(8)今は前に進もう
保の父の死亡時期が間違っていましたので訂正します。
2年前→3年前
(陽菜子視点)
エリカちゃんが上履きに落書きをした人たちを教えてくれました。いつも私の様子を笑いながら見ていた3人の女子です。
私の真っ白な上履きを見て、それ以上に髪を切った私の顔を見て、驚いて顔を見合わせていました。
その後、彼女たちの“悪戯”はあっさりと終わりました。エリカちゃんの魔力感知? で彼女たちが私の新しいノートに落書きをしているちょうどその時を察知して、その場に踏み込んだのです。吉田先生に立ち会ってもらいました。
彼女たちは誤魔化そうとしていましたが、先生に諭されて、ふてくされながらも私に謝りました。
吉田先生には事前に相談し、落書きされた教科書等を見てもらっていたのです。
その後、彼女たちからの嫌がらせは無くなりました。彼女たちはそれぞれ先生方から個別指導を受けているそうです。
先生方には「君にも彼女たちにも先生に相談して良かったと思ってもらえるように頑張るよ」と言われました。少し落ち込んでいる担任の先生にも元気を出してほしいと思います。
私はいったい何を怖がっていたのでしょうか。
閉じ籠っていた狭苦しい殻を壊してみたら、外にはもっと広い世界がありました。
先生に“言いつけた”私は他のクラスメートたちに嫌われるかもしれないと思って、覚悟はしていました。
でも実際は、嫌悪感を持つ人は少数で、好意的に受け止める人もいたのです。私に対して罪悪感を持っている人もいました。でも、大多数は無関心でした。
この辺のみんなの感情の動きは、ルール違反のようですが、エリカちゃんの魔力感知で教えてもらいました。
1人1人の心の中を教えてもらったわけではなく、あくまでも、“こういう人もいる”という形で。
みんなの私に対する目は変わりましたが、すぐに友人関係が変わるわけでもありませんでした。ただ、1人だけ、私に対する態度が大きく変わった人がいました。
安藤義高君です。
安藤君は以前のように皆の前で私に話しかけてくることをしなくなりました。時々私の方を見て、少し辛そうな顔をしています。
心配になってエリカちゃんに尋ねてみたら、安藤君の心の内を占めているのは、主に罪悪感だそうです。
(もしかしたら、陽菜子の事故の前に、あの時の話を陽菜子が聞いてしまったと気づいたのかもしれないわね)
事故のタイミングから推測したのか、あの場から逃げ出す私の姿を誰かが見ていたのでしょうか。
でも今の私は、あの時の安藤君の言葉にどうしてあんなにも傷ついてしまったのかわからなくなっていました。今安藤のおじ様に出会ったら、私はまっすぐおじ様の顔を見ることができると思います。
たぶんおじ様ではないとは思いますが、エリカちゃんの“真実の愛”の相手がどこにいるかわからないのですから。
安藤君には悪いのですがエリカちゃんと私には彼に構っている暇はありません。何か私に言いたいことがあるのなら、はっきり言葉にして言ってほしいと思います。
美容室に行って以来、エリカちゃんも私も美容に興味を持つようになりました。
さっそく調べてみたのですが、美容師というのはとても大変なお仕事のようでした。
美容師は国家資格です。多くの人は美容室でアシスタントとして働きながら専門学校に通い、知識と技術を身に付けて国家試験を受けるのだそうです。
資格を取ったあともアシスタントとして先輩たちから技術や接客を何年も学び、一人立ちしていくのです。
お店が終わったあとやお休みの日も自分の技術を磨く時間に当てるので、まさに美容一筋の生活です。
私は渡辺さんたち美容師の皆さんを心から尊敬できると思いました。
(これは、体力がいるわね)
エリカちゃんの言う通りです。入院してすっかり体力が落ちてしまった私は、まず朝のラジオ体操から始めることにしました。エリカちゃんはこの体操をすっかり気に入ったようです。
お祖父様とお祖母様も一緒に体操をするようになり、いつの間にかラジオ体操は我が家の朝の習慣になっていました。家政婦のミキさんや運転手の松田さんも参加しています。
エリカちゃんのことで、少し気になることがありました。
退院後の登校初日にぶつかりそうになった吉田保君のことをよく目で追っているのです。なにしろ1つの体に同居しているわけですから、エリカちゃんが見る物は私も見ることになるので間違いありません。
吉田君は隣のクラス、1年1組の生徒で、養護教諭の吉田先生とは義理の親子だそうです。
保君を産んだお母様は早くに亡くなり、お父様が保君を男手1つで育てていたところ、5年前に吉田先生と出会い、再婚したのだそうです。ところが3年前、お父様が事故で亡くなってしまって、今は2人暮らしなのだと吉田先生が話してくれました。
いじめの相談以来、時々お昼休みは保健室で吉田先生とお弁当を食べているのです。お祖母様の手作りのおかずと先生のお弁当のおかずを交換したりしています。
先生のお弁当が保君の作った物だと聞いてびっくりしました。私もお祖母様にお料理を習いましょうか。エリカちゃんはきっと喜ぶと思います。
エリカちゃんが教室の窓から校庭を見ています。1組が体育の授業をしていました。エリカちゃんの視線の先には吉田保君がいました。
(吉田君が気になるの?)
(そうね、ある人に似ているのよ)
エリカちゃんの答えはとても寂しげでした。ある人というのは、2度と会えない人なのでしょうか? なんだかそんな気がしました。
エリカちゃんがそのまま消えてしまいそうで、私はその時、できることなら彼女を抱き締めてあげたいと思ったのでした。