1章 : 序
ふと、ボクを呼び止める者が居た。
(だれ……?)
そいつは、ボクを見ると突然可笑しそうに笑った。
(ふふっ。シアワセな奴よのう。何も分かっておらんとは……)
(どういうことだよ!)
(なら、お前はどうして生きておる? どうしてここにおる?)
(それは……!)
突然の質問にボクは返す言葉を失った。
そんなこと、考えたこともなかった。
ボクはただ毎日を慌ただしく生きて来ただけだ。どうしてなのかなんて分かるはずがない。
(腐った世の中、狂った世の中……、飢えた人間共はエサを求めていがみ合い、殺し合い、強者が弱者を犯し、我が物顔で歩き回る。こんな腐った豚小屋に、お前はどうして生きておる?)
(……ボクは……)
(高慢、怠惰、羨望、好色、怨念、大食、貧欲……。所詮人間なんて、愚かなウジムシだ。助かりたかったら、神に助けを乞うがよい! 神は最高さ! 何だって与えてくれよう!)
(……神だって? そんなものどこに居るんだ? 居るとしたら、そんな奴はボクが殺してやる! 土下座をさせて、こんな馬鹿げた世界を作ったことを後悔させてやる!)
(愚か者め……! 思い出せ! 思い出すんだ! その腐った頭でもう一度思い出してみよ! そして、その罪の重さに、永久にもがき、苦しみ、泣き叫ぶがよい!)
小鳥の囀り。
木々のざわめき。
変わらない日常。
月日は移ろう。
人は死に、また生まれ変わる。
永遠に繰り返される苦しみ。
ボクはどうしてここに居るのだろう?
(ボクッテナニ?)
ボクはどうして生まれて来たのだろう?
(ボクッテナンナノ?)
いっそ、死んでしまえば、どんなに楽だろう?
(ソシタラボクハ、ナニモカンガエナクテイイ)
すべてのものがなくなってしまえば、どんなに幸せだろう?
(ソシタラボクハ、ナニモクルシマナクテイイ)
でも、それは出来ない。
そしたら、ボクはボクでなくなってしまう。
(ソレナラボクハ、ドウシタライイノ?)
だからボクは何かを探している。
それはずっと昔に忘れて来てしまったもの。
何だったかは分からない。
だけど、とても大切なものだった気がするんだ。
だからボクは探している。
ずっと探しているんだ……!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「遅くなっちゃった。みんな心配してるかな?」
そう呟きながら、少女は帰路を急いでいた。
既に陽は落ちていて、辺りはすっかり闇に包まれていた。
先程までは綺麗な満月が顔を覗かせていてまだ明るかったが、雑木林の中に入ってからは、より一層暗く、恐ろしく感じられた。
「さっむ~い」
季節はそろそろ冬を迎えようとしているのだろうか。夜になるとずいぶんと冷え込んでくる。
少女は凍える手にハァと息を吹きかけると、少しでも寒さを凌ごうと外套に身をくるみ直した。
落ち葉の絨毯の中を歩いていく。
聞こえる音と言えば、小柄な少女が落ち葉を踏む音だけである。
闇に響く音は少女の心に不安を植えつける。
「怖い。お化けが出たらどうしよう……」
刹那、茂みから一斉に何者かが飛び出してきた。
その数七人、いや八人。
どう見ても人間離れした顔つきをしていた。
少女の顔から一気に血の気が引いた。
恐る恐るといった感じでその小さな口を開く。
「な、何か用ですか?」
「お嬢ちゃんがこんな夜更けにどうしたんだ? 独りじゃ心細いだろう?」
「リ、リーナは別に……」
「可愛いねえ。自分のことをリーナ、だってさ。ハハッ!」
男達の間にどっと笑いが起こった。
「うう……」
少女はぐっと身を縮こまらせる。
「ケケ、俺達が一緒についていってやるよ。その代わり――」
言葉を言い終わらないうちに、ひとりの男が襲いかかってきた。
「い、いや~!」
少女は恐怖のあまり身を屈めたが、男が襲い掛かって来る気配はなかった。
ゆっくりとまぶたを開くと、男は静かにその場に崩れ落ちていた。
「えっ……!」
「ほんと、面白いくらい簡単にひっかかってくれるな」
「誰だ!」
男達が声のした方を見ると、一人の青年が剣を握って立っていた。
それにしても、妙に丈の長く鋭い切っ先を持った剣である。
刃は緩やかに湾曲しており、一見フリッサのようにも見えるが、普通のものよりも一回り大きい感じだ。
少女は慌てて青年の許に駆け寄ると、ぎゅっと彼の服の裾を掴んだ。
青年は優しく少女の頭を撫でてやると、ゆっくりと魔族の方を見遣った。
「最近、麓の村人が頭を悩ませているんだ。街へ抜ける唯一の林に魔族が住み着いているってさ。な?」
少女は震えながらこくんと頷いた。
「まあ、そういう訳で、こうして罠を張らせてもらったんだ」
「罠だと? 何を寝ぼけたことを。お前ら如きにオレ達がやられるとでも――」
と、言い終わらぬうちに魔族の一人がまた静かに崩れ落ちた。
「な、なんだと!?」
魔族達が振り返ると、後ろから別の男が現れた。
先程の青年よりも大柄で引き締まったたくましい体をしており、丈は百九十近くある。
そのギラギラ光る鋭い目は、獲物を狙う血に飢えたケモノのようだ。
大男は剣を鞘に収めると魔族達を馬鹿にするようにニヤリと笑った。
「まあ、そういう訳だ。大人しく刀の錆びになりな」
「ば、馬鹿にしやがって~」
魔族達は爪を長く伸ばすと、一斉に前後に飛び掛かっていく。
青年達は、それぞれの剣で敵を薙ぎ倒していく。
「死ねや!」
「ラスタ、後ろだ!」
青年が声を張り上げると、ラスタと呼ばれた大男は振り返ることなく敵の脳天を切り裂いていた。
「さすがだな、ラスタ」
「フン、雑魚が。テメェも遊んでないでさっさとカタを着けろや」
「ああ」
長身の剣を持った青年はさっと後ろに下がって間合いを取ると、精神を集中し始めた。
その途端、それまで風もなかった雑木林が不気味にざわめき始めた。
魔族達もその異変に気づき、攻撃をやめて辺りの様子を窺う。
「魔剣アンサラーよ。我、汝に命ず。今その力を解き放ちて、悪しき者どもを打ち払いたまえ」
その瞬間、青年の姿が消えた。魔族達は一斉に姿を見失った。
魔族達がハッとして見上げると、青年は空で魔剣アンサラーを振りかぶっていた。
青年の剣が空を斬る。
途端に数人の魔族が消し飛んだ。
その、辛うじて彼らの名残だと分かるものが散乱している所に、青年は何事もなかったように静かに降り立った。
青年は静かに剣を鞘に収める。
「ふぅ、これで全部片づけたか?」
「いや、まだ一匹残っているぞ」
ラスタは、ダルそうに剣先を最後の一人に向けた。
それを受けて、最後に残った魔族の男がビクッ、と肩を震わせる。
「くそっ! やられてたまるかっ!」
「きゃっ」
逆上した男は、少女を捕まえて爪を喉元に突きつけた。
「こいつの命が惜しかったら、剣を捨てろ!」
「ほお、誰の命が惜しいって?」
「こ、この女がどうなってもいいのか!」
「どうにかなるもんなら、やってみろや」
「なっ!?」
その時、少女の手のひらが明るく輝いた。
「うふっ♪」
リーナが微笑むと同時に爆発が起こり、男は一瞬にして吹き飛ばされてしまった。
大きく目を見開いたまま、激しく地面に叩きつけられる。
それを見て、青年はくすくすと笑った。
「リーナ、お前も相変わらず芝居上手いな。いかにもか弱い乙女みたいだったぞ」
「『みたい』じゃないもん、ほんとにか弱い乙女なんだから!」
「誰がだよ?」
「リーナが!」
と、リーナが顔をぷうっと膨らませると、
それを見たふたりは爆笑した。
その様子を見ていた男は、ぼろぼろになった体で辛うじて口を開いた。
「お、お前ら、いったい……?」
「ライザ、教えてやれよ?」
と、ラスタが促すと、
青年は静かに名乗りを上げた。
「冥土の土産に覚えておくんだな。俺達は、闇を狩るモノ《マジッド・メシャリム》だ」