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2-23.浄化

 神殿内は清涼な空気に包まれていた。

 心地よい夏の夜気にも似た、グレイシアの聖気。美しい紫紺色が輝く様を思い浮かべて、リオレイルは小さく息をついた。吐息が恋慕で染まる事は自覚している。


「……すっげ」


 落ちた呟きはアウグストのものだったが、カイルも内心では同じように感嘆していた。

 あれだけ蠢いていた”忌人”ごと、この神殿内を浄化させるなど並大抵の事ではないからだ。


「わ、すっかり綺麗になってますね。で……あの”穢れ”の人(ルルシラ嬢)は?」


 神殿内に足を踏み入れたセレナは、先程までとは明らかに違う空気感に目を瞬いた。”穢れ”も、それが醸し出す障気もない。床には砕け散ったステンドグラスの欠片が、魔導ランプに照らされているばかりだった。


 ルルシラはそんな床の上に、横たわっていた。

 ”忌人”のように浄化で消え去りはしなかったが、その存在が今にも儚くなりそうなのは誰の目から見ても明らかだ。


「……私はまだ死んでいないわ」

「言ったはずだ、貴様は既に死人だと。その残留思念も、”穢れ”が尽きれば消えるだろう」

「”穢れ”だって、まだ……」


 ルルシラの顔は青白い。

 可愛らしくぷっくりと色付いていた唇から、その艶めきも失われている。”穢れ”によって形作られていた両腕や左足もそこにはない。リオレイルに切り落とされた、そのままの姿だった。


「……どうして、そんなに強い聖気が? 聖女じゃないのに……」

「それを貴様に教える義理はない」

「つれない人ね……。もしあの女が聖女だとしても、私の”穢れ”の方が強かったはず……」

「”穢れ”が負の魔力だとすれば、聖なる加護を受けた私の力は正の魔力。魔力の勝負で私が負けるはずはないだろう」


 リオレイルは指先で、自分の目元をとんとんと叩いて見せた。そこにあるのは琥珀と紅玉。オッドアイは高い魔力を有する証で、いま現在、この国にオッドアイの人間はリオレイル以外には確認されていなかった。


「セレナ、魔導鎖を」

「はい! 普通のやつしかないんですが大丈夫でしょうか」

「問題ない。聖なる力を付与させる」


 セレナが出した魔導鎖にリオレイルが手を翳す。零れ落ちる真白な光は魔導鎖を包み込み、力強くも穏やかな輝きを放ち始めた。


「カイル、連行しろ。処遇については陛下が下されるだろう」

「かしこまりました」


 カイルはルルシラを魔導鎖で縛り上げる。脱力したその体が抵抗する事もなく、ゆっくりとルルシラは目を閉じた。そのまま意識を失ったが、眉間には深い皺が寄っている。


「アウグスト」

「あいよ。クラッセン領での件については色々調べてある。第二の団長も第二の奴等には手を焼いていたようで、手伝ってくれたぜ」

「よし。セレナ、そこに転がっている司祭を叩き起こして、ルルシラ・クラッセンとの関係を全て吐かせろ」

「お任せください」

「では帰還する」


 カイルがルルシラを担ぐ。

 アウグストを引き連れてリオレイルが一歩を踏み出そうとした時に、遠慮がちな声が掛けられた。


「……団長、グレイシア様を迎えに行かなくていいんですか?」


 セレナだった。

 茶色の瞳が不安に揺れている。胸下で握りしめられた両手の指先が、白く色を変えていた。


「迎えに行く為に、色々片付けねばならん」

「お迎えに行くんですね!」

「無論だ。私の妻は彼女以外には有り得んからな」

「はいっ!」


 先程までとは打って変わって明るく笑みを零すセレナの様子に、リオレイルだけではなくアウグストも苦笑いだった。


 抜き身の大剣を手にしたまま、アウグストを連れてリオレイルは神殿を後にする。肩越しに振り返ると、セレナが司祭の頬を何度も張っているところだった。




 一度屋敷に戻ったリオレイルは、騎士服に着替えて登城した。

 屋敷で簡単なあらましを説明した時には、メイサが恨めしそうな視線をリオレイルに向けていた。それを思い返しては苦笑が溜息となって漏れ出てしまう。


 目敏く、見逃す事のなかった国王が、揶揄うような笑みを口元に乗せた。

 ここは国王の執務室だ。人払いがされて、テーブルを挟んでソファーに向かい合って座るのは国王とリオレイルだけだった。


「グレイシアちゃんのおかげで救われたな」

「それは否定しません。陛下、バイエベレンゼ――」

「兄上と」

「……はい?」

「兄上と呼んでくれ。いまは私とお前だけなのだ、いいだろう?」

「……それで話を聞いて下さるのなら」


 リオレイルは呆れたように、わざとらしい溜息をついて見せる。その様子さえ可愛くて仕方ないとでもいうように、国王でありリオレイルの兄であるラケルタ・ドラド・イルミナージュは肩を揺らした。


「兄上、バイエベレンゼの神聖女に今回の件を相談するべきだと思います」

「ああ、私もそう思っていたよ。既に神聖女には親書を送っている。両日中には返事があるだろう」

「急かしてください」

「うん?」

「出来るだけ早く、片を付けてしまいたいのです」


 リオレイルは言葉を紡ぐと、用意されているカップを静かに手に取った。満たされているのは温かな紅茶で、仄かに花の香りがする。――アメルハウザーの紅茶だった。


「それだけの理由があるのだろう?」

「早くグレイシアを迎えに行きたいもので」

「迎えに行けば良いではないか」

「……全て解決してから迎えに来るようにと、彼女に言われています故に」


 気まずそうに、リオレイルが目を伏せた。

 珍しい弟の様子に、ラケルタは笑いを堪える事が出来なかった。


 あの、何でも要領よくこなしてしまう弟が。

 国一番の魔力を持ち、誰も敵う事の出来ない程に強い騎士団長が。


 妻の一言でこれだけ感情を揺らされている。


「笑わないで下さい。これでもし彼女が帰ってこなければ、クラッセン領がどうなるか分かりませんよ」

「いや、悪かった……くくっ。グレイシアちゃんが戻らないとうちの妻も喧しくなるからな、それは何とか阻止したいところだが。……分かった、急を要すると神聖女には伝えよう」

「宜しくお願いします」


 音もなくソーサーにカップを戻したリオレイルを、ラケルタは赤の瞳で優しく見つめている。その視線に気付いたリオレイルはどうかしたかとばかりに眉を寄せた。


「リオレイル。いま、幸せかい?」

「ええ、もちろん」

「それならいいんだ。お前が幸せで在ってくれるなら、()も嬉しいよ」

「……兄上」

「お前は僕の可愛い弟なのだから」


 その声はどこまでも柔らかかった。

 弟を慈しみ、大事に想う気持ちが映し出されているような。


「ありがとうございます。ですが兄上、公私混同をするのはやめて頂きたい」

「何のことかな」

「書類に変な一文を書かないで下さい」

「だって今まで出来なかったから」

「浮かれるものいい加減にして下さいよ。()は既にあなたの臣下です。弟ではありますが、公務の場ではそれを重々――」

「分かってるって」


 ソファーに深く背を預けたラケルタが可笑しそうに笑った。伝わっていないと判断したリオレイルは更に苦言を呈するが、ラケルタは飄々とそれを躱すばかり。

 王と臣下ではない、兄弟の朗らかな声が執務室に満ちていた。


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