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2-6.幻痛

 イルミナージュ第一騎士団 団長室。


 一週間の休暇を終えたリオレイルは、いつものように出仕していた。

 結婚式でリオレイルが王弟であると発表された事もあり、騎士団以外の面々や貴族達が遠巻きに何かを言っている事はリオレイルの耳にも入っている。しかしそれを気にする事もなかった。リオレイルにとっては、何も変わらないからだ。



「新婚旅行はどうだった?」


 執務机で書類に向かうリオレイルが、視線を上げる。

 応接セットのソファにどっかりと座り込んだアウグストが、どこかにやにやしながらリオレイルを見ていた。


「教えない」

「かーっ! アンタのいない間に仕事をしてた俺にその仕打ち! カイルまで休むから、俺、すっごい大変だったんですけど!」

「私は団長補佐官である前に、主の従官ですから」

「忠誠心っちゃ忠誠心だけど、お前も帰省しただけじゃねぇか……」


 アウグストの文句も素知らぬ顔で、カイルがリオレイルの机に書類を積み重ねていく。それを一瞥したリオレイルは、処理済みのものをカイルに渡した。そしてまた書類にペンを走らせていく。

 リオレイルが使うインクは濃紫(・・)。これはずっと変わらない。


「アウグスト。この報告にある、”忌人(いみびと)”が各地で大量に発生している件について、詳細はあるか」

「書いてる事以上はねぇよ。”穢れ”が増えたってわけでもねぇのに、魔獣や”忌人”の被害が増えてんだと。現地調査をしたら”穢れ”の濃さが増してるってんで、バイエベレンゼの水晶を大量投入する事になったとか」


 バイエベレンゼ王国の聖女が、聖なる力を込める水晶。その水晶には”穢れ”の侵食を抑える効果がある。”穢れ”に対抗する手段はバイエベレンゼの聖女以外、他にない。


「よくバイエベレンゼが大量に水晶を寄越したな」

「神聖女の進言らしいぜ。この大地に生きる全ての者が、手を取り合って脅威に立ち向かわないといけないとか、なんとか……出来た聖女様だねぇ」


 バイエベレンゼの聖女を束ねる存在。他の聖女とは一線を画す神聖女は、王に次ぐ権力さえ持っていると言う。

 以前、バイエベレンゼの王宮で見た神聖女は、その力に溺れる事なく自分の為すべき事(・・・・・・・・)を理解しているような、そんな印象をリオレイルに抱かせていた。


「……水晶も”穢れ”の侵食を留めるだけにすぎん。”穢れ”が濃くなっているならその理由があるはずだ。詳細な調査を進める話は出ているのか?」

「ちょうどその書類が回ってきたところです。調査時の護衛兼、魔獣と”忌人”の討伐任務が陛下からの勅命で来ています」

「わかった、私が出よう。カイル、人選を頼む」

「かしこまりました」

「俺も行こっかなー」

「カイル、アウグストも入れてやれ」


 カイルが机の上に書類を置く。国王陛下の勅命であるのを示すよう、末尾には国王の署名があるのだが、そこに書き足された一文に、リオレイルは眉を寄せた。


【怪我すんなよ。兄ちゃん心配】


 自分が出張る事を予測していたのだろうが、余りにも軽いその調子にリオレイルは溜息を隠そうともしなかった。

 弟だと今まで隠していた反動だとは分かっているが、あまりにも浮かれている。家臣としてきっちり締めて来なければならないかもしれない。


「副団長が出られるのも珍しいですね」

「ん? んー……いや、俺も仕事は好きじゃないんだけどさ、なんか嫌な予感がするんだよな」

「嫌な予感ですか」

「カイル、回復と索敵を多く配備しろ。アウグストの予感は当たる」

「かしこまりました」


 自分の執務机に戻ったカイルが、書類に取りかかる。

 リオレイルは執務椅子に深く背を預けた。


 ”忌人”と魔獣の大量発生。

 濃さを増す”穢れ”

 神聖女からの進言。

 アウグストの嫌な予感。


 どれもが不穏なものでしかない。

 溜息をつきたくなったリオレイルは、意識してそれを飲み込んだ。


「アウグスト、”忌人”の大量発生が起きているのは、うちだけなのか?」

「いや、そこまでは聞いてない。調べてくるか?」

「ああ。バイエベレンゼの二の舞は避けたい。上もそれは重々に分かった上で調査をしているのだろうがな」

「了解。じゃ、たまには真面目にお仕事しますか。終わったら奢れよ」

「考えておく」


 ソファーから立ち上がったアウグストは大きく伸びをすると、黒髪を額から後ろに撫で付けて歩き出す。片手をひらつかせて執務室を出ていくアウグストを見送って、リオレイルは再度ペンを手に取った。


「バイエベレンゼの神聖女も、何か思うところがあるのでしょうか」

「そうだろうな。前回の件を忘れていないのだろうが……もっと深い何かが見えているのかもしれん」

「……深い、何かですか?」

「例えば、”忌人”の大量発生がまた人為的なものだとか」

「な、っ……!」


 バイエベレンゼ王国を襲った異形の大量発生事件。それは王家転覆を狙った者が、”穢れ”を帯びた魔石を王都の各地に置いた事が発端だった。

 魔石から溢れた”穢れ”は、動物を飲み込んで魔獣と化し、”穢れ”からは以前に飲み込まれた人間が”忌人”となって甦る。そのどちらも人を襲う事に変わりはないが、”忌人”はまた特殊なのだ。触れられるだけで”穢れ”に堕ちて、自我を失い、またいつか”忌人”としてこの世界に現れる――人を襲う為だけに。


 それがもし、また人為的に引き起こされているとしたら。

 聖なる力の籠った水晶だけでは、足りないかもしれない。”穢れ”自体を浄化しなければならないが、それが出来るのはバイエベレンゼの聖女だけだ。


 リオレイルは屋敷にいるであろう、愛しい妻を想った。

 グレイシアも聖女の力を持っている。昔、その力を暴発させた彼女は、リオレイルに眠っていた魔力を呼び起こした。その強大な力を封印された彼女は聖女になるだけの力を失ったが、()の彼女は神聖女に認められるだけの力を有している。


 グレイシアにはこの件を知らせるわけにはいかない。

 彼女の事だ、自分も行って戦うときかないだろう。浄化の力を惜しげなく使うに違いない。そんな事をさせるわけにはいかなかった。


 そんな事を考えるリオレイルの背が、ちりちりと焼けつくように痛んだ。

 昔、”忌人”にやられた場所が、黒い痣となって残っている。もう”穢れ”もないのに、今日は幻痛をひどく感じた。


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