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Heaven's Gate  作者: みずたにみゆう
>第2編<
15/37

15章 : ペンダント

 久々に戻って来たサイデルトキアの街は活気に溢れていた。


 辺りにはいつものように市が立っていて、おじさんやおばさんたちが元気良く品物を売っていた。野菜、肉、卵、調味料、茶など、さまざまなものが目白押しだ。


 彼らの熱心な顔を見ているだけで、こちらにも自然と力がみなぎってくる。


「いつ来ても賑やかなだな、ここは……」


「当然だよ。だってここはサイデルトキアの首都なんだから!」


「……ああ、帰って来たんだな」


 ライザは自分の故郷に舞い戻ってきたかのように、街の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ライザ達がサイデルトキア南東部にあるニスタ高原へと出陣してからひと月あまりの月日が流れていた。


 圧倒的に不利と思われていたサイデルトキア軍だったが、コウエンの奇抜な作戦によって、奇跡の大逆転を成し遂げたのであった。


 ライザが自陣を捨ててディスター軍に突撃すると、案の条、敵軍はサイデルトキア軍に総攻撃を掛けてきた。


 敵が本陣に突入した瞬間、コウエンがテントに火を放つ。


 敵が混乱したのに乗じて、数人の精鋭がコウエンを脱出させ、テントを閉じる。


 全身、火達磨になったディスター軍が散り散りになって飛び出すと、近辺に潜んでいたラスタとリーナの選りすぐりの部隊が総攻撃を行なった。


 複数の兵に護衛されていたはずのディスターは、いつの間にか一人で行動しており、ラスタに見つかったが最後、彼の自慢のファルシオンの餌食になったのだった。


 こうして負けに終わるかと思われた戦いは、サイデルトキア軍が大勝利を収めたのであった。



 だが、今回の軍団はセラフィス自身が姿を現した訳でもなく、力で押さずに地道に攻撃を続けるという魔族らしからぬ戦い方であった。


 ライザの胸に一抹の不安が残る。


(サイネル将軍の情報は間違っていたのだろうか? 大規模な魔族の軍団が押し寄せているという話だったのに……)


「どうしたの、そんな深刻な顔をして……、何か悪いものでも食べた?」

 と、リーナが心配そうな面持ちで顔を覗かせる。


「お前と一緒にするなって。俺は拾い食いなんかしない」


「リーナは拾い食いなんかしないもん! それよりも、ねぇ、今から買い物に行こうよ!」

 と、ライザの裾を引っ張る。


「え、これからライリス様の所に報告に行かないといけないんだぞ?」


「別に後でいいじゃない」


「そういう訳にはいかないだろ」


 リーナは誘うような目をしてくねくねとポーズを取る。


「はぁい、ちょっとそこのお兄さん。リーナと甘いひとときを過ごしてみない?」


「な、何のつもりだよ、それは」


「街で男を誘う妖艶なお姉さんだよ」


「お前のようなぺチャパイ娘に誰がついて行くんだ?」


「あ~、酷いっ! これでも街を歩いていたら、よくナンパされるんだからねっ!」


「どんな奴にだよ?」


「えっとね……、あ、そうそう! ハァハァ、お金あげるから今からおじさんと遊びに――」


「どう見てもロリコンの変態オヤジじゃないか。それって狙われてるぞ」


「え~、そうなの!?」


「あのな……」


「それよりもさ、買い物に行こうよ~」


「そんなに行きたいのか?」


「うん! お・ね・が・い♪」


 リーナがお願いモードに入ってしまっている。ウルウルと目を潤ませながら見つめられては断り辛い。


「ラスタ。お前はどうする?」


 大あくびをしながら歩いていたラスタに助け舟を求めた。


「リーナの買い物にはつき合ってらんねぇよ。ふたりで行って来たらどうだ? オレ様はちょっくら酒場にでもしけ込んで来るわ」


「俺を見捨てる気か!?」


 ラスタはひらりと身をひるがえすと背を向けたまま手を振った。

「くく、仲良くやれよ。おふたりさん」


「ひとりだけ卑怯だぞ、ラスタ!」


 背に向かって嫌なほど罵声を浴びせたが、ラスタはそのまま雑踏の中に消えてしまった。


 ライザは、大きくひとつため息をつく。


 顔を上げると、リーナがにっこりとした顔をして立っていた。



 ◆ ◇ ◆



 リーナと一緒にサイデルトキアの街を歩く。


 泣きそうな顔をしたライザと嬉しそうな顔をしたリーナが何とも対照的だった。


「どうしてこんなことに……」


「いいじゃない。そんなに嫌だった?」


「ああ」


「むう。……でもさ、久しぶりにふたりっきりになれたね」


 ぶすっとした顔をしていたかと思えば、次の瞬間には笑顔を浮かべていた。


「そういえばそうだな。戦いの間、ずっと集団行動だったからな」


「えへへっ」


「な、なんだよ。不気味な顔して寄って来るな」


「え~、いいじゃない。リーナね、ずっとこうして腕を組んで歩きたいって思ってたんだ」


 スキップしながらライザの腕に掴み掛かる。リーナが普段よりも浮かれているのは確かだった。


「お前のテンションにはついて行けそうにないよ」


「リーナは平気だよ」


「当たり前だ」


「――あっ、あそこに可愛いアクセサリーが売ってるよ!」


 気づくとアクセサリーショップの方に吸い寄せられていた。


「相変わらずそういうの好きだな」


 ライザが呆れ顔をすると、彼女はちょっとムスッとした。


「乙女は誰でも好きなの!」


「はは、そう怒るなって。少しくらいなら構わないぞ」


「え、いいの!?」


「俺はその辺ぶらついて来るから、その間にたっぷり見て来いよ」


「……なんだ……」


「ん、どうした?」


「……一緒に行ってくれないのか……。そうだよね、そこまでしてもらったら贅沢だよね……」


「え、いま何か言ったか?」


「ううん、何でもない!」


「変な奴」


「えへへっ。それじゃ、ちょっと行ってくるね!」


「ああ。……あ、俺は宵越しの金は持たない主義だから、また無茶して高いもの買おうとするなよ」


「うんっ! 置いて行ったら絶交だからねっ!」


「おう!」


 リーナは嬉しそうに返事をすると、パタパタとアクセサリーショップの方に掛けて行ってしまった。


「あいつ、何年経ってもガキのままだな」



 とは言うものの、久々にリーナの笑顔を見て喜んでいる自分に気づいていた。彼女が辛そうな顔をしていると周りも何だか物足りない気分になるのだ。


 敵がさほどの相手ではなかったとはいえ、地道なゲリラ活動を続けてくる敵と長期に渡って戦ったのは初めてだった。戦い方も自ずと変わって来るし、彼女なりに相当ストレスが溜まっていたのだろう。また連日の野宿は身体的にも精神的にも負担が大きかったに違いない。


 またそれは決してリーナにだけ言えることではなかった。


 ライザには気がかりで仕方ないことがあった。それが彼を精神的に追い込んでいた。


(魔族の攻撃があんな生易しいもので済むとはとても思えない。あの男はいったい何を企んでいるんだ……?)


 不安とともに、魔人の王セラフィスの顔が浮かんで来る。


 なぜこんなにもあの男のことが気に掛かっているのか自分でも不思議で仕方なかった。何がそこまで追い詰めるのだろうか。分からない、分からなかった。ただ、自分を見下したようなあの目がたまらなかった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 闇が広がっていく。ボクの心を押し潰そうと闇がどこまでも広がっていく。


 闇……、やみ……、ヤミ…………。


 ボクを包む闇、ボクのカラダを包む闇、ボクのココロを包む闇。



(またここにいるのか。ボクはどうしてここにいるんだ?)


(ふふっ。愚かよのう……)


 闇がボクを見て笑う。


 腐ったココロを見透かすかのように、ボクを見て笑う。


(笑いたければ笑うがいい。その代わり、ボクを解放してほしい。この地獄のような苦しみから解放してほしい)


(ふふっ。ここから逃れられるとでも思うのか? お前は永遠にこの世界で生きるのだ)


(いやだ。ボクはここから抜け出したい、自由になりたいんだっ!)


(ジユウ……? ここはジユウではないか? お前を束縛するものなど何もない)


(こんな世界に何があるっていうんだ。何を希望にして生きていけばいいんだ!)


(キボウだと……? コノ世界にそんなものは存在しない。あるのは自由だ! 虚無だ! お前を害するモノなど何もない……そう、「死」すらもな)


(「死」――それはいったい何だ? ボクは今ここに居る、居る筈だ。でも本当に生きているのか?)


(ふふっ)


 凍てついた世界に、腐った世界に、ボクはひとり佇む。


(これがジユウだとしたら、生きているということだとしたら、死ぬとはいったい何なんだ!? ボクがここに居る必要はあるのか? どうしてここにいなければならないのだ? どうして――)



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「あ~っ! ライザくんなの~!」


「えっ!?」


 ハッとして我に返ると、純真無垢な少女が嬉しそうにこちらを見つめていた。


「ティアナじゃないか。どうしてここに!?」


 ライザが驚いていると少女は勢いよく胸の中に飛び込んで来た。彼女の甘い香りが広がる。


「ちょ、ちょっと、苦しいよ」


 ティアナは胸に顔をうずめたまま、ぎゅっと抱きついて離そうとしない。嬉しいやら苦しいやらでどう対応したらいいのか困ってしまう。


 このまま抱き締めてしまってもいいのだろうかと考えていると、今までに見たこともないような顔を見せた。


「ずっと会えなかったから……、寂しかったの」


「ティアナ……」


 胸を素手でぎゅっと鷲掴みにされたような感じだった。それまで心に巣食っていた闇が消えていく。自分はこの顔を見る為に生まれて来たのではないだろうか。ついそんなことを考えてしまう。彼女にはそんな力があった。


 その感覚は遠い昔、どこかで感じたものに似ていた。



 ふと疑問が頭をよぎる。


 俺は昔、どこかで彼女の笑顔を見たことがあったのではないか。こんな風にぎゅっと彼女を抱き締めたことがあったのではないか。太陽のように暖かな優しさに触れ、凍てついた俺の心を溶かしてくれたのではないか。


 ライザはもう一度彼女を見つめ直した。汚れを知らぬ瞳はどんな宝石よりも輝いて見えた。


(まさかな……)


 強引に疑念を打ち消す。きっとひと月前に抱き締めた感触を覚えていただけなのだろう。


「ふたりで散歩しようか」


「うんっ!」


 小柄な身体が元気よく跳ねた。



 ◆ ◇ ◆



 ライザとティアナは特に何を買う訳でもなく、色んな店に入っては冷やかして回った。


 露店では綿菓子を買ったり、思いきり振ってサイダーを大爆発させたり、まるで祭りにでも来ているかのようだった。


 ティアナと一緒に居るとひとりでは見逃していたことをたくさん発見出来る。


 こんなものかと思っていた灰色の世界が輝いて見える。


 自分でも何がしたいのか分からなかった。


 もしかしたら、今だけでもいいから憎しみや苦しみ、戦争や魔族のことを忘れたかったのかもしれない。


 ティアナと一緒にいられるこの時間を大切にしたかったのかもしれない。



「わあ、きれい!」


 ティアナが嬉しそうに駆け寄っていく。何を見つけたのだろうかと後を追ってみると、先ほどリーナが吸い寄せられていったアクセサリーショップだった。


「ライザくん、見てみて~~。このイヤリング、素敵だよ~~」


「ああ。今、行くよ」


(女の子ってやっぱりこういうものに弱いのか? 不思議なもんだな。リーナの奴も――)


「あっ!?」


 いきなり大声を上げたので、ティアナが不思議そうな顔をしてこちらを見た。


「マズったな……」


「どうしたの?」


「いや、なんでもない」


「……? 変なライザくん」


 なんでもないはずもなかった。リーナと落ち合う約束をすっかり忘れていたのだ。


 あれから既に数時間は経っているだろう。店の中に入って彼女の姿を探してみたが、いるはずもなかった。


 脳裏にリーナが怒っている姿が浮かんでくる。


(後で半殺しに遭いかねんな……。何か買って帰るか)


 はぁ、と大きくため息をつくと、ティアナとともにアクセサリーを眺め始めた。


 それまで特に興味も持ったことがなかったが、あまりにもティアナが真剣に眺めているので気になってしまった。


「わぁ~~」


 ティアナが大声を上げる。


 こっそり後ろから覗いてみると彼女の視線の先にはあるペンダントが見えた。特に高価なものではなさそうだが、そのデザインが気に入ったのか、完璧に釘づけになっていた。時々財布の中身と相談しながら、どうしようどうしようと迷っているみたいだった。


「済みません、このペンダントをひとつください」


「あい、まいどありぃ!」


 悩んでいたティアナが、驚いた顔をして振り返った。


 店の主人にお金を払うと、ティアナにそのペンダントを掛けてやった。ティアナは戸惑った様子で服の裾を掴んできた。


「だめだよ……、とっても高いんだよ……?」


「いいんだ。今日一日、散歩につき合ってくれたお礼だよ」


「でも……」


 ペンダントを取ろうとする小さな手を優しく掴む。


「俺もそれ結構気に入ってるんだ。ティアナに凄く似合うと思うから」


「……あ……」


 ティアナは自分の首に掛かったペンダントを見つめたまま黙ってしまった。


 それを見て急に不安になってしまう。こんなことをして迷惑なだけだったのだろうか。



 ふたりの様子を窺っていた店の主人が顔を出した。


「おふたり様はカップルですね。それならもうひとつお揃いのものは如何でしょうか?」


「え、俺達は別にそんな……」


 慌てて主人の言葉を否定しようとすると、ティアナが持っていた財布を主人に差し出した。


「ティ――」


「これで、ライザくんの分もお願いします……!」


「あい、まいどありぃ!」


 主人は元気良く返事をすると店の奥に飛んでいってしまった。全く商売上手といった感じだ。


 お金と引き換えにペンダントを受け取ると、ティアナがそっと首に掛けてくれた。


 ティアナが満面の笑みを見せる。


「ふふ、これでおあいこなの……」


「…………」


 嬉しさのあまり言葉が出なかった。



 駄目だ。この笑顔には勝てない、と思った。


 彼女を喜ばせてやろうと思ったのに、結果的には俺の方が喜ばされてしまった。


 もはや彼女を直視することすら出来なくなっていた。胸の鼓動が早まる。その音は自分でも煩わしいまでにうるさかった。


 改めて感じる。いつの間にかティアナの存在がこんなにも大きくなっていたなんて。


 確かな年齢はわからないが、どう見てもティアナはまだ子供だ。そんな彼女に本気で惚れている。


 端から見たら変に思われるかもしれない。ラスタの奴に鼻で笑われるかもしれない。


 俺は馬鹿なんだろうか。


 いや、この恋に年齢など関係なかった。ティアナだからこそ好きになったのだ。彼女が年上でも既婚者であっても、この感情が変わるとは到底思えない。



 ライザは、彼女の肩を優しく掴むとじっとその少女の顔を見つめた。


 顔を赤らめた少女は、目を瞑ると背伸びをしながら、そっとくちびるを前に差し出してきた。


 彼女の微かに乱れた吐息が感じられる。そんないじらしい彼女を見て、ライザの気持ちはますます高まった。


(なんて可愛いんだろう……、ティアナ……)



 その時、店の外から女性の甲高い悲鳴が聞こえて来た。一気に現実に引き戻される。


「えっ、なぁに?」


 外の異変に気づいたティアナは、不安そうな面持ちでライザの裾をぎゅっと掴んだ。


 これも職業病というものだろうか。頭よりも体の方が先に反応していた。


 ティアナを軽く抱き締めると、すぐに店の主人に身を預けた。


「おやじさん、彼女をお願いします」


「ライザくんっ!」


「それは構わんが。お客さんはどうする気なんだい?」


 ライザの顔から、すっと穏やかさが消えた。


「魔族を退治します。……それが俺の仕事です」



 ◆ ◇ ◆



 大通りまで走ってくると、やはり大騒ぎになっていた。


 ある人は逃げ惑い、ある人は泣きじゃくる子供を必死になだめながら逃げ場を探していた。


 魔獣と戦った時の光景が重なる。


 どんなに警備を強化していても、まるで意味をなしていない。


 改めて自分達の至らなさを痛感させられる。


 いくら努力した所で、魔族相手では話にもならないとでもいうのか。



 人の波を掻き分けて進んだが、肝心の敵の姿が見当たらなかった。


 ライザは軽く舌打ちをすると、魔剣アンサラーを抜いた。


 精神を一点に集中させる。


 普通の人間では感じられないような、ごく僅かな空気の流れを読み取る。


(……この波動、クリフォートか?)


 左手の方角にひとつ、魔族の気配を感じた。


 すぐさま地を蹴って進んだ。


 セラフィスのことが脳裏によぎったが、その可能性はすぐに打ち消した。


 奴ほどの威圧感は感じられなかった。


 だが、何かとてつもない力を感じる。今までにない独特の波動だ。



「これは……!」


 ライザは、ハッと息を飲んだ。


(魔族の波動を辿って来たはずなのに……!?)


 目の前に現れたのは、狂ったように暴れ回るひとりの女性の姿だった。


 ライザは状況が掴めずに混乱した。


 先程、聞こえて来た悲鳴は、確かにこの女性の声だった。


 その本人が今、見境なく人を殺し回っているのだ。


 どう見てもこの女性が魔族であるとは考えられない。


 それなのに、下等魔族が束になっても敵わない程の波動をいとも簡単に放出させていた。


(これはいったい……!?)



 剣を構えたまま様子を窺っていると、その気配に気づいたのか、女が猛然と襲い掛かって来た。


 女の爪が空を斬る。攻撃することも出来ず、ライザはギリギリの所でその攻撃をかわした。


(は、早いっ!)


 そのスピードは尋常ではなかった。普通の人間である彼女の何処にそんな力が隠されているというのか。


 ライザは間合いを取ると、アンサラーの力を解放しようとした。


 しかし、すぐに躊躇してしまった。


(くそっ! 相手が人間じゃ、本気で倒す訳にもいかないじゃないかっ!)


 ライザは女から視線を外すことなく、辺りの様子を窺った。


 術者がどこに潜んでいるからわからないが、彼女が操られていることはほぼ間違いなかった。


 その彼女を殺める訳にはいかない。



 ライザが動揺しているのを見ると、女がしめたとばかりに突進してきた。


 息つく暇もなく攻撃が加えられる。手刀であるというのに、その攻撃はかまいたちのようにライザの体を刻んだ。


「くっ!」


 女が奇怪な雄叫びをあげる。


「キィイイイイイイ!」


 女の手刀が胸板を切り裂く。防御もろくに取れなかったライザは、地面に思いきり打ちつけられた。


「ぐはっ!」


 ふいに視界がぶれ、真っ暗になった。しかし、即座に意識を取り戻すと、体を捻って間合いを取った。


 一足遅れて、胸に猛烈な痛みが走った。声が出そうになるのを必死になってこらえる。


 この女はがむしゃらに攻撃をしているだけではないようだ。平静さを失いつつも、的確に相手の急所を狙って攻撃してきている。


「ハァハァハァ……」


 息が切れる。切り裂かれた胸板が悲鳴をあげるように疼く。そこからは真っ赤な鮮血が流れ出していた。



 このまま、為す術もなくやられてしまうのか。


 そう思った時、胸元で何かがキラリと光った。ティアナに貰ったペンダントだった。服が切り裂かれたことで、胸にしまってあったそれが、外に飛び出してしまったらしい。


「ティアナ……」


 それを握り締めると、なぜだか急に力が湧いて来た。


(そうだった。俺はティアナを守らなくちゃいけない。こんな所で死んでなんかいられないんだ!)



 とどめを刺そうと、女が飛び掛かってくる。


 ライザは跳躍して避けると、剣を持ち替えて振りかぶった。


「ごめんっ!」


「ガッ……」


 意味不明な言葉を発すると、女は静かに倒れ込んだ。峰打ちとはいえ、骨の何本かは折れたに違いない。


 ライザはアンサラーを投げ捨てると、それまで張り詰めていたものを解き放つように、その場に大の字になってひっくり返った。



「ライザく~ん!」


 そこに今にも泣きそうな顔をしたティアナが走ってやって来た。


「ティアナ!」


 ライザは、途端に血の気が引いた。休めようとしていた体を無理に起こすと、ティアナに向かって怒鳴りつけた。


「どうして来たんだ! あそこで待っているように言ったじゃないか!」


 ティアナはその場に立ち止まると黙り込んでしまった。


(あっ……!)


 言い過ぎてしまったことに気づき、慌てて謝ろうとする。


 その瞬間、気を失っていたはずの女がむくりと体を起こした。


「きゃっ……!」


 いきなりのことに、ティアナがすとんと尻餅をついた。


「クケケケケケケケケケ!」


「はうぅぅぅ……」


 ライザは無意識のうちに立ち上がっていた。


「俺の背中に隠れるんだ、ティアナ!」


 アンサラーを拾うと、ティアナを庇うようにして剣を構えた。


 女は焦点の定まらぬ目をしてケタケタと笑っていたが、キッとふたりを睨むと、壊れた玩具のように動かなくなってしまった。


 何とも言えない緊迫した空気が流れる。


 ほんの一秒が何時間にも感じられた。



 その静寂を破ったのは、ティアナだった。


 毒でも飲んだかのように急に苦しみ出した。


「う、うう……」


 ティアナは頭を抱えながらガクリと膝をついた。


「ティアナ!?」


 予想もしなかったことに、ライザは目の前の敵のことも忘れてティアナを抱き抱えた。


「しっかりするんだ! どこか痛い所でもあるのか?」


 ティアナはやせ我慢しているのか、無理に笑顔を作って見せた。


「ううん、何でもない。なんだか急に気分が悪くなっちゃって……」


「ほんとうに?」


「うん。もう平気なの」


 そんなはずはなかった。ティアナの顔は真っ青に染まり、呼吸もかなり乱れていた。


 彼女が発作性のある病にかかっている話など聞いたこともない。


 それではいったい……?


 ライザはハッとして気が狂ったように暴れていた女を見た。女はいつの間にかその場に倒れていた。


(あの女が何かをした? ……いや、特に変わった動きはなかったようだが)


 ライザが女を睨みつけていると、震える手でティアナがそっと彼の腕を掴んだ。


「おねがい……、あたしよりも、あの人の方を見てあげてほしいの」


「何を……」


「おねがい」


 ティアナは真剣な眼差しで、ライザを見つめてきた。自分のことよりも、襲い掛かろうとしていた女性のことを心配しているのだ。


「……分かった」


 納得の行かないライザだったが、健気な少女の頼みを断る訳にも行かなかった。


 気を取り直して敵の方に向き直る。


 警戒を解かぬまま、じりじりと近づいていく。


(くっ……!)


 ライザは咄嗟に目を背けていた。


 女性は白目を向いて既に息絶えていた。


 人間を超越した動きを続けたことで、彼女自身の体が限界を超えてしまったのだろうか。体中の関節という関節がぐちゃぐちゃになっていた。


 何とも言えぬ気持ちになる。


 ライザは優しくまぶたを閉じてやると、外套をそっと彼女の顔を掛けてやった。


 この女性には何の罪もない。すべては彼女をこんな目に遭わせた魔族の仕業なのだ。


 ライザは姿の見えぬ魔族に怒りを覚えた。


「――ん?」


 ふと、彼女の傍に何かが落ちていることに気づいた。


 手紙のようだ。彼女が持っていたものだろうか。


 拾い上げて中身を見てみる。


「こ、これは――」


 驚きのあまり、ライザはゴクリと喉を鳴らした。

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