ブラッドの旅路
ブックマーク20件越えて嬉しみに震えるきょうこのごろ。
これからも拙作をよろしくお願いいたします!
ブラッドメインに話を書いたら、どうしてもルビが増えるジレンマ。
隣人が席を立つのに習い、己もまたその後に付ける。
彼女が向かったのは、数匹の男の手から助けた女が眠る部屋。
傷が癒えても尚目覚めない女を、子を世話する母の様な甲斐甲斐しさで以て隣人は世話をする。
―――もし、隣人をもっと早く見付けていれば少女は助かったのだろうか。
ふと頭によぎった益体も無い考えを短く鼻を鳴らして嗤う。
「どしたの、ブラッド?」
己のそんな姿を不思議に思ったのか、隣人がこちらを覗き込んできた。
―――何でもない。
短く吠えて彼女に気にするなと意思を伝えると、彼女はその瞳に僅かな優しさと。そして慈愛を込めて己を見詰め、そしてやんわりとした手つきで頭を撫でてきた。
―――本当に不思議な女だ。
自分の尻尾がゆらゆらと揺れるのを感じながら思う。
己は、隣人と出会わなければ今どうなっていただろう、と。
少女が息絶え、孤独に過ごした時の事を少しだけ思うのだ―――
◆◆◆◆
―――悲しい。
胸の裡にある曖昧なモノを理解したのは、小さな隣人が冷たくなったときだ。
それより己の心がただ冷えていくのを。ナニか良くわからない飢えに苛まれていくのを感じるばかりで、それらが癒える兆しはまったくもって感じない日々。
かつての隣人達の姿を模した、無遠慮に歩き回るクサレどもはただ不快だった。
知る顔のクサレを見つける都度、己は悲しいその命を終わらせてきた。
今日もまた、女の姿を模したクサレの頸を自らの顎で砕いた。
その姿は辛かろう。その姿でいるのは悲しかろう。
己なりの敬意と哀悼の意を以て、かつての日々にしがみつく体を終わらせてきた。
そして、巣に帰りつくそのたびに少しずつ失われていく少女の面影を見ることしか出来ない自分に嫌になる。
―――本当なら、埋めてやるべきだ。本当なら、眠らせてやるべきだ。
それでも自らの心の悲鳴が聞こえて、どうしても少女の亡骸を地の下へと埋める事を躊躇ってしまう。
そんな、自分の弱さにほとほと愛想が尽きそうだった。
何度か、かつてより息を潜めながらではあるが活動しているニンゲンを見かけては、それに頼ろうかと考えたこともあった。
しかし、糧を得るために外へと繰り出している間に巣へと押し入り、かつての残り香を奪っているのが奴等めと知ったとき。
そのくせ、少女の亡骸に花のひとつも備えない彼らを目にしたとき。
己は奴等に頼ろうとすることをやめた。
―――まるで、奴等の方がケダモノではないか。
これでもブラッドは、かつて隣人らだったモノへと敬意を払っている。だからこそどれだけ腹が減ったとしても彼らの巣へと立ち入ることは無かった。
だというに、奴等は我が物顔をして巣へと押し入っては、さも楽しげな声を上げながらかつての日常の欠片を奪い取っていくばかり。
それどころか、クサレに襲われている所を助けてやったら己を指差し『肉だ肉だ』と言いながら追い回されたこともある。
同種の友らが奴等に狩られているのを見付けたことすらも。
己は奴等を肉と見たことが無いというのに。
友らもクサレでない隣人と信じ、その身を晒したと言うのに。
―――嗚呼。どれだけ喰っても飢えが消えない。
今日もまた、ニンゲンと出会わぬよう気を付けながら山へと走り、肉を喰らい血を啜ったというのに。
自らの体ほどある獣でも、この飢えを満たすことはないのか。
ただ、少しだけ。
少女の亡骸の横で眠りにつくときだけ、心の裡に広がる飢えが凪いだ。
それも、彼女の亡骸のカタチが崩れるまでではあったが。
自分の弱さが、ただ恨めしい。
今の自分が亡骸を咥え上げようモノなら、間違いなく彼女をコワしてしまう。
そうなる前に埋めてやらねば。眠らせてやらねばいけなかったというに。
心の弱さが、終に少女の尊厳すらも穢してしまった気がして―――
気付けば、彼は駆け出していた。
彼が人であれば、その頬を滂沱の涙で濡らしているであろう哀しみをその瞳に湛えたまま。
そして、全てを失い渇きにも似た飢餓感に支配された彼はいつしか『飼い犬』の軛より解き放たれ、一匹の孤狼にも似た日々を送る事となった。
―――いっそ飢えの蝕みが。恥ずべき己が消えるなら、この命を燃やし尽くしても構うものか、と。
クサレに出会えばそれを狩り、眠らせた。
奴らが動物を襲わないという特性を存分に活かした彼は、その悲しき生命を終わらせるように。自らの悔恨を晴らすごとく。道歩くクサレを次々に討ち倒した。
結果として、ニンゲンの行動範囲が広がりを見せたが、それでも良かった。
かつての輝きを。失われた過日を彼らが取り戻し、再び自分達の良き隣人に戻るなら――戻ってくれるのであれば。
―――自らの命が、その礎になるのならば。
それも良いかもしれない。そんな事を思いながらも。
それでも。言葉持たぬ彼の瞳に映るのは残酷なニンゲンの所業であった。
クサレが消え、行動範囲が広がるとすぐ。ニンゲン達はニンゲン同士で戦い始めたのだ。
物資を。食料を。居住を。――時には、ヒトそのものを奪い合って。
これは、彼の落ち度ではある。
しかし平和で平穏な、かつてしか知らない。人間の本質を、思考を理解していなかった彼を責めることは出来ないだろう。
―――生産より略奪ことの方が楽だと言う甘露を覚えた人の所業を。
その時、彼は諦めた。
今の世を生きるニンゲンに期待することを。
自らの飢えを満たす存在としての価値を。
そこから、彼の記憶はひどく曖昧である。
ただ何かに怯えていた気もするし、何かに対して常に怒りを覚えていた気もする。
ただ言えるのは、日々広がっていく飢えと虚無感に苛まれ、常に死に場所を求めるように生きながら死んでいた事だろうか。
ただ浅ましい事に、彼に芽生えた野生としての本能が彼の命を繋ぎ続ける為に求めても求めてもそれは手に入らなかった。
少女との別れにて萌芽した【心】が、その生き地獄に悲鳴を上げても尚。
そうして、とうとう。いやようやく彼の心が限界に達して、本能を上回る日を迎える頃にはすっかり疲れきっていた。
―――適当なニンゲンの前に身を晒して、いっそのこと狩られてしまおうか。
本気でそう考えた折り、彼の耳に悲痛な。それでいてどこか歓喜に満ちた叫びが届いた。
―――誰だ。
そう訝しがりながらも、彼の足が自然に動いた。
ただ、駆け出していた。
確かに、その声に温度を感じたから。
かつての日々を失った人間だけが放つ途方もない悲哀の冷たさを。
かつての日々をまるで取り戻したとでも言わんばかりの歓喜の熱を。
―――それと同時に、未だ絶望できていない。絶望を覚えていないどうしようもない危うさを。
聞こえてしまった以上、彼は止まれなかった。彼は止まりたくなかった。
そんな自分の感情に困惑を覚えたがそれ以上に、その存在を。出会ったことも無い存在のことを失いたく無かった。
故に。彼は走り続けた。
普段は滅多に通ることの無い、クサレが集まった場所すら走り抜けてまで急ぐ。
―――そうして彼は辿り着く。
そして彼は見付けたのだ。かつての輝きを失わぬ彼女を。
強くて弱い、ひとりぼっちの隣人を。
―――二度と得ることの叶わないと諦めていた、暖かな存在と。
◆◆◆◆
自らの寝そべるソファーの横に透が腰かけたのを感じて薄目を開ける。
ゆるゆるとした優しい手つきで背中を撫でられて、心地よさを感じながら尻尾を揺らす。
―――嗚呼。己は今満たされている。
かつてあれほど自らを苛んだ飢えは、この数日ですっかり鳴りを潜めた。
この短い日々で、新たな隣人は彼に様々なモノを与えてくれた。
誰かに手ずから与えられる食事の暖かさを。
隣に心許せる存在がいる安堵を。
そして彼のかつての隣人――エミの、人としての尊厳を。
―――己は、彼女に何か返せているのか?
一瞬そう自問したが、すぐに忘れることにした。
どうせ残りの。長いか短いかわからない生涯を彼女へと捧げる心づもりなのだから、その途中でいくらでも返していけるからだ。
「ふふ…。ブラッドには素敵なお嫁さんを見付けてあげなきゃね」
その言葉に短く吠えて応える。
―――わかった。
自らがトオルよりも先に命を終える事がわかっているからこそ、そう意思を伝える。
本当は、そんなもの要らない。お前さえいればと伝えたかったのだが。
―――子孫もまた、彼女へと遺せるモノか。
堪えたと思った溜め息が思わず漏れたことに内心苦笑しながら、暖かな彼女の手の温度に誘われるまま再び目を閉じる。
まぶたの裏に、笑いながら過ごすエミとトオルを想像しながら。
決して起こり得ない情景なれど、姉妹のように仲睦まじいその様子は存外楽しそうで―――
一度は野生に堕ちかけながらも踏みとどまった、旅を終えた飼い犬の尻尾が幸せそうにゆらりと揺れた。
10/17(木)投稿
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明日0時より、二章開幕いたします!




