7 旭日
―――これは、ひとりの男が見た光景。人類の反撃の嚆矢。
日本という国が国土のほとんどを喪失することになったあの日から、あと二ヶ月もしないうちに二年の時が過ぎようとしている。
俺達――関東Z区駐屯地属の自衛官二百名はその日、めったに本来の目的で使われることのない大会議室へと招集されていた。
集められた者は基地司令を除き、Z区駐屯任期に半年前就いたものがほとんどで、こうやって集められる理由がわからないためヒソヒソと隣り合った者同士で話をしている。
自分はたまたま最前列に立っており、基地司令の目があるため話すことはできなかったが。
「傾注ッ!」
集められて数分。高齢なれど衰えをまったく感じさせない基地司令が声を張り上げると、集まった全員が水を打ったように静まる。
「今より、大柿陸幕長よりお話があるッ!全員、気を付けェ!!」
ザッと靴底を鳴らしながら、集まった全員が一糸乱れぬ動きで姿勢を正すと、天井に据え付けられたプロジェクターより光が延び、正面の壁に一人の男の姿が写し出された。
大柿 通幸陸上幕僚長。我々陸自のトップであり、間違いなく日本という国が未だ存続してきる立役者のひとり。
文官然とした空気をまとい、ヒョロリと縦に長い伊達男と言った具合のナリをしているが、レンジャー課程を潜り抜けた古強者の一人である。
『楽にしたまえ』
そう、常々の様に落ち着き払った雰囲気で口にする陸幕長だったが。なぜだろう、彼の瞳に燃えるような何かを幻視した気がした。
そして、全員が姿勢を直すのを待ってから、彼は朗々と――しかし、熱意を籠めて我々へと作戦の説明を始めた。
誰もが、耳を疑った。誰もが、一瞬何を言われたかわからなかった。
余りにも急な作戦だ。余りにも危険な作戦だ。
―――だが。
『―――もしこの作戦が成功裏に終われば、世界の夜を――日本を取り戻せる』
普段は冷静沈着な大柿陸幕長が、まるで近付けば身を焦がすのではないかと錯覚するほどの気炎をあげながらそう語ったとき。画面越しに話を聞いていた基地内の自衛隊員全員があげた喚声で、比喩ではなく空気が爆ぜた。
それは、自国を守りきれなかった防人達の悲願。
真剣に護国を誓い門戸を叩いた者も、不真面目に今まで勤めていた者も。全員が涙を浮かべ、唇を噛み締めながら『祖国奪還』を心に誓いあってから早二年が過ぎようとしている雌伏の日々に突如もたらされた一筋の光明。
『さぁ、諸君!未来を、作るぞ』
―――オオオオオオオオッ!!!
亡国の兵が上げた咆哮が地を揺すった。
◆◆◆◆
すごい熱気だ。
もう十一月が始まって、思い返す日々より寒さは確実に深まったというのに。装甲車より降り立った自分が感じたのは灼熱のごとき兵の熱気だった。
関東最大の医療複合施設。"Z"発生直後に押し寄せた潜在罹患者たちによって今や関東一帯で最悪の≪危険地区≫と化した場所。正式には乙式医療廃墟郡と称される、まさに燃え落ちた灰の"白き巨塔"である。
普段ならほとんどの人々が避けて通るその廃墟にて、我々はベースキャンプの設営に精を出していた。
「急げ!夕方を迎えるまでに外壁だけでも仕上げろ!土嚢が足りなけりゃそこらのゾンビ殴って壁にしろ!!」
「銃座の建設なんて後回しだ!どうせ蛸壺なんざコンクリには掘れねえんだからそこらへんにワイヤー張ってやれ!間違えても後には張るなよ!主力を運び込めなくなる!」
「頭を吹き飛ばせないならゾンビに銃を使うな!剣先スコップで殴り飛ばせ!」
次々と飛ばされる指示の声と、そこらから聞こえる打擲音でその場は混沌としているが、全員の顔に余裕はない。
しかし適度な緊張感と、燃えるような興奮によって顔色に反して士気は非常に高まっていた。
ちなみに"Z"――ゾンビについては、既に『人ではない』と研究結果の発表がなされているため誰一人としてそれの頭を殴ることも、その亡骸を使ってバリケードとすることにも躊躇がない。
奴らの正体は未だ不明だが、漠然と胞子状のナニかであるとは判明しているからだ。
奴らに噛みつかれる、または体液を浴びたり粘膜を接触させられる事によって体内に『本体』の子株が侵入。脳に寄生すると爆発的に数を増やして、脳は生命維持に関わる部分以外を全て破壊されることになり、体は死なずとも人間としては完全に死亡することとなるからだ。
初めて奴らの解剖記録に目を通した際、そのあまりにもおぞましい生態に吐き気を覚え、犠牲となった国民を思い涙した。そして、奴らの完全な駆逐を誓ったのも今は懐かしい。
「タイショウ。おつかれさん」
そんなことを考えながら、自分に与えられた作戦概要書に目を通していると突然関西訛りの声をかけられた。
そちらへと、顔を向けるとそこに居たのはよく日に焼けた初老に見える男性であった。
「"リーダー"あなたも来ていましたか」
自分をタイショウと呼ぶ彼は、生存者コミュニティ『アストロノーカ』のトップであり、それを立ち上げた発起人。
元々は老若男女に人気を誇ったバンドグループ『TA-nauts』のリーダーを勤めていた男で、その頃よりずっと"リーダー"という愛称で親しまれている。ちなみに、その時からメンバー全員が農業に明るく、様々な特殊免許まで持っていたことでも有名である。
いわゆる"おかん"気質で面倒見が良いためか、彼らに略奪を仕掛けた人を改心させ、次々に勢力に引き込んでいった実績まで持つ、思わず尊敬の意を誰もが抱く好人物でもある。
「まぁ、お医者さんも病院もないとそろそろ腰がキツいからね。僕のワガママでここに来たんよ」
シワの目立つ顔をくしゃりと歪めて人好きのする笑みを浮かべる。
誰かに行けと命令できる立場にありながら、なんのかんのと言って自分を最前線に置こうとするその姿勢には頭が下がる思いだ。
「今日は危険な戦いになります。どうか、油断なさらないで下さい」
和やかな空気を振り払うべくリーダーに忠告をしたものの、彼はぐるりと辺りを見回してから苦笑を漏らした。
「こんなに若い子がおるんやから、皆にこそその言葉をかけてあげ。僕もメンバーも、もういい年や。いざとなったら壁にでもなるから、無茶したらあかんよ」
それじゃ。そう言って背中を向けて、彼はヒラヒラと手を振りながら去っていく。
その背に向けて、慌てて言葉をかけた。
「リーダーこそ、無茶しないで下さいね!日本中のファンが、あなた達の『日本再生』番組の製作を楽しみにしてるんですから!!」
人懐っこい笑みをこちらに向けて「ありがとうね」と言って、連れてきた協力者集団の元へと彼は歩いていく。
―――死なせて、なるものか。
その背が完全に見えなくなるまで見送ってから、決意を新たに資料の読みこみを続けた。
いつの間にか、空はわずかに茜色に染まっていた。
◆◆◆◆
「静かですね、隊長」
積まれた土嚢に背を預け、小銃を片手に目を閉じていたのだが、部下の一人に小声で話しかけられてゆっくりと目を開く。
「まぁな。いくら夜とは言え、奴らの視界に入らなければこんなもんだ……なんだ、夜間作戦は初めてか?」
「そうですね…。昼間の方が忙しかったぐらいです」
「今はな。もう少しで状況開始だ。少しでも静かなうちに休んでおけ。…息つく間もないって言葉の意味を実感することになるからな」
夜間が人類にとって危険な時間となってから、日中行動夜間撤退を義務付けられた。
本土撤退戦を経験した者でなければ、その恐ろしさを知らずとも責める事はできない。
「そんなに、ですか?」
「そんなにだ。まず、日中奴らはてんでばらばらに襲いかかってくるが、夜になれば統率個体が現れる。そいつに見つかったが最後、圧倒的な物量差に押し潰されるぞ。そこに"赤目"が混じっていたら更に悲惨だ」
「……本当に、今回大丈夫なんですか?」
俺の話しに顔色を無くした部下が、不安げに揺れた声を出す。
ふんとそれを笑い飛ばすと、先程合流を果たした【特務部隊】の装甲車に目を向ける。
「俺も半信半疑だが…今回に限っては十分勝算アリと見ている」
「……どうしてでしょうか」
「あの大柿陸幕長が言い切ったからだ。青函トンネル封鎖作戦から始まり、【特隊】をZ区内に放ち常に情報を集め続けてきた人肝煎りの作戦だぞ。失敗しようがなかろうよ――今回は、秘密兵器もあるしな」
そう言った瞬間に、腕時計が震える。どうやら、時間のようだ。
「た、隊長…アレ…!」
部下が震える指で差した方を見やれば――装甲車の後部ハッチが開き、異形の巨躯が今まさに姿を現した所であった。
のっぺりとした顔面の。まるで映画の世界から飛び出してきたような未来的な総身を都市迷彩で着飾った、強化外骨格がそこには立っていた。
「な、なんすか…あれ」
「今回の主役だ」
ESの降り立った装甲車とは別の一台から、十台のドローンが静かに飛び立つ。
そして、それから待つこと数分。
―――巨躯が、動く。
「はやっ…!」
その動きに目を見張った瞬間に部下の漏らした言葉は、まさに今自分が抱いた感想と一致する。
『『『ィ゛ヤ゛ア゛ア゛アアアアアアア――!!』』』
そして響き渡る濁りきった亡者の叫び。思わず身を固くした自分の耳が次に捉えたのは、その叫び声を打ち消すように響く重低音――轟々と響き渡る、30㎜機関砲の上げる唸り声だった。
わずかに土嚢から顔を覗かせて、目の前の光景に絶句する。
殺到したゾンビの群が、まるで防波堤に打ち付ける白波のごとく爆ぜていく光景。
その中を全く重さを感じさせない動きで。まるで舞い踊るごとく間断なく動き回りながら、鉄の豪雨を浴びせかける鋼鉄の守護者の後ろ姿。
―――しかし、それは長くは続かなかった。
フィクションと違い、現実は無情だ。弾切れだろう、雨が止んだのだ。
「ああっ!」
いつの間にか立ち上がり、その光景に魅入られていた部下が思わず叫び声を上げたのを誰が責められよう。
鋼の守護者が。人類の叡知が。ゾンビの波に飲まれていく。
―――やはり、ダメだったか。
そう、諦めかけたその時だった。
―――ひうん。
そんな甲高い、幼子が泣く声に良く似た音を聞いたのは。
―――闇夜を。黒い群れを。絶望を、紅い剣閃が絶ち割った。
なぜ忘れていたのだろう。台風の雨が上がったとて、その後に残る業風までも消えるわけでは無いということを。
それは、まさに神話の光景。
巨躯が両手に持った剣を一振りするたびに、ゾンビの体が泣き別れていく。
熱された刀身が振られるたびに。残された赤い光の筋が通っていくたびに、十重二十重と積み上げられていく亡者の骸。
「ぉぉお…!」
どこからか、声が聞こえた。
「おおおおおおっ!」
どこからともなく、歓声が上がった。
「「「おおおおおおおおおおおおッッ!」」」
いつの間にか。ベースキャンプに控える人間が上げる鬨の声で、大気が震えていた。
本来なら、止めるべき行いだ。
それでも。ここが≪危険地区≫とわかっていながらも、誰もが叫ばずにはいられない光景だった。
かつて絶望した。黒い亡者の群れに。
かつて絶望した。呑まれた仲間が、敵の一団に加わったことに。
かつて絶望した。守るべき人々を食い荒らされたことに。
かつて絶望した。守るべき国民を見捨てて、護るべき国土を棄てたことに。
―――ゆえに今。目の前の希望に熱狂した。
黒い亡者の波を切り捨てて前へ進む背中に。
噛みつこうとした亡者の歯が通らない鋼鉄の体に。
どれだけ衆愚が叫ぼうとも、一切亡者を後ろに通さないその、護国鎮守を体現するような存在に。
誰もが、泣いていた。誰もが、笑っていた。
誰もが、泣き笑いながら叫んでいた。
いつの間にか、更に奥へと進んでいったのだろう。その背中は見えなくなっている。
その頃にはその場を支配していた狂奔もすっかり鳴りを鎮めていたが。
代わりに、その場の全員の瞳には炎が燃えていた。体から上がる気炎は空を焦がさんばかりであった。
「―――ッ!報告ッ!!現時刻一:三五を持って【ゼロ】による"Z"掃討率が七……いえ、八割を突破!!」
全員の顔が引き締まる。【ゼロ】――【試製戦殻】≪零式≫は。我らが自衛隊の新たなる剱の仕事は終わりだ。
ここからは、兵による残党狩りだ。
「現時点を持ちましてコード≪OPT-Sc0≫の第一フェーズを終了!本作戦は第二フェーズへ移行するモノとするっ!総員!!着け銃ゥ!!」
「「「了解ッ!!」」」
百戦錬磨の強者も。殻の取れたばかりのひよっこも。
国に操を捧げた者も。地獄でなお足掻く者も。
その一切が、爛々と希望に目を輝かして。
かくして、猟犬が放たれた。
―――そして、旭が差す頃。我々は残飯を全てを平らげた。
作戦コード≪OPT-Sc0≫。
作戦目標達成。第一〇八Z区≪危険地区≫掃討終了及び同地区の制圧を確認。
―――犠牲者は、皆無であった。
11/2(土)投稿。
拙作をお読みいただきありがとうございます。
もしお気に召しましたら、ブクマや評価。感想などいただければ、作者のモチベーションがぐいぐい上がりますので、是非よろしくお願いします!!
はみ出し設定小噺。
⑩【試製戦殻】≪零式≫
開発コードES0。対ゾンビを想定して、日本により研究・開発が進められていた強化外骨格(ES)で、アメリカにて採用されている【TALOS-Mk.IV】とはコンセプトから異なっている。
日本の技術の粋を集められて作られたモノであり、様々な最先端技術によって【TALOS】と比較してその戦闘力に倍近い差が生まれている。
【対Z格闘剣】≪ヤスツナ≫と新規小型電源炉【リアクター】によって継戦時間の大幅な引き上げに成功しており、≪零式≫のコンセプトを引き継いだ正式採用品である【三六式戦殻】は後世においても傑作機と名高い評価を受けている。
頭部ヘルメットは、換装が可能となっており【汎用型】【局地戦・丙】【局地戦・乙】の三種類が存在している。
尚、三章が終わったら本編にほとんどでないのに詳細な設定が与えられている模様。




