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(7)秘密の呪文

勇者の年齢がわかりにくいというご指摘をいただき、少し説明を入れました。

ご指摘、ありがとうございます。

 6月も半ばになる頃、陽菜子ひなこは学校に通えるようになった。




 少し早めに学校に着いた陽菜子 (とエリカ)は陽菜子の上履きを前にしてため息をついていた。


 白い上履きは全面に落書きされていた。かなり品の無い言葉も書かれている。




 話し言葉だけでなく文字の読み書きにも不自由しないことにエリカは喜んでいたのだが、こんな品の無い言葉まではわからなくても良かったのに、と女神様の親切にちょっぴり文句を言いたい気持ちになった。




 残留魔力で、落書きの犯人は同年代の女の子たちであることが読み取れる。


(相手の魔力は覚えたわ。会えば、誰がやったかわかるわよ)


 陽菜子は(なんだか警察犬みたい)だと思ったが言わないようにした。もっとも、考えただけでエリカには伝わってしまったかも知れないが。


 エリカはなぜか(ふふん)と少し得意そうなので、まあ大丈夫だろう。




 エリカは魔力感知で、見ている人間がいないことを確認し、上履きに浄化魔法をかけた。


(エリカちゃん、すごい! まるで新品みたい)


 落書きだけでなく汚れまでとれてまっさらになった上履きを履いて、


(良かったわね、落書きだけで。修復魔法は使えないから、切られたりしていたら直せなかったわ)





 まず、職員室の担任の先生のところに向かう。


 その手前の保健室の前でエリカは思わず足を止めた。保健室の中に2人の魔力。そのうちの1人の魔力には覚えがあった。





(まさか、まさか。でもこんな、これではまるっきり…………)


 保健室の引き戸が開いて、中から小柄な男子生徒が出てきた。立ち止まっていたエリカとぶつかりそうになり、至近距離で2人、顔を見合わせるような体勢になった。


 エリカは目を見開いた。


「小さい」


 思わず出てしまったエリカの呟きはすぐ目の前にいた相手にははっきり聞こえてしまった。


 目の前の男子の顔が瞬時に真っ赤になる。


「いきなり失礼な奴だな! 言っとくけど、俺は小さいんじゃない。成長途中なんだ。あと2年もしないうちにでかくなるから見てろ!」


 知っている。15歳のこの人は筋肉の厚みはともかく、少なくとも身長では大人の人たちにも負けていなかった。


 エリカは呆然として目の前の男の子を見つめていた。





「こおらっ! 廊下で騒いではいけません。女の子に喧嘩を売るんじゃないの、たーちゃん」


 エリカははっとして、いつのまにかすぐそばに来ていた女性の方を見た。


(たーちゃん)


 30歳前後だろうか、白衣を着た優しそうな女性だった。


(エリカちゃん、この人は養護教諭の吉田先生よ)





 男の子はふくれっつらで吉田先生に文句を言っている。


「学校でたーちゃんはやめてください。吉田先生」


「それは大変失礼しました。吉田保よしだたもつ君」


 にこやかなやり取りには2人の間に通い合うあたたかい気持ちが感じられた。




 吉田先生は陽菜子の顔を見て目を丸くした。


「もしかして、村上さんよね。学校に来られるようになったのね。良かったわね」


 陽菜子の肩を抱くようにして涙ぐんだ。


「髪を切ったのね。とてもよく似合ってるわよ」


 エリカは吉田先生からの魔力の流れを感じていた。喜びと陽菜子への気づかいにあふれて、心のあたたかい人だ。


(この人が、あの方が守りたかった大切な人。そして……)




 吉田保は少しばつが悪そうな顔をしていた。


「悪かったな。まあ、あれだ。治って良かったな」


 保は「じゃあな」と後ろ手に手をふって去って行った。


 彼の後ろ姿を見送るエリカは、少し混乱していた。


(あの人は……誰?)





 どういうわけか勇者の国にやって来ることができたエリカは、もしかしたら勇者様に会えるかもしれないと思っていた。


 そして、近くにいるならすぐにわかるだろうとも思っていた。なにしろ勇者の魔力はとんでもなく目だつのだ。


 その大きさも、力強さも、まるで太陽の様だとエリカは思ったものだ。




 吉田保の魔力は、陽菜子のものと変わらないくらいの大きさしかなかった。エリカの魔力よりもずっと少ない。まるで魔法を使えない普通の人だ。


 しかし、その魔力の質に、魔力の色に、エリカは覚えがあるのだ。あの魔力は間違いなく勇者様。




 先ほど思わずエリカが呟いてしまった「小さい」という言葉は、つまり彼の魔力のことを言った言葉だったのである。


 まあ、158cmの陽菜子よりも目線が低かった吉田保にエリカが戸惑ったのもたしかではあるが。




 ただ、誰よりも魔力感知能力にすぐれていた勇者様ならばエリカの魔力に気づかないはずが無いし、先ほどの浄化魔法を察知されないわけが無いのである。




 よく似た別人?


 いや、たとえ双子でもあそこまで魔力が似ることは無いだろう。


 それに、


(たーちゃん)


 それは、小さなエリカと勇者様、2人だけの秘密の呪文だったのだ。




 エリカの母は、エリカが5歳の時に亡くなった。


 ただ1人の拠り所を失ったエリカを、貴族の子供たちは容赦なくいじめてくれた。


 あの頃、エリカにはまだ“影の者”たちによる護衛は付いていなかった。


 いじめた子供たちも、それほどの大事になるとは思わなかったのだろう。




 ある日、小さなエリカが大切にしていた人形が部屋から持ち出された。必死で探すエリカの目の前で人形は池に放り込まれてしまった。


 あの人形はお母様が自分の古いドレスで作ってくださった物。


 エリカは池に飛び込んだ。そしてすぐに溺れた。


 水の中で必死にもがいていたエリカは、すぐに(これでお母様のところに行けるかもしれない)と思いもがくのを止めた。


 エリカが勇者様を元の世界に返さないと世界が滅ぶ?


 もう、そんなのはどうでも良いのではないかしら? 世界が滅んではいけないの?


 5歳のエリカは生きようと思う気力を手放そうとしていた。





 そのまま水の中に沈んでいくと思った時、いきなり力強い腕に水から引き上げられた。


 咳き込んで息ができないエリカをあたたかい魔力が包み込むと、嘘のように息が楽になった。服も髪も乾いて、水に落ちたことがまるでなかったことの様だ。




「ほら、これだろう?」


 呆然としているエリカの目の前に、前より綺麗になったお母様の人形が差し出された。


 はっと気づくとエリカは見知らぬ少年の腕に抱き上げられていた。少年は池の脇に立って、左腕一本でエリカをしっかりと支えていた。


(魔力がまぶしい)


 圧倒的な存在感だった。まるで、いきなり太陽がすぐそばに現れたようで。しかし、エリカを包む少年の魔力は温かく優しかった。


「みんな逃げてったぞ。酷いことするよな。こんな小さい子に」




 そのあと、転移魔法で少年の自室に連れて行かれ、エリカはこの少年が勇者であることに気づいた。


 勇者の専属侍女はエリカを見てあわてていたが、何も言わなかった。少年はエリカを美味しいお菓子とお茶でもてなしてくれた。




 何もしゃべらず無表情のエリカが、お菓子を口にして少し顔がほころんだのを見て、少年はほっとしたようだった。


 一緒にお茶をしながら、少年はいろいろなことを話してくれた。


 12歳の学校の入学式の日に勇者召喚されたこと。


 それから3年経って15歳になったこと。


 1つの戦いが終わって、次の戦場に行く前に、補給のために王都に戻って来ていたこと。





 エリカは何もしゃべらず、少年の話を聞いていた。


 少年はまるで普通の世間話をするように、エリカにいろいろな話をしてくれたけれど、明るい笑顔の奥にとても深い苦しみや悲しさを隠しているのが、魔力の揺らぎに敏感なエリカには感じられた。





「諦めるなよ」


 エリカがはっとして目を上げると、少年の黒い瞳は優しくエリカを見つめていた。


「諦めなければ、俺が転移魔法でおまえを助けに行ってやるから」


 少年はうーんと考えてから言った。


「たーちゃん。言えるか?」


 エリカは首をかしげて初めて少年の前で声を出した。


「たーちゃん?」


 少年は嬉しそうにエリカの頭を撫でた。少年の手からあたたかい魔力が流れ込んでくる。


「よかった、よかった。おまえ、ちゃんとしゃべれるじゃないか」


 少年はとても嬉しそうだ。エリカに顔を寄せて内緒話のように少し声をひそめた。


「俺とおまえの秘密の呪文だ。忘れるなよ。おまえがその名を呼んだら俺はどこにでも助けに行ってやるからな。転移魔法で一瞬だ」





 その時の約束が本当のことだったのかどうか、エリカにはわからない。エリカはその呪文を1度も使わなかったからだ。


 それでも、勇者様を呼び出せる呪文を知っている、という思いは、1人ぼっちのエリカの心を支え続けた。


 エリカは魔力感知の腕をひそかに磨いた。勇者様を元の世界に返すまで自分は生き延びなければならないと思ったからだ。





 池で溺れた一件から、“影の者”による監視をつけられることになったエリカは、2度と勇者様に会うことはなかった。


 あの満月の夜まで。






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