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With me, With you.(1)

 六月に入るとすぐ、私は涼葉ちゃんと服を買いに行った。

 もちろん、伏見さんとの来たるデートに備えてのことだ。


「これはもはやただの買い物じゃない。作戦会議だよ!」

 とは、涼葉ちゃんの言葉だった。

「初めての私服見せ。ここで初デートの全てが決まると言っても過言じゃない!」

「そうだね涼葉ちゃん!」

 私も全くそう思う。

 いつものスーツと違って、私服には個性が出る。普段、どんな服を着ているかで人となりまでわかってしまうものだ。学生時代だって、制服の時は可愛い友達が私服だとびっくりするほど大人に見えた、なんてこともよくあった。

 だから私も、私服で伏見さんをびっくりさせたい。

 もっと言うなら、どきっとしてもらいたい。

 なぜって、私の方は私服の伏見さんにどきどきしちゃうって、見る前から既にわかってるからだ。

 見たことないけど絶対、格好いいに決まってる。だって伏見さんだから。

「桜ちゃんなら、やっぱ清楚なお嬢様風がいいと思う!」

 涼葉ちゃんは自分のことみたいにはしゃいで、そう言った。

「いや、私、清楚って柄じゃないよ」

 照れつつ反論したら、大げさに眉を顰めてみせる。

「そんなことないって。桜ちゃんは絶対そっち系似合うから!」

「そ、そっかな。えへへ……」

 断言されちゃうとやっぱり嬉しい。清楚かあ。見た目だけでもそう見えてたらいいな。

「それに、話聞く限りじゃ真面目そうな先生みたいだし」

 涼葉ちゃんはどこか得意そうに弁舌を振るう。

「大人の色気で迫っても無理だと思うんだよね、そういう人は」

 いや、私にそもそも大人の色気があるとは思えないんだけど――もう二十三なのに、ちっとも備わってこない。一体いくつになったらやってくるんだろう。

 ともかくも、ないならないで、あるものを伸ばす方が早い。伏見さんが大人の色気とかそういうのを好きそうに思えないのも確かだ。もし、実は好きだったりしたら困るけど。

 そうじゃなくて、私みたいな女の子が好みだったら、嬉しいな。


 そこで私と涼葉ちゃんは清楚道を極めるべく、それらしい服を見て回った。

 東京はお買い物には不自由しない街だ。すぐにお目当ての服も見つけられて、二人できゃあきゃあ言いながら選んだ。

「桜ちゃんなら、やっぱピンクを着ないとね」

 涼葉ちゃんが強力に推してくれたのは、淡いピンクのレースカーディガンだ。レース部分だけが白いのがすごく可愛いし、ぷくっと丸い半袖なのもいい。スカートはふんわりした白のチュールスカートで、いかにもデートに行くみたいな甘めコーデになった。

「だ、大丈夫かな。可愛すぎない?」

 気合入りすぎて引かれないといいけど。今になって恐れをなす私に、だけど涼葉ちゃんは胸を張る。

「大丈夫だって! デートで可愛すぎて困ることなんてないじゃない」

「そうだけど……」

「それに、桜ちゃんが可愛いって一番思ってるのは彼のはずでしょ?」

 涼葉ちゃんがとんでもないことを言い出したので、私は店先にもかかわらず慌ててしまった。

「す、涼葉ちゃんっ」

「何赤くなってんの。可愛いって思ってなきゃ、デートなんてしないよ」

 そう言って、涼葉ちゃんは私の背中をぽんと叩いた。まるで勇気づけるみたいに。

 いいお友達だなって、本当に思う。

 そしてほんのちょっとだけど、自信がついてくる。私もそう思う。思いたい。伏見さんが私を、可愛いと思ってくれますように。

「ありがとう、頑張ってくるね」

 改めてお礼を言うと、涼葉ちゃんも嬉しそうに頷いてくれた。

「うん。頑張って、告って、撃ち落としといで」

 そうだ。今日が作戦会議の場なら、デート当日はまさに決戦の日だ。

 私は、伏見さんに告白をすると決めていた。


 デート当日はあいにくの薄曇りだった。

 梅雨に入った六月、朝から雨降りじゃないだけでもラッキーだったのかもしれない。念の為に折り畳み傘を持って、私はアパートの部屋を出た。


 待ち合わせ場所はいつもの駅のホームじゃなくて、駅前の広場だ。

 そこにちょっと変なモニュメントがあって――どなたかの作品らしいから『変』というと失礼だろうけど、常にぐるぐる動いてて、やっぱりちょっとだけ変なモニュメントだ。その前で落ち合う約束をしていた。

 ここはよく待ち合わせに使われる場所みたいで、私以外にも立ち止まっている人が何人かいた。


 約束の、三十分前。さすがにちょっと早く来すぎた。

 改めて今日の服装を見下ろしてみる。この間、涼葉ちゃんと選んだピンクの半袖カーディガン。温い風に揺れる膝丈の白いチュールスカート。足元はいっぱい歩くのに備えて、ヒール低めの夏靴にした。スカイツリーのある押上までは乗り換えも随分あるようだから、足が痛いなんて音を上げるわけにはいかない。

 夏らしくポニーテールにしてみたら、束ねた毛先がうなじに触れてくすぐったい。

 緊張はしてる。当然だ。好きな人とデートなんだから。

 だけど、同時にどきどきもしてる。

 これは当然、いい意味のどきどきだ。これから始まる時間が楽しみで、嬉しくて、幸せで仕方がなかった。


 伏見さんは、約束の二十分前に現れた。

 歩いてくる姿を見ただけで、すぐに彼だってわかった。雑踏の中でも目を惹く姿勢のよさと、お休みの日でもあまり変わらない静かな空気をまとってこちらへ歩いてくる。

 今日の彼はネイビーのシャツと白いパンツという夏らしい服装だった。スーツ姿しか見たことがなかったから、シンプルな気合わせでも十分新鮮だった。半袖のシャツから覗く男の人らしい剥き出しの腕も、骨張った手首に光る普段使いとは違う腕時計も、足元を飾るコンバースのスニーカーも、手に提げているトートバッグも――何でもない小物使いにすらどきっとしてしまう。

 私服の伏見さんって、こんな感じなんだ。

 彼の方も私にすぐ気づいて、ぐるぐる動くモニュメント前まで駆けてきてくれた。

「おはよう、桜さん。早く来てくれてたのか」

「は、はい。ちょっと気が急いちゃって」

 朝なんて五時起きだった。午後一時の約束だからそんなに早く起きる必要なんてないのに。お蔭で午前中はずっとそわそわしながら過ごしてしまった。

 浮ついた気分が顔にも出ているんだろうか。伏見さんは私を見て、少し気遣わしげに微笑んだ。

「ごめん。あまり待たせてなかったらいいんだけど」

「全然待ってないです! 早くって言ってもちょっとだけですから!」

 よくよく考えれば、たったの十分しか待ってない。

 だって、伏見さんが来たのも約束の二十分前だ。

「伏見さんこそ、早めに来てくれたんじゃないですか?」

 私が聞き返すと、彼は照れたようにはにかんだ。

「実は、俺も気が急いて。こっちで待てばいいやと思って、早く来た」

「あっ、じゃあ私と一緒ですね」

 どうしよう。こういうの、すごく嬉しい。

 私がそわそわしていたのと同じように、伏見さんも待ち切れないと思っててくれたなんて。

「お互い考えることは同じみたいだな」

「ですね、本当に……」

 そういう気持ちの一致はすごく嬉しいのに、同時に何だか恥ずかしい。

 ただでさえ初めてのデートで、楽しみだけど落ち着かないって言うか、緊張してどうしていいのかわからないのに。どきどきしすぎて心臓が破裂しそうだった。

 でも、そんな私に、

「その服、可愛いな。桜さんによく似合ってる」

 伏見さんが、そう言ってくれた。

 今日の為に買ってきた服だ。一番誉めてもらいたいポイントもそこで、だから伏見さんが言及してくれたことは本当に、飛んでいきそうなくらい嬉しい。

 可愛いって! 言ってもらえたよ、涼葉ちゃん!

「あ、ありがとうございます……!」

 弾け飛びそうな内心とは裏腹に、感謝の言葉は消え入りそうな弱々しさになる。

 だけど言われっ放しじゃ格好つかない。そう思った私は顔を上げ、今度は伏見さんに告げた。

「伏見さんも、今日の服、すごく素敵です」

 私が誉めると、伏見さんはびっくりしたように色素の薄い瞳を瞠る。誉められるとは思っていなかったようで、笑いながら応じた。

「ありがとう。私服を誉められたのは初めてだ」

「えっ、そうですか? シンプルでいいと思います」

「地味すぎるってよく言われる」

 確かに、地味と言えば地味かもしれない。中性的な容貌の伏見さんには、もっと手の込んだおしゃれも似合うかもしれない。

 でも今日の飾り気のなさこそが、伏見さんの――何と言うか、素材のよさを引き立てていると思う。

「伏見さんは元々がすごく格好いいですから。シンプルでいいんです」

 私は勢い余って断言した。

 それにも伏見さんは驚いたようで、やっぱり目を見開いていたけど、すぐに明るく笑ってくれた。

「桜さんは誉め上手だな。この服にしてきてよかったよ」

 喜んでくれてる。私も、よかった。

 私はどきどきする胸を撫で下ろし、それから伏見さんに頭を下げた。

「えっと……今日は、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」

 伏見さんも軽く会釈をしてから、どこか楽しげに言う。

「じゃあ、そろそろ行こうか。ひとまず代々木上原まで出よう」

「はい!」

 私達はモニュメント前から、肩を並べて歩き出す。

 向かう先は、いつもの小田急線のホームだ。


 改札を抜けてホームへ出ると、今日もやっぱり人が多かった。

「小田急線はお休みの日も混んでますよね」

「そうだな。空いてるのは遅い時間だけかもしれない」

 前に、二人で九時過ぎの下り電車に乗った時は、座席に並んで座れるくらいには空いていた。

 だけど空いてる小田急線を見たのは本当に、その時だけだ。あとはいつでも混み合ってて、今日もホームには次の電車を待つ行列ができていた。

「各停なら空いてるけど、あれに乗って代々木上原まで出るのは辛いからな」

 私達が並ぶホームの真後ろを振り返り、伏見さんが言う。

 そこにはちょうど着いたばかりの各駅停車新宿行きが停まっていたけど、車内はがらがらで空席が目立っていた。でもいくら座って行けるとは言え、快速急行だって長いな、遠いなって思う距離を各駅停車で行ったらどのくらいかかるか。想像もつかない。

 空席だらけの各停が走り去った後もしばらく待っていれば、こちらのホームにも電車が到着した。残念ながらこちらはドアが開く前からぎゅうぎゅう詰めなのがわかるほどで、毎朝の通勤とさして変わらないようだった。

「やっぱり、混んでますね」

 私が言うと、伏見さんは小さく頷いてから、

「はぐれると困るから、手を繋いでもいいかな」

 こちらに手を、差し出してきた。

 関節が目立つ、男の人らしい伏見さんの手。

 突然のことに私はうろたえた。電車はもう来ているし迷っている暇もなくて、『お手』みたいに自分の手を乗せるのがやっとだ。

「ありがとう。離さないから、安心して」

 伏見さんは私の手を握ると、列の後に続いて電車に乗り込んだ。

 当然、私も手を引かれるがまま、すし詰めの電車の中に入っていく。何も言わなかったけど――言えなかっただけだけど、すごくどきどきしている。


 いつもの混雑ぶりを見せる小田急線は、だけど確実に、いつもと違っていた。

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