。こいつを再び復活させてしまうことになろうとは)
男は悔しそうにぐっと下唇を噛み締めた。
(このまま奴の好きなようにしておいていいのか……?)
その様子に気付いたのか、少女は不気味な笑みを浮かべると、長身の男の前へと瞬間移動をした。
「セラフィス。何をそんな不服そうな顔をしておる? ……何を迷う? 私は世界を本来在るべき姿に戻そうとしているだけだ。クリフォートによる世界をな」
「そうだよ、セラフィス。そんなに真面目に考えたって疲れちゃうだけだよ? もっと楽しくいこ~よ!」
とフレディが無邪気に笑う。
「フレディ……」
いつの間にか、フレディがセラフィスの裾を掴んでこちらを見上げていた。
セラフィスはじっと、その少年の澄んだ瞳を見つめた。
この子は何も分かっていない。リスティがこれから何をしようとしているのかを。
リスティは面白ければ何でもいいというフレディを、上手く利用しているだけだ。
そして何よりも、そのことを一番よく理解している自分自身が、リスティの言い成りになっていることが堪らなかった。
「おお、そうだった。お主にも新しい仲間を紹介しておかねばならなかったな」
「仲間だと……?」
「ああ、我々にとっては何よりも心強い味方となってくれるだろう。さあ、姿を見せるがよい!」
リスティの掛け声と共に、ふたりの魔族が彼女の膝元に姿を現した。
「なっ……!」
その姿を見たセラフィスは、驚きのあまりに言葉を失った。
その場に現れたふたりは、彼の予想を遥かに超えた人物であった。




