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With me, With you.(5)

 私たちは、その後もソラマチを見て回った。

 夕飯を食べてから帰ろうと話してはいたけど、何時頃に帰るのかという話はしなかった。

 多分、お互いに名残惜しくなっていたんだと思う。帰りの時間なんて考えたくなかった。


 二人で過ごす時間はとても楽しかった。

 私はまだ恥ずかしくて、なかなか伏見さんの顔が見られない。そういう時に、適当にぶらつけるショッピングモールの賑やかさはちょうどよかった。手を繋いで歩きながら、いろんなお店を見て回りながら、二人でぽつぽつと話をした。

「そういえば、伏見さんに聞きたいことがあったんです」

 ふと思いついて切り出したのは、二人で食品サンプルが並ぶテナントを見ていた時だった。

 四角いクッキーのキーホルダーを手に取った彼が、私に小首を傾げてみせる。

「質問ならいつでもどうぞ」

「あっ、その言い方。すごく先生っぽい」

 私が笑うと伏見さんもつられたように笑ってくれた。

「職業病かな。でも君になら、何だって答えるよ」

 嬉しいお言葉に甘えて、早速尋ねてみることにする。

「伏見さんって、何の先生なんですか?」

 この聞き方はそれこそ生徒みたいに子供っぽかったかもしれない。

 つまり、担当教科を聞きたかったわけなんだけど。

「あれ、話してなかった?」

 伏見さんはそう言ってからふと、いいことでも思いついたような顔になる。

「桜さんは、何だと思う?」

「クイズですか?」

「そう。生徒には、他の教科は考えられないとよく言われるよ」

「ええと、そうですね……」

 以前、一人で考えてみたことがある。

 本を読むのが好きで、自前のブックカバーを持ち歩いていて、『坊っちゃん』がすらっと出てくる伏見先生は、やっぱり――。

「国語の先生、ですか?」

 私がそう答えるって、伏見さんはわかっていたみたいだ。くすくす笑いながら頷いた。

「当たり。やっぱりわかるものかな」

「ぴったりですもん。話し方もどことなく、国語の先生っぽいですし」

 論理的っていうのかな、筋道立てて話してくれる感じ。

 言葉の一つ一つを大切にしているところも、それっぽい。

「でも、他の教科の可能性も考えてたんですよ」

「へえ。例えば?」

「理科の先生とか。白衣が似合いそうかな、って」

「それは初めて言われたよ」

 伏見さんが目を丸くしたので、私は慌てた。

 もちろんいい意味で言ったんだけど――白衣が似合う男性なんて、女の子からすればそれはもう『格好いい』という意味合いでしか言わないんだけど、男の人からすると変に思えるかもしれない。

 それで取り繕おうと、もう一つの可能性も口にしてみた。

「あ、あとはその、英語の先生もありかなって」

「それは、どうして?」

 どこか面白がっているみたいな調子で伏見さんが聞き返す。

 真っ直ぐに私を見るその瞳の虹彩は、人よりも色素が薄くて、赤味が強い。だから見つめられると、どきどきする。

「あの、瞳の色が……きれいだから、です」

 まさか、『その目に見つめられながら英語で話しかけられたらどきどきするからです』とは言えない。

 不自然に言葉を途切れさせた私を、伏見さんはしばらく怪訝そうに眺めていた。

 だけど直に、照れたような顔をして、こう言った。

「桜さんの心の中を覗いてみたいな。君には俺が、どんなふうに見えているんだろう」

「えっ」

 伏見さんがそういうのも無理はない。だけど、教えられない。

「とても、お見せできません……」

 答えてしまってから、これは語るに落ちたというやつじゃないかと思った。

 多分、伏見さんにもわかってしまったんだろう。彼は恥ずかしそうに目を伏せてから、口元をほころばせた。

「……可愛いな、桜さんは」


 このタイミングで! 可愛いって!

 私の方こそ、伏見さんからはどう見えてしまってるのか知りたすぎます――でも知ったら知ったで、やっぱり、恥ずかしいのかな。

 でもそういうのが、幸せでもあったりして。


 夕飯を食べた後、私たちは名残を惜しみつつスカイツリーに背を向けた。

 夜の小田急線に乗り込んだのは午後九時過ぎ。今日は生まれて初めてロマンスカーに乗った。ふかふかの座席に腰を下ろすとさすがに疲れが込み上げてきたけど、人混みをいっぱい歩いた疲労感ですら募る切なさには敵わなかった。

 伏見さんと、もっと一緒にいたかった。

 もちろんそれは無理な話だ。伏見さんだって疲れているだろうし、引き止めるのも悪い。最初のデートでわがままを言って、困らせるのもどうかと思う。

 だけど、電車が走り出すと無性に寂しくなった。


「今日、すごく楽しかったです」

 座席に並んで座りながら、私はぽつりとそう告げた。

 彼は初めてロマンスカーに乗る私に、窓側の席を譲ってくれた。だけど夜の車窓はどこか物寂しくて、とっぷり暮れた山中の景色も、通り抜ける駅や街の明かりも、切なさを掻き立てる役割しか果たさなかった。

「俺もだよ。本当にありがとう」

 伏見さんの声は優しい。

 今でも手を繋いでくれていて、私はそれを幸せに思う。この手をもうすぐ離さなくちゃいけないのが寂しい。もっと一緒にいたい。聞きたいこと、話したいこともたくさんあるのに、残り時間の少なさを思うとなぜか言葉にならない。

「帰りたくないな……」

 私は、思わず呟いた。

 呟いてしまってから、あたふたした。

「あ、あの! 今のは違うんです、そういう意味じゃなくて!」

 伏見さんはびっくりしたように私を見ていたけど、弁解を聞くと納得した様子で笑っていた。

「わかるよ。離れがたいってことだろ」

「そ、そうです。すみません、変な言い方しちゃって……」

「別に変だとは思わなかったよ」

 彼はかぶりを振った後、繋いでいた私の手を両手でそっと包み込む。

 一日中繋いでいたのに、まだ慣れない男の人の手の感触。どぎまぎする私に、彼が続ける。

「俺も同じように思っている。離れがたいし、帰したくない」

 当然それは『そういう意味』ではないんだろうけど、言われた瞬間、胸がきゅっとなった。

 一人で頬を火照らせる私に、伏見さんは優しい声音で言った。

「だから、また会おう」

「……そうですね」

 私は頷く。

 デートの終わりに次の約束ができたら、それはとても幸せなことだ。好きな人に、また会いたいと思ってもらえるのもいいことだ。

 伏見さんの言葉が、今の私にはすごく嬉しかった。

「もうすぐ夏休みですけど、先生には夏休みってあるんですか?」

「夏季休暇はあるよ。お盆辺りに五、六連休ってところかな」

「私と同じくらいなんですね」

 言われてみれば、夏休みに部活で登校した際、顧問以外の先生の姿もちらほら見かけていた。生徒たちが夏休みを謳歌している間も、先生たちはお仕事なんだ。

 確かに生徒と同じように夏休みを取ってたら、七月八月のお給料がぐっと少なくなっちゃうか。

「その頃って、何かご予定ありますか?」

「お盆に実家へ帰るくらいかな。市内だから日帰りだ」

 伏見さんはそう答えた後、私の顔を覗き込んで尋ねる。

「桜さんは?」

「私もお盆休みがあるんですけど、まるまる空いてるんです」

 涼葉ちゃんと、地元に帰るのはお正月まで我慢しようと話していた。

 早々に帰っちゃったら地元から離れがたくなるかもしれない――そう思ってのことだったけど、今ならどうかな。伏見さんに会いたくて、早くこっちに戻りたいって思うかもしれない。我ながら現金だなあ。

 そんなふうに思えるようになるなんて、春先には想像もつかなかった。

 本当に、伏見さんを見つけられて、見つけてもらえて、よかった。

「じゃあその頃、どこか行こうか。どこに行きたい?」

「そうですね……今度は東京タワー行っちゃいます?」

「いいな。東京をもっと歩いてみようか」

「はい、是非」

 今日、スカイツリーから見下ろしてみて、改めて実感した。

 東京は大きな街だ。二十年以上暮らしている伏見さんですら、歩き尽くせてないというほどだ。私が歩き尽くすのだって何年かかるかわからない。その大きさを途方もなく、心細く思ったこともあった。

 だけど伏見さんと一緒なら、この大きな街を楽しんで歩ける。

 二人で歩いていけば、まだ知らない東京をもっと知ることができるだろう。


 それから伏見さんのことも――もっと、知ることができるかもしれない。

 この街で、私が好きになった人。

 今日からは、つまり、彼氏っていうことになるのかな、なんて。


 ロマンスカーを降りた後、伏見さんはバス停まで送ると言ってくれた。

「本当は部屋まで送りたいけど」

 彼はそう言ってくれたし、私もその気持ちは嬉しかったけど、さすがにバスにまで付き合ってもらうわけにはいかない。

 駅からバス停までの道を、名残を惜しみながらゆっくり歩いた。

 駅舎こそ人が多かったけど、バスターミナルに続く通路は人気があまりなかった。前に二人で立ち寄ったコーヒーショップはまだ営業中で、外から見るとほんのり明かりが点っている。お客さんの姿は見えない。

「前にここ、来ましたね」

 私が言うと、伏見さんは頷いた。

「初めて夜の新宿駅で会った時だな」

 あの夜まで、私は彼の名前すら知らなかった。

 あれから一ヶ月、私たちは一緒にいる。

「桜さん」

 バス停に続くエスカレーターを下りようとした時だ。その手前で、伏見さんが私の肘を掴んだ。

「え?」

 何だろうと足を止めた私を、彼の腕が引き寄せた。ぎゅっと抱き締められて、私は彼の胸に顔を押し当てたまま呆然としていた。あまりに急なことで、どうしていいのかも、どうしてこうなったのかもわからなくて――まごまごしていたら私の額に一瞬、彼の唇が触れた。

 思わず顔を上げれば、私を見下ろす伏見さんは、どこか気まずげに呟いた。

「……早く、また会いたいな」

 その声が酷く寂しそうに聞こえて、私もいても立ってもいられなくなる。

 半ば衝動的に、いつぞやの電車の中みたいに、彼にぎゅっと抱き着いた。


 東京の片隅。あれだけ大きな街の中にいるのに、この数秒間だけ、ここには私たちしかいなかった。

 別れを惜しむように短く抱き合った後、お互いにはにかむ。

「また会いましょうね、伏見さん」

「ああ、必ず連絡する」

 デートの最後に次の約束ができたら、幸せだ。

 好きな人と少しの間離れることになっても、次の機会にはまた一緒にいられる。

 だから、ほんのちょっとしか寂しくない。

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