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Call me, Call you.(1)

 報告したいことがあるからと、私は涼葉ちゃんをご飯に誘った。

 涼葉ちゃんもお仕事が忙しいのに、次のお休みには早速駆けつけてくれた。


 そして顔を合わせるなり言われた。

「どうだった? 上手くいった? もう付き合ってるの? 何て呼び合うことにしたの? 手くらい繋いだ?」

「つ、繋いでないよっ」

 私は涼葉ちゃんの勢いに押されつつ、どうにかいきさつを説明する。

 今のところ、私と伏見さんは自己紹介をして、二人でちょっとだけお茶をして、連絡先を交換しあった。それだけの間柄だ。もちろん付き合ってはいない。

 だけどその合間に――何と言うか、お互いの気持ちがわかるようなことを言った。言い合った。

 多分、私は自信を持っていいのだろうし、不安になる必要は何もない。

 ただ自惚れてもいけなくて、彼が『こんな子だったんだ』ってがっかりするようなことがあれば、たちまちご縁も途切れてしまう。そういう微妙な段階だと思っている。

 上手くいった、とは言ってもいいのかな。言いたいなあ。


「だから、もっと頑張ろうと思うんだ」

 一緒に入ったカフェのカウンター席で、私は決意を新たにした。

「伏見さんともっと親しくなりたい。私のこと、好きになってもらいたい」

「そうそう、その意気だよ」

 隣に座った涼葉ちゃんも、にこにこしながら頷いてくれた。

 それから私の背中を軽く叩いてきた。

「でも、言った通りだったじゃん。脈あったでしょ?」

「う、うん。そうみたい」

 あれから何日か経ったのに、まだ夢を見ているみたいに実感がない。私がぎくしゃく頷くと、涼葉ちゃんはいよいよ勢いづいた。

「それで? それで? その伏見さんって人と、どんな話したの?」

「えっと……」

 カフェでご飯を食べながら、私はあの時のやり取りを掻い摘んで打ち明けた。

 伏見さんは二十六歳。フルネームは伏見桐梧さんで、どっちも植物の名前だって言ってた。ずっと東京の、この町で暮らしてて、お仕事は学校の先生。

「――先生?」

 そこまで聞いた時、涼葉ちゃんは目を瞬かせた。

「高校の先生みたい」

「へえ! やっぱ格好いい?」

「うん、私はそう思うけど」

 話しながら、私はすっかり記憶に焼きついた伏見さんの姿を思い出してみる。

 どこか中性的な顔立ち、さらさらの髪、色素が薄いせいで赤みが強いように見える不思議な瞳、細身の身体にぴったりと合った、皺一つないスーツ姿――あんな先生がいたら絶対に格好いい。

「生徒さんといるところも見かけたんだけど、人気あるみたいだったし」

 その言葉はなるべく平然と言おうと思ったのに、涼葉ちゃんには速攻で突っ込まれた。

「そりゃ心配だね、桜ちゃん」

「ま、まあね」

 でも伏見さんは、私のことを教え子だとは思ってない。って言ってくれた。

 だからそこは余計な心配だ。わかっていても気にはなるけど、あんまり考えないようにしよう。

「そっかあ、先生かあ」

 涼葉ちゃんが頬杖をつく。

 何かを思い出そうとするみたいに、視線をカフェの遠くの壁へ投げた。それからぽつんと言った。

「実はさ、私も高校時代の好きな人、先生だったんだよね」

「えっ、そうなの? 何か意外!」

 今度は私が速攻食いついた。

「涼葉ちゃんの好きだった先生ってどんな人? 格好よかった? 告白した?」

 途端に涼葉ちゃんはめちゃくちゃ照れ始めて、

「いや、昔の話だからね。そりゃもちろん格好よかったけど」

 なんて言いながら手を振る。


 私と涼葉ちゃんは大学時代に知り合ったので、私は彼女が高校生だった頃のことを知らない。

 ただ私と比べてしっかり者の涼葉ちゃんは、男の子を見る目もかなり厳しかった。大学時代は同期の子の何人かに告白されてことごとく振ったと言っていたし、ゼミの飲み会で私が酔っ払った男子に絡まれた時は、見事に撃退して私を助けてくれた。

 だからそんな彼女が高校時代、先生に恋していたと聞くと、何だか納得できてしまう。

 涼葉ちゃんからすると同世代の男の子は、ちょっと子供っぽく見えるのかもしれないな。


「告白なんて、とてもじゃないけどできなかったよ」

 懐かしむような表情で、涼葉ちゃんがしみじみ語る。

「新卒の先生だったんだけどね。休み時間とかいつも女子に囲まれてて、私なんて話す機会も全然なくて。でも一回だけ、文化祭の時に話せるチャンスがあったんだ」

 文化祭という単語も、久し振りに聞いたような気がした。私まで懐かしくなってくる。

「キャンプファイヤーの時に私、仲いい友達とはぐれちゃって。その時、先生が一緒にいてくれたんだ」

「わあ、青春!」

 私が思わず声を上げると、肘で小突かれた。

「茶化すな。……いろいろ相談にも乗ってもらえて、嬉しかったな」

「格好いいだけじゃなくて、優しい先生だったんだね」

「うん。結局、ちゃんと話せたのってその一回きりだったけど」

 キャンプファイヤーで先生と二人きり。すごくロマンチックなシチュエーションだと思うけど、涼葉ちゃんの恋は残念ながらそれ以上進展しなかったようだ。

「卒業式の後で話せないかなって思って探したけど、会えなくて、それきり」

 涼葉ちゃんはそこまで語ると、すっかり赤くなった頬に手を当てる。

「ああもう、今日は桜ちゃんの惚気を聞こうと思ってたのに!」

「さすがに惚気られるだけの報告はないよ」

 私は笑いつつ、またしても伏見さんのことを考える。

 きっと彼の学校にも、涼葉ちゃんみたいに彼に憧れている生徒がいるんだろうな。そのことを考えると、やっぱり胸が苦しくなる。涼葉ちゃんの一途な気持ちを聞いた後だから尚更だ。

「……でも、新卒だったんだよね。あの先生」

 不意に、涼葉ちゃんが呟く。

 私が隣に視線を向けると、彼女もこっちを向いてはにかんだ。

「先生と同い年になっちゃったなあと思って、私」

「そういえばそうだね」

 そういえばというのも変な話だけど、私はもう二十三だし、涼葉ちゃんももうじき誕生日が来る。私達は揃って新卒の社会人であり――涼葉ちゃんが憧れていた先生と、ちょうど同じ年になった。

 高校時代、先生は当たり前だけど全員が年上で、大人で、すごく頼りになる存在だった。私は涼葉ちゃんみたいに先生を好きになったことはないけど、部活の顧問が若い女の先生で、相談に乗ってもらったこともあった。憧れだったな。

 だから今、あの先生がたと同じように大人になったということが、まだ信じがたかったりする。

「私、あんまり大人になれた気がしないなあ」

 率直な思いを打ち明けたら、涼葉ちゃんもころころ笑った。

「私も! あの頃の先生に追いつけたなんて全然思えないよ」

 だけど私達はもう大人で、社会人で、あの頃お世話になった先生がたと同じだ。

「大人になんないといけないよね」

 私は、何となくぼやいた。

 隣で涼葉ちゃんも頷く。

「そうだね。ホームシックになってる暇もないよね」

 意外な言葉が彼女の口から飛び出して、私はちょっとどきっとした。

「え、涼葉ちゃん帰りたくなっちゃった?」

「ちょっと、先生に会いたくなって。今なら印象違うかもしれないし」

「それだとホームっていうより、母校シックだね」

「確かにね。家に帰りたいってわけではないし」

 そう言って笑う涼葉ちゃんは、その先生のことがまだ好きなのかもしれない。

 今の、二十三歳になろうとしている涼葉ちゃんと会ったら、その先生はどんな反応をするんだろう。見てみたいし、涼葉ちゃん憧れの先生にもちょっと会ってみたい。

「桜ちゃんの好きな人、二十六って言ったっけ」

 私が勝手な想像を膨らませていたら、涼葉ちゃんが話を戻してきた。

「う、うん。そう聞いたよ」

 年齢を教えてもらった時に驚いたら、『老けて見える?』なんて聞かれたっけ。

 もちろんそんなことはないけど、私と三つしか違わないようには見えないかもしれない。私の方が子供っぽいだけだけど。

「じゃあ、先生より若いんだ」

 涼葉ちゃんは呟いて、それから私に肩をぶつけてきた。

「きっと桜ちゃんは上手くいくよ。だって歳近いし、先生と生徒じゃないもんね」

 くしくもそれは、伏見さん自身からも言われていたことだった。

 私も、そう思う。思いたい。彼にとっての私は教え子じゃない。たったの三つしか違わない、大人同士だ。

「頑張るよ、私」

 改めて誓った。

 絶対、伏見さんに私を好きになってもらうんだ。

「頑張って、桜ちゃん。応援してるよ」

 涼葉ちゃんもにやにやしながら背中を押してくれた。

「それで、次に会う時こそ惚気話を聞かせてね!」

「む、無理だってば! 涼葉ちゃんこそ、もっと先生のこと聞かせてよ!」

「私のは惚気じゃないから、だーめ」

 そう言って笑う涼葉ちゃんが、その時ちょっと、大人っぽく見えた。


 私も大人にならなくてはいけない。

 そして頑張ると言ったからには、有言実行しなければならない。


 伏見さんとはあれからも、朝のホームでほぼ毎日のように顔を合わせていた。

 どんな朝でも、例外なく人でごった返している小田急線のホームで、私はいつも真っ先に彼の姿を探す。

 彼の方も私を待ってくれているようで、大抵は階段近くに立っていて、こちらに気づくと手を挙げる。

「おはよう、桜さん」

「あっ、おはようございます、伏見さん」

 名前を呼ばれて挨拶を返すと、彼の顔に明かりが点ったような微笑が浮かんだ。

「今朝も会えてよかった」

「えっ、あ、あの――」

 向けられた微笑みと予想外の言葉に、私は思いきり動揺した。

 確かに私もそう思ってたけど――伏見さんに言われると、息ができなくなる。

「わ、私もです……」

 ぼそぼそと返事をしてみたものの、混み合うホームの中で消えかかった声が、果たして彼にちゃんと届いたかどうか。

 恥ずかしくて俯けば、頭上で彼が少し笑った、ように聞こえた。


 頑張ると言っても、いざ彼を前にすれば何から頑張っていいのか、わからなくなるけど。

 でも不安になることはない。それだけはちゃんとわかってるから、大丈夫。

 電車の中でも話せたらいいな。そう思って顔を上げた時、ちょうどホームには白い車体に青いラインの電車が滑り込んできた。

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