(4)エリカはお姫様
陽菜子をはねたドライバーはひき逃げだった。すでに警察に逮捕されているそうだ。
陽菜子は(私が飛び出したせいで)と泣きそうになっている。エリカが陽菜子に代わってその事を話すと、お祖父様は、
「そうだね、陽菜子もいけなかったね」
と、優しく微笑みながら陽菜子の頭を撫でた。そして、
「でもね。自動車の運転をする人には、事故の時に怪我人を救助する義務が有るのだよ。今回のドライバーはそれを怠った。その罰は受けなければならないんだ。手当てが遅れたら、陽菜子が助からない可能性も有ったのだからね」
と真剣な顔になった。
(こちらの法は面白いわね。向こうでは、町中を速度を上げて走る馬車なんて貴族の馬車くらいで、貴族の馬車に平民がはねられたら、悪いのは問答無用ではねられた方にされたと聞いたことがあるわ)
陽菜子はエリカの話に驚いていた。(いろんな世界があるのね)
お祖母様は夫と孫の話を聞きながら、にこにことりんごの皮をむいている。
仮眠していたお祖母様は目覚めてすぐに陽菜子が意識を取り戻したことに気づいて泣いた。そして、連絡をもらったお祖父様も急いで駆けつけて来たのだ。
2人ともとても嬉しそうだったが、目の下にくっきりと隈ができていた。
エリカは胸の痛みを感じた。おそらくこれは陽菜子の心の痛みなのだろう。
陽菜子は自分が事故にあったことで2人に大きな心労を負わせてしまったことを後悔しているのだ。
自分もこのあたたかい家族に仲間入りさせてもらったようで、エリカはその胸の痛みが嬉しかった。
陽菜子もエリカもお祖父様とお祖母様の体が心配になって、2人に家に帰って休んで欲しいとお願いした。
この病院には親切な看護師さんもたくさんいるし、もしも2人が倒れても陽菜子は今は助けに行けないのだからと説得すると、孫の優しい言葉に嬉しそうに顔を見合わせていた。
今はこれで帰るけれど、少し休んで用事を済ませたらまたすぐに来るから。何かあったら連絡するようにと心配しながら2人は帰って行った。
エリカには見るもの聞くもの全てが珍しく面白い。
陽菜子は(あれは何? それはどうして?)と幼い子供のようなエリカの“なぜなに”攻撃にあたふたしているうちにいつのまにかエリカの存在に馴染んでしまっていた。なんだか妹ができたような気がしていた。
ベッドから出て歩くことを許されると、エリカの好奇心はどんどん外に向かって行った。
体の主導権を握っているエリカが変なことをやりそうになることもあったが、病院の人たちはこの世間知らずのお嬢様の興味津々の行動を、微笑ましく見守ってくれた。
院内の売店に興味を持つと、お祖父様がお小遣いをくれた。アイスクリームがエリカのお気に入りになったが、陽菜子にアイスは1日1個まで、と約束させられた。
エリカは看護師達の髪が気になっていた。
(ねえ陽菜子、ここは宗教関係の施設なの?)
陽菜子は驚いた。
(県立病院だから宗教とは関係無いと思うけど。どうしてそんな風に思ったの?)
エリカの生まれた世界では女性は髪を長く伸ばすのが常識で、髪を切るのは世を捨てて神に仕えることを意味するのだと言う。
そういえば陽菜子もお祖母様も髪は長く伸ばしている。
(この国もずっと昔はそうだったようだけど、今はどんな髪型でも自由に選べるようになったのよ)
陽菜子はふと思いついて言ってみた。
(髪を切ってみる?)
エリカは驚いた。陽菜子の髪は背中まで伸ばした真っ直ぐな美しい黒髪だ。エリカの浄化魔法のおかげもあってさらさらの艶々だ。
入院中はなかなかお風呂に入れないので、時々エリカが体全体に浄化魔法をかけていたのだ。浄化魔法とは、汚れや有害なものを分解して魔素に戻す魔法で、魔素とは、空気中に漂う魔力の元になる物質である。
陽菜子は魔法に驚いて感激した。正式に魔法を学べなかったエリカは、貴族のご令息ご令嬢の皆様にいつも馬鹿にされていたので陽菜子の反応が新鮮だったのだが。
今はそれより、
(良いの? こんな綺麗な髪なのに?)
陽菜子は髪で顔を隠してきたようなところがあった。とくに前髪は目の上ギリギリまで厚く伸ばし、俯くと顔がよく見えない。そうやって人の視線から自分の心を守ってきたのだ。
でもエリカにはこんな髪型は似合わないと陽菜子は思うようになっていた。
鏡を見て驚いた。自分の顔なのに、顔を上げて好奇心に瞳をキラキラさせたその顔は別人だった。
これがエリカの顔なのだと思った。そして、こんな楽しそうな顔を髪の毛で隠したくないと陽菜子は思ったのだ。
エリカは髪を切るという行為にワクワクしていた。だが、喜んで院内の2,000円カットの店に飛び込もうとしたところを看護師たちに止められた。
こんな美少女の美しい黒髪を2,000円カットの店で切らせるわけにはいかない。若い看護師たちが見繕ったお勧めの美容室を紹介され、退院するまで髪を切るのはお預けになった。
陽菜子の話のあと、エリカも自分の事情を陽菜子に話していた。
1年後に何が起こるかわからなかったからだ。自分が消えて陽菜子が元通り1人に戻れるのなら良いのだが、必ずそうなるという確証が無い以上、陽菜子に隠しておくことはできなかった。
だから全てを話した。勇者を元の世界に返したところからの全てを。
(エリカちゃんは本物のお姫様なのね。勇者召喚なんて物語みたいね)と陽菜子は感心しながら話を聞いていたが、余命1年の告白に驚いた。そして自分の命の期限について淡々と話すエリカに胸が痛んだ。
この人は覚悟を決めているのだ。自棄になって突っ走り、車にはねられてしまった自分とは全然違う。
そのうえ、自分のことよりも陽菜子のことを気遣っている。これが本物のお姫様というものなのだと陽菜子は思った。
“真実の愛”に関しては陽菜子にもよくわからなかった。
たとえば自分のことならば、自分が愛していて自分のことを愛してくれていると間違いなく思えるのはお祖父様とお祖母様だ。
母親のことは全然知らないし、正体のわからない父親にはどちらかと言うと余り良い感情を抱いてはいない。
(“真実の愛”という言葉は、やはり男女の恋愛を意味しているのかしら? なんだか皮肉めいた印象も感じられる言葉だけれど……)
それから少しして、無事に退院した時には病院関係者や売店のお姉さん、患者さんたちまで、大勢の人たちが賑やかに見送ってくれた。いくつもの花束で埋まってしまいそうだ。
エリカの輝く笑顔とともに、陽菜子は嬉しくて泣いていた。エリカも陽菜子もこんなにたくさんの人たちに祝福されたのは生まれて初めてのことだった。