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part 05 一駅のスタンド・バイ・ミー

 その後、すぐに救急車のサイレンの音が聞こえてきた。救急車が着くまでの間、ずっと電車は止まったままだ。誰も文句を言う人は居ない。


 駅でも無い所で、ベビーカーを持ったハゲ──はちまきが電車を降りる。私もついて行こうとするが、線路に降りるのは乗務員に止められた。けれども、礼子は制止をすり抜けてベビーカーを追いかけていく。


 救急車からお母さんが出てきて、赤ちゃんと再会した時には、電車の乗客みんなから拍手が起こった。


 お母さんが、はちまきに言う。


「すいません。こんな大事になってしまって」


「謝るこたぁねえよ、この電車の奴ら一人残らず赤ちゃんを助けたいって思ったんだ」


 お母さんは皆に向かってお礼をすると、礼子の方に向かう。


「消防の人が持ってたから、預かってきたんだよ」


 礼子のブランドバックだ。電車の窓から投げ捨てたヤツ。樹に刺さったのか、穴が空いているし、持ち手も片方無くなっている。


「わたしゃ駅の階段の下で、洋裁店をやってるんだ。後で店に持ってくれば直してやるからね。あんた達二人の名前は何て言うんだい?」


「私は、東高校三年の西沢礼子、あの子は──」


 私は礼子の遠慮がちな声に被せるように言った。


「私は礼子の、友達の、高倉柚子葉です」


         *


 電車は、十分程で動き出した。はちまきからはお礼を言われた。電車を止めるなんて判断は、普通の子にはできない。正しい事をしてくれたと感謝された。


 私達の席を占領していた中学生は、ベアークローをした後に開放し、私と礼子は最初に手を上げてくれたカップル達の向かいの席に座った。足元には私の薄墨色の学生鞄が置きっぱなしだった。


 ブランド女は自分のバックを背中側に隠すと、私達に話しかけようする、が、それを止め、目を閉じて隣の男にもたれかかる。


 気づくと、私にも礼子がもたれ掛かって寝ていた。私は乱れていた彼女の髪を櫛でとかしてやる。礼子が夢から覚めないようにゆっくりと。


 今夜、私と二人で花火が見たいと言った夢を。


         *


 電車が駅に到着すると、私達は花火大会の前のお祭りで夕方になるまで遊んだ。礼子と一緒に花火を見るんだ。テニスの大会がどうなったかは知らない。


 お祭りの人出は多すぎた。夕方花火の時間が近づくと、私達は神社の有る小山を登った。


 神社の人が使う小道の階段を、私は礼子の手を引いて登った。ずっと手をつないだまま無言で登った。少しでも離れるのが不安だった。


 テニスの試合で礼子に負け、大学のスポーツ推薦を取られた日から、私は礼子を疎ましく思いながらも、友達のフリを続けていた。


 礼子も私の心の中を知りながら、友達のフリを続けていた。今日一緒に花火を見たら終わりにしようと心に秘めながら。


 階段を登る途中、周りの木々が少なくなる。周りには誰も居ない。ここで花火を見ることにする。


 礼子を振り返ると、その瞬間に花火が上がる。礼子も振り返って花火を見る。礼子の表情を見る事はできなかった。


 そのまま、二人で無言で花火を見続ける。


 礼子は電車と止める前、私と二人で花火を見るのが夢だと言った。そして、それが終われば友達のフリは辞めるとも言った。


 これで終わりじゃないよね? 礼子に何か言いたかったが、何と言っていいのか分からない。謝ればいいのか? 心とはそれで元通りになる物なのか?


 私が声をかけられずに居ると、礼子は私に背中を向けたまま言った。


「私、ずっと、柚子葉に言いたかった事が有るんだ……」


 礼子が私を振り返る。花火大会はクライマックスだ。礼子の背景では、様々な色の花火が輝いていた。その眩しさに、礼子に向けようとした視線が踊る。


 ここで「もう満足した、さようなら」とか言われたら、立ち直れない。


 礼子は私の正面に立つと、そのまま唇を私の耳に触れるくらいに近づけてくる。私の顔が礼子の黒髪に包まれる。


 礼子は言った。


「必殺っローリングフラッシュ~♪」


 あの試合での、私の必殺技だ。盛大にスカったヤツ。


 そこで、初めて礼子の表情が見えた。初めて一緒にテニスをした時の様な笑顔だ。


「ギャハハハハハハハハ」


 私が大声で笑い出すと、礼子も釣られて笑い出す。ひとしきり笑うと、私は礼子を抱きしめる。


「これからは、いつでも言っていいから」


「いや、もうこれは言いません。一回言ってみただけ」


「他の事も、何でも言っていいから。私も言うから。ずっと一緒に居よう」


「うん」


 ただ、今は言うことはなにもない。電車の中で何もかも話し合った。心の中の黒いものを出し切った。


 私と礼子は無言で見つめ合う。礼子が私をハグした姿勢のまま、神社の林で二人きり。花火の残光が、礼子の瞳を赤く照らし出す。


 つい、私は礼子をハグする手の力を強める。礼子の瞳は私を見つめたままだ。


 礼子が言う。


「柚子葉。目をつぶって」


 私は従う。すると、礼子はしゃがんでスルッと私のハグから逃げていた。もう花火は終わっていた。礼子の瞳の色は黒に戻ってた。


 一瞬の白昼夢を見たようだった。正気に戻ると、礼子が背中側に隠すように持った、ブランドバックに気づく。


「礼子、今夜だけ鞄を交換して歩かない?」


 私は礼子が持つボロボロになったブランドバックに触れた。私の礼子が出会うきっかけのバック、電車の窓から投げ捨てられた時は二度と見ることは無いと思った。


「でも、穴が空いてるし……」


 その穴からはビニール袋に入った教科書が見えていた。でも、そのバックは私達にとって、特別な何かだった。それに触れていたい。


 私と礼子は鞄を交換した。私は礼子のブランドバックを、大きな猫でも受け取るように両手で抱えるが、その穴から中身の本が落ちてしまう。数学の教科書だ。


 教科書を拾う礼子が言った。


「明日からは、毎日特別授業にフル出席しなくちゃね」


 そう、私はテニスの試合をサボった。大学に行くには勉強するしか無い。


「柚子葉、心配しなくても私も毎日行くから、放課後も一緒に勉強しよ」


「礼子が教えてくれるなら、行けるような気がする」


 受験まであと四ヶ月ぐらい。まあ、運が良けれは一校ぐらいは滑り込めるか。


「いえいえ、柚子葉には私と同じ大学に受かってもらいますから」


 礼子は私の鞄を右手をまっすぐに伸ばして持ち、歩き回る。自分が薄墨色の学生鞄を持って登校する姿を想像しているようだ。


 明日からの猛勉強に落ち込む私に礼子が言う。


「フフフ、ねえ、綿あめ食べに行こうよ」


 礼子は私の鞄をもって、階段を降りていった。


 屋台が出ている通りは、多くの家族連れで賑わい、笑顔に満ちていた。私も神社の暗い林の中から、礼子の方へ駆けていった。すぐに追いつき、私達はいつものように、手をつないで歩いていく。


         *

         *

         *


「今日は娘さんの入学式だろ、頑張ったねぇ」


 その言葉に、私は現実に帰る。今日からは娘の高校生活が始まるのだ。国鉄山上駅は、現在JR山上駅に変わった。私と礼子が毎日登った階段には、今ではエレベーターが付いている。


 声をかけてくれたお婆さんは、あの時のベビーカーを押していたお母さんだ。今でも健康のために、この駅の階段を毎日登っているという。


 はにかんだ娘がお婆さんに答える。


「あの学校、カッコイイ先生が居るって噂だから」


 そう、あの時の赤ちゃんは東高校の先生になった。この親子とは今でも付き合いが続いている。


 そして、薄墨色の学生鞄を持った彼女も待っていてくれた。礼子だ。私の髪には白い物が混ざり始めたが、礼子の艶やかな黒髪は今でも変わらない。礼子は言う。


「そのバック持って来るって、本気だったんだ」


「とーぜん」


 私はブランドバックを皆に見せつける。一緒に花火を見た時から、鞄は交換したままだ。


「キレイなもんだろ? 二人の鞄はどうなっても直してやるから」


 ブランドバックと薄墨色の学生鞄、もう三十年は使っているだろうか。いつもお婆さんに直してもらっている。


「私一度階段で降りてみたいけど、お母さんたちはエレベータ乗る?」


 私は礼子とお婆さんに目を配る。皆同じ意見のようだ。


「階段で行こう」


 皆でゆっくりと階段を降りて行った。私と礼子は手をつないで。あの花火を見た夜の様に。

お読みいただき、ありがとうございました。

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