10章 : 激戦
今日も皆で揃って孤児院に来ている。
ライリス様やティアナが孤児達の輪の中に入って遊び、その傍らでサイネル将軍やファレスが見守っていた。
縄跳び、鬼ごっこ、かくれんぼ、ボール投げ……毎日のように楽しい時間が過ぎていく。
だが、ライザは、今日は妙に気分が乗らなかった。
孤児院の縁側に腰掛けると、元気に走り回る子供達を眺めながら、想いを巡らせていた。
(俺にも、こんな風に無邪気に遊んでいた頃があったのだろうか……?)
そのことに気づいた途端、急に不安でたまらなくなっていた。
ライザには、子供の頃にこんな遊びをした記憶はない。
彼の心に広がっているのは、果てしなく続く闇だけであった。
そんな様子の彼に、最初に気がついたのはリーナだった。
リーナは、建物の影からそっとライザのことを見つめていた。
(ライザったら、また悩んでいるみたい。最近、あんな風にぼーっとしてることが多いもん。リーナがライザにしてあげられることってないのかな……?)
「ラィ――」
そう考えて、ライザの名前を呼ぼうとした瞬間、誰か他の声が彼の名前を呼んでいた。
リーナは慌てて口を噤むと、さっと建物の影に引き返した。
「ライザく~~ん!」
嬉しそうに駆け寄って来たのは、ティアナだった。ぴょんとジャンプをすると、綺麗にライザの前に着地した。
そして、彼女は満面の笑みを浮かべながら口を開いた。
「ライザくんっ!」
「ティアナか……」
「ねえ、ライザくんの隣に座ってもいい……?」
「うん、構わないよ」
「わ~~い♪」
ティアナは嬉しそうに返事をすると、ちょこんとライザの隣に座った。
しかし、ライザは特に何事もなかったかのように、ゆっくりと庭で遊ぶ子供達の方へと視線を戻した。
そのまま言葉を紡ぐ。
「どうしたんだ? みんなと一緒に遊ばないのか?」
「うん……、遊びたいけど、ライザくんがすごく寂しそうな顔してたから。あたし、ライザくんのそんな顔見たくないの」
それを聞いて、ライザは驚いたようにティアナの顔を見た。
「寂しそう……?」
ティアナの言葉を聞いて、最もショックを受けたのは、当のライザではなく陰で様子を窺っていたリーナの方だった。
(あの子もライザの気持ち、分かってあげられるんだ……)
小さな胸がきゅっと締めつけられる。
リーナだけのライザだった筈なのに、ライザがどんどん遠くへ行ってしまう気がする。
焦燥とも嫉妬とも言えぬ感情が一気に湧き上がってくる。
堪え切れなくなったリーナは、その場から駆け出して行ってしまった。
そんなことなど露知らず、ライザは再び口を開いた。
「確かにそうかもしれないな。こうして今、子供みたいに遊んでいて、嬉しいようでそれでいて悲しいんだ。俺は、何も覚えていない。こうして遊んだことがあるかどうかも覚えていないんだ……。だからこそ、俺は旅を続けている。自分の記憶を求めて、自分の過去を求めて」
「むかしのこと、わすれちゃったの……?」
「分からない……。何も覚えていないんだ。数年前、気がつくと俺は街の真ん中にひとり立っていた。片手には、魔剣アンサラーを握って。他には何も持っていなかった。土砂降りの中、じっと空を見つめていた。雨が止んで、陽光が差し込んだ時、俺は雨の雫に混じって涙を零していた。どうしてなのかは分からない。でも、俺の心が泣いていたんだ……」
ライザはその時の情景を思い出すように空を見上げた。
澄み切った青空が広がっているはずなのに、空の蒼さが見えなかった。世界が白と黒で覆われていた。
彼は未だに、あの時、涙を流した意味を理解することが出来ずにいた。
ティアナは、暫くじっとライザの横顔を見つめていたが、突然、何かを思いついたように口を開いた。
「……それってきっと嬉しかったんだと思うの」
「嬉しかった?」
ティアナは立ち上がると、大空に輝く太陽に向かって両手を掲げた。
「……お日様ってぽかぽかして気持ちがいいの。お日様を見てると今日も一日がんばろーって元気が沸いてくるんだよ。だからお日様って好き……」
「…………」
ライザは、言葉を失った。
そんなこと、考えたこともなかった。太陽なんて当然そこにあるものだと思っていた。
毎日、朝になれば昇って、夜になれば沈むだけのものだと思っていた。
だけど、ティアナは違う。純粋な彼女には、大人には見えなくなってしまったモノが見えるのだ。
ライザは立ち上がると、ティアナと同じように太陽に向かって両手を掲げた。
いっぱいに差し込む陽光を、体中に浴びる。
その時、普段は感じられないはずの何かが感じられたような気がした。
端から見たら、頭がおかしくなったのかと疑われるかもしれない。
けど、他人に何と言われようとも構わなかった。
色を失っていた世界が徐々に輝きを取り戻していく。
暫くすると、ティアナが少し期待したような感じで、ライザの顔を覗き込んできた。
彼女の純真無垢なその瞳がたまらなかった。
「どう……? 元気出たかな……?」
「……ティアナ……」
ライザは、無意識のうちに彼女のその華奢な体を抱き締めていた。
「……ライザくん……」
孤児だったティアナ。彼女だってずっと辛い思いをしながら生きてきたに違いない。それでも、彼女はそんな素振りは一切見せず、他人に笑顔を与えてくれる。まさに天使だ。
(俺は……俺は、この子を離したくない……。ずっとずっと一緒に居たい……)
彼の中に芽生えた感情。
それは生まれて初めての恋だったのかもしれない。
いや、過去の記憶を持たぬ彼にとっては、初めてかどうかはわからなかった。
だけどそれは、この腐った世の中で、彼が初めて見つけた一輪の健気な花だった。その花は、とても小さくて儚いかもしれない。だからこそ、守ってやりたかった。誰にも渡したくなかった。
「あ……、ごめん……」
ライザは、ハッとすると、抱き締めていた腕を静かに解こうとした。
すると、ティアナはそれを拒むかのようにライザの背中に腕を回した。
「ライザくんの体、すごく大きくて温かい。うふふっ。お日様みたいなの……」
「ティアナ……」
その時だった。庭で元気に遊んでいた子供たちの声が、悲鳴に変わった。
先程までのほんわかとした雰囲気は掻き消され、辺り一面に言い知れない殺気が立ち込める。
(しまった! 魔族か――!?)
庭の方を見ると、かなりの数の魔族達が暴れ回っていた。
「ティアナ、中に入ってじっとしていてくれ!」
「ラ、ライザくんっ!」
ライザはティアナをその場に残すと、何とも言えない気持ちのまま、庭に向かって走り出した。
(くそっ! どうして、どうして……!)
そこには、様々な気持ちが入り混じっていた。
◆ ◇ ◆
庭に辿り着いたライザは、あまりの悲惨さに我を忘れそうになった。怒りが込み上げてくる。
先程まで元気に遊んでいた子供達は、ズタズタに引き裂かれていた。一部の子供達はまだ、泣き叫びながら逃げ回っていたが、そのことが逆に魔族達の癪に障るのか、進んで彼らを殺し回っていた。
この数日間の楽しかった思い出がライザの頭をよぎる。
過去の記憶を持たぬ彼にとって、初めて感じたこの上もない喜び。
それが、魔族達によって汚されていく、引き裂かれていく……
「やめろやめろやめろやめろぉーーーー!」
ライザは、気が狂ったように魔剣アンサラーを振り回すと、無我夢中で敵を薙ぎ倒していった。
「馬鹿野郎! どこで油売ってやがった!?」
明らかに苛立ったラスタの声が響き渡る。
「済まない。それより、子供達の命を守ることが先決だ! お前はあそこの子供を助けてやってくれ!」
「知るかっ! オレ様は、あの目障りな羽つきアリを始末する!」
「おい!」
ラスタは、ライザが呼び止めるのを無視して、ちょこまかと飛び回っている昆虫型魔族に飛び掛かっていった。
「うぇぇぇぇぇぇぇん!」
庭の端に追い詰められたトニーが大声を上げた。
鋭い爪を光らせながら、ひとりの魔族が殺人を楽しんでいるかのように不気味な笑みを浮かべた。
「トニー!」
ライザは慌てて駆け出していた。
しかし、それを待ち構えていたかのように、屈強そうな魔族が三人、ライザ目掛けて突進して来た。
「邪魔だぁーー!」
ライザは咄嗟にしゃがみ込むと、襲い掛かってきた魔族の足首目掛けて弧を描いた。
目にも留まらぬ速さで足首を切り取られた魔族は、そのことにも気づかずにそのまま宙を舞って地面に顔を打ちつけた。
すかさず地を蹴ったライザは、トニーのいる方に向かって再び駆け出した。
しかし一歩遅かった。無情にも魔族の爪が振り下ろされる。
「トニぃーーー!」
ライザは一瞬目を覆ったが、彼の悲鳴は聞こえなかった。
なんと、引き裂かれたのは魔族の方だった。
「うがぁ……」
最初に爪が落ちたかと思ったら、次々とバラバラになって風とともに消し飛んでしまった。
(こ、これは……?)
驚いて辺りを見回してみると、数メートル先でブルームが剣を構えて立っていた。
(あそこから魔族だけを狙って撃ったと言うのか? なんて太刀さばきだ……)
ライザは一瞬呆然としたが、すぐに彼女の許に駆け寄った。
「ありがとう、ブルーム」
「……あんたに礼を言われる筋合いはない……」
「…………」
ブルームは静かに戦線に戻っていった。
意外だったが、彼女の辞書には優しさという文字があるのかもしれない。
ライザはほっとため息をつくと、木の下にいるトニー少年の許へ駆け寄った。
「大丈夫か?」
トニーは一瞬泣きそうになったが、ぐっと我慢して頷いた。
「偉いな、さすが男の子だ」
ライザはトニーの頭を撫でてやった。
ちょうどそこに、助けた子供達を連れたリーナが通りかかった。
「リーナ! この子も一緒に避難させてやってくれ!」
「うんっ、分かった!」
トニーをリーナに任せると、ライザはやっと本来の力を発揮出来ると言ったばかりにアンサラーを構え直した。心を冷静にさせると、アンサラーに全神経を集中させた。
(許せない……! こいつらだけは許せない……!)
すると、辺りの空気の流れが変わり、アンサラーが不気味な色を帯び始めた。
先程と同タイプの魔族が数人、ライザに隙が出来たとばかりに襲い掛かって来た。
「うおぉぉぉぉぉぉぉーー!」
ライザは背中に届きそうなくらいに思いっきり力を溜めると、魔剣アンサラーを振り下ろした。
その瞬間、もの凄い轟音と共に、魔族達はバラバラに飛び散ってしまった。
「まだ掛かってくる奴は居るかぁ!」
ライザは雄たけびを上げた。残された魔族達はびくっとして後ずさりする。
アンサラーの力を解放すると、自分でも信じられないような負の感情が沸き起こってくる。
俺に逆らう愚かな虫けらどもを切り刻んでやりたい、じわじわと嬲り殺してやりたいと。
その強さは、怒りに満ちたラスタをも凌ぐ程だった。
魔剣が持つ、その邪悪な力に乗っとられてしまうのだろうか。
「何怯えてるんだよ。やる気がないなら、こっちから行くぞ!」
その時だった。かつてないほどの威圧感がライザを襲った。
「危ない――っ!」
気がついた時には、ライザはファレスに抱えられて宙を飛んでいた。
それと同時に、近くに居た魔族は消し飛び、地面には大穴が開いていた。
ライザは何が起こったのかわからず、呆然と下を見つめていた。
「ジイさん……」
「何をぼさっとしてるんじゃ! 死にたいのか!?」
「す、済まない……」
ふたりは上手く着地すると、目に見えぬ敵を探した。
(いったい、いったいどこから攻撃を仕掛けてきたって言うんだ?)
「気をつけるんじゃ! こやつは今までの奴らとは格が違うぞ!」
「分かってる!」
ライザは、ファレスと背を合わせると、アンサラーを構えながら目を瞑った。
視界に頼らず、敵が発する邪悪な気配だけを頼りに、敵の動きを探っていく。
(何かが動いている。もの凄いスピードで動いている)
ライザは更に心を研ぎ澄ませていく。
(感じる……そこだ――っ!)
ガキィィィィィィィィン!
剣と剣がぶつかり合う激しい音が響き渡った。
ライザが自信を持って目を開くと、見知らぬ男が驚いたような顔をしていた。
男は、軽く飛んでさっと間合いを取る。
その男はなかなかの長身で、眼鏡を掛けていた。長年同じものを着込んできたのか、妙に古臭い外套が目に付いて離れない。
ライザはアンサラーを構えながら、男にじりじりと迫った。
「何者だ!?」
「…………」
男は返事をする代わりに、じっとライザの顔を見つめた。その目は妙に悲しそうで、何か思いを巡らしているような感じだった。どう見ても、魔族の目とは思えない。
しかし、ライザは彼のそんな様子には全く気がついていなかった。
(俺達には、名乗る名前もないってことか)
そう考えていると、ちょうどそこに雑魚を片づけたラスタ達が合流した。
リーナが心配そうに駆け寄ってくる。
「怪我はない、ライザ?」
「ああ、大丈夫だ。何ともない」
それを聞くと、リーナは安心したようにほっと胸を撫で下ろした。
ラスタはファルシオンを構えると、謎の男を鋭く睨みつけた。
「こいつが親玉って訳か。オレ様が来たからには、大人しく死んでもらうぜ!」
反対側から現れたブルームも、無言のまま剣を構える。
「…………」
これだけの面子に囲まれたのにも関わらず、謎の男は一切動じることもなく、ただ黙ったままだった。
「テメェ、無視する気か!」
短気なラスタは早速声を張り上げたが、男は相変わらずライザの方を見つめていた。
(こいつ、どうしてさっきから俺のことを見ているんだ?)
ライザは不気味で仕方なかった。
「おい、何とか言ったらどうだ!?」
再びラスタが声を張り上げると、ファレスが代わりに口を開いた。
「魔人の森の王セラフィス。……また大層な身分の者が現れたものじゃな」
「ま、魔人の森の王だって――!」
ライザは、驚きを隠せない。
(こいつが、魔族を束ねる王だと言うのか? そのような人物が、今回の一件に絡んでいると言うのか?)
ライザはあまりに信じられない出来事に、夢ではないかと疑ってしまった。
「……久しいな、ファレス。まだくたばってなかったのか」
セラフィスは突然、旧友と再会したような感じで、ファレスに話し掛けた。
「儂には、まだやらねばならぬことがあるからな。そう簡単にくたばる訳にもいかんよ」
「昔と違って、ずいぶん落ち着いたみたいだな。月日は人を変えるって訳か?」
「余計なお世話じゃ」
(このふたりはいったい……? 知り合いなのか?)
ライザは、ファレスとセラフィスと呼ばれる男の顔を交互に眺めた。
「率直に訊こう。何が狙いだ? なぜ、今になってライリス様の命を狙う?」
ファレスは真剣な目でセラフィスの顔を見た。セラフィスは暫く考え込むように黙っていたが、逆に質問をして来た。
「お前こそ、どうしてここに居る? どうしてオレの邪魔をしようとする?」
「……儂と彼女とは、昔からの知り合いだからじゃよ。身内を守って何が悪い?」
「昔からの知り合い……か」
セラフィスは、面白そうに笑うと嫌味っぽく言葉を続けた。
「暫く見ないうちに、ずいぶんお前も変わったものだな」
「お主のように、森にずっと篭っていた訳じゃないからな」
セラフィスは一瞬キッと睨みつけたが、すぐに笑みを浮かべた。
「まあいい。オレはさっさと仕事を済ませて、帰らせてもらう」
セラフィスは、ライリス様が避難している孤児院の方へと向かおうとする。
すると、アンサラーを構えたライザが、彼の前に立ち塞がった。
「……何のつもりだ?」
「ここから先へ行かせる訳にはいかない」
すると、セラフィスはまたじっとライザの顔を見つめた。ライザには、先程からのその態度が妙に見下されているようでたまらなかった。
「何を見てるんだ!」
「お前も、オレの邪魔をすると言うのか……?」
「俺は……、俺は、大切なものを守るって決めたんだ!」
「……自分の大切なものの為に戦うか……」
セラフィスはその言葉を噛み締めるように言う。
「…………」
ファレスは、そんなセラフィスの様子を見逃さなかった。
暫くすると、セラフィスは何かを決心したかのように口を開いた。
「……ならば、それもよかろう。さあ、掛かって来るがいい!」
「望む所だ――!」
ライザは精神を集中させると、アンサラーの力を解放し始めた。
その間に、長年の連れであるラスタが時間稼ぎとばかりに、攻撃を仕掛ける。
「ぼさっとしてると、体が真っ二つになるぜ?」
ラスタは猛烈な勢いでファルシオンを振り回す。
「リーナも負けないよ!」
続いて軽やかに飛び出したリーナは、印を切ると、数発の魔法弾を発射させた。
だが、セラフィスはふたりの攻撃を見切っているのか、全く当たらない。
「ふたりとも、下がってくれ!」
ライザの声が響く。攻撃を重ねていたふたりは、予定通りとばかりにさっとその場から離れた。
「くらえぇぇぇぇぇぇーー!」
ドス黒い邪悪な気が剣に立ち込めると、すかさずセラフィス目掛けて剣を振り下ろした。
「……!」
そこに立っていたセラフィスは、轟音と共に消し飛んだ。
「やった~~♪」
リーナが嬉しそうに声を上げる。ライザもしてやったりと言う顔でその方向を見た。
(見たか! これが俺達三人の連携プレイの威力だ!)
しかし、側で見ていたファレスが慌てて叫んだ。
「ライザ殿、油断するな!」
立ち込めていた煙が消えると、そこには何事もなかったかのようにセラフィスが立っていた。
「そ、そんな馬鹿な……!」
ライザの顔が驚きに染まる。そんな彼を前にして、セラフィスは片手をライザに向けた。
「よけるんじゃ――っ!」
「なっ……!」
その言葉と同時に、無数の氷の剣がライザに襲い掛かった。避ける間もなくライザの体に次々と直撃する。
「がはっ……!」
アンサラーが手から滑り落ちると、ライザは地面に吸い寄せられるように倒れ込んだ。リーナは血相を変えて駆け寄る。
「ライザ、しっかりして! ライザぁ!」
「う、うう……」
「ライザのあの技を食らって傷ひとつないとは……! 化けモンか、テメェ」
さすがのラスタも冷や汗を流す。常にライザの傍でその実力を見て来た彼だからこそ痛切に感じるのだ。
「こんなものでお終いか? つまらんな」
セラフィスは冷静にそう吐き捨てる。
「ぐっ……! 俺は……」
ライザは懸命に立ち上がろうとする。それを見たラスタは、先程の冷や汗はどこへやら、妙に自信を持った面持ちでライザの肩をぽんと叩いた。
「ラスタ……?」
「後はオレ様に任せておけ。取って置きの秘密兵器がある」
「秘密……兵器……?」
何のことかさっぱりわからないライザを残して、ラスタはセラフィスの前に立ちはだかった。
「なかなかやるじゃねぇか。だが、茶番はここまでだ。オレ様が息の根を止めてやるよ」
「…………」
黙ったままのセラフィスを前に、ラスタは背中に背負っていたあるモノを取り出した。
全体を覆っていた布を剥ぎ取ると、突然物凄い魔力が漂い始めた。中から出て来たのは一本の不気味な剣だった。その剣を覆っていた布は、どうやら魔力を押さえ込む封魔力を持っているらしい。
セラフィスもそれには驚いたのか、大きく目を見開いた。
「伝説の魔剣、炎魔竜神剣か」
「ご名答」
それを見て驚いたのはライザも同じだった。あまりのことに、一瞬体の痛みも忘れてしまった程だった。
(炎魔竜神剣。……ラルグ地方のケシュア族が崇める神『焔蛇の王』が作ったとされる伝説の魔剣。王は火の力に秀で、権力の象徴として自らの力を凝縮した一本の魔剣を作り出したと言われている。それをあいつが手に入れたと言うのか!?)
「正直、テメェを殺す為に手に入れたんじゃねぇがな」
ラスタは、ちらとブルームの方を見る。
「まあいい。竜神剣の威力、とくと見せてやるぜ!」
そう言うと、ラスタは一気に精神を集中させ始めた。
刹那、澄み渡るように晴れていた上空が一気にどす黒い闇に覆われ始めた。爆発と共に、あらゆるものを薙ぎ倒さんばかりの勢いで突風が吹き荒れる。ラスタの周りに円を描くようにして狂った業火が燃え盛る。
「ライザ、ここに居たら危ないよ!」
「あ、ああ……」
近くで見ていたリーナは、ライザを抱えるとたまらず木陰に避難した。
その後、ふたりが目にしたものは想像を絶するものだった。
炎魔竜神剣は物凄い炎を放出しており、その剣は金属質としての限界を超え、形状が変わっていた。
それは、まさにあらゆるものを焼き尽さんとこの世界に降臨した焔蛇のようだった。
「ははははっ! くらえ――っ!」
ラスタは剣に絡みついた焔蛇をセラフィス目掛けて放出した。
セラフィスは攻撃をかわそうとしたが、怒り狂った焔蛇はセラフィスの動きをも凌いだ。
轟音と共に、セラフィスは光の中に消し飛んだ。
「手応えあったぜ!」
ラスタはしてやったりという顔でブルームの方を見た。
しかし、ブルームは動じることなく、冷静な顔でセラフィスの居た方を見つめていた。
「ちっ……」
ラスタは、この女の冷静な態度が気に食わなかった。
今の攻撃も、実はブルームを威嚇する為にやったようなものだ。セラフィスと戦うことで、間接的に彼女との実力の違いを思い知らせてやりたかったのだ。それなのに当の本人が全く動じていないのでは話にならない。
「テメェ、どこまでオレ様を馬鹿にしたら気が――」
「ラスタ、まだだっ!」
「なにっ!?」
ライザが声を張り上げたので慌ててセラフィスの方に向き直すと、彼は凄まじいスピードでこちらに向かって来ていた。
「しぶてぇ野郎だ! 今度こそ一瞬で消し飛ばしてやる!」
ラスタは再び電撃を放つ。
しかし、セラフィスの攻撃の方が僅かに早く、ラスタはセラフィスの冷気弾を食らってしまった。
ラスタは一瞬気を失いかけたが、すぐに後ろへ飛び退くと、攻撃を食らった脇腹を押さえた。
「テ、テメェ……!」
ラスタは眉間に今にもぶち切れそうな程太い血管を浮き上がらせると、攻撃を放った男を睨みつけた。
男もさすがに無傷だった訳ではないらしく、僅かながら苦しげな表情を浮かべていた。
「今のは少し危なかった。まさかお前たちがそんな切り札を持っているとはな……」
言葉を捻り出すその顔は明らかに青ざめていた。
ラスタは、今がチャンスとばかりに攻撃を加えようとする。
すると、ファレスがさっとラスタの前に歩み出た。
「おいジジイ、何のつもりだ?」
「セラフィスよ。そんな傷ではこれ以上戦えまい。今は大人しく退くんじゃ!」
「……そういう所は昔と変わっていないな」
「ジジイ、何を寝ぼけたこと言ってやがる! 魔王クラスをここで逃がしたら後でどうなるか分からんぞ!」
ラスタがファレスに怒りをぶつけていた隙に、セラフィスはさっと孤児院の塀に飛び移った。
「テメェ、逃げる気かっ!」
「元々、今日は挨拶程度のつもりだったし、お望み通り今回の所はこれで引かせて貰おう」
そう言葉を残すとセラフィスは背を向けた。
「待てっ!」
ライザも逃すまいと木陰から飛び出す。
その声を聞いてセラフィスはもう一度振り返った。
「次こそは必ずターゲットを始末させてもらう」
あらゆるものを瞬時に刺し殺すような鋭い目だった。
(う、動けない……)
その目にライザは威圧されていた。本能的に身体が恐怖を感じていた。すっと冷や汗が流れ出てくる。
凍りついたように皆が硬直していると、ファレスがずいと一歩前に歩み出た。
「……そんなことはさせんよ」
「ふん、楽しみだな」
笑みを浮かべたセラフィスは、瞬く間に姿を消してしまった。
納得の行かないのは、当然セラフィスと互角に戦っていたラスタだった。
ラスタは炎魔竜神剣をファレスの喉元に据えた。
「テメェ、昔の知り合いだかなんだか知らねぇが、どうして奴を逃がした!?」
「馬鹿言ってるんじゃない。いいから早く剣を収めるんじゃ。さもないと――」
「なんだと? テメェにそんなこと言われる筋合いはねぇんだよ。あの魔族の代わりに、テメェに本物の地獄を見せてやろうか?」
すると、ファレスが血相を変えて叫んだ。
「いいからさっさと剣を収めるんじゃ!」
「うるせえ、殺して――なっ!」
その時、ラスタは身体が急に重くなったような錯覚に襲われた。
いや、錯覚ではなかった。持っていた炎魔竜神剣が急に物凄く重く感じられたのだ。
あまりのことに耐え切れず、片膝をついてしまった。
ラスタは慌てて剣を投げ捨てようとしたが、手が言うことを聞かなくなっていた。
「こ、これは……ぐがっ!」
ラスタは吐血をすると、その場にうずくまった。
「やはりお主はその剣が伝説の魔剣と言われる本当の理由を知らなかったようじゃな。その剣に秘められた力は尋常なものではない。《クリフォート》ですら一刀両断に出来る凶悪な代物だ。ただし、それだけの力を秘めているということは、それだけそれを操ることが難しいと考えなくてはいけない」
「な、なんだと……?」
「その剣は、所有者とのシンクロを何よりも求める。所有者の身体を媒体として『焔蛇の王』の力を擬似的に復活させるんじゃよ。その為には、常に剣に意識を集中していなければならない。しかし、お主は先程から自制心を失い、剣に注意を払わなくなってしまった。その為、制御するものを失った魔剣は、暴走を始めた。……そう、さながら怒り狂った焔蛇のように」
「ラスタっ! 早くその剣を離すんだっ!」
大変なことになったことに気づき、ライザとリーナが慌てて駆け寄って来た。
しかし、いくら離そうとしても、剣が腕に一部になってしまったかのように外れなかった。
それだけではなく、突然ラスタが剣を振り回し始めた。
「な、なにやってるんだよ。俺は剣を取ろうとしてるだけだぞ」
「ウルセェ! オレサマノ剣ニサワルナ!」
ラスタは、ライザ目掛けて焔蛇を放った。
突然の攻撃に、ライザは避ける間もなく直撃を食らってしまった。リーナが悲鳴を上げる。ライザは大きく目を見開いたまま空を舞った。
「どうして、どうしてこんなことするの! リーナ達は仲間なんだよ!」
リーナは、ライザを抱き抱えながら叫んだ。だが、ラスタは気が狂ったように剣を振り回すばかりで、彼女の言葉に耳を貸そうとはしなかった。
「止むを得んか……」
ファレスは、蛇が二匹巻きついた奇妙な杖を取り出すと、精神を集中し始めた。杖が少しずつ輝き始めた。
それを見たライザは、リーナの許を飛び出すと、ファレスの杖を叩き落した。
「ライザ殿、何をするんじゃ!」
ファレスがライザを睨みつけると、彼は真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「それはこっちの台詞だよ! ラスタをどうするつもりなんだ!」
「慣れもしないのに、伝説の魔剣を使った天罰が下ったんじゃよ。こうなってはもう、ラスタ殿を殺すしか止める術はない」
「だからって……! ラスタは俺達の大切な仲間なんだ!」
「そうだよ。ラスタはリーナにとっても大切な仲間なんだからね!」
「しかし、このままあの男を放っておいたら、どうなるか分かってるんじゃろ?」
「くっ……!」
ライザは、横目でラスタの方を見た。ラスタは完全に自我を失い、本能の赴くままに暴れ回っているようだった。
このままでは、ファレスが言うように見境なく辺りに居る仲間や子供達を殺しまわるに違いない。ましてや孤児院の外に飛び出していったりしたら、最悪の事態になり兼ねない。
だからと言って、今までコンビとして、パートナーとして一緒にやって来たラスタを殺すことなんて出来る筈がない。
いったいどうしたら……?
そんなことは悩む必要もなかった。気づいた時には、ライザはラスタの前に立ちはだかっていた。
あれだけダメージを食っていたはずなのに、こうして立っていることは信じられないことだった。
「テメェ、ジャマスルキカ?」
ラスタの声は明らかに尋常じゃなかった。『焔蛇の王』がラスタを通して話しているのだろうか。
しかし、そんなことはお構いもなしに、ライザは声を張り上げる。
「お願いだ。竜神剣よ、ラスタを解放してくれ!」
「ウルセェ!」
ラスタは、猛然と竜神剣を振り下ろす。
ライザは寸での所でかわしたが、その威力は絶大であり、触れてもいないのに全身が業火に包まれた。
「ぎゃああああああああああああああ!」
「やめてぇ~~!」
リーナの悲鳴が響き渡る。
しかし、ライザは立ち上がると、再びラスタの前に立ちはだかった。
「ナ、ナンダト……!」
「ラスタを解放するんだ……!」
「ジャマダ!」
ライザの予想外の行動に、ラスタは何度も何度も殴りつけた。しかし、ライザはその度に立ち上がった。
その一部始終を見ていたリーナは、涙が溢れて止まらなかった。
「ファレスさん、なんとかして! ふたりを助けて!」
「…………」
「どうして黙っているの? ふたりを助けてよ!」
「……儂にはどうすることも出来んよ。仮に儂がラスタ殿を殺したとしたら、ライザ殿の怒りは収まらないじゃろう。それなら、ライザ殿にすべてを任せるしかない」
「……そんな……」
リーナが下唇を噛み締める。今にも血が滲み出しそうな状態だった。
悔しかった。こんなにも自分自身を疎ましく感じられたことはなかった。
そして、許せなかった。どうすることも出来ない自分が。大切なライザの為に何もしてやれない自分が。
自分にもっと凄い力があって、暴走したラスタを眠らせることが出来たら、どんなにいいだろう。
だが実際には、自分は無力だ。この皮肉な戦いをただ傍観することしか出来ないのだ。
(……神様、お願い。ライザを、ふたりを助けてください……)
リーナが空に向かって祈った瞬間だった。
「ブルーム殿、何を――!?」
それまで冷めた目で状況を見守っていたブルームが、疾風の如くラスタの許に飛び込んでいった。
その動きは、先日ラスタを負かした時とは比べ物にならなかった。
ボロボロになっていたライザを突き飛ばすと、刹那、ラスタの懐に潜り込んだ。
「ナニッ!?」
「はあっ! 風塵剣、風魔灰燼!」
その瞬間、物凄い轟音と共に、炎魔竜神剣を握っていたラスタの右腕が綺麗に吹き飛んでしまった。
「アァアアアアアアアアアアアア……!」
ラスタは言葉にもならないような大声をあげて、そのままその場に倒れ込んだ。
一方の炎魔竜神剣はゴミクズのように柄に取りついた右手とともにゆっくりと弧を描いてストンと地面に突き刺さった。
「…………」
ブルームが無言のまま剣を鞘に収めると、上空を覆っていたドス黒い雲も少しずつ散り始めた。
すなわちラスタの――いや、竜神剣の――暴走が止まったことを意味していた。
ライザは一瞬、呆気に取られていたが、リーナの悲鳴を聞いて慌ててラスタの許に駆け寄った。
「しっかりするんだ、ラスタ!」
「…………」
「おい、しっかりしろっ! しっかりするんだっ!」
暫くの間、ライザの声だけが虚しく辺りに響き渡っていた。