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Heaven's Gate  作者: みずたにみゆう
>第1編<
11/37

11章 : 雨

 リーナは窓からじっと外を見つめていた。


 外では雨が降りしきり、窓を打ち破らんばかりの勢いだった。


「ライザ、どこへ行っちゃったの?」


 胸が苦しい。不安という名の蟲が、彼女の心に入り込んでは蝕んでいく。


 普段は気にも留めない雨音さえも今は煩わしく感じられる。


 いつも元気だけが取り得のはずの彼女だったが、今回の依頼を引き受けて以来、色々なことが重なって落ち込む一方だった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 あの日以来、ライザは必死になって右腕を失ったラスタの無事を祈り続けた。


 王家お抱えの老医師と、神官ファレスによる右肩を縛って出血を抑える大手術は、幾夜もの時間を費やすこととなった。


 大抵は腕を切断された時のショックと出血で即座に死に至らしむが、強靭なラスタはそう簡単には命を落としたりしなかった。その分、このような手術は稀で、傷口を塞ぐ手術は困難を極めた。


 そして、ラスタの手術が終わった夜、命に別状がないことを聞かされたライザは、忽然と姿を消したのだった。


 ラスタの苦痛に満ちた顔が堪えられなかったのだろうか。


 それとも、ラスタを助けられなかった自分が許せなかったのだろうか。


 いずれにせよ、その場でラスタが目覚めるのを見ている勇気がなかったのかもしれない。



 リーナは、そんなライザのことが心配で仕方がなかった。


 彼はどんなに辛いことがあっても、いつも自分だけで背負ってしまうような所があるから。


 今回もきっと、たくさんの人が傷ついた責任を自分だけで抱えようとしてしまっているに違いない。



「失礼します、リーナ様」


 ノックの音とともに、コウエンが部屋の中に入って来た。手には何やらカップを持っていた。


 コウエンは、そっとそのカップを彼女の前に差し出した。


「よかったら、これを飲んでください」


「これは……?」


「サイデルトキア地方名産の心を落ち着かせる紅茶です」


「そっか。ありがと、コウエン」


 カップを受け取ったリーナは、優しく息を吹きかけて冷ますと、ゆっくりと飲み始めた。


 これはロスタリカでいう所のハーブティの一種なのだろうか? 落ち込んでいた気持ちがふわりと軽くなるような感じがした。


「それを飲んだら、あとは自分に任せて少しお休みになってください。もう昨日からずっと眠っていませんよ」


「でも、リーナはライザのことが!」


「ライザ様が帰って来た時、リーナ様がそんな顔をしていたら、あの御方が驚きますよ」


「えっ!?」


 リーナは慌てて手鏡を取り出すと、自分の顔を見つめた。


 そこにはいつもの元気な彼女の顔はなく、酷く疲れ切った顔がひとつ映っていた。


 確かにこんな顔をしていたら、ライザに何て顔してんだと馬鹿にされそうだった。


「……分かったよ。少し休むね」


「はい。自分はもう少しライザ様の行方を捜してみます」


「うん。ほんとありがとね、コウエン」


「構いませんよ、リーナ様」


「リーナ様って……。リーナでいいよ、コウエン」


「ですが」


「コウエンはみんなに『様』ってつけてるけど、リーナには似合わないもん。呼び捨てでいいよ」


「じゃあ、リーナ……さん」


「う~ん、まあ、それならいいかな」


「わかりました、リーナ様」


「ほら、またぁ!」


「あ……! す、済みませんっ!」


「うふふっ」


 リーナは久々に笑ったような気がした。沈みかかっていた彼女の心は、コウエンの優しさに触れて少しずつ元気を取り戻していくようだった。それを見て、コウエンも笑みを見せた。


「それでは、自分はもう行きます」


「うん、ありがと」


 彼はリーナがベッドに横になったのを確認すると「おやすみなさい」と言葉を残して部屋を出ていった。


 その途端、それまで笑顔を見せていたコウエンの顔が一気に険しくなった。


(……ライリス様もリーナさん達も酷く落ち込んでしまっている。こんな時、自分がしっかりしていなくてどうする)


 コウエンは自分自身に喝を入れ直すと、雨の中、兵士達とともに捜索に出発した。



(……あれは……)


 城を出てややもしない所で、雨に打たれながら木刀を振っているブルームの姿を見つけた。


「ブルーム様、稽古もいいですが、こんな雨の中ではなく城内で――」


 その時、突然稲光が辺りを包み込んだ。コウエンはそこで言葉を失った。


 雨が降りしきっていたせいだろうが、ブルームが涙を流しているように見えたのだ。


 声を掛けられたブルームは、木刀を収めると静かにコウエンの方を見やった。


 それを見て、コウエンはすぐに考えを改め直した。


(《夜風をほふる女豹》の異名を持つこの御方が、こんなことで泣くはずもないか)


「ブルーム様、ライザ様を見かけませんでしたか?」


「…………」


「……そうですか。実はライザ様が昨晩から行方不明なのです。もし見かけましたら、自分かサイネル将軍にお知らせくださいませんか?」


「……ああ……」


 そう一言だけ言葉を漏らすと、ブルームは再び稽古を再開させた。


 他人のことなど全く関心もないといった様子だ。


 これ以上は、彼女の許に居ても仕方ない。


「コウエン様、参りましょう」


「分かった」


 コウエンは、気を取り直すと、雨の降りしきる闇の中へと身を投じた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ライザは、自分の目を疑ってしまった。


「……そこに居るのはライリス様、ですか?」


「その声は、ライザさん?」



 数日前まで楽園であったこの孤児院。今やその面影もなくなっていた。


 魔族やセラフィスの攻撃を受けたこの場所は、子供達の笑顔を奪い、代わりに血と涙と悲しみを残していったのだった。


 闇雲に走り回っていた彼は、いつの間にかこの場所に辿り着いてしまったらしい。


 だが、まさかライリス様と出くわすことになるとは夢にも思っていなかった。


 しかもこんな雨の降りしきる闇の中、たった独りで。



「いったい、こんな所で何を……?」


「……子供達が寂しそうにしていたんです」


「子供たち……?」


「いつも元気と笑顔を絶やさなかったあの子達が寂しそうに待っているんです。だから、私が居てあげないと……、私が傍に居てあげないとあの子達は……」


「…………」


「それなのに、あの子達は姿を見せない。どうして、どうして……、みんな、どこに行ってしまったの?」


「ライリス様……」


 もはやこの場所には誰も居ない。ここで暮らしていた孤児達は大半が先の戦闘で命を失った。


 辛うじて助かった子供達は、それぞれ散り散りになって別の孤児院に引き取られていった。


 今ここに居るのは、雨に打たれ続けるライザとライリス様だけだ。


 ライザはじっと彼女を見つめた。ライリス様は小刻みに震えていた。


 今にも血が流れ出しそうなくらいに下唇を噛み締めて、何かをじっとこらえているようだった。


 そんな彼女を放って置けなかった。独りにして置けなかった。


 気づいた時には背中からそっと抱き締めていた。その行動に自分自身でも戸惑っていたが、その手を緩めることは出来なかった。少しでも緩めたら、彼女がどこかに消えてしまいそうだったから。


「ライリス様。あいつらは、あの子達はもう居ないんです。……居ないんですよ」


「…………」


 彼女の身体は、雨に打たれたせいかすっかり冷え切っていた。


 そして、彼女の悲しみが、憤りが、ライザにもはっきりと伝わってきた。


 彼女の震えは、寒さのせいだけではなかったのだ。


 必死になってこらえていた。大切な子供達を失った悲しみを。大切な笑顔を失った遣る瀬無さを。


 彼女はただ、認めたくないから、認めたら今にも泣き出してしまいそうだったから、じっとこらえていたのだ。


 しかし、ライザに抱き締められて、改めて子供達を失ったことを聞かされて、ついに限界に達してしまった。


 ライリス様は堰を切ったように泣き出してしまった。


「うっ、うっ、ううっ……」


 泣き声を聞かれまいと激しくしゃくり上げていた。


「……とにかく、孤児院の中に入りましょう。このままでは風邪を引いてしまいます」


 ライザは、雨に濡れて顔にかかった髪を優しく掻き揚げてやると、孤児院へ導こうとした。


 しかし、ライリス様はその場から動こうとはしなかった。


 彼の袖をぎゅっと掴んだまま、離そうとはしなかった。


「…………」


 孤児院には、彼女が、孤児たちと過ごして来た思い出がたくさん詰まっていた。


 楽しかった日々が、笑顔で語り合った日々が。


 辛かったこともみんなで吹き飛ばしてしまえるようなぬくもりが。


 だからこそ、中にだけは入りたくなかった。


 一度入ってしまえば、自分に嘘をつけなくなってしまう。


 あの扉を開けてしまえば、他愛もない日常が、もはや現実ではないことを、身を持って知ることになる。


 彼女にはそんな事実を受け入れるだけの強さはなかった。


「では、城に戻りましょう。みんな、心配している筈です」


 本当はライザ自身があの場所から逃げ出して来たのだ。戻りたくなどはなかった。


 だが、今はそのことを棚に上げて、ライリス様の身を案じていた。


「……嫌です。ここから離れたくない」


「ですが――」


 ライザの言葉を遮るように、ライリス様がくちびるを押しつけてきた。何かにすがるように、助けを求めるように、強く、強く押しつけてきた。


 彼女の言っていること、やっていることは、支離滅裂だった。


 だが、ライザは気が動転して、そんなことにも気づいていなかった。


「……お願いです。今夜は傍に居てください……。私をひとりにしないでください……」


「……ライリス様……」


 そこに居たのは、誰にでも慈悲深いグレートマザーとしてのライリス様では無かった。ただのか弱いひとりの女性だった。

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